「ふぅ……」
朝露を飾りにして光る草花にクソ汚い毒煙がかかる。
珍しく早起きした俺は、しちめんどくさいギャンブルが行われたサンルームと庭園を視界に収め、1人で寝起きのヤニとノンアルコールをきめていた。
「んっ、んっ、ぷは…………はぁ、昨日から全然飲めてないな」
昨夜の飲み会の記憶はない。酔いつぶれてしまった、という訳ではなく純粋に体力の限界だったため安瀬の酌を数杯飲んだだけで寝てしまった。
せっかく旅行に来ているのに、勿体ない話だと思う。
「…………すぅ」
朝早く朝食の準備をしてくれていた風見さんを捕まえて聞いてみた所、西代夫妻と東城リクは多忙のため西代には会わずに先ほどここを去ったらしい。
だが西代夫妻の方は、来週のお盆に娘と共に過ごすためまた日本に帰ってくるそうだ。
この旅行終わり、西代は俺たちと共には帰らない。彼女は実家でお盆休みを過ごすつもりだ。それは俺たちも同様で、来週は各々が実家に帰省する。
昨夜垣間見た西代家の問題とやら。それはお盆休みに何かしらの解決を得る事を願おう。
(しっかし風見さんの第一声にはたまげた………昨夜はよくご無事に帰還されましたね、だったもんな)
続いた言葉は『垣蔵様が張り切っておられたので、私はそのまま帰ってこない可能性も考えておりました』だ。
俺、負けた時どうなってたの? もしかしてケジメとか付けさせられてた?? ヤクザじゃん…………シンプルに怖いわ。
「はぁぁぁぁぁ」
吐いた紫煙は俺の中で舞い上がる恐怖心と同じように空高く上っていく。
昨晩の暴走を思い出してげんなりとする。
リスクとリターンの釣り合いとかそれ以前の問題。目の前に人参がぶら下がった瞬間、一気にアクセルを踏んで酒の勢いのまま突っ走る。後の事を勘定に入れようともしないその短絡さが問題なのだ。
俺って前からこんなに無鉄砲だったっけ?
「…………酒が入ってる時間、減らしてみるか」
旅行前に精神科医さまに受けたご忠告。
あんなものを気にしているわけではない。気にしているわけではないが…………大学に通っていると言うのに飲みすぎで思考能力が衰えていくのは御免だ。
それに酒飲みの品格というのはお酒様との付き合い方で決まるという物。酒の一杯は健康のため。二杯は快楽のため。三杯は放縦のため。四杯は狂気のためという格言もある。
(俺も、もう大学2回生。そろそろ嗜みを覚えて然るべき年ごろだしな)
運転もあるし今日くらいは飲まずに過ごそうと、俺は密かな決意を固めた。
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西代によれば、ひろめ市場は高知県に訪れれば一度は来るべき観光名所らしい。
70にも及ぶ飲食店が屋内にぎゅっと濃縮された飲食スポット。言葉で内装を言い表すなら、飾らない親しみがある居酒屋が連結して繋がっているという表現になる。
人が多いゆえに少々狭さを感じざる負えないが、海鮮や地元の名産品がそのデメリットを祭りのような非日常感に書き換えていた。
そんな浮ついた雰囲気の中で、俺の前に藁で焼かれたカツオの叩きが提供された。
出来立てをその場で冷水締めした赤身が宝石のように輝いている。
「無理無理無理。酒無しとか無理だってコレ。頼む、今日だけ誰か運転代わってくれ」
俺の決意は藁の家のようにあっけなく吹き飛んだ。
高知の酒は淡麗辛口。口当たりがよく後味はキリリと爽やか。藁の薫香を漂わせた刺身を頬張り、魚の油を濯ぐようにジャカジャカコポコポっと清酒を喉に流し込みたくって仕方がない。
「えー? 私と安瀬ちゃんはもう無理だよー? 後部座席で酒盛りしてたしー」
「ふへへ、我は既にへべれけでござりゅぅー……」
高知の空気が地肌に合ったのか安瀬の飲むスピードは速く、彼女はここに来る車中で一升瓶を開けていた。
安瀬はぽかぽかとした心境なのか頬からグデグデ。市場で新しく買った一升瓶を抱いて気持ちよさそうに揺れている。
ぐぬぬ、羨ましい……。
「なら西代だ。頼む、運転代わってくれ。旅行が始まってから俺一度も昼酒してないんだ。あり得ないだろ? 可哀想だろ?? な? な?」
「目が怖いよ、陣内君……。はぁ、君に遠慮して助手席に座ってた僕は飲まなかったって言うのに結局はこうなるんだから。僕もさっさと飲んでおけばよかったよ」
西代は肩をすくめ、すり寄る俺を胡乱な目で見つめてくる。
「なぁ西代ぉ、頼むよぉ。俺、もう、手の震えが止まらなくってよぉぉ。たぶん禁断症状が出てる。そう言えば飲まな過ぎて気分が悪いかも」
(……彼の体質的に、飲ませておいたほうが変な事態は起こらないのかな?)
