こましゃくれり!!   作:屁負比丘尼

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無垢な友情・表

 

 新緑も暗く見える、真夜中の山中。

 

 安瀬桜の告白は何にも遮られることなく、猫屋李花の元へストレートに届いた。

 

「う、う、うっそー!? まじでー!? 私、全然気が付かなかったんだけどー!?」

 

 安瀬が内心を吐露して1秒の間もなく、猫屋はいつもの調子で驚いてみせる。

 

「お、お、お、おめでとー安瀬ちゃん!! …………ん? いや、まだおめでとうじゃないかにゃー? あははっ、でもなんか勝手にテンション上がっちゃうねー、これ!!」

「…………」

 

 驚きから、無上の喜びへ。

 違和感を感じさせることなく、敷かれたレールが分岐器よって切り替わるように感情は遷移していく。

 

「同じ屋根の下に住んでる2人が恋仲になるなんてー、マジで恋愛ドラマみたーい!! 私、全力で応援するからねー!!」

 

 ニコニコと笑い、自身のやる気を証明するためか猫屋は胸元でグッと握りこぶしを作る。

 

「もう任せちゃってよー!! 夏は恋の季節だもんねー!! 海とか夏祭りとかイベント盛りだくさーん!! 話を聞いたからには、私が責任を持ってサポートしてー、あのバカを安瀬ちゃんにメロメロにさせちゃうからさー!!」

(…………昔の自分を見ているようで、どうにも歯がゆいな)

 

 笑顔を絶やさない猫屋とは対照的に、安瀬は冷静な面持ちを崩さなかった。

 

 彼女の恋心を知る安瀬にとって、その振る舞いはまるで絶対者への供儀(くぎ)。体を剣で串刺しにされていようが生贄には笑顔以外許されていない。

 

 身を削りながら、尊い物のために自分を捧げ続ける。

 

「私がばっちりと、恋のキューピット的な立ち位置こなしてあげるからねー!!」

「そうではなかろう?」

 

 声音には少しだけいら立ちが含まれていた。

 

 空回りして苦しいだけの会話を、安瀬は心良く思わない。彼女が聞きたかったのは応援の言葉なんかではなかった。

 

「我は、宣戦布告だと言った。意味は分かっているはずじゃ」

「い、いやー、それは普通に何言ってるのか分かんなかったんだけどー……」

「お主も陣内の事が好きなのであろう? 無理に取り繕うでない」

「えー? それはないってー」

 

 その核心をついた問いかけを、猫屋は和やかに否定する。

 

「陣内は……まぁー、遊んでたら楽しいけどー、恋愛目線では見れないよねー。ほら、アイツってバカだし、顔もふつーだし。あっ、でも別に安瀬ちゃんの趣味が悪いって言ってるわけじゃないからねー!? い、いやぁー、よくよく考えれば陣内って彼氏としては優良物件なのかもー。お酒さえ絡まなければだけどー……あははー……」

 

 失言への咄嗟のフォローも、陣内への悪態も、苦笑いさえも。

 

 ヘラヘラとして、どこまでも軽薄。

 

 猫屋李花は頭からつま先までいつもと変わらない。 

 

「……こう見るとお主ら2人は少し似ておるな」

「?」

「嘘を付く時だけはやたら口が回る。そして、躊躇なくその嘘を全身にぶちまける」

「…………」

 

 ここまで饒舌に喋っていた口が初めて止まり、柔和な笑顔の端がピクリと歪んだ。

 

「あ、安瀬ちゃん? あのね? なんか勘違いしてるようだけど、私、本当に陣内の事なんてどうとも思ってないんだよ?」

 

 一瞬だけ崩れた表情を修正し、彼女はヘラヘラと安瀬に笑いかける。

 

「思い切って、認めてしまうがよい」

「はいー?」

「聞いているこっちが苦しくなるではないか。自分の大切な想いと言うのは、そう易々と捻じ曲げていい物ではなかろう?」

「えぇー? そんなこと言われてもなー……。私さっきから本音でしか喋ってないしー」

 

