こましゃくれり!!   作:屁負比丘尼

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地雷原で踊れる素質と技量

 

 1日限りの金髪に、カフスのピアスと濃い色のサングラス。グラサンは西代にくれてやった帽子の代わりである。

 

 この似合っていない変装も、これで3回目だ。贔屓目に見て、少々こなれてきたような気がしている。

 

 夏休みに入って初めての週末。

 

 俺は複数キャンバス合同の懇親会とやらに参加していた。

 

(しっかし、おしゃれなところでやってんなぁ……流石、医学系。金持ちのボンボンが多そうだ)

 

 煌びやかな店内を見まわしながら俺は早速、潜伏に適したベストポジションを見繕い始めた。

 

 今回の目的は従姉妹の監視。

 

 細心の注意を払って、目立たぬよう、店内の隅っこの陰の多い方へと歩いていく。

 

 この監視は、万が一にもバレてはいけない。18歳にもなって親の監視が付きまとっているなどと従姉妹にバレた時には、叔父さんが被告の家族裁判が開廷してしまう。共犯は当然、俺だ。一緒に吊し上げられてしまう事は確実だろう。

 

「おい、見てみろよあれ……」

(ん……?)

 

 人目を気にして逃げていると、突然、5人程度の野次馬に出くわした。

 

 全員男性であり、彼らは端の方だと言うのに一点を見つめて何か盛り上がっている。

 

「うっわ、すっごい美人」

「どこの大学だ?」

「うちの大学では見たことないぞ」

「ん? でも、あの娘なんで喫煙席なんかに座ってんだろ?」

「?」

 

 美人と喫煙席という単語に釣られて、顔が反射的に動く。

 

 視線の先に居たのは、薄赤髪のポニーテールが素敵な女性。

 

 彼女はしゃんとして椅子に座り、瞑想でもしているように瞳を閉じていた。

 

(…………こういう時、なんでアイツはいつも当然のように居るんだ?)

 

 呆れを通り越して、もはや不思議に思う事しかできなかった。

 

 普段とは全く違った、御淑やかな様相。柔く薄い羽毛のような白のシャツにタイトなスカート。ストッキングに控えめな高さのヒール。

 

 皆さんご存じ、本気でおしゃれすれば人だかりができるほどに外見は完璧である、安瀬桜その人のご登場である。

 

(こ、今回はどこから漏れたんだよ? 思い当たるのは赤崎たちぐらいだけど……安瀬からアイツらに話しかけるとは……)

「なぁ、あれって友達でも待ってんのかな」

 

 2人しか座れない狭いテーブルの喫煙席。そして、彼女が座る対面の椅子の上には、小さなハンドバックが置かれていた。

 

「あのレベルの友達って、そっちも期待しちゃうよな」

「でもバックのせいで声かけずれぇよ。おい、誰か行ってくれ」

「やだよ。無視とかされたら普通に嫌だし」

「……………………」

 

 置かれた荷物は、きっと『誰も座るな』の意思表示。

 

 猫屋は『妹と緊急さくせ、あ、いや、えっと…………ご飯行ってくるねー!!』って言ってたし、西代はバイト。よってあの席に座る予定の奴はいない。

 

「…………ん」

 

 野郎どもが騒いでいると、何かを気取ったのか雅な彼女は、これまた優雅にゆっくりと瞳を開いた。

 

 安瀬は透き通った瞳を横に滑らせていき、俺を含めた野郎集団を冷ややかに一瞥する。

 

 しかしある所を過ぎると、俯瞰ぎみな視線がピタリと焦点を狭めた。

 

「…………」

「…………」

 

 一点だけに向けられたその視線は、間違いなく俺に向けられていた。

 

 ───どうすればいいか分かっておるな?