「頼むぅぅぅ、マジで苦しぃい、じぬぅぅ、飲酒欲求で溺れ死ぬぅぅぅ!!」
「あぁもう分かったよ。飲んでも良いから、そんなせつない声を出さないでくれ」
「マジで!! いやぁ西代さんは本当に話の分かるお方だ!!」
「おべっかはいいよ。それより後でアークロイヤルを分けてくれ。僕は今日、甘い煙草で凌ぐとするよ」
「後で箱ごとくれてやるよ!! 安瀬、一升瓶貰うぞ!!」
「ほへぇ? ……あ、うむ。お主も飲め飲め!!」
西代からの許しを得た俺は酔っぱらっている安瀬から一升瓶を受け取り、そのまま口を付けた。瓶を逆手に持ち一気に日本酒を呷る。
──ジャボジャボジャボッ
「ん、んっ、ぶはぁ!! あ゛ぁ゛っう゛ま゛い゛」
偶に水のように透明感のある日本酒に対して『水みたいなら水を飲めば良くないか?』という者がいるが、あれは流石に暴論だと言わざる負えない。
奥にある味わい深い米の味を楽しむため舐めるように飲むのも良し。このように喉に引っかからない滑らかさを十全に発揮して流し込むも良しだ。
個人的に、俺は流し込む方が好きだ。冷酒が体に一気に染み込むような快感がたまらない。
「陣内っていつも私たちには酒を味わって飲めって言うくせにー、日本酒は流し込むように飲む事があるよねー? それって流儀に反してないのー?」
「……あれ? え、嘘?? お、俺がアルコールに対して二枚舌、だと?? そ、そんな……反省しないと……」
「い、いや。そんなガチへこみされて困るっていうかー……」
猫屋の何気ない一言は、これからは人の飲み方にケチをつけないようにしようと自戒する物となった。
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昼食は、実に甘美な時間となった。
生カツオの醤油たたき、カツオネギ味噌炙り、トロカツオ、カツオ飯。
一生分のカツオを食べ味わった気分だった。酒飲みからすればこれほど幸せなご飯もないだろう。
「幸せでありんすぅ……世界がぐらぐらしてるのじゃぁ……」
幸せに浸っているのは当然俺だけではない。いやむしろ、食事前から酔っていた安瀬は俺よりも恍惚としていた。
「なぁ、こいつ朝からどれくらい飲んだ?」
「どんぶり勘定で三升くらいだね」
「わーお。良い飲みっぷりだねー」
安瀬のキャパシティから考えて、気分の良い限界ギリギリのライン。つまりは飲みすぎだ。完全に出来上がってしまっている。
……どうしたのだろうか? 確かに彼女は酒好きだが、昨日今日酒を覚えたという訳ではない。いくら旅行の熱に浮かされたと言ってもちょっとペースが速すぎるような気がする。
「ふしゅぅ……」
酒精からくる熱が巡っているのか、安瀬は排熱するように熱い息を吐きながらふらふらと体を揺らす。
「すまぬ、ちょっと我は厠へ……」
「あぁ、俺も行くわ」
ここの地面は鮮魚を扱う関係上からか排水が容易なコンクリート製であり、少し床は湿っている。故に滑りやすい。
人も多いし、酔っぱらいを1人で行かせるには少々不安だった。
「おっけー。じゃあもうテーブル片付けちゃうねー」
「僕たちは先に車で待ってるよ」
「頼んだ。じゃあ安瀬、行くぞ」
「……うむ」
少しレスポンスが遅かったが、安瀬は俺と一緒に席を立った。
安瀬を背後に人垣を抜けていき、館内マップに従ってトイレまで彼女を先導する。
