こましゃくれり!!   作:屁負比丘尼

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深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている

 

「アハハハハハハハハハ!! ずっと、ずっとネタバラシはいつにしようかと悩んでたんっすよ!! それがまさかこんなに早いだなんて思いもしませんでした!! あはっ、ひひ、ひひひひひひひひっ!!」

(く、そ、がぁっ……!!)

 

 赤い義眼と、嘲るような高笑い。

 

 もはや否定しようのない現実が俺に襲い掛かっていた。

 

(なんで、なんで……こんな事になるっ!!)

 

 最悪の予想が的中してしまった。俺の予感通り、西代の過去にケリなんて物は全くついてはいなかった。むしろ事態はより陰鬱に悪化したと言わざる負えない。

 

(落ち着け、とにかく落ち着け……!!)

 

 愚痴るのは後だ。今はそれどころではない。

 

(ここから俺が取るべき行動はなんだ?)

 

 ポケットの中のナイフを強く意識する。もう2度と持ち歩かないつもりだったが、念のために用意していた物だ。

 

(とりあえず凶器で脅しつけるか? いや、何をするにも情報が足りなすぎる……!!)

 

 大場には協力者がいた。その事実が厄介だ。もしあのチョーカー女以外にも仲間が複数いて、このすぐ傍にでも待機していたら暴力では俺に勝ち目はない。

 

「さてさてボルテージを上げていきましょうか!! 見事、私の正体にたどり着いた陣内パイセンには特別に!! 特別に、私への質問をする権利を差し上げるっす!!」

「あ?」

「気になるでしょう?? この私が!! 今までどのように暗躍し!! パイセンの目を欺いてきたのか!! 気になって夜も眠れなくなっちゃうはずっす!! アハハハハ!!」

(…………こいつ)

 

 ハイになってやがる。

 

 一見して、そう判断した。

 

 俺にはその心理がよく分かった。悪事とはバレた時こそが花だ。大場も、いつネタバラシをしようか悩んでいたとつい先ほど口にした。

 

 自分が今までやってきた策略を相手に叩きつけ酔いしれる。その瞬間は堪らなく気持ちが良いもの。誰だって……目の前の狂人だって、そこは同じなのか?

 

「そりゃ……どうも」

 

 なんにせよ俺に取っては好機。こいつにどう対応するにしたって情報がいる。ここは付き合う他ない。

 

「じゃあ、答えてくれよ。どうやって西代がこの大学に入学するって知った」

「…………いや、そこら辺は別に普通っすよ?」

 

 躁状態にあったはずの大場のテンションが、一瞬にしてすんっと落ち込む。

 

「探偵を雇ったとか、私が執拗に尾行し続けてたとか、好きな方を選んでください。ありきたりな方法なんでそれ以外で思いついたのがあればそれが正解でいいっす」

 

 俺が最初に選んだ問いはどうやら大場のお気に召さない物だったらしい。

 

(くそっ、自分から質問しろって言っておいて、聞いたらそれかよ……)

 

 会話を切られる事を恐れ、俺は彼女が喜んで語りそうな内容を吟味する。

 

「……なら次、俺への告白。あれはどういう意図だったんだ?」

「あぁ、あれっすか!! そりゃ気になるっすよね、パイセンとしては!!」

 

 思った通り、大場はすぐに食いついた。露悪的な企みほど、嗜虐心は刺激される物だ。

 

「ん~……まぁでもあれ自体に深い考えがあった訳じゃないっすねぇ。結果がどうなろうと超絶に面白い事になりそうって思っただけっす。言うなれば……突発的な閃きみたいな?」

「閃き、ね…………それはまた軽率だったな」

「えぇはい。先輩に余計な疑惑を与えちゃっただけでしたね」

 

 肩をすくめながら、彼女は素直に自分の失敗を認める。

 

 意外と話が通じる事に戦々恐々としながらも、俺は会話を途切れさせないよう頭を回し続けた。

 

「……なぁ、そもそもの話。なんでこんな回りくどい方法を取った」

 

 またしても自分で如何様にも膨らませられそうな話題を選択してやる。

 

「わざわざ隠れて西代を追って、おまけに俺にまで近づいて……なんだよその遠回り。もっと直接的なやり方だってあったろうが」

「あはははは!! なに冗談言ってるんっすかパイセン!? 私はアイツに目を潰されてるんっすよ!? そりゃあ慎重にもなりますって!!」

「……それも、そうか」

 