 

 言葉を発さずとも、彼女の視線は雄弁にそう語りかけてくる。

 

「……仕方ないか」

 

 緊急な案件が故に、一旦従姉妹の監視は頭の隅に置くことにする。

 

 彼女の期待に応えるべく、俺は早急に身支度を開始した。

 

 サングラスを外し、髪をくしゃくしゃにしてワックスを掌にかき集め、眉上の傷口が見えるように頭髪をかきあげる。

 

「すいません、ちょっと退いてください」

「え、あ、あぁ、はい……」

 

 通行の邪魔になっている野次馬に断りを入れて、俺は安瀬の座る2人席へと迫った。

 

『おっ、アイツ行ったぜ』

『見た目は派手だけど、どうなるかな?』

『んぁー……ビジュアル的には絶望的じゃね?』

『俺は無下にあしらわれるに一票』

 

 後ろで散々言われているが、それを無視してずかずかと歩を進める。

 

 そうしてテーブルに近づき、有無を言わさずに荷物をどかして彼女の対面に着席した。

 

「おい、灰皿」

 

 着席早々、つっけんどんに安瀬に命令する。

 

「…………はぁ」

 

 彼女はこちらに顔を向けることなく、1つため息をついた。

 

「いいでしょう」

 

 彼女は横暴な命令に素直に従ってくれる。テーブル脇にある灰皿を俺に向かって従順に差し出した。

 

「おう」

 

 礼も言わずに、俺はアイコス(加熱式タバコ)を起動して無言で咥えた。

 

「すぅ、ふぅー……」 

 

 俺は煙を吐き出しながら、こちらに向いている野郎どもの目を正面から迎え撃った。

 

 安瀬への扱いと、動物の縄張り争いみたいな威嚇行為。

 

 それで、この獲物は先約済みだと気づいた狼どもはぶつくさ文句を言いながら他の狩場へと散っていく。

 

「……なるほど。中々よい間の取り方ですね、梅治(うめじ)

 

 鬱陶しい観衆が居なくなって、ようやく安瀬はこちらに顔を向ける。

 

「その手際に免じて、私を顎で使った事は不問にいたしましょう」

「へいへい、そりゃどうも」

 

 安瀬の口調は外行きの物だった。

 

 ここは外なので当然だし、洒落た服装ともマッチしているので特に違和感は感じないのだが……。

 

(……なんか、機嫌悪くないか?)

 

 顔を見合わせたその時、やんわりとした苛立ちの感情を感じ取ってしまった。

 

「それで? 私に黙って合コンに参加したことに対しての弁明は?」

「いや、ねぇよ」

 

 ……やはり怒っているような気がする。

 

 だが理由が分からないのでどうしようもない。そもそも、怒るべきは勝手についてこられた俺の方だと思う…………まぁ、全然怒ってないけど。

 

(さぁて、どうするかねぇ)

 

 ご機嫌斜めの安瀬様。彼女の機嫌を直す手立ては酒か飯か、はたまたウィットに富んだ軽快なトークか。

 

 従姉妹を見つけるがてら、何かいい手立てはないかと、店内中央部の人だかりの多い方をそれとなく垣間見る。

 

「目の前に私が居るのに、女漁りですか?」

「あ? ちげぇよ。大学に入学したばかりの従姉妹がこの合コンに参加してんだ。今日、俺はその監視役。ちょっと叔父さんに頼まれてな」

「…………あぁ、なるほど。そういう事だったのですか」

「そういうこと。だからあんまり目立たないでくれよ? ……と言っても難しいか」

 

 早くも吸い終わってしまったタバコを抜いて、乱雑に灰皿に投げ捨てる。

 

「? なぜですか? ここは隅ですし目立ちにくいと思いますが」

「お前が可愛いから。合コンじゃあどうやっても目立つ」

「…………」

「たまに気合い入れると、凄いんだもんお前。安瀬が来るって分かってりゃ、俺だってもう少し身なりに気を使ったよ」

「……」

 

 しゃんとした装いの安瀬は嫌でも人目を引いてしまう。

 

 ならば彼女の眩しさを利用して、俺が陰を演じるのがこの場における潜伏法の正解。目立たぬ努力をするのは相変わらず俺の方だな。

 

「とりあえず、何か飲むか?」

 

 やはり、ご機嫌取りは酒から入るべきだ。アルコールが入ってからゴマすりに移るほかない。……俺も飲みたいし。

 

「はい、飲みます」

(……あれ?)

