もはや嗚咽の声が出ないほど、一歌は泣き疲れて倒れ伏していた。
目からもう涙は出ていない。それでも、悲しみが絶えることはなく、このまま深い海の底まで沈んでいくんじゃないかと錯覚してしまう。
「いっちゃん…。」
咲希が心配している、そろそろ起きなければ。そう思いながらも、今の一歌に立ち上がるほど、前を向ける気力を持ち合わせていなかった。
パァン。
乾いた音が響き渡る。何事かと目線を配れば、愛莉は自分の顔をはたいていた。
「…みのり。」
「愛莉ちゃん…わ、私…何も…できなかった」
「アイドルは、こんなところで挫けて、へこんでいるような人がなるもんじゃない。…あなたの憧れたアイドルは、そういう人たちよね?」
「あ、愛莉ちゃん…?」
みのりは瞬きをして、隣の遥は同じく瞬きをしながら、合点がいったかのように笑う。
「…明日は、もっといい日になるかもしれない。…だよね、みのり。」
「…は、は“る”か“ぢゃん”…!」
今、この場において心を折れずに、あきらめなかったものは愛莉と遥のみ。そして、逆境に立たされた時ほど、彼女たちは夜の焚火ほど、明るく燃え上がる。
「…まったく、遥はそんなダメージないみたいね。」
「うん。みのりから、思い出させてくれたものがあったからね。」
みのりは嬉しさのあまり、全身滝となり、渾身の想いを込めて遥へ体当たりをした。
「…とにかく、次はどうしようかしら…ちょっと、私たちだけじゃ手が余るわね…。ほら雫、あなたも理想のアイドルを目指すんだったら一緒に考えて、」
「…そうね!まだまだあきらめるには早いわね!…でも、どうしましょう…。」
「…ま、まずは…ほらあんたたち、いつまでへこんでるの。私たちじゃ手に余るんだから、一緒に考えてちょうだい!」
「…うん!みんな笑顔にさせるのは、私得意だよぅ?」
「…乗りかかった船だけど、…私の知っている人たちなら、きっと見捨てない。で、でも具体的にどうしよう…杏ちゃん…みんなに聞けば何かわかるかな…?」
「桃井先輩…わかりました、私にできることがあれば精一杯頑張らせていただきます。ほら、志歩ちゃんも、ね?」
「…まったく、…でも、そうだね。こんなところで躓いているほど、暇じゃない。…ほら、一歌、咲希、立ち上がって。二人とも、もう一人じゃないんだよ。」
咲希は、嬉しそうに笑い、一歌の手を取る。一歌は、目元に溜まった涙をぬぐいながら立ち上がった。
あの時、私は暁先輩に重荷を背負ってもらった。だからこそ、今、私が重荷を背負う番。
心で誓う。きっと誰に聞かせるものでもなく、自分が心から誓うべきものだから。彼女の顔は、いつの日かの幼馴染を取り戻すことを誓った時の顔と、どこか似ていた。
「…うん、大丈夫。咲希もありがとう。お世話になった人に、しっかり恩返しするから、手伝ってみんな。」
「…うん、もちろんだよいっちゃん!!」
「まったく、さっきまで落ち込んでたくせに。」
「あはは…ごめん。…立ち上がらせてくれてありがとう、志歩。」
一歌が立ち直ったことに安堵する、が、まふゆがいまだ震えていることに気づいた穂波は、まふゆへと駆け寄る。
「大丈夫ですか、朝比奈先輩!」
「…はは…何それ…私は止められたのに…燈は、行くんだ…じゃあ…私も…。」
穂波は、まふゆが言っていることを理解してしまい、青ざめながら後ずさる。まふゆの闇は燈に釣られるように解き放たれ、彼女もまた、ずるずると深みへと陥っていた。
だからこそ、その落ちようとするまふゆの行動が、愛莉の逆鱗に触れた。
立ちなさい。冷え切った声とともに、まふゆの胸倉をつかんで立たせる。
「…あなた、意味が分かって言葉を吐いたのよね…?」
「…先に行こうとしたのは私。」
「あなた、燈が言ったことわかってるの?!彼女が言ったこと、もう一度思い出しなさい!!」
まふゆは、っはと息をのむ。
『…奏を、よろしくお願いします。』