 言われてみればその通りだ。普通の人間なら、もう2度と西代とは関わろうとは思わない。西代はそういう復讐方法を選んだはずだった。

 

「それに誰が貴方たちみたいな化け物どもと正面からやりあおうなんて思うんっすか!?」

 

 ()()()()。大場は西代だけではなく、俺たち全員を化け物と形容した。

 

「ひでぇな……どう考えてもお前ほどじゃないだろ。自分を客観的に見て物を言えよ」

「…………新辻(しんつじ)由香里(ゆかり)黒羽(くろは)桔梗(ききょう)

「っ!?」

 

 目の前の人間から出てくるはずのない名前。一瞬、動揺のあまり耳が壊れたのかと思った。

 

「先輩たちと敵対した人間がどういう末路を辿ったと思ってるんっすか? 私だってねぇ、貴方たちさえいなければもっと早くに仕掛けてたっすよ」

 

 俺が困惑するさまが面白いのか、彼女は勝ち誇るように笑った。

 

「お前……なんで……」

 

 由香里(元カノ)の苗字なんてあの3人ですら知らないんだぞ!? どこから調べやがった!?

 

「なんで? ふふっ、ふひひ!? さぁ、なんででしょうか!? 案外、先輩のその顔が見たかった、とかかもしれないっすよ!!」

(イカれてやがる……)

 

 計画性、胆力、情報収集能力。何もかも、まるで敵う気がしない。

 

 ここに仲間が大勢いるなら致命的だ。即急に、あの女以外に仲間がいるのかを知る必要がある。

 

「……俺と西代を仲違いさせるために(けし)けたチョーカー女、アイツはいったいどこの誰だよ。ああいう奴らを使って情報を集めたのか?」

「…………」

 

 ニィっと大場は悪辣に笑みを深める。この質問は大場にとって、もっとも面白い部類だったようだ。

 

「アイツは、西代をイジメてたっていう奴らの残党なのか?」

「いえいえ!! (ふじ)ちゃんは私とは違って良い子なんで、そういう事はしてませんっす」

 

 藤ちゃん? ……それがアレの名前か。だがそんな名前よりも気になるのは……。

 

「良い子? お前、何言ってんだ??」

「ほぉらぁ、藤ちゃんから聞いたっしょ? 西代桃に告白した上級生。そいつに初々しい恋をしていた可憐で幼気な美少女の事を!!」

「…………あぁ、なるほど」

「おぉ、流石私に気付いた名探偵!! これだけのヒントでいけちゃいますか!!」

 

 大場は友の失恋から義憤を滾らせ、西代を害した。

 

 で、その発端となった失恋女は何をしていたか。

 

 大場の口ぶりから察するに、きっと何もせずに傍観していたんだろう。周りが怒ってくれて自分の代わりに穢れてくれるから、1人だけ無関係なままでいた。

 

 絶対安全圏で、手を汚さず……1人ぬくぬくと。

 

「ふっっざけんな、何が良い子だ。ただのゴミ日和見野郎じゃねぇか」

「あはは……まぁまぁそう言わずに。あの事件以来、今までの友達はみーんな私から離れて行ったっすけど、藤ちゃんだけは違ったんっすから」

「!!」

 

 知りたかった情報が大場の口から漏れ出た。大場の仲間は、俺が脅しつけてやった藤ちゃんとやらだけらしい。

 

(よし!! これならまだ巻き返せる。こいつさえ、この化け物さえ、何とか出来れば……!!)

「もしかして、この目の事を自分の責任だとか思ってくれてるんっすかねぇ?」

「……?」

 

 引き出した情報に安堵していると、大場の表情が急に変わった。

 

「今回も無理言って手伝ってもらいましたし。ほんと、藤ちゃんには頭が上がらないんっすよ。親友っすよ、親友」

「…………」

 

 大場の狂気が少しだけ引いていくような気がした。

 

 愁いを帯びた雰囲気を纏い、彼女はまるで俺の良く知っているバイト先の後輩のように佇んでいる。

 

「んな顔してんじゃねぇよ……そもそもの原因はお前だろうが……」

「あぁー……はい。それに関しては弁明するつもりもないし、正直言って反省してるっす」

「は?」

 