 

 話かけた拍子に安瀬の表情を盗み見ると、いつの間にか彼女の雰囲気は柔らかい物へと変わっていた。まるで憑き物が落ちたかのような自然体。

 

「安心したので、今日は強い酒にしましょう」

「今日はって……毎日飲んでるだろ?」

「ふふっ、そうですね」

 

 敬語を使っている以外、至極いつもどおり。むしろ御淑やかに笑う姿は上機嫌そのものでさえあった。

 

(……な、なんだったんだ? ん? 機嫌が悪そうだと感じたのは俺の気のせい?)

梅治(うめじ)

 

 名前を呼ばれ、困惑状態から意識を引っ張られる。

 

「そういった事情ならお酒は私がまとめて取りに行きましょう。貴方はここから動かず、その従姉妹の動向に目を光らせておいてください」

 

 この店はドリンクに限りセルフ方式で、わざわざ取りにいかなければならない。なので、安瀬の申し出は目立つのを避けたい俺としてはありがたいんだけど……。

 

「あのさ、前から気になってたんだけど、それなんだよ? 最近ちょくちょく名前で呼ぶよな? しかも、2人きりの時だけ」

「嫌、でしたか?」

「いやまぁ、急に呼び方変えられるとむず痒いっていうか…………陽光さんの結婚式でも言ったろ?」

「えぇ。ですが私が呼ぶ分には構わないとも言っていました」

「んぐっ」

 

 そう言えばそんなことを言ったような気が……。

 

「という訳ですので、これから2人きりの時は梅治なのです」

 

 照れくさそうにしながら、彼女は見惚れてしまうほど綺麗な微笑みをこちらに向けてくれた。

 

「……なの、ですか?」

「はい。なのです」

 

 変な語尾に、思わず聞き返してしまう。

 

「さて、持ってくるのはウイスキーのロックとレモン水でいいですよね?」

「ん、おぉ……」

「では持ってきます」

 

 話の折を見て安瀬は席を立ち、軽い歩調でドリンクを取りに行った。

 

「………………」

 

 俺は彼女の後姿を3秒ほどぼーっと俯瞰する。

 

(おかしい……)

 

 おかしいぞ、絶対。今日、アイツ絶対におかしい。

 

(なんかすっげぇ可愛い事を言われてしまった気がする……!!)

 

 柄にもなく胸がキュンキュンとしていた。

 

 ただ下の名前で呼ばれるようになっただけなのに、それが結構嬉しかったりしている。

 

(正直に言って、敬語口調の安瀬にはあんまりいい思い出がないからそのギャップのせいか……!? うっわ、マジか……!! 俺きっしょ!!)

 

 このぐらいで動揺する自分が嫌で嫌で、咄嗟に懐に手を突っ込む。

 

 常備しているウイスキーボトルを取り出して、中身を呷る。度数が高くて辛いジンのストレートが喉を焼きながら胃の底へ落ちた。

 

「ふぅ……酒は落ち着くぜぇ」

 

 ストンッと気分が落ち着いていき、アルコールで脳が馬鹿になっていく。

 

「………………」

 

 気分は落ち着いたが、心に充満する幸福なガスみたいな物は中々晴れてはくれない。擬音で表すと、もにゅもにゅとしていて気色が悪い。

 

(うわぁー……男って単純だわ、マジで)

 

 いくら長い時間を一緒にいても、不意の一撃でドギマギする。

 

 この体質がなかったらと思うと、ぞっとする瞬間だった。

 

************************************************************

 

 安瀬が酒を持って来てくれて暫くした後、合コンは始まった。

 

 竹行さんが想像していたような無法地帯は現代では見られることは稀であり、好青年たちは年相応の振る舞いで楽しそうにグラスを交えている。

 