こういう時、やはり歩幅には気を遣う。酔っぱらいの女性に男と同じペースで人込みを抜ける事を求めるのは酷だしな。
「…………じ、陣内」
声掛けと共に、安瀬は後ろから俺のシャツを摘まむように握った。
「ん? なんだよ」
人がまだ多いので、俺は足を止めることなく背中越しに返事を返す。
「ら、来週から、世間はお盆休みであるな」
「あぁそうだな」
唐突に振られた盆の話題。少し言い淀んでいるように感じられたが、俺は気にせずありきたりな返事を返した。
「陣内は何か予定はあるのか? 地元の友達と旅行とか」
「特にないけど。まぁ多分、1日くらいは集まって遊ぶと思うけどな」
「そうか……。そ、それなら少し頼まれてくれんか?」
ちょんちょんっと、俺に止まって欲しいと言うように、彼女は俺のシャツを2回ほど引く。
「お盆に、我と一緒に実家に来て欲しいのじゃ」
そのお願いと共に、俺の足は止まった。
「それはまた、急だな。どうして?」
「庭の……」
彼女の言葉は、一度そこで詰まる。
その先を口にするべきかを少し悩んでいるようだった。
俺は催促することなく、彼女から次の言葉が出てくるのをゆっくりと待つ。
「我の家には、小さな庭があってな」
待っていると安瀬は控えめに続きを話し出す。
「ツゲに松、あとはせいぜい椿が植えてある程度の物じゃが、きっと誰も手入れなぞしておらん。親父殿は本調子ではないし、兄貴が庭仕事をしているところなんて見たことがないしの」
酔っているにしては、まるで事前に用意しておいたようにつらつらと言葉は並んでいった。
「まぁそう言うなよ。陽光さん、仕事に育児と絶対に忙しいぜ」
「分かっておる。学生の身で大黒柱に草抜きなどさせぬよ。何より園芸は女人の領域。男衆とは目利きが違う」
また時代錯誤な。今の時代では古すぎると言わざる負えない感性だ。
「例年通りなら帰省の折に、雑事は拙者だけで片付ける。ただ、今年は子供が生まれためでたい年じゃ。庭に記念樹を植えたいと思っておる」
「記念樹?」
「う、うむ。山茶花あたりをな。であるから今年は人手が欲しい」
「あぁなるほど。そういった事なら手伝いに行くわ。2万貸してくれた借りもあるし」
「……そうか。来てくれるのじゃな」
ほっとしたような湿った声が背中を伝って耳まで届く。
「…………父も兄もお主にお礼をしたがっておった、良かった」
つい、漏れ出てしまった。
そんな所感が感じられる呟きだった。
失念していたが彼女の実家というのなら当然、そこには雨京さんと陽光さんが住んでいる。広島なら日帰りという事にはならず、1泊させて貰って夕餉を振る舞ってくれるだろう。
んん…………気まずくならないかな? 確かに俺は雨京さんが事故った時に安瀬の足代わりにはなった。だが所詮それだけだ。家に招かれるほどの立場とは言い難い。
むしろいつも娘さんに世話になっている俺がお礼を言うべきな気がする……よし、菓子折りでも持っていくか。お邪魔している時は礼儀正しく振る舞うよう留意しよう。
「ぁ、いや」
思考を巡らせ背を向けたままでいると、戸惑いと一緒に安瀬が手を俺のシャツから離した。
「…………こんなのは、やはり、重たいのかの?」
瞬間、俺は軽薄な笑みを浮かべて背後へと振り向いた。
「当然、駄賃はでるんだよな!!」
不安げな問いかけを無視し俗物的な問いを投げる。