 想定していなかった言葉を聞いて意識が点になる。

 

「私も若かった、みたいな感じっすかね? いやそれじゃあ済まされない事なんでしょうけど…………ガキだった私は、恥ずかしながらも義憤に駆られて暴走しちゃったんすよ。いやぁ、本当にすいませんっす」

「────────」

 

 謝った。

 

 謝るべき相手は俺なんかではないが、大場はそれでも謝った。

 

 自分の行動を悔い、何が悪かったを理解し、言葉にして謝罪する。それが出来るのは理性がある人間だけだ。化け物に出来る事じゃない。

 

 それに、さっきから不思議と話が通じている。

 

 俺の理解の範疇に、未だ彼女はいた。

 

『せんぱ~い!! 早く着替えてキッチン入ってくださいよぉ!! さっきから注文が止まらないんっす!! た~す~け~て~!!』

 

 別に、彼女と特別な思い出なんてない。

 

『バイトの賄いって、最初はタダでご飯が食べられるから浮かれてましたけど……なんか微妙っすよねぇ。飽きが速いというか、何と言いますか……』

 

 ありきたりで、普通で、一般的な物ばかりだ。

 

『パイセン!! ゲロの掃除お上手っすね!! やっぱ普段から自分のを処理してるからっすか?』

 

 安瀬、猫屋、西代。彼女たちに比べれば、天と地の差。

 

 俺にとって大切な人はぶれやしない。いつも心の奥で笑っているのは、あの3人だけなんだ。

 

「……そう思ってるなら、よ」

 

 気が付けば、俺は何も考えずに言葉を発していた。

 

「もう、止めにしようぜ? い、意趣返しはこれくらいでさ」

 

 さっきまで脅しを前提に立ち回ろうとしていた自分が信じられないくらい、和解の言葉がすらすらと出てくる。

 

「西代だって苦しんだ。大場だって苦しんで反省した。だったらもうそれで終わりで良いじゃねぇか。な?」

 

 ここで終われば、まだ引き返せる。

 

(それに、もう……俺はもうこんなの嫌だ。うんざりだ)

 

 普通の思い出は、心の奥底に隠していたはずの脆い本音をいつの間にか引きずり出していた。

 

(過去の不幸が、いつまで俺たちについて回る?)

 

 いつまであいつ等は苦しまなきゃならないんだ?

 

(うんざりなんだ……俺は、ただあいつ等に傷ついて欲しくないだけなのに……なんでこうなる)

 

 散々、人の悪意と悲しい不幸は味わったはずだろ?

 

 それなのに、今度は西代もだって? ふざけるなよ……いい加減にしてくれよ……。

 

(そ、それに俺には贖罪しなきゃいけない事が沢山あるんだ……)

 

 安瀬の実家に園芸の手伝いをしに行くって約束したんだ。あいつが育った家の事を知って、寄り添って、安瀬の心の傷を少しでも軽減してやりたいんだ。

 

 猫屋と制服で遊園地に行くって約束したんだ。猫屋は腕の事なんて気にせず子供のようにはしゃぎまわるだろうから、俺は近くで見守っていたいんだ。

 

(……嘘だ)

 

 自分が自分に醜悪な嘘を付いている事に、初めて気が付いた。

 

(楽しみなんだ……俺は、俺みたいな男が、あの2人と、デートじみた事が出来て、普通の大学生みたいな休みを謳歌できる事が楽しみで……仕方ないんだ……)

 

 だから、もうここで折れてくれ。

 

 頼むから。

 

 もうここで終わってくれ。

 

 これ以上は……もう俺には無理だって……。

 

「な、なぁ。頼むよ、大場……もう……もう、やめにして──」

「ぐ、ぐわぁぁぁ……!! う、疼く!! この呪われし義眼が主の魔力を食い尽くさんと暴れているぅぅぅ。ぐわーっ!!」

 

 懇願する最中、大場は急に赤い義眼を抑えて大声を喚き散らした。

 

「……………………は?」

 

 わざとらしい急変は、俺の弱った思考回路を停止させるには十分すぎる衝撃ほどのだった。

 

「こ、このままじゃまずい!! 隻眼に魔力が集まりすぎちゃってるっす!! 魔眼が暴走するぅぅぅうう!!」

「な、何言ってんだよ……お前」

「…………はぁ。ノリが悪いっすね、パイセン」

 

