先輩と後輩に囲まれ、隣に暁がいる中、私は目の前のリードを片手にしのぎを削っていた。
少し前、本来であれば専門外であるはずの暁から、何やら音に違和感を感じると聞き、では何かおかしなところがないかと先輩方に見てもらったところ。
「…リード調整がいるかな。」
と、実質拷問の時を与える宣言を繰り出された。
サックスのマウスピースに着けるリードというのは、非常に繊細な部分である。リードを使う木管楽器は、リードの状態によって、音が大きく作用されてしまうほど、重要な部分だ。
調整するとなれば、削りの作業を行わなければならない。比較的安全な裏側を削る作業でも、少しでも削りすぎれば想像する音と遠く離れることとなる。
今回は最悪なパターンで、裏側の削りをしても満足のいく音にならず、表側側面を削っても違和感が変わることはなかった。必然的に、一番影響が大きいマウスピースと接触している部分を削ることになった私は、ヤスリを片手で震わせながら、慎重に、かつ丁寧に削っていく。
「暁さーん、まふゆが呼んで…あれ、なんかすごい緊迫してる?」
「っし…今大事な作業中。」
最近は、そこら辺の生徒の声ぐらいでイラつくことはなくなり、素面のままきけるようになった。これも、暁のおかげだろう。
だが同時に、暁は私の冷静さを消滅させるものを持ち込んできた。
「“まふゆ”…。」
私はその名を聞いた瞬間、つい力を込めてしまい、リードを折り曲げてしまった。
あたりは悲鳴に満ちる。私のミスによりまわりは、怒り、悲しみ、驚愕と様々な表情を見せた。だが瞬時に、私の気迫に気づいたか全員顔を青ざめることとなった。
「…暁。」
「…は、はい…。」
「そろそろ私とのデュオによる大会が迫っているというのに…未だにまふゆという女にうつつを抜かしているのか…?」
「ヒェ…だ、だって…私の音を聴きたいって、朝比奈さんが…無視なんてできない…。」
その一言で、私は怒髪天を衝いた。
片手に握っていたリードはひび割れ、もはや粉々と言ってもいい。それを横目で見る暁は、白い顔をさらに白くした。
…この一年間、暁の人となりについて、よく理解した。
彼女は、いわゆるお節介であり、お人好だ。求められたらすぐに楽器を取りだし、その場を自身の披露宴としてしまう。
求められたらだけならまだいい。少し元気がなさそうなやつにさえ、こいつはすぐに楽器を取りだし、「熊蜂の飛行」だのラテン・ジャズ曲だの玄人でも苦戦する曲を惜しげもなく奏で、励ましまくる。
そんな暁のことを、私は好ましく思いながらも、嫌いで仕方がなかった。
万人に演奏をすることは許そう。だが、自分を安売りするのだけはやめてほしかった。中にはからかい半分で演奏を頼む輩もいて、暁が安く見られていることが何よりも我慢ができなかった。
からかい半分の奴らは、暁の実力で黙ることとなり、だいぶと少なくなった。だが、それでも、暁が俗人だと見られていることは変わりない。優等生である朝比奈まふゆという人物だって、そこら辺の有象無象と同じで、気に入ったCDを聴いていると同じ扱いを暁にしているに決まっている。
私は、もはや我慢の限界だった。
「…暁。」
「な、なに?」
「…あたりかまわず、演奏をすることをやめてくれ。お前がどんなふうに見られているのか、知らないわけがないだろう。これ以上は、自身を安売りするだけだ。」
「…そう。」
「だから、これからはちゃんとした舞台で…私の隣で、奏でてくれ。私もまだまだだが、これからお前の隣にふさわしい腕になって見せる。だから…。」
「ごめん、それはできない。」
「っ、なぜだ!?」
私は、悲しみと、怒りと、少しの悲しみを載せて、暁に罵声と共に浴びさせる。
ああ、私は、こんなことを、こんな声を、暁に聞かせたくないというのに…我慢できずに、抑えられずに、私は、口から負の鉛球を吐き続ける。
「お前は、お前は下町の風俗嬢みたいな真似事をしているだけだ!誰彼構わずプロ顔負けの演奏を披露して、お前の何になるというんだ!これ以上…これ以上暁を安くするのは辞めてくれ!!」
「…ごめん。」
「謝るなら、謝るくらいなら…!」
「私は、トランペットを奏でるのが好き。すごい舞台で演奏するのも好きだけど、いろんな人と騒ぎながら、演奏するのも好き…だから、ごめん。」
暁はそう言い残し、呼びに来た女生徒の元へと足を運ぶ。
残った私に、先輩と後輩は励ましをくれた。
中には、暁を下げる発言をしてまで、私を励まそうとしている者もいた。焼石に水もいいところで、そいつは睨みつけ黙らせた。だが…だが、同時に、私と同じ思いを、暁のトランペットに価値を見出している者もいて、私の心は安らぎを覚えた。その日から、私は同じサックス奏者、セクション仲間と、少しは心を明かす仲になれたのは、僥倖だったのかもしれない。
暁は何もわかっていない。…私が、私だけでも、理解していなければならない。それ以降、私は暁にあたり散らかすことはなくなったが、今まで以上に、私は暁に心酔していった。だが、それを機に、私と暁の距離は、どんどんと広がっていった。