「できればビールがいいな。庭仕事には必須品だ。あとは麦わら帽子と軍手を用意してくれれば文句ない」
緑が茂る蒸し暑い庭園で、冷たいビールを飲みながら腰を屈めて黙々と雑草を毟る。
うん、良い盆の過ごし方だ。ガキから少しだけ大人になった気分に浸れそうで気に入った。
「…………」
焦点が定まっていない安瀬の酔った瞳が、俺をまっすぐに見つめている。
水臭い遠慮はこれで無事に吹き飛んでくれたようだ。
「……ふふっ、お前さんにはやけに似合うであろうな」
「だろ? この陣内さんはこう見えても家庭的な一面が──」
「いつも理想的なのじゃ、お主は」
ぎゅっと、安瀬に腕を絡み取られる。やけに熱い体温が布越しに伝わった。
「え? あ、安瀬?」
「ん、少し飲みすぎてな。腕を貸すがよい」
彼女は腕組をしたまま足を動かし、人が多い通路を身を寄せ合うようにして俺と歩こうとする。
「そ、そうだな。お前ペース早すぎだし…………あ、マジで足元には気を付けろよ。俺まで巻き添えは御免だ」
「分かっておるよ。ふぅ……道後に向かうまでに、酔いを醒まさねばの。発破をかけるためとはいえ、少し飲みすぎた」
「…………」
幸いにも、今は俺にも多量に酒が入っていた。
安瀬が最後に言った言葉の意味も、腕に伝わる柔らかさも、麻酔のように微睡に溶けていく。
変な体質のおかげでトイレまでは、薄氷を踏むように、ゆっくりと、慎重に、時間を掛けて、彼女と歩みを共にするだけでよかった。
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彼女はどんな人間だっただろうか。
次の目的地がある愛媛に向かうまでの隙間時間。西代が運転してくれている車の助手席で外を見ながら、俺はまた彼女の事を考える。
大学に入学して、バイト仲間として1年一緒に過ごし、数日前俺に告白してくれた稀有な女性。
『私を忘れないで』
何故か、告白前にした他愛無い会話が、告白された事よりも気になっていった。
……俺は、彼女の何かを忘れているのだろうか?
振ってしまう事が確定している手前、せめて真摯である事を心掛けるべく彼女に関する記憶を掘り起こす。
第一印象は、熱のせいとは言えバイトの履歴書に記載する自分の誕生日を間違えたおバカさん。
第二印象は、変なキャラ付けに固執して痛々しい言動とファッションを好む奇人。
趣味は中二病らしく人間観察。モノクルと簡易望遠鏡を常に持ち歩いている。
学年は同じだが1年浪人しているらしく年は1つ下。なので一応は敬語を使ってくれる。
俺とは学科が違うため大学では全く遭遇しない。だけどバイト先ではよく一緒に居てよく喋る仲の良い後輩。なにより、彼女は俺が3人と上手くやっていくための手助けになってくれた、良いヤツ。
友人はバイト漬けのせいか少ないらしい。あ、でも地元にメイクの専門学校に行った友達がいるとか言ってたから全くいない訳ではないのか。
てか地元はどこって言ってたっけ? ……まぁ親元を離れているので大学近くでない事だけは確かだ。
(…………わっかんねぇ)
些末な事柄さえ思い返してみたが、取っ掛かりとなりえるような物は出てこなかった。
「すぅ……くぅ…………もう飲めないのじゃぁ…………」
「んー……むにゃむにゃ…………まだ行けるってぇー……」
頭を捻っていると、背後の後部座席から酒飲み特有の寝言が聞こえてくる。