「私にはわかる…あんたにも、帰りが待っている子がいる。それが、燈にとっても知り合いの子で、とても大切な人だって…あんたはその、燈の言葉を無視する気!?…ここであなたとこんなに話すのは初めてで、余計なお世話だということもわかってる…でも、今私の目の前で、そんな勝手なことをするなんて絶対に許さない…!」
「…何、それ…意味わからない。…でも、苦しい…助けて…奏…。」
まふゆは力が抜けてしまい、重さで愛莉も耐えきれず離し、へたり込んでしまった。
「…なによ…子どもみたいに…最初っからそれでよかったじゃないの…最初っから、自分に抱えきれないと思ったら、助けを求めなさいよ…!」
「あ、愛莉ちゃん、そ、その辺で…!」
「待ってみのりちゃん。…私も、朝比奈さんに言いたいことがあるの。」
雫はまふゆの前まで歩き、彼女の目線に合うようにしゃがむ。
「朝比奈さん…私ね、ちょっとびっくりしちゃったけど、こうやって朝比奈さんの本当の姿が見れたこと、とても嬉しく思っているの。」
「…日野森、さん…。」
「よかったらでいいのだけど…これからも、今の朝比奈さんと私、お話してみたいわ。」
「…変な人。」
「っな、あんたねぇ…!」
「まあ、しぃちゃんみたいで可愛いわ!」
「お姉ちゃん、どういうつもりそれ。」
雫の柔らかな心に、その場の全員の肩の力が抜けてしまう。でもそれが、とても心地よく、素の姿である朝比奈まふゆの心にも、少しだけだが温かさを取り戻した。
「…ねえ、朝比奈さん。」
「…なに。」
「さっき聞こえた奏さん、あなたにとってどんな人かしら?」
「わからない…けど、私を止めた人。…私を見つけてくれた人。」
「そう!きっととっても素敵な人で、朝比奈さんにとって大切な人なのね!」
「…そう、なの?」
「きっとそうよ!…ねえ、朝比奈さん。私ね、燈ちゃんを元気にしたら、きっと奏さんも元気になると思うの。だって燈ちゃん、奏さんが大好きみたいだったから、きっと奏さんも、燈ちゃんのことが大好きなの!」
「…短絡的。」
「そうかしら…でもきっと、私が思ったことは当たってると思うわ。」
「そうね、確かに、雫の話はとってもシンプルだわ。…でも、案外簡単なことだったりするのよ。…そう、簡単なこと…燈を何とかするのも、見つけ辛いだけで案外すんなりいくわよ、きっと。」
愛莉の心は、さらに熱を帯びる。熱は冷たいところへと伝わるのと同じように、周りの人々へと移っていく。
「わ、私これから燈先輩と一緒にいっぱい遊ぶ!いっちゃんも手伝って!」
「もちろんだよ咲希。…そうだ、合奏ができないんだったら、楽しそうな姿を見せて、一緒にやりたくなるようにしたらいいんじゃないかな。」
「一歌、それは下手したら地雷。…まあ、悪くはない発想だとは思うけど…。」
「奏さん…奏…あ、そういえば、今度から宵崎奏さんって人のおうちのお掃除をすることになったの!…もしかしたら私、暁先輩の家にお邪魔して、元気づけることができるかも!」
「穂波ちゃん、それって本当?うぅ…あ、あたしは…司君とか、類君とか、あ、あと寧々ちゃんと相談してみる!」
「ツカサクン…?あ、もしかして、お兄ちゃんの知り合い!?」
「え…ってことは、司君の妹ちゃん!?」
「すごーい、なんか運命って感じ!お兄ちゃんのこと、よろしくお願いします。えむちゃん!」
「…もちろん!司君のことは、私に任せて!」
「す、すごい…なんかぐっと世界が縮まった感じがする…!あ、遥ちゃん、私たちにできることって何かあるかな…?」
「下手に接触したら逆効果だから…暁先輩が変なことをしたとき用の、連絡役とか?」
「じゃ、じゃあいつも通り、レストランとかで誘えばいいんだね!………いつも通りお話とか無理だよぉ!!」
「…まあ、肩に力が入らない程度に、ね、みのり。」
「…というかみのり、あんた良い加減遥に頼るのやめなさいよ…。」
