シィナは部活動に参加している時と、そうで無い時で差がある。彼女は誰かと共に行動しているところは余り見かけない。ある意味一匹狼のようなところがあるのかも知れない。
だが彼女はその全てが麗しく美しい。事実、レイも第一印象は彼女の虜になりそうになった程である。スポーツ関係に関しては“にわか”と言っており、確かに彼女は運動に関しては特別秀でている訳ではない。
しかしそのプロポーションはやはり目立つ。部活内では彼女の話題が絶えない。この事は、正直レイにとっては学校では生活し辛さを感じていた。
何せ彼女とは特別な関係。視線を送られたりする事もある。しかしシィナは目立つ。もし何らかの形で2人の関係が発覚するのは居場所の問題になる可能性がある。幸いなのは彼女が積極的に学校内で話しかけてこない事だけ。それは、良い事なのだが……
やがて部活動が終わった頃、学内に人が少なくなった時、レイは図書室に向かっていた。もうすぐ始まる定期考査の勉強の為だ。
水泳による適度な疲労は勉強する上で少しばかり眠気に囚われそうになるが、それでも彼は勉強をしておきたい。アパートでは恐らく眠ってしまうだろうと彼は考えていたからだ。
レイが図書室の一室に座り、コンピュータを開き、授業の内容を確認している、その時――
「レイだ」
シィナが居た。銀髪の美少女が彼の視界に入ってきたのである。
「シィナさん……?」
一瞬視線が合った後、レイはすぐに視線を逸らした。どこか恥ずかしさを感じていたのだろうか。
「学校じゃ、なかなかお喋り出来ないね。人の目って嫌になる。変な噂とか広められたりしてるみたいだし」
昼間のグループワークの事を、レイは思い出していた。
2人の女子学生が彼女の事であらぬ噂をしていた。シィナの事を知らないのに適当な噂。それがどこか、レイの中で不快に感じられたのだ。
「今の時間は人も殆どいないし、一緒に勉強出来るね」
と、言いながらシィナは彼に断りを入れる事なく隣の席に座った。
「レイは真面目だね。部活の後でも勉強なんて偉いよ。」
「要領が悪いだけだよ。でも、やれる事はやっておこうと思ってる。」
と言いながら視線を合わせず、コンピュータに集中する。
「部活、お疲れだね。塩素の匂いがする」
レイから僅かに漂うその匂いを、彼女の嗅覚は感じ取っていた。
「私もレイを見習って勉強、しようかな」
と、言いながら彼女は持ってきた本を取り出し、本を読み始めた。勉強をするのでは無いのかと疑問を抱くレイだが、今はシィナに構わないようにしている。彼女の事を意識するのはここでは避けたいと、彼は思っていた為だ。
だがその時、シィナはEフォンのデバイスに触れ、それと同時に耳輪部に輪っかのようなものを掛け出した。それはデバイスを通じて音声を流す、機械。彼女は今、音楽を聴いている。
レイはこの時、彼女が聴いている音楽が何かをそっと見てみた。Eフォンの画面に映る、1人の麗しい女性の写真が姿がそこには居た。
「シィナさんは……ジャンヌ・アステルが好きなの?」
ジャンヌ・アステル。デウス動乱と呼ばれる戦争が終わった後で活動していた絶世の歌姫。彼女は地球と戦争していた国の貴族であり、荒れ果てていた地球に少しでも癒しを与える為に歌を歌っていた。その影響力は地球圏に及び、世界で一番売れたアーティストとして名高い存在である。
また、彼女は女優でもあり、尚且つテニスプレイヤーでもある。世界選手権で優勝の経験がある。それ以外にも芸術分野に於いても優秀賞を何度も収めた事がある、まさに才色兼備と呼べる人物だ。
「大好きだよ。あの人の歌は元気を貰える気がするから。」
音楽を聴きながらシィナは答えた。
「でも、2年ぐらい前から活動、辞めちゃった。スキャンダルか何か発覚したって話。それでSNSとかで凄いバッシングがあって、そこからあの人の音楽活動は無くなっちゃった。」
「確か、そうだったような……」
と言いながらレイは天井を仰いだ。
普通の会話ならば有名人のスキャンダルは大抵、大した話題にならない。所詮はスキャンダルなど日常生活に大きく影響を与えない為だ。
だがレイは違った。ジャンヌ・アステル。彼女の存在はよく知っている。何故ならば、彼女のもう一つの顔である、アステル家の令嬢という立場のジャンヌ・アステルを知っているから。