「普通の合コンって感じだな」

「ですね」

 

 盛大に盛り上がっている中心部とは違って、俺たちは粛々と酒を口に運び続けていた。同じ年代であるはずなのにこちらは少々年寄り臭い。

 

「……私、男性の頭髪は黒い方が好きです」

「ん?」

「最近気が付きましたが、ピアスは少し苦手かもしれません」

「……?」

「いたって合コンらしい話題でしょう?」

 

 俺が首を傾げたのを見て、安瀬が分かりやすい意図を返した。たしかに、場に即した話には思える。

 

「梅治はどうなのでしょうか」

「なにがよ?」

「女性の好みですよ。髪の長さや、箸を綺麗に使える人がいいとか、なにかあるでしょう?」

「…………またか」

「また?」

「いいや」

 

 少し前、猫屋に同じことを聞かれた。あれは俺のバイト先に珍しく彼女が訪ねてきた時だ。

 

(……そういや、大場(おおば)の奴にも似たような事を聞かれてたな)

 

 大昔の事で忘れていたが、あの独眼竜不思議人間がバイト先に入った当初、好みのタイプを聞かれたりしていた。

 

 どいつもこいつも、俺みたいな男の好みがそんなに気になる物なのかねぇ?

 

「……残念だけど、その話題は膨らまなさそうだぜ? 俺って好みのタイプとかって大してないつまらない男な訳よ」

「そうですか……」

 

 彼女は残念そうに肩を落とす。どうやら本気で俺の好みのタイプが気になっていたようだ。

 

「で? 安瀬の好みは?」

 

 詰まらない俺のタイプ診断より、彼女の方がよほど盛り上がりそうだと考え、オウム返しに聞き返す。

 

「私のは先ほど申し上げたはずですが?」

「あれは苦手な異性の風貌だろ。俺が聞いてるのは好きな方だ」

「……そう、ですね。黒髪の短髪で、瞳が凛々しくて……そ、傍に居て安心できるような人が好きです」

「あぁー、若かりし頃の暴れん坊将軍みたいな人な」

 

 安瀬の好みは意外にも分かりやすかった。あのお殿様は男でも見惚れるほどのカッコよさと包容力がある。

 

「ま、まぁ確かに美形だと思いますけどね、あのお人……」

「だよな!! 俺この前無料配信で1話みたんだけど結構面白くってさ!! それに酒飲むシーンがやたら多くてこっちも飲みたくなってくるし!! なぁ安瀬、今度おすすめの時代劇教えてくれ。ちょっと本気で見てみたいからさ!!」

「……っち、この恋愛ポンコツアル中が」

「へ? なんか言った?」

「いえ、なにも。分かりました。また今度、2人で一緒に見ましょうね」

「だな。あの2人は興味を示さなそうだし…………ぁ」

 

 テンションが上がって声が大きくなっていたことに、今更ながら気づく。

 

 従姉妹にバレていないかと冷や冷やしながら、俺はウイスキーを啜ってグラスで顔を隠し、横目で合コン中心部を盗み見る。

 

 従姉妹は先ほど安瀬が席を立った時に見つけておいた。幸運な事に、彼女はこちらに注意を向けておらず、同席の男女たちと楽し気に盛り上がっている。

 

 様子を見る限り未成年飲酒の気配はなく、変な男に絡まれていることもないので、叔父さんの心配は杞憂に終わりそうだ。

 

「………………………従姉妹って法律上は結婚できますよね?」

「ふ゛っ!?」

 

 暗い声音の問いかけのせいで噴飯(ふんぱん)した。

 

「お前馬鹿じゃねぇの!? 急に変な事言うなよ!? い、いくら執拗に監視してるからって俺にそんな気は一切ないからな!?」

「あ、いや、今のは忘れてください……。さ、流石に暴走しすぎました」

「ほ、本当にな!! じょ、冗談でもやめてくれ!!」

 