 ため息をつきながら、大場は糸が切れた人形のようにがっくりと肩を落とす。

 

「………………痛いんっすよ」

 

 そして、消えてしまいそうな声でそう呟いた。

 

「目がまだね、神経を逆なでるように痛むんっす」

 

 そう言って、大場は目くそを取るような軽快さで指を眼窩(がんか)に突っ込んだ。

 

「なに、を」

「お医者さんは幻肢痛だと言ってました。珍しいみたいっすよ? 目で起きるのは」

 

 下手糞な愛撫のように大場は眼内の指を動かす。くちゅくちゅと、生理的に受け付けない音が響いた。

 

「知ってますか? 幻肢痛って、決定的な治療方がないんっすよ。精神的な物らしいんで」

 

 中の血管が切れたせいか、義眼は指との隙間から血の涙を流す。 

 

「トラウマになってるんでしょうね……今でもよく夢に見ますから」

 

 目が合った。まともな方ではなく、底から押されるせいで痙攣するように蠢く赤い目の方と。

 

「醜悪な悪魔が、私の目を刺して、笑うんですよ」

 

 やめろ。そんな目で俺を見るな。

 

「私に罪はあったでしょう。でも、この死ぬまで続きそうな後遺症と悪夢は何で(そそ)げばいいんっすか?」

 

 答えを縋るような目で、俺を、俺を、俺を、俺を。

 

「……やりすぎたんですよ、あいつは」

 

 最後に、キュポンと、人体からは発しえない間の抜けた音が鳴る。

 

「ねぇ、先輩。この目を見て、私の気持ちも理解して貰えませんか?」 

「ぁ……」

 

 そこにあったのは薄暗い洞窟だった。

 

 少し目を凝らせば底が見えるような薄い暗闇。

 

 今まで見てきた物と比べれば、別に? 普通の物? 大したことない?

 

 でも……奥には、てらてらと何かが光る? ……る?

 

 え? なんだ?

 

(奥で、あかい、あかい、ものが、ぴくぴくと、俺を見つめて? 見つめて? て? は? は? 見てるの?? 俺の?? なのに??)

 

 …………あれ??

 

 な、んだ? なにかおかし?? あたま、いた、い? あれ? あれ? あれ? あれ??

 

(くら? い? は?? え?)

 

 あれはなに??

 

 見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う

 

 ────バリンっ!!

 

 胸に掛かっていた錠前が、音を立てて砕け散った。

 

「ク、は」

 

 衝撃は点となり意識を貫く。

 

「か、はっ!?」

 

 錠前があった所から肺が凍るような吹雪がまき散らされた。吹雪はたちまち血管を凍らせ、肉を凍らせ、脳幹を凍死させる。

 

「か゛ッ、くぁ、はは、あはあ、あ、あは……ア゛ハハハハハハハハハハハハハハハッ!!??」

 

 意識が吹雪に攫われ白くなっていく。

 

「アハハハハハハ!!!?  ひゅっ、げぇぇっ!? お゛、あ゛。あ、あ、あはははははははははっはははははっはははははははははははははははッ!!!!」

 

 遠くの方で、俺と似たような声をした奴が笑っていた。

 

 鼓膜まで凍ってしまったのか、聴覚に集中してもザァーザァーと耳鳴りが鳴るだけで誰が笑っているのか分からない。

 

「アハハハハハ!!?? ひ、ひっ、はは、ははははははははははははははははは!!」

 

 あ、いや、笑っているのは俺だった。

 

 酸欠で頭が白ばむほど爆笑しているんだ。

 

「はははははは、ぅ、け゛ほっ!! くひ、ひひはははは、あ゛あは゛ははははははははははははははッ!!??」

 

 笑っているが、何も面白くはなかった。

 

 でも笑っていないと臓腑まで凍り付いてしまいそうだったから。体が勝手に大声を上げて笑っているのだろう。

 

「はは!! あ゛はははははははははは!!」

 

 でも……ちょうどいいかもしれない。今のうちに、笑えるだけ笑っておこう。

 

 ここから先、俺はもう笑えない。

 

