「おはようー」
「てか、こんにちはじゃね?」
とある講義が始まる前。レイは空いていた席に座り、コンピュータを開く。予習していた内容の再確認だ。
教授が来るまで時間がある。こうした取り組みを、彼は欠かさない。
レイはこの学校では決して一人ぼっちと言う訳ではない。純粋に、同じクラスメイトが多過ぎるのだ。このキャンパスには二千人程度の学生が居る。皆がそれぞれ学び、時間を謳歌している。同じ授業で一緒になる知人がいればその人間とは交流を取る。しかし一人しかいない場合、彼は一人、こうして予習した内容の確認をする。
「なあ、滅茶苦茶可愛くない?」
「ヤバい……可愛いってか綺麗じゃん……」
その時、彼の耳に何やら男子学生の声が聞こえてきた。気になった様子のレイだが、敢えてそちらに顔を向ける事はしない。
だがそれらの声は次第に大きくなっていき、やがてレイ本人に聞こえてきた。
「ねえ、隣良い?一人で受けるの?」
「バカ、いくら何でもファーストコンタクト下手糞過ぎるだろ!」
「良いんだよ、声を掛けられるの待ってたんだろ?可愛いよなぁー、ホント。」
またか……と、彼は思った。
確かにレイの容姿は麗しく、美しい。金色の髪に青く澄んだ眼は人を捉えて離さない。それ程に少女と間違えられても仕方のない容姿をしている。年月を掛ければ少しは男性ホルモンの片鱗を見せるかのような成長をするのかと思っていた彼の身体はそれとは真逆……本当に、女性のような成長をしていった。最も、彼は性別は男であり、乳房もない上、女性器もない。当たり前の話ではあるが。
彼は少しでも自分を男子学生に見てもらおうとジーンズ姿やライダージャケット姿で登校をするのだが、それでも容姿自体は少女のものと変わらない。自分でもこの容姿が時に嫌に思う事がある程だ。
とは言えレスラーのような逞しい印象を持つ顔貌になりたいのかと言えば、そうでもない。所見、印象というのは難しいものだ。本人が受け入れなければならないとしても、それが受け入れられない時がある。
「ごめんなさい、僕……男なんです。」
彼にとってはいつもの台詞だ。女子学生と勘違いして、仮に男子学生と正体を明かしたらどのような反応をするのだろうか?
「嘘言うなよ、こんな可愛い子が男?いやいや、何言ってんだよ?」
異様に馴れ馴れしい様子だ。その男子学生は知人でもない。今、知り合ったばかりの関係だ。
「よく、間違えられるんで……ごめんなさい。」
別に謝らなくて良いのに。しかし何故か、レイは先に謝る。そうすれば場が落ち着くからなのだろうか。
そう言った後、男子学生達は何故か舌打ちをし、レイから離れていく。もしレイが本当に女子学生だったならば、恐らく何らかの話をしようとしていたに違いない。
だが彼はそのような遊び心など持っていない。相手をその気にさせるような色香を漂わせている訳でもない。
彼は真面目だった。そして、自分の容姿が嫌になる時も度々あった。少女と変わらぬその美貌。それに寄って来る男子学生。男と知った時に離れる人間達。何だろうか、この落差というのは。
彼は学ぶ為にこの学校に留学して来た。確かに、知人も出来た。だがその関係というのは、所詮は表面上の関係に過ぎないのだ。
レイには秘密がある。余りに大きな秘密。人智を超えた力を持っているという、秘密。学校の人間に話したところで絵空事と言われるような秘密。
その事で彼は悩んだ事があった。その力によって自らの命の危険にさえ及び掛けた事もあった。しかし、今はそれらを受け入れている。そして、二度とその力は使われる事は恐らくないであろう環境に、身を投じている。
だが、人間は一度こうした壮絶な体験をしてしまった時、大きな体験をしていない人間と共に新たなる人間関係を築くのは非常に難しい。彼の知人達はそれなりに目的意識があってこの学校に留学している。2000人以上もの学生がいるキャンパスだ。それ故に多種多様な人間がいるのは当然と呼べる。
しかしレイは自らの力の事や、体験した事を話せないでいる。それを言ってしまっても、所詮絵空事のように扱われるだけだからだ。
それは分かっていた。分かっていたが故にレイはどこか、それに対して寂しさを感じていたのだ。本心から自らの事を語り合えない知人達。
更に彼を寂しい気持ちにさせたのはキャンパスの環境だ。学生によって受ける授業は異なる。無論、同じ授業を受ける人間もいるのだろうが、所詮は顔見知り程度。そこから深い仲になれるかと言われれば、そうでもない。
ジュニアハイスクール時代はいつ、いかなる時も同じクラスメイトがいた。それ故に友情を深めるのに一役買う事が出来たのだ。それが幸いし、レイは今でもテレビ電話等で故郷の友人と連絡を取る事がある。
しかしこのキャンパスでは彼は本当に語り合える友人というのが存在していないのが現状。それが、彼を寂しくさせた。挙げ句の果てには先のように容姿のみで声を掛けてくる軽薄な男にナンパをされたりもしている現状。
一見すればそれは幸福な学生生活と呼べるのかは甚だ疑問ではある。しかし、彼が以前に体験した壮絶な出来事と比べれば、間違いなく今の時間は幸せな時間と呼べるだろう。
日常と非日常という状況を経験した、レイ。今この場で多くの事を学び、その上で生活を送っている事は間違いなく幸福と呼べるだろう。いや、そうに違いない。