 すっとんきょな妄言のせいで鳥肌が立った。従姉妹とは仲が良い方ではあるが、そんな感情は露ほど持ってない。

 

「安瀬、お前今日おかしいぞ」

「……私はいつもおかしいのでしょう?」

「今日は特にだ。あぁ、酒がもったいねぇ」

 

 悪態をつきながら、俺はもう一度グラスに口を付けた。

 

 また声を荒げてしまったので、顔を隠しながら監視対象の方を(うかが)う。この席からの声は周りの騒音でかき消されるのか、相変わらず従姉妹はこちらに気づく様子はない。

 

「……むぅ」

 

 再び安瀬から視線を外したその時、向かいの席から奇妙な音がした。

 

「えい」

 

 ──ふみ。

 

「ぅお……!?」

 

 足の甲から、薄いストッキングの触感を感じとる。

 

 安瀬が靴を脱いで俺の足に柔く触れてきたのだ。

 

「……な、なんだよ」

「はて、どうかなされましたか?」

 

 踏む、というよりは触れるとか撫でるといった足使い。

 

 素知らぬ顔で彼女はとぼけているが、未だ足元はずっとこそばゆい。小さな足で俺の素肌を刺激し続けている。

 

 ……かまえ、ということだろうか?

 

「っは、邪魔すんなっての」

 

 俺も靴を脱いで、彼女の足に軽く触れる。意地悪く笑いながら、彼女の足を元の位置に戻そうと押し返した。

 

「んっ、やりましたね」

 

 そうすると、安瀬も負けじと足を突き出してくる。

 

 俺が押せば、彼女も押し返す。正しくじゃれあいといった攻防が机の下で繰り広げられる。

 

「ふふっ」

 

 足で軽く触れあっているだけなのに、安瀬はひどく楽しそうに頬を緩ませる。

 

(……んん)

 

 彼女が満足気なのは嬉しいが、はた目から見てこの光景はあんまりよろしくない。合コンの場で既に出来上がった男女がイチャついてるようにしか見えないからだ。

 

「参った、参った。分かったよ」

 

 俺は両手を大袈裟に上げ、早々に戯れな足相撲に根を上げる。

 

「むっ……なんですか情けない。これからが楽しい所でしょう?」

「こんなのには終わりがないからな。せっかくだし、続きはこっちでやろうや」

 

 俺はスマホの暇つぶし用のフォルダから将棋アプリを立ち上げ、机の中央に置く。

 

「好きだろ、将棋。持ち時間無制限で、安瀬は飛車角落ちでよろしくな」

「たしかに将棋は好きですが……当たり前のように自分の有利な条件で始めようとしないでください」

「ははっ、悪い悪い。でもその代わり、俺が負けた時は何でも言う事聞いてやるよ」

「……本気ですか?」

「あぁ、いいぜ。流石にこれだけのハンデがあって負けるわけないしな」

 

 ボードゲームなら静かに熱中できるし、安瀬が考え込んでいる隙に俺がそっぽを向いていても分からない。俺が将棋を提案したのはそのためだった。

 

「勝てば、言う事を……何でも……何でも……」

「へ?」

 

 急に、安瀬は頬を赤く染めてうわ言のように同じ台詞を呟きだす。

 

「あの、安瀬さん?」

「……いいでしょう。手加減はしないので、そのつもりで」

「え? お、おう。えっと……お手柔らかにお願いします」

「くくっ、ハンデを貰っておいてそれを言いますか?」

「…………」

 

 自分の敗北ペナルティだけを重くしたのは、将棋が強い安瀬に飛車角落ちを呑ませて長考時間を作るためだったが……は、早まりすぎたか? 