当然、安瀬と猫屋の物だ。彼女たちは酒精のゆりかごに揺られながら気持ちよさそうに眠っている。
そんな2人を見て、ふと別口の解決方法を思いついた。
「なぁ、西代」
俺は隣で甘い煙草を吸ってる女友達の方へと振り向く。
「なんだい?」
「俺って自他ともに認める超ナイスガイで冷静に考えて死ぬほど女性からモテるのが自然だと思うんだけど、なんでこれまでの人生で告白とかされた事なかったんだろう」
「ふ゛っ!? えほッ!? おほっ!?」
思いっきりふざけた事が原因か、西代は煙を喉に詰まらせて盛大に咳きこんだ。
「げほ、げほっ…………はぁ?? きゅ、急になに?? 頭に直接アルコールでも注入した?? ついに正気失っちゃった??」
「いやな、一度痛い目を見たから惚れた腫れたはもう御免だけど、やっぱり欠点があるなら自覚しておきたいのが人の常だろ? ちょっとした暇つぶしと思って付き合えよ」
決して、恋人が欲しいなどと言うつもりがない事を強く念頭に置く。
俺はあくまで自己分析だという体を装った。
「助手席で酔っ払って、選んだ話題がそれかい……!!」
「はははっ、悪い悪い。まさかそんなに驚くとは思わなくってよ」
「それは君があまりにタイムリーすぎるせいで…………あ、いや、なんでもない」
彼女は落ち着くためか口元から少しずれた煙草を咥えなおし、今度はちゃんと肺まで吸い込む。
「ふぅ、はぁ…………君にダメな所、ね? そんなのは特に──」
「……? なんだよ?」
「あった、あった。いっぱいあったよ。馬鹿でお調子乗り。なのに顔は凡庸で、背丈も平均。あと酒カス、ヤニカス、パチンカスの世界三大害悪趣味を持っている所。特にアルコールに関しては病的っていうのはもうどうしようもないよね」
「な、納得いたしやした」
思ったよりも鋭く、多くの罵倒が飛んできた。
わ、分かってたことだけど、ここまで現実を突きつけられると流石にへこむな……。
「それなら、その逆はどうよ?」
「逆?」
「俺の、その……女性に好感を抱かれそうなポイント。俺の非モテは未来永劫治らない事はもう完璧に理解したから、せめて良い点を知っておいて少しでも気持ちを立て直したい」
俺がこんなクソみたいな話を振った理由がこれだった。
知りたかったのは、女性から見る俺という人間。なにか一点でも好かれそうな点があるとするなら大場の好意にも少しは納得がいく。
「…………扱いやすい所、とか?」
「はい? 扱いやすい??」
「ふふふっ、うん。すぐに僕みたいな悪い女の意のままにに操られてしまう所」
歌うように高らかに西代は俺の長所を述べやがった。俺がふざけたからか彼女も全力でふざけてやがる。
「ほぉぉん? 俺の、どこが、お前の意のままだって?」
「あれ? 自覚ない? いつも僕にいいように使われてるって事」
「……今日の夜は血の雨が降るだろうな。主に、お前の肝臓と財布に局地的なやつが」
「いいね。人から金を借りている身なのに早速賭け事の催促とは、中々のクズっぷりだ」
「あれは返す当てがあるからもういいんだよ」
「それは昨日、お爺様と何かやってたことが関係してるの?」
ぴしり、と体が硬直した。
「な、なんで……それ、を」
「今朝お爺様が嬉しそうに僕に話しかけて来てね。詳しくは教えてくれなかったけど、なにやら庭園が燃えてしまうほど熱い勝負があったとか?」
(あのジジイ!! マジで頭イカレてんじゃねぇのか!?)