「だ、だって…遥ちゃんからの指示に応えるだけで、私嬉しくって爆発しちゃいそうで…!」
「…それ答えになってないわよ、みのり。」
「みのりちゃんってば、遥ちゃん大好きなんだから。」
「えへへ…こはねちゃんも…手伝ってもらってもいいかな…?」
「うん、乗りかかった船だけど、みんなの気持ち、すごく伝わったから…私もお手伝いしたい!」
屋上に集った人たちは、来たばかりのころと同じように、活発になり始めた。
「ほら、あんたも手伝いなさい。…燈、勝手だって思わない?」
「…勝手…そうだね、勝手だと思う。」
「そうよね。…私ね、今猛烈にむかついてきてるのよ…自分がもう耐えきれなくなってきたから無理って、あっちから関わってきた癖に勝手にいなくなろうとして…一言二言言わないと気が済まないわ!だからお願い、あんたも言いたいことがあると思うの、お互いのために、手伝ってちょうだい!」
結局朝比奈は、ひどく冷たい感覚があったということしかわかることがなく、今どうしたいのかと聞かれてもわからない。言いたいこと、と言われても、特にないのが本音だ。
しかし、彼女の中に、燈に何かしらすれば、きっと奏が笑顔になれる。その言葉が居座り続け、自分を大人しくさせてくれない。…そうだ、これも聞けば、この人ならわかるかもしれないと、口を開いた。
「…奏は、作曲者。」
「…え、あ、あなたが名前をつぶやいた奏さんの話…?すごい人なのね…それで?」
「…燈に何かすれば、奏は笑顔になる…どうしてそうなるのかわからないけど、そうすれば、もっと奏の曲が聴ける…?」
愛莉はきょとんとしながらも、少し呆れた笑みを浮かべた。なんだか、朝比奈まふゆという人物が、まだまだ可愛い小学生か、もっと幼い子に見えたからだ。
「…もちろんよ!太鼓判を押してあげるわ。」
「…根拠ないのに、愛莉ってば背中押しちゃうんだ。」
「んな、なによ!そりゃ私たちは奏さんのことを知らないけど…でもあの燈の知り合いよ、きっと良い人だわ!それに、長年の芸歴が何よりの証拠よ。経験則なんだから!」
「…みのり、アイドルにはあれぐらい、無根拠でも自信を持つことが大事な時があると思うの。愛莉を見習って、これからも一緒に頑張ろうね。」
「は、はい!遥ちゃん!」
「あ、あんたねぇ…!」
奏の曲を聴いているときとはまた違う、どこか暖かなものが、まふゆに安らぎを与える。相変わらずまふゆは理解ができずにいるが、また新たな居場所を見つけることができていた。
「…あ、もう放課後…あ、あれ…?」
「うわぁ、いっちゃん、だ、大丈夫!?」
安心しきったのだろう、一歌はふらつき倒れてしまう。併せるように、えむ、こはねも尻もちをついてしまった。
「…今日は一旦解散ね。」
「思った以上に気力を使ってたみたいだね…みんな。」
「…だ、大丈夫!いっちゃんやえむちゃん、こはねちゃんは休んでて!今日は私が…」
「咲希。咲希も疲れたでしょ。ほら、足震えてる。」
「…う、うぅ…で、でもぉ…。」
「…ありがとね…その、咲希さん、で良かったかしら。でも、慌てても仕方がないわ。今日はしっかり休みましょう。燈のことが分かっただけでも儲けものよ。」
「でも、わかっちゃうなぁ…その、いついなくなるかわからないし…燈先輩。」
「みのり…うーん、それはそうだけど…。」
「…一週間後。…燈が奏のところから引っ越すのが、一週間後だって聞いた。」
「…それがタイムリミット…ってことですね。朝比奈先輩。」
「多分。」
「…よーし、今日はこのまま解散よ!これから何かあったら連絡すること、いいわね!燈の邪魔をしまくるわよ!」
「愛莉、言い方…。」
おー!っと声を併せ、それぞれはそれぞれの帰路へと足を運ぶ。各々が、どうするのかを考えながら。
3/24修正:づあぁ…!雫さんは志歩ちゃんのことをしぃちゃんって呼ぶんだよ!何間違えてるんだわいは…。