 

(負けたら何をやらされるかわかったもんじゃねぇな、これ)

 

 今日はこれ以上酔う訳にはいかなくなった。やるべきタスクがもう1つ増えてしまった。

 

(もっと酒飲みたかったのになぁ……)

 

 煙草をもう一本セットして、俺はこれから始まる対局に脳を備えた。

 

************************************************************

 

「すぅ、ふぅー…………勝利後の一服というのはやはり格別ですね」

「さいですか……」

 

 ウィンストンと5ミリのメビウスメンソール。

 

 階段を上った店の外、向かいの道路に設置されていた銀のスタンド灰皿の前で、散っていく合コン参加者をはた目に煙を吸っていた。

 

「あぁーあ、変な約束なんてするんじゃなかったぜ」

「そう不服がらないでもよいのでは? 勝負に負けても、目的は十分に果たせたでしょうに」

「んだよ。そこまでバレてんのかい……」

 

 俺が将棋に誘った意図は、彼女には全て筒抜けだったようだ。

 

 将棋に決着がついた頃には、飲み会はアクシデントが起きることなく平凡に終了した。従姉妹はお眼鏡にかなう男が見つからなかったのか女友達だけを引き連れてカラオケに消えていった。

 

 無事にミッションコンプリート。これで竹行さんは枕を高くして眠れるというわけだ。

 

「でも単純に、飛車角落ちなら勝てると思ってたんだよなぁ……ガキの頃よく父さんの相手をさせられてたから将棋は得意な方なんだ」

「素敵な幼少期をお持ちですね。ですが、西代の方が実力は上でしたよ?」

「あいつはこっそりイカサマ使うじゃん」

「サマなしでも、です」

「ぐっ……」

 

 負けてしまった身の上、何も言い返せない。父に無理やり付き合わされた過去の苦労を返して欲しい気分だ。

 

「すぅ……」

 

 敗北感を打ち消すため、煙を深く吸い込む。肺からニコチンが脳に回って心地がよい。

 

(…………父親か)

 

 親を思い出して、つい、歪みきって薄汚い自分勝手な欲求が顔を覗かせる。

 

 最近勉強しているグリーフケアには、故人の思い出を語って辛さを発散させる手法があった。

 

『安瀬はさ、親に振り回された経験とかないか? いや、お前は振り回す側か』

 

 話の取っ掛かりとしてはこれでいい。

 

 あとは自然と母親の話にシフトしていく。

 

 それだけで、俺は良くも悪くも彼女の傷心に1歩踏み出せる。

 

「はぁー……」

 

 ため息交じりに煙を吐き出す。同時に、余計なスケベ心も吹き飛ばした。

 

(焦んなよ、バーカ)

 

 俺は彼女の傷心を癒すことを目的にしていて、いつかは行動に移さないといけないと思っているが、それは今ではない。竹行さんに心療内科の先生を紹介してもらってからだ。

 

 人の禁忌に踏み込むんだ。咄嗟に思い付きで付け焼刃の知識を試すなんて言語道断。

 

 と言うよりも、今日は先に安瀬に言わなきゃいけない事があったな……。

 

「さて、梅治」

 

 安瀬はせくように、まだ少し残っている煙草をもみ消して捨てた。

 

「早速、お願い事を聞いてもらいましょうか。貴方には、えっと……やはり、そうですね。もうこのような──」

「あぁ、待て。その前にだ」

「?」

「俺、金輪際こういうのに参加するの止めるわ」

「……!!」

 

 彼女の言葉を遮って、新たな誓約を自分に科した。

 

「それ、は……なぜ?」

 

 目を見開いて、彼女は俺をまっすぐに見つめる。外面を繕っているはずの彼女の表情が、頼りなく揺らいでいた。

 

「なんで、私に、そんな事を?」

「それは……」

 

 安瀬は(えにし)を尊重する性分だ。

 

 俺自身は今日の合コンは軽薄な集いではないと思うが、彼女の感性ではきっと別のはず。最初彼女が不機嫌だった理由は、面白がって参加したは良いが思いのほか雰囲気が鼻についてしまった……そんなところだろう。

 

 そして、同居人の男がやたら滅多に合コンに参加するのも、彼女はきっと嫌がる。俺は安瀬に嫌われるような事は死んでもしたくなかった。

 

「い、言いたくないから秘密で」

 