背中に冷や汗が伝い、心臓が鼓動を急加速させる。
あの勝負は、西代の秘匿することが両者陣営の決まりだったはずだ。だけど、あの人は平気でそれを破りやがった……!!
(勝手に西代の親権を賭けた事がバレたらあの爺さんだって困るはずだろ!? なのに普通言うか!? マジで何考えてんだ!?)
「昨日の夜、別荘に僕に隠れてリクが来てたんだって?」
「い、いや、えっと……」
「ありがとね」
混迷の極致にあった俺に、まったく予期していなかった言葉が掛けられた。
「詳しくは何も教えてくれなかったんだけどさ、お爺様は君がリクに喧嘩を売って勝ったって言ってたよ」
「いや、それは」
「陣内くんの良い所は……律儀な所もだよね。前に、僕がちょっと馬鹿にされたからってさ、ふふっ」
「………………」
運転している西代は俺を見ずに前を向いていた。
俺だけが横を向いて彼女を見ていられる状況。その表情はどこか晴れやかであって、温かい微笑に見える。
断片的に情報を与えられた西代の都合が良すぎる解釈。
ずきりと、胸が痛んだ。
「ちげぇよ。前の事は関係ない。アイツは俺が個人的に気に入らなかったから躾けてやっただけだ。昨日会った時も執拗に俺に絡んできたしな。っは、清々したぜ」
何を言っていいか分からなかった俺は、反射的にそう言い切った。言い淀んでいた時とは違って自分の想像以上に口は回ってくれる。
「うんうん。そうだろうね」
西代はそれを想定していたかのように優しく受け止める。
「でもありがとう」
そしてまたお礼を言う。
「嬉しいよ。君が、僕のためじゃなくってもね? そうやって何かしてくれるのは、やっぱり嬉しいんだよ」
彼女が稀に見せる、本当に幸せを感受しているかのような微笑み。それを浮かべながら彼女はまるで大人が子供を相手するように俺にお礼を聞かせつける。
「……本当に、アレはそんなんじゃなかった。違うからな。お前が礼を言う必要なんてない。あんなのは──」
「あぁ、はいはい。ごめんごめん、この話はここまでにしておこうか。どうせお爺様が絡んでたなら本当に碌でもない事だったんだろうし。もうこれ以上は言わないよ」
「…………」
俺は無言のまま煙草に火を付けた。
西代にバレないよう煙を思いっきり吸い込み、詰め込むようにして肺に充満させる。
彼女の嬉しそうな笑みを見て、勝手に感じてしまう充足感。
西代の家庭事情に勝手に踏み込み、それを秘匿する後ろめたさ。
心を真っ二つに分断している喜びの方。その半分がおぞましくって仕方なかった。
息を止め、鎮静剤代わりのニコチンが暴れまわるのを待ってから、呼吸を再開する。
「はぁぁぁ…………そうだな。マジで散々だったよ。二度とやりたくない」
「ふふっ、だろうね。もうあんまりお爺様に関わっちゃダメだよ? 例え気に入られていたとしても、お爺様は僕とリク以外には本当に容赦ないんだから」
「あぁ、うん。そうする」
俺は本心でそう返した。
西代は喜び、それを見て俺は余計な事を話せない。そこまで分かっていてあのジジイは昨夜の賭けについての情報を漏らしたのだろう。
何と言うか、いちいちこちらの予想を上回ってくるお方だ。俺のような凡人では対処しきれない。
(はぁ…………俺ってつくづく卑怯だよなぁ)
思った通りにニコチンが働き、後ろめたさだけが胸をじんわりと占領していく。
(大場、俺にはやっぱり分かんねぇよ)
俺のような醜い人間に、お前が好意を持ってくれた理由なんて、俺にはどうしても分からない。
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四国旅行2日目の締めくくりは、愛媛県の代表的な観光地である道後温泉だった。