「~であるから、この内容はこうであって――」
教授の声が教卓から聞こえる。抑揚のない声はどこか退屈で、その授業は学生からも人気がない。一応必修と呼べる科目ではあるが、魅力のない授業を聞き続けるのは酷な話と呼べる。大切な授業である事は、分かっている筈なのに。
(……皆は、どうしてるんだろう……)
ふと、彼は過去を振り返る。この退屈と呼べる授業を聞く中で、彼は過去を思い出した。
レイは非日常に身を置いていた。それは成り行きだった。レイは、現在では配備が禁止されている人型兵器に人一倍関心を抱いている少年だった。雑誌やネット上のサイト等でそれらの情報を集めたりしていた。
だがジュニアハイスクール2年の冬頃、ある軍人同士の話を小耳に挟み、彼はそこから最新鋭の人型兵器の存在を耳に挟む。それが、彼の運命を大きく変えた。
過去を振り返れば、それは本当に物語の一ページのようにさえ感じた。この出来事をきっかけに、レイは軍属でないメンバーと合流する事となった。そこは美人の艦長をはじめとした個性的なメンバーが集まっていた。
レイは彼等に世話になっていた。そこから多くの出来事を経験していき、やがて戦争に巻き込まれていった。何度か故郷に帰る事もあったが、運命は彼を戦場に引き寄せて行ったのだ。
先の戦争で生き残ったメンバー達は、それぞれの人生を歩んだ。幸い彼の持つEフォンにはメッセージアプリでやりとりをする事自体は可能ではあるが、今更何を連絡するというのだろうか。
艦長の名前は、エリィ・レイスと言った。彼女は同じ戦艦内のメンバーだったネルソン・アルビュースと結婚をしている。どこかでジャンク屋を経営しているという話だ。しかし学問に励む彼は彼女達夫婦に会う事も出来ていない。どうしているのだろうと、思う。
他にも彼は多くの人間と出会っていた。彼等は、今何をしているのか。どこで、どうしているのか。自分は、この平穏とも呼べる世界の中で勉強をしているというのに。
(こうして学校に行って勉強が出来るのも、思えばあの時僕が戦う事を選択したからなんだよね……でも、こんなに差を感じるとは思わなかったな……)
平和。そう呼べるのならばそれは幸せな事だ。無意味な犠牲も出ない、誰もが平穏で安心して暮らすことが出来る世界。それは何よりも理想である。
レイはこの平和な日常を守った人間だ。彼が先の戦争で戦わなければ、どうなっていたか分からない。
彼が戦った、“最大の敵”は地球の人類を減らそうという壮大な計画を立てていた。これを阻止出来なかった場合、地球上の人類の大半は死滅していた可能性が高い。
過去に地球の軍の統率者がいた。名は、レヴィー・ダイル。若き軍の総司令を担っていた人物だ。戦況が追い込まれる中で、月面からエレシュキガルと呼ばれる大型の要塞を展開し、これを巡り、四つの勢力が死闘を極めた。
最大の敵はこの、エレシュキガルを利用しようとしていた。それから展開される強大な砲台は最大出力で地球に向けられれば、大勢の命が失われた。地球を守るという壮大なミッションの果て。レイは称賛こそされていないが、この、かけがえのない日常を守った人間と呼べるのだった。
だがそれも過去の話。今の彼は学生だ。仮にこの話を誰かにしたとして、信じる人間がいようものか。絵空事と言われるのが関の山だろう。
それは、分かっている。分かっているからこそ、どこか歯痒い気持ちもある。それは人間故なのか。
(けど、それで良いと思う。僕は普通を望んだ。そして、本来あるべき形で人に貢献したいから勉強している。)
レイはこの授業の中でこうした事を考えるようになっていた。本当ならば人知を超えた力を持っている、レイ。だが過去にあった壮大な出来事と今の状況とでは、余りに乖離が過ぎるのだ。
別に英雄と言われたい訳じゃない。称賛されたい訳じゃない。彼は穏やかに生活を送りたい。それで、良いのだ。
ふと、彼は周囲を再び見渡した。授業を真面目に聞いている人間は数名いるが、大半の人間は視線を下に向けていたり、なにやらEフォンをいじっていたり、ひそひそと話をしている。教授はこれに対して注意をする様子を見せない。
彼はどこか、この状況に対して呆れている様子を見せていた。確かにこれは、勝ち取った平和なのだ。だからここに居る学生達は授業を受ける事が出来るし、教授も授業をする事が出来る。本来“学ぶ”と言う行為は金銭も掛かる、崇高な事だ。なのにここの学生の大半は学ぶ権利を自ら放棄している。その事にレイは一人、複雑な心境を浮かべるのだ。
別に自分が偉い人間になった訳ではない。ただ、望まぬ力を持っているだけ。神でも何でもない、普通の人間として過ごす日々。それで良い。この複雑な感情を、どう言い表せば良いのだろうと考える。
(やっぱり、体験というのは人を変えてしまうのかな……皆がどのような体験をしたのかは分からないけれど、どうしても僕にはあの人達が壮大な体験をしているようには見えない……)
自分の事を棚に上げる訳ではないのだが、彼自身が経験した事を思うと、どこかレイはやるせない気持ちで居たのだ。
故にこの学校で心から分かち合える友と出会えずにいた。自分の事を話してもそれは絵空事。彼は取り付くように当り障りない話をするばかり。出身の事やこの学校に入った動機等。それらに目立った特徴は、ない。強いて言えば彼の容姿が余りに少女のようで麗しいという事ぐらいか。