 無論、そんな押しつけがましい理由を言える訳もなく、俺は彼女の問いかけを煙に巻いた。

 

「それより、さっき口に出しかけた事は? あんまり無茶なのは止めてくれよ? 俺、最近金欠ぎみなんだわ」

「…………」

 

 唐突な宣言をしてしまったせいか、安瀬は押し黙ってしまった。

 

 急な事で変に思われてしまったかも……。

 

「何か、無理を、してはいませんか?」

 

 軽く、袖口が引っ張られる。

 

 引き寄せる力は弱かった。

 

 だが、安瀬の不安そうな顔が、意識が空白に塗りつぶされてしまうほどの衝撃を俺に与えた。

 

「……いえ、やっぱりなんでもありません」

 

 俺の思考が戻るよりも早く、彼女は俺を見上げて静かにほほ笑んだ。

 

『無理をしている』

 

 そんなのは、本当に、見当違いにも程がある心配だった。

 

「待て待て待て!? 俺がこういうのに参加しないって言ったのは安瀬に嫌われたくないからであって!! だって俺、合コンなんてマジで興味ないし!! それにお前らと一緒に生活してるのに女漁りとかどの方面にも失礼すぎるだろ!? だから安瀬にそんな心配される事なんてなに……も…………」

 

 脊髄反射で始まった弁明が途中で止まってしまう。

 

 脳死で突っ走ったせいで、結局、理由を全部口にしてしまっていた。

 

「う、ぅぐぉぉぉおおお……」

 

 恥ずかしさが腹の底からマグマのように噴き出してくる。

 

 情けなさと身勝手な厚かましさに耐えきれず、俺は路上に座り込んで顔を伏せた。

 

「き、聞かなかったことにしてくれぇ…………い、い、今のは違うから。俺そんな真面目ぶったこと考えて生きてないから…………全部違うから、マジで………」

「…………ふふっ」

 

 頭上から、くすくすと笑い声が聞こえてくる。

 

「そんな事で、貴方を嫌うわけないでしょう……大馬鹿ですね、貴方は」 

 

 笑ってくれているのは嬉しいが、それ以上に自分がダサすぎて苦しい。

 

「今のは合コンに限った話ではなかったのですが……まぁ、もういいです。ほら、茶化したりしないから立ってください」

「…………」

 

 安瀬に促されて、ゾンビのように頼りなく立ち上がる。

 

「……決めた。今日は記憶飛ぶまで飲む。安瀬、帰るぞ……」

「あ、ちょっと」

 

 静止の声を待たずに、俺は居ても立っても居られない心持でその場から離れようとした。

 

「もう、待ちなさい」

 

 背後から、ポケットに入れていた腕を絡み取られる。

 

「あ、おい」

 

 彼女は体を押し付けるようにして、こちらに体重を預けてきた。しわのない彼女の白いシャツが体で擦れて歪んでしまう。

 

「……離せよな」

 

 今の状態は、まるで恋人の腕組み。外見的にも俺の精神衛生上にもよくない。酒が入っていようが物理的に柔らかいのは…………男としてどうしても悪い気がしないので困る。

 

「ふふん。梅治、命令です。このまま帰りましょ?」

「なんでだよ。もっと別なお願いがあるだろ?」

「拗ねてる貴方が可愛いからです。ぎゅっとしてあげたくなりました」

 

 茶化さないと言ったはずの安瀬だが、完全にイジりモードに入ってしまっている。

 

 こうなればもう終わりだ。きっと、帰宅するまで笑われ続ける……。

 

「ふふっ、終わってみれば、中々素敵な時間でしたね、梅治(うめじ)……!! 今日は気分よく眠れそうです!! 100点満点でした!!」

(……まぁ、これはこれでいいか)

 

 酒もあんまり飲めないし、恥ずかしい自爆をやってしまうしで、散々な夜だった気もするが。

 

 安瀬が死ぬほど楽しそうにしているので、それだけで俺としては十分すぎた。

 

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