ジャンヌ・アステルはアステル・システムズという名の軍事産業を経営する当主、ジンク・アステルの娘である。表向きは世界的歌手の彼女だが、実際は軍事関連の人間という事だ。
そして、ジャンヌはレイに人型兵器を与えた。混迷の世を変える為の力として。それが、レイを戦いの道に走らせたのだ。
彼女とは様々な事で揉めたりした。だが結果的に彼等は和解した。こうしたエピソードがあるのも、レイが過去にそれらを全て経験しているからだ。
そのような秘密など、語れる筈がない。どう考えても夢物語。世界的歌手と共に、あの戦争を戦い抜いたなど、言えない。それにはそれ相応の理由があるのだ。
だからレイは日常上での、歌手としてのジャンヌの話をする。これもまた、表面上の話なのだ。シィナと特殊な関係になったとは言え、そのような話が出来る筈がないのだ。
「ファンの掌返しはいつ見ても嫌な気持ちになるよ。アイドルとか俳優を自分のモノと勝手に錯覚しているから、本来なら喜ぶべき事に対してもバッシングをする。そう言うの嫌い。」
これもまた、シィナなりの考えなのだろう。
「そして、仮にアーティストが何らかの形で不手際を起こしても曲を愛する事が出来るのも大切な事だと思う。アーティストは過ちを犯したとしても、曲に罪はないから。それが文化なんだと思う。ジャンヌ・アステルのファンはあれで離れたっていうけど、そんなファンは離れて当然だよ」
この台詞から、シィナはジャンヌ・アステルの本当のファンである事が分かる。それは去年にジャンヌと戦争に参加していたレイにとってはある種の誇りに思えた。
そして、ジャンヌの事を知っているレイはシィナに対して言うのだ。
「ジャンヌさんは今も平和の為に動いているんだと思うよ」
何気なく出た言葉。それは、余りにごく自然に出過ぎた言葉。
「“ジャンヌさん”?」
シィナがずいとレイの顔に近付く。今先程レイが言った言葉に、違和感を覚えたのである。
「あのね、レイ。有名人とかの話をする時って、大抵は“さん”付けするか、フルネームか愛称で呼ぶ事が多いと思うんだ。だけど、レイの今の呼び方は明らかに知人関係とかその辺の関係に見えた。あんなにごく普通に、自然にジャンヌ・アステルを“さん”って呼び方はしないと思うのだけど。」
それはレイにとって迂闊だった。彼にとってあの壮大な経験はごく普通の学生生活を送る上で本来人に話すべきものではない。だから彼は他者とは最低限の交流に留めていた。
しかしその経験をした彼は、蛇口を撚れば出る水の如く、ジャンヌ・アステルの事を知人のような感覚で喋ってしまったのである。
それにシィナは反応した。彼女はレイに対して関心を抱いている。彼女がもしごく普通の女子学生ならジャンヌの事に対して然程反応はしない筈。なのに彼女は反応した。何故、そこに反応したのだろうか。
「えと……そうそう、コンサートに行ったんだ!そこで平和について考えてる人って印象を受けたから、それで!」
慌てて誤魔化す。本当の事を言ってしまうのは避けたかったからだ。信じて貰えないと言うのではなく、純粋に、レイは過去の話を忘れたいと考えていたのである。
「ウソツキ」
シィナは示指を口元に運び、言った。
「レイはやっぱり、隠し事をしてる。私と関係を持っているのに隠し事されてる。それって悲しい事だな」
悲しい事と言われても、それを話して何になるのか。話したくないことを話さなければならないのは嫌な事だ。自分が戦争に参加していたと言って、何になる?それに、その話はしたくない。いや、“してはいけない”のだ。
レイはシィナに関心を抱いている。しかし彼が経験した事は余りに現実離れし過ぎている。彼女の事もまだ全然理解していないのに、それを話して何になる?
「シィナさんは秘密を知ろうとし過ぎるよ。それをされて嫌に思う人間だっているんだよ。」
混乱しているレイは逆上するように言った。シィナの言葉は意味深長である。明らかにレイの事を見透かしているような言葉で、彼を翻弄するのだ。
「じゃあ、レイには秘密があるんだね。今の言葉はそれを認めた事になるよ。」
確かにそうだ。レイは戦争を経験している。だがその事は、基本的に誰かに明かしてはいけない事。それには、理由があるのだ。