 猫屋の態度は依然として変わらない。のらりくらりと安瀬の追及を躱し続ける。

 

「………………」

「………………」

 

 数秒ほど、2人の間に静寂が流れた。

 

「何を言っても、きっと意味ないよ?」

 

 安瀬の表明とは正反対の、諦めを含む湿った宣言。

 

「だから、この話はここでお終いじゃないかなー」

 

 柔らかい口調の裏には揺るぎない信念があった。

 

「ふむ。確かに、これ以上は平行線になるの」

「……ふふっ、そうだねー」

 

 両者間に笑みがこぼれる。

 

 これからの関係性を考慮して行われる、薄氷を踏むような腹の探り合い。お互いに譲れない主張があって、願う理想があって、()()()()()()()()()()()()があった。

 

 空気が張り詰めている原因は、そんな可燃ガスのような思いが漏れ出しているせい。

 

「ではいつも通りゲームで決めるとしよう!! 今からガチの殴り合いで真剣勝負ぜよ!!」

 

 瞬間、暗い雰囲気は爆発を起こした。

 

「……はい??」

「ルールはシンプルに『参った』と言った方の負け!! お主の得意で勝負でござる!! これなら異論はなかろうて!!」

「い、いや、えっと…………何言ってんの? マジで」

 

 まさに奇想天外。そんな表現が甘っちょろく感じるほどに、安瀬は空気を読まなかった。

 

「お主こそ何を腑抜けておる? 我らの間では、揉めればいつもゲームであろう?」

「そ、それはそうだけどさー……や、やるわけないじゃーん、そんなバカみたいな勝負。私が受ける理由もないしー」

「では不戦勝で我の勝ちでござるな!! これで猫屋は陣内の事が好きという事になる!! 山を下りて、さっそくこの吉報を陣内に報告してやろう!!」

 

 聞いて、猫屋の全身は総毛立った。

 

「いやはや、あ奴は幸せ者じゃな。こんないじらしい佳人に慕われておるなん──」

「やめてッ!!」

 

 歪みきって取り返しのつかない未来に、猫屋はたまらずに叫ぶ。

 

「…………やめて」

 

 感情のコントロールに失敗した彼女は、言い訳をするかのように同じ言葉を繰り返した。

 

「おろろ? 何故そうも取り乱す?」

 

 僅かなほころびを安瀬は逃さない。ここぞとばかりに、失態を犯した猫屋の逃げ道を塞ぐ。

 

「おかしいのう? 陣内の事は、好きでもなんでもないのではなかったのか?」

「なにそれ。ねぇ、もしかして私の事舐めてんの?」

 

 猫屋から一切の愛想が抜け落ちる。戯言をぬかして煽ってくる安瀬を容赦なく睨みつけた。

 

「それとも、できないとでも思ってる? さっきのふざけた勝負」

「陣内とは違って似合わぬな、お主には」

「はぁ?」

「嘘を付くのも、怒ったふりをするのも、どれも迫力に欠ける。お主は少しばかり人が良すぎるんじゃよ」

「………………」

 

 猫屋は不快感を隠そうとはしなかった。やりづらそうにして緩く巻かれた髪を弄り始める。

 

「はぁー……だるいなー、ほんと」

 

 その傍ら、猫屋はまだ満足に動かせない方の手をぎこちなく使い、加熱式タバコを取り出してカートリッジを差し込んだ。煙草葉が加熱するまでの僅かな間で、彼女は静かに覚悟を決める。

 

「いいよ。やろっか、喧嘩。それで納得ができるのなら」

 

 猫屋は対話での説得に早々に見切りをつけた。

 

 安瀬と問答で勝てるわけはなく、長い付き合いから彼女が引くつもりがないのも感じている。それなら、安瀬の言う通り自身の得意でこの場を切り抜けるしか方法はない。

 

「すぅ、ふぅー…………安心してねー。私、10年以上ずっと人ぶん殴る事しか考えてなかったタイプの人間だからー。参った、なんて顔を殴らなくても一瞬」

 

