『紡音心算物語』 作:けゆの民
◇◆秩序立った虚飾が崩れる時節
「──人類にとって、無為というのは欠かせないものである。無為だと定義しながらも、無意味だと見放しながらも、それは人類を人類足らしめるのには必須なものである」
深夜2時。
春休みだからこそ成立しているこの邂逅は、いつも通り紡音の言葉によって始まる。
今回の話題は……無為について?
少しばかり自分の意見が入る、とさっき言われたけれど……別に今のところそんな感じはしない。
さて、無為だけども。
何となく単語の意味は推測出来るけれど、どういう意味なのか訊かれると怪しいところ。
『為にならない』とかなのかな、程度。
「では、無為とは何なのか。絶対的真理でありながらも自然なものであり、
紡音について。ひとつ、奇妙なところがある。
これは僕だけなのか、それとも全員が気付いていることなのかわからないけれど。
紡音は度々、左手で顎を押さえる。別にそれは何らおかしいことではない──けれど。
何故か、僕にはそれが心臓を抑えているようにしか思えなくて。
「そう、
「……総評として楽しいからでしょ、人生が」
無意味で苦しくて、それだけなら人間は生を続けようとしない。
長期的に見て。人生というスケールで見て、合算すれば
「ふふ、間違っていない。経験則から来る今後への期待──それは確かに重要なものだ。決して否定しない。だが、本当にそれだけか? 長期的に得だから。それ以外の理由はないのか。それ以外、無意識下に隠されている理由はないのか? 仮に無かったとして。何故『楽しい』に捕らわれる? それは果たして絶対的なものか? 信じ崇め、人生を続ける理由に相応しいほどのものか?」
生きる意味ってなんだろうね、という言葉の表層だけ受けとればメンヘラか何か? という感想しか得られない。
しかもこんな深夜にその話をしているのだから、尚更そんな雰囲気になる。
まあでも実際、助けられているのは紡音じゃなくて僕の方だから不思議なものなのだけれども。
楽しいは、人生を続ける理由に相応しいものか。
僕はそうだと思う。誰も彼もが紡音みたいに考えられるわけではない。
億を遥かに凌ぐ人類の平均を取れば、それが総意になるだろうってくらいに『楽しい』は重要……だとは思うんだけど。多分、そういうことじゃないんだろうな。
「それこそ無為だ。無意識下における変遷は、故に発生した。中立であれというのは、客観的であれという言葉と同義ではない。あくまで両者の中間に立つだけだ。そこで両者に向けて干渉するか、あるいは傍観するか──それはどちらでもいいが。決してそれが客観的であるとは限らない。第三物視点というのは、公平であり、不公平でもあれど平等ではない。故にこそ、人類は不生不滅に憧れるのだ。究極的に主観的でありながら客観的である存在。崩れることなき──いいや、崩れながらも創られるその神秘性。それが如何なるものなのかなぞ、誰も見ていない。誰もが焦がれながら誰もがその内実を見ていない。憧れるものをそう名付け、方角を示したつもりになっているだけだ」
「でも方角が無いと、命名すら出来ないと目指せない。自分の向かっている方向すらわからなくなるけれど?」
紡音という目標がなければ。
此処まで頑張れなかったように。
「それが悪だとは言っていない……まあ、そう聞こえる口振りであったのも否定しないが。それはあくまで私の好みだな。私は
……良かった。
遠回しに嫌いと言われて、ほんのりとした絶望を感じていたよね。
ただ、ちょっとだけ違う。紡音はそこで甘んじていることが嫌いだ、ということ。
私の意見は置いといて、と前置きをしてから彼女の千言は続く。
「だからこそ、楽しさだけではないのだ。人類は文字通り
「無為……わからないような、わかるような。要は目指しているものがそれなんでしょ? 同時に、ニュートラルな」
紡音は細く息を吐いてから、言葉を続ける。
仕方ない、という諦めか。それとも呆れによるものか。
あるいはそれ以外。
「そうだな。因果──定義ではない。定理でも、公理でもなく、
空を見る。
都会の喧騒と月光。
それによって星ひとつすら、僕たちは見ることが出来ない。
「天を見よ。それが歴史である。地を見よ。それが科学である。時間という物がもたらす厚みは本質的にはただの移動でしかない。人類にはその軸でしか検証出来ないことはあれど、それは全てでも唯一でもない。特殊は手放しで称賛されるものでも、絶対の真理でも決してない。数ある要素のひとつでしかなく、全ては過程でしかない。人は演算を出力するが、演算装置ではない。天地、その全てを網羅する広範な叡智を求めることと持つことは異なる。そしてその『全て』には、文字通りの全てが収まっている。我々はその誤謬に囚われてはいけない。何故、生き続けるのか。何故、探究を続けるのか。何故、
紡音は視線を地へと戻す。
「探究も善ではなく──ましてや、生が善とは言えない。善悪の裁定は何によって行われるのか? 何を以て善悪は決められるのか。時代か? 文化か? 個人的好悪か? いいや、違う。その全ては一つの要因であって致命的なものではない。『未来の我々』か? 否、それすらも流転していく。人類が“正しく”裁定出来る時代は来ない。故に、託すのだ」
「託す……何に?」
未来の人類、人類以外、世界……浮かぶ候補はそこそこある。
ただ、どれも無責任で適切ではないような気がして。
「無為に、だ。『不生不滅であり、因果の輪廻の外側に在る概念』──これほど全てを無責任に託しても許される存在はいない。我々人類は非実在存在に裁定を託し、それを同時に追いかけ探究していく。探究を重ねれば溢れる
「終わらないのではなく、終わりが意味を持てない……無意味ってわけでもないんでしょ?」
「そう。意味が無いのではなく、意味が持てないのだ。穴の空いた貯水槽の様に」
紡音は一冊の本を取り出す。
開くでも見せるでもなく、ただ取り出すだけ。
カバーに覆い隠され、タイトルも見えない。
「──結局。我々はあまりに無力なのだ。無意味で、無価値で、無意義で。だが、それは生き続けない理由にはならない。終わりは意味を持てず、始まりは認知の外で発生する。故に、無為とは無為でしかない。それ以下でも、ましてやそれ以上でもないのだ」
そんなところだな。そう言ってから彼女は手を叩き、音を鳴らす。
千言の終わりの合図。
……無為、無為かぁ。
このままだと下手したら『僕にとっての紡音=無為』とかいう等式が完成しそうだから、はやく帰って寝ようかな。