日本人とは昔から温泉という物が大好きらしい。良質な湯が湧き出る所は、必ずと言っていいほど観光地として栄えている。俺たちが初めて旅行に行った草津温泉と同様に多くの飲食店とお土産屋さんで賑わっている。
俺たちがまず先に向かったのは道後温泉本館だった。
そして、今はもう風呂から出た後だ。
湯舟が狭く、またサウナが無かったので俺の入浴時間はかなり短かった。個人的な意見になるが男性の入浴時間はサウナの有無で全然違ってくると思う。
女性陣が出てくるまではまだまだかかるだろうと思い、手持ち無沙汰な俺は10分ほど売店を冷やかして回り、その後で近くの喫煙所に顔を出した。
「あ、陣内」
すると、まだ入浴していると思っていた猫屋と何故か鉢合わせた。
「あれ? 随分と早いんだな猫屋」
「うん、私だけ先に出て来ちゃったー」
「そっか。他の2人は?」
「あの2人はー……湯船でなんか趣きみたいな物を味わってる最中らしー」
「安瀬はともかく西代も?」
「なんかここって夏目漱石由来の地らしいよー。安瀬ちゃんと難しい話で盛り上がってたー」
「あぁそういや『坊ちゃん』が執筆されたのってここだったな」
温泉の受付にそのような事が書かれて思い出し納得する。侘び寂びを感じられる安瀬と文学少女西代の組み合わせはこの道後にとっての最適解だろう。
「猫屋は付き合わなかったんだな」
「いやー、だって湯舟1つしかなかったしー……すぐに飽きちゃった」
「俺も俺も。こういう時つくづく教養の差を実感するよな」
「あははっ、私たちみたいな日本人が増えない事を祈るばかりだよねー」
そう言って俺たちは煙草を咥えて火を付けた。
「「すぅぅぅ、ふぅー……」」
さっぱりした体に脳を冷ますような鎮静成分が注入される。幼少期の風呂上りはもっぱらフルーツ牛乳だったが、今の俺には甘い煙草が最高の湯冷まし代わりだ。
今日は少々煙草を吸いすぎな気がするが、たまの旅行だ。これぐらいはいいだろう。
「ここって夜になるとー、建物が綺麗にライトアップされるらしーね」
「らしいな。俺たちはそっちが本番だよな。酒とつまみ片手に温泉街を闊歩するみたいな」
「うんうん!! 私、けっこう楽しみなんだー!! 色んな所で写真も撮りたいしー!!」
和風建築の建物街。それらは夜になると木組みガラスや障子が色とりどりの紫陽畑のように発色するらしい。昼は日本文化の極みのような道後温泉は、夜になると一気にテーマパークのような様相に変化する。
「あ、猫屋。ちょっと寄ってくれ」
入ってすぐの所で煙草を吸う俺たちの後ろで、他の人が入りずらそうにしていた。
観光地の喫煙所というのは、いついかなる場合でも混む。禁煙の波が押し寄せ喫煙所が減ったせいなのかは分からないが大体は人が多い。日本の喫煙者が減少傾向にあるという統計を疑う瞬間である。
「え? あ、うん」
背後の人に気が付いた猫屋は、肩を寄せあようにそっと俺の間隣へと身を寄せる。
「………………」
「………………」
不意に沈黙が訪れた。
互いにこじんまりと佇み、無言で煙草を呑み続ける。人が密集しているせいかこれ以上は大ぴらに雑談する気にならない。猫屋も恐らく同じ所感だろう。
「と、ところでさ陣内」
このまま喫煙所を出るまでは無言を貫くと思われた矢先、猫屋がまだ先が長い煙草を灰皿に放り投げた。
「お盆休みの予定ってどこか空いてる?」
「え?」
猫屋が吸いかけの煙草を捨てた事と、今日二度目となる質問。その2つのせいで、思わず生返事を返した。
「あ、あぁ。休み終わりの方はフリーだけど」
「そっか……なら、さ」
いつの間にか、リハビリ中の彼女の右腕が俺の袖を控えめに掴んでいる事に遅れて気が付く。
「良かったら私と、また…………デート……しよ?」