 煙は気怠そうに吐き出され、感情の籠っていない瞳は悠然と敵対者に向けられる。

 

「まぁーその代わり、ものすっごく痛いわけだけどー……この私に喧嘩吹っ掛けたんだからそのぐらいの覚悟はできてるでしょー?」

「ふん。調子が出てきたではないか、猫屋。であるが勝つ前提で話を進めるのは感心せんな」

 

 軽い挑発を受け、安瀬の方にもエンジンが掛かり始める。

 

 彼女は首裏から服に手を突っ込み、背中越しから何かを引っこ抜く。

 

 取り出されたのは、何の飾り気もない武骨な棒だった。

 

「わぁー、護身杖かー。安瀬ちゃんらしい、渋いチョイスだねー」

「……驚かぬのであるな」

「? 当たり前じゃーん? 武器無しで私に挑むなんてもはやただの自殺行為でしょー」

 

 得物と対峙しても猫屋は動じない。むしろ、楽し気に笑顔を深める。

 

「それじゃ、準備もできたようだしー………………始めよっか」

「………………うむ」

 

 静かな合図とともに、双方は構えを取る。

 

 様々な思惑が絡み合う非合法な決闘が始まった。

 

************************************************************

 

 片腕を丹田付近に構える無手の女と、1メートルはある仗を突きつけるようにして構える女。人気のない森林ではまず見られない、映画(フィクション)じみた光景。

 

「………………」

「………………」

 

 闘争態勢に入った2人は、その場から微塵も動かない。

 

 呼吸と距離を見定めて、仕掛ける最良のタイミングを探っている。

 

「ねぇー……構えにやる気が感じられないんだけどー? なにそれー?」

 

 焦れたのか、猫屋は早々に白い歯を見せる。訝しそうに対峙する相手を見つめ、純粋な疑問をぶつけた。

 

「ふん、ぬかせ。今に我の華麗なる棒術がお主の急所を打ち抜くであろう!!」

「そーじゃなーい」

 

 猫屋の焦点が細く捩れる。

 

 闘争の起こりを受け、獰猛なサメが血を嗅いだように猫屋のスイッチは切り替わった。

 

「どうやって練習したかは分からないけどー、思ったより堂に入ってるよ、それ。でもねー? 重心は後ろでー、得物は距離を測って出方を伺うような中段…………おかしくなーい?」

 

 狂猫(きょうびょう)とまで呼ばれた彼女は、あっという間に対峙者を丸裸にひん剥いていく。

 

「安瀬ちゃんの性格的にー、受けとか後の先なんてのは性に合わないはずじゃーん? なんでかなー? なんでそんなに後手後手なのかなー?」

「………………」

「ダメだよ。これくらいの揺さぶりで動揺しちゃダメ」

 

 安瀬は決して表情を歪めていない。しかし、猫屋は制御できない体の微細な震えを本能で察知する。

 

「何かあるよねー、これ」

 

 そう言った次の瞬間、猫屋は動いた。

 

 軸足を固定し、もう片足の踵を地面に突き刺す。そのまま彼女は足をコンパスのように使い、自身の周囲に円状の溝を作り出した。

 

「うっわ!?」

 

 地面を抉る過程で、踵が異物を一蹴する。猫屋の眼前では、固い踏み板とワイヤーが勢いよくはじけ飛んでいた。

 

「は、跳ね上げ式のくくり罠っ!? ま、まじー!? 私、せいぜい落とし穴みたいなのを想定してたんだけどー!? あ、いやー……この分だとそっちもあるなぁー……」

「ぐっ……!!」

 

 珍しく、安瀬の企みは初見で看破された。

 

「よくよく考えたらー、今回の蝮捕獲作戦って発端は陣内だけどー、ほとんど安瀬ちゃんが考えたよねー?」

「…………」

「えぇっと……それじゃあ2週間前からコツコツとこんなの準備してたわけー?? あれだけの計画を即座に考えて準備してー、なおかつ裏ではテスト期間でクッソ忙しい中、私対策の罠もここに揃えてー……」

 

 この週間ほど安瀬が抱えていたタスクを数えて、猫屋の顔が引きつった。

 

「あ、安瀬ちゃんってマジでどこかおかしいよねー。頭とか行動力とかー……こっわー……人としての作りの違いを感じるー……」

(そのおかしな奴の策略を一瞬で潰したのは誰じゃ!? 普通、あいまみえただけでそこまで見抜けるか!!)

 

 策略では安瀬に軍配が上がるのであろうが、こと暴力に関して猫屋は絶対的であった。

 

(ぐぅぅ……!! この仕掛けを作るの超大変であったというのにぃ!!)

 

 睡眠時間を削って用意した罠を露見されて、安瀬は悔しさのあまり心中で暴れ狂う。

 

 安瀬にくくり罠の作成経験などは皆無。彼女は一から資料を漁り、試行錯誤を重ねて実際に使える物をやっとの思いで作りあげた。付け加えると『動きを抑えても生半可な攻撃は防がれる』と考え杖術の練習にも時間を割いていた。

 

 そのため、悔しさはひとしおである。

 

(こうなれば猫屋はもうあの円から絶対に出ない!! えぇい、一か八か砂でも投げて目潰しでも狙うか……!?)

「あ、ごめんごめん。せっかく用意した仕掛け潰しちゃってー。絶対に大変だったよね、これ」

 

 心中穏やかではない安瀬を見て、猫屋は肩をすくめた。

 

「はい、お詫びー」

 

 そう言って、猫屋は上着のポケットに両手を突っ込む。

 

「……何の真似でござるか?」

「だからお詫びだってー。これでリーチはそっちが超有利だしー、私はこの円から出られなーい。おまけに両腕はポッケの中。やーん、私ちょうピンチー!! どーしよー!!」

「くそボケが。舐めくさりおってからに……」

 

 自ら喧嘩を売り、1人だけ得物を使い、罠は見透かされ、おまけに手を抜かれている。

 

 それは既に、安瀬桜が許容できる侮りを超えていた。

 

「ぶちのめしてくれるっ!!」

 

 憤りに任せ、地を蹴る。

 

 他に仕掛けた罠を踏み抜かないようジグザクに駆けながら、安瀬は一気に猫屋へと迫った。

 

(────最も警戒しなきゃいけないのは、右方からの薙ぎ払い)

 

 肉薄するまでの5秒に満たない時間。普段の緩さとは別人のように、迫る危機を冷静に俯瞰する。

 

(次手がどうなるか分からないけど、足底で受けてそのまま踏み潰すしかない。左からだった場合も同じ対処。もし振り下ろしなら、手刀受けから無理やり棒を絡めとるとして…………一番ぬるい攻撃が)

「ふっ!!」

 

 気合と突進の勢いに任せた綺麗な中段突き。急ごしらえにしては、十分すぎるほどに錬磨された渾身の一突き。

 

(あーあ、やっちゃったー)

 

 それを、猫屋は冷ややかに見降ろす。

 

「ふっ」

 

 息を吐き出すと同時、猫屋の腰が回り中心軸が逸れる。鳩尾があった位置には、肘と体の間にできた僅かな隙間が作られた。

 

 仗の先端はその空間に吸い込まれ。

 

「はい、一手で詰み」

 

 (かんぬき)をかける要領で、仗は肘でロックされた。

 

「よっと」

「うわっ!?」

 

 猫屋は全体重を後ろにかけて、安瀬を仗で釣りあげるようにして自分へと引き寄せる。

 

「えい」

「ぇ、あ、うぐっ!!」

 

 密着した状態から滑るような蟹挟(かにばさみ)。ぺたんと安瀬に尻もちをつかせ、テイクダウンを取った猫屋はするすると安瀬の体を登り、瞬く間にマウントポジションを取る。

 

「ふぅー。呆気なかったねー、安瀬ちゃん」

「ぐっ…………な、なんじゃ、今の体捌き。猫屋、お主さては今までの取っ組み合いで本気出したことなかったな?」

「違うよ? 今のは実力どうこうじゃなくて、安瀬ちゃんが右腕を狙わないのが悪い」

「…………はぁ、そうじゃな。まったく、その通りでござる」

 

 厳しすぎる正論を、安瀬はそのまま受けいれた。真剣勝負に手を抜けるのは強者の特権であり弱者が行えば敗北は必定であったのだから。

 

「やるからには逆の態勢で認めさせる心積もりのはずが、結局こうなるのであるか。ここ2週間、必死で頑張っていたのが馬鹿みたいでありんす……」

 

 安瀬は早々に決着した喧嘩の過程に、本気で辟易とする。

 

「……まぁ、仕方ないか」

 

 諦めたのか、安瀬は素直に体から力を抜きポテンと腕を落とす。

 

「ほれ、さっさと参ったと言うがよい」

「……………………はぁあー?」

 

 大口を開け、猫屋は馬鹿にするように眼下の安瀬に不平をつけた。

 

「今の態勢で何言ってんの、安瀬ちゃん。ここからなら私なんでもできるよ? 試しに鎖骨でも折ってみようか?」

「お主にできるわけなかろう」

「できるよ」

「この勝負は、受けた時点でお主の負けなのじゃ」

「ねぇ聞いてる?」

「いいから早う言え。これ以降はもうただの茶番であろう?」

 

 跨られて身動きの取れないはずの安瀬が、不思議と空間を掌握していく。

 

「想像つかんよ、お主が我をボコボコにしてる姿など。打撃の方が得意な癖して、掴みからの投げ技を使うような奴でござるからな」

「……それ、が」

「割れ物のように扱われて我はちと屈辱的ぜよ。まぁ元より勝てぬ喧嘩か。試合に負けて勝負に勝った、と思う事にしよう」

「……それが、分かってる………なら………」

「ん? なんじゃ? 聞こえんぞぉ、負け猫?」

「っ!!」

 

 猫屋は下敷きになっている友の胸倉を掴み上げ、無理やり上体を起こした。

 

「それが分かってるならこんな真似しないでっ!!」

 

 どうにもならない膠着状態。ここまでやって、ようやく猫屋は本音を曝け出す。

 

「できるわけないじゃん!! 馬鹿なんじゃないの!?」

 

 感情の乱れは落涙を誘い、水滴は頬を伝って恋敵の胸元を濡らした。

 

「これが茶番!? それならもういいでしょ!? 私、諦めるって言ってるんだよ!? ならその想いを酌んでよ!! 変な事しないでよ!!」

「それで……お主は満足か?」

「そうだよ!? 大好きな人と!! 大好きな友達が一緒になってくれる!! 私はそれでいいの!! 何も不満なんて無い!! 無いの!!」

 

 それは間違いなく彼女の本音。同時に、どうしようもない嘘。

 

「あ、安瀬ちゃんと陣内を奪い合うなんてこと絶対にしたくない……」

 

 溶け合わなかった友情と恋は、枯れた牡丹のように首から落ちた。

 

「うむ……我も、それが嫌で嫌で仕方がなかった」

「ぇ?」

 

 予想だにしていない返答に、猫屋の意識が空白に染まる。

 

「楽しかったからの。大学に入ってからは、ずっと、ずっと、毎日が楽しかった」

 

 噛みしめるようにして安瀬は過去に思いを馳せる。

 

 母親を亡くし2年もの歳月を自罰的に過ごした彼女にとって、4人で暴れまわる日々は畢竟にも感じられた。

 

「でもな、あの事件以来、お主にはピアスを弄る癖がついた」

「え? ピアス?」

「陣内にあけてもらったそれを、不自然に触って、本当に、本当に幸せそうに笑うんじゃ」

 

 女性の片耳ピアスは、右耳につけられることが主流。しかし、猫屋李花の右腕はまだ満足には動かない。よって彼女は左手を体前でクロスさせ、陣内から贈られた銀の輪に触れる。

 

 やや不自然な、その動作。

 

「それを、見ると……見ると、我はな」

 

 先を語る事を、安瀬は一瞬だけ躊躇する。

 

「ひどく、辛くなった」

 

 心に沈殿してしまった毒を、安瀬は申し訳なさそうに吐き出した。

 

「胸の奥でどうしても嫉妬して、そんな卑しい自分を否定するため、よりお主を応援しようと躍起になった」

「──────っ」

 

 猫屋は真っ青になり、悲鳴を抑え込むため咄嗟に口元を抑えこむ。

 

「ご、ごめ、そ、そんな時から……そんなに前からっ……!! わ、私、知らなくって……!! 安瀬ちゃんに、そんな、酷い事するつもりはっ!!」

 

 陣内に好意を覚えたのは、安瀬の方がはるかに早かった。事実だけを見れば、猫屋は友人の想い人を横から奪い取ろうとした。

 

 初恋に浮かれていた猫屋にとって、気持ちを封じられた安瀬がどれほど苦しむ羽目になったのかは想像に難くなかった。

 

「であるが、すまん!! もう譲れなくなってしまったのじゃ!!」

 

 知らずに友人を傷つけていた。そんな罪悪感を払い飛ばすため、安瀬は雰囲気にそぐわない大きな声で場を制す。

 

「お主なら、分かってくれるであろう? あの愚か者の…………あの阿呆の…………あれ、あれじゃ。あの…………魅力と、いうか、その…………良い、所が」

 

 勢いに任せようとして失敗し、彼女は頬を染めながら言葉を濁す。

 

「…………あ奴が好きなのじゃ。あの馬鹿に、我は生涯を寄り添ってほしい」

 

 それでも、彼女は自分の望みをちゃんと口にした。

 

「そのためにはの、選ばれなければならんのじゃ」

「えら、ばれる?」

「もう我には……優しいあ奴が我の告白を断る姿が想像できん」

「……!!」

「きっとな、本人がどう思っていようが関係なく、あ奴は我を受け入れてくれる。そんな、確信がある」

 

 それは以前、猫屋も想像した告白の結果。

 

 陣内梅治が、自分を受け入れないはずがない。

 

 自分のために泣いて、怒って、傷ついて、それでも気丈に笑う彼は。

 

『俺も、■■の事がずっと好きでした』

 

 そんな甘い嘘を囁いてくれる。

 

 今まで共に過ごしてきた時間は、容易にその未来を想像させた。

 

「そこから芽生える恋心もあるのであろうが、我はそんなの嫌である」

 

 手を伸ばせば容易に掴める幸せを、安瀬は拒んだ。

 

()()()()()()()()()……いつも外法に塗れた我であるが、この気持ちにだけは文句のつけようがない決着をつけたい」

 

 安瀬桜は正道を行く事を決意する。

 

 迷いなき瞳で、同じ男を好きになってしまった親友を正面から見据えた。

 

「猫屋。こんな茶番ではなく、もう一度、本気の勝負をしようではないか」

 

 友情と恋慕。その2つの間で苦悩した彼女だからこそ、導き出せた正答。彼女は譲るでも、奪い取るでもなく、戦って勝ち取る道を選ぼうとする。

 

「……と、いう所存でござるから、これから我は今までとは比べ物にならないほどのアピールを開始するでありんす!! あのクソボケ唐変木に、拙者がいかに可憐であり、思慮深く、生涯の伴侶として申し分ないかを体に叩き込むつもりじゃ!! お主と一緒に……な?」

「…………安瀬ちゃんは、凄いね」

 

 照れくさそうにして口を回す安瀬とは対に、猫屋は落ち着いていた。

 

 落ち着き払って、恋敵の強さに打ちのめされていた。

 

「そうでもないがの……。本来ならば恋敵など早々に叩き潰しておった。お主だから、ここまでこじれて、ここまで譲歩したのじゃ。……どうか、返事を聞かせて欲しい」

「………………」

 

 猫屋は瞳を閉じ、自身の内面に籠る。そうやって、自分の気持ちに向き合った。

 

『安瀬ちゃんとドロドロしたことは嫌だ』

『それに、私なんかじゃ安瀬ちゃんには勝てない』

『陣内には、安瀬ちゃんの方がふさわしい』

 

『…………陣内を取られたくない』

 

 彼女はゆっくりと瞳を開く。

 

「弱い自分とは決別したはずだったんだけどなー……」

 

 喉元まで出かけた様々な弱音を、猫屋はギリギリで飲み込んだ。

 

「きっと……強くて正しい選択は、安瀬ちゃんに受けて立つよって言い返すことなんだろうけどね」

 

 右腕をぎゅっと抱きしめて、猫屋は逃げるように安瀬から顔をそむける。

 

「私はそんな風にはなれない、かな」

「猫屋……」

「で、でもね? ここで身を引いてもさ…………結局、譲りたくないって気持ちが勝っちゃうと思うんだ」

 

 親友と想い人の未来を想像する。

 

 2人は腕を組んで、季節も場所もはるかに遠い桜の花道を歩いて離れていく。

 

 自分はとっくに蚊帳の外。幸せそうな2人に手を振って、これで良かったんだと自身に言い聞かせて立ち止まっている本物の負け犬。

 

「私も……陣内の事が好き」

 

 少なくとも、そんな未来は嫌だから。

 

「だ、だから……さ」

 

 挑みさえしないのは弱虫のする事だから。

 

「ま、負けちゃったその時は……西代ちゃんに慰めてもらおうね?」

 

 やんわりと、分かりづらく、負けた時の保険さえ用意して、猫屋は勝負の場に飛び出した。

 

「……ふふっ、お主らしい返事じゃな」

 

 逡巡の後に出された答えに、安瀬は満足気にほほ笑む。

 

「あはは、めちゃくちゃ弱腰だよねー……それに、何だか煮え切らないし」

「ほんとにの。荒事には勇猛果敢に突っ込んでいける癖にしてな」

「返す言葉もないかもー……はぁー、やっぱり自分の事嫌いだなー、私」

 

 地面に伏せていた2人は、手を取り合って立ち上がる。困ったような物であったが、それでも彼女たちの表情は笑顔だった。

 

「……ありがとう、安瀬ちゃん」

 

 付いた土や汚れを払った後で、ほんの少しばかり上背がある猫屋がぎゅっと包むようにして安瀬を抱きしめた。

 

「ちょっ……!?」

 

 突然の抱擁に、安瀬は顔を赤くして恥ずかしがる。

 

「こ、これ!! よさんか猫屋……!! こ、こういうのは陣内に……い、いやいや、そうではなくって!!」

「ご、ごめんね、安瀬ちゃん」

 

 謝りながら、猫屋は再びぽろぽろと涙を流す。

 

「ごっ、ごめん、ねっ、安瀬ちゃん……わ、私なんかのために、私なんかのために、こんなに、こんなにして、貰ってっ……!!」

「何を言う……お主からも、我はたくさんの物を貰ったよ」

「ううん!! 私の、方が、貰ってばっかりでっ!! ごめん、ごめん゛!!」

「……はぁ」

 

 謝罪をやめない猫屋に対して、安瀬は呆れた風にため息をつく。

 

「まったく……暫くしたら泣き止むでござるよ? 涙は嫌いであるからな、我」

「うん、う゛ん!! すぐに……すぐに、泣き止むからっ!! ちゃんと、落ち着けるから!!」

 

 嗚咽を漏らしながら子供のように泣く猫屋を、安瀬は優しく撫でる。

 

「………………あ、阿呆。そ、そんなに、泣くでない、馬鹿っ」

 

 この時ばかりは、安瀬も月を見上げて涙を堪える。

 

 理屈では説明できない悲しみが押し寄せている彼女の事が、安瀬には誰よりもよく分かってしまったから。

 

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