「はぁ……はぁ……!! そ、そう、だよな!! いくら自分が悪かろうとそんな事されたら恨みが募って当然だわな!!」

「おぉ、分かっていただけたっすか!! いやぁ、私も逆恨みだとは重々自覚してるんっすけどね」

「いやいや、仕方ないって!! お前は悪いが、悪くねぇ!! 人間なんだから当たり前だ!! ハハハハハ!!」

 

 分かる。

 

 大場の気持ちは分かる。

 

 俺だってろくでなしだ。同じ目に遭わされたら、俺も絶対に復讐する。

 

 俺と大場は同じだ。同じなんだ。

 

 だから共感できた。お前の気持ちも。お前の狂気も。

 

「はは、ははは………ふぅ……」

 

 でも、西代の幸せを壊そうとするなら許さない。

 

 俺の大切な物を奪おうとするお前の存在を許せない。

 

「じゃあ、やるか」

 

 俺はポケットからちっぽけなナイフを取り出した。

 

「あれ? なんすかそれ? もしかして私を襲うおつもりで?」

「あぁ。だって、もうこれしかないだろ」

「……あのぅ、パイセン。覚悟をお決めになったご様子の所、水を差すようで申し訳ないんっすが」

 

 彼女はそう言いながら外した義眼を慣れた様子で眼窩にはめ込む。

 

「私がラスボスで、私を倒せばハッピーエンドだとか思っちゃってません? それは流石に私を買い被りすぎっすよ?」

「あ゛?」

「ふふっ、ふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

 今度は大場が狂ったように笑う番のようだった。

 

 彼女はくるくるとその場を踊るように回り、舞台で客席に見せつけるようにして作り物めいた笑顔を振りまき始めた。

 

「残念ながら、チェックメイトは既に宣言されてしまいました」

 

 役に入っているのか普段の雑な口調は鳴りを潜めている。

 

「私にできる事などもう何もありませんよ? 何故なら既に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のですから」

 

 胸を抑えながら、まだ機能している瞳を潤ませる芝居じみた所作。彼女は本当にお芝居でもやっている境地なのか表情を明瞭に変化させる。

 

「私に気付けた貴方だからこそ、貴方は自分が想像以上の戦果を挙げている事に気が付けないのです」

 

 今度の表情は見下すような憐れみだった。これから死地に向かう先兵に向けるような物を彼女は顔に張り付けている。

 

「以上、何の力も持たない無力な女の命乞いでございました」

 

 カーテンコールのつもりか、大場はスカートの端を摘まみ上げ、畏まったお辞儀で幕を下ろした。

 

「…………」

 

 それは、なにやら確信めいた物を秘めている物言いだった。語られた内容がとにかく頭にこびり付いて離れない。

 

 妙に飄々として掴み所のない不思議な敗北宣言。まるで優位に立っているのは変わらず大場の方なのだと思わず錯覚しそうになる。

 

 ……だが、今はそんな言葉遊びはどうでもいいや。

 

「てな訳ですので、ここは一旦見逃してもらえません? 正直もう少し足掻くつもりでしたが、そんな物を出されて脅されたらこっちも折れるしかないっす。それに先輩だって西代桃にこんな事がバレるのは避けたいでしょ? 警察沙汰だって本当は御免のはずっす」

()()()

「はい?」

「今、お前は俺に1つ嘘を付いた」

 

 俺は気が触れてしまったのだろうか。

 

「……信じられないのなら、西代桃を含めたあの3人組には今後一切手を出さないって誓ってあげてもいいっすよ? それとも、アイツの事をイジメていた私がそんなに憎いんっすか?」

「もう黙れよ」

 

 凍結したはずの頭の一部から異常な熱が発せられていた。

 

「お前は……ずっと俺を騙していた癖して案外正直な奴だ。ここまでの話は、嘘なんか無かったと確信できるくらいすっと入ってきたからな」

 

 今まで薄汚い嘘ばかりついてきたせいか、分かる。

 

 いいや、正確には見えたんだ。

 

 嘘を付いた瞬間、大場の胸の内に()()()が確かに見えた。

 

「だけどな、私にできる事などもう何もない、だって? なんでそこだけ嘘をつく?」

 

 そうだ。そこだけが大場の嘘だ。

 

「何を企んでるか知らねぇが、1年以上掛けて練った復讐を自分でケリを付けずに放置するって? ふざけてんのか。そんなのでお前の目は満足するのかよ」

 

 ……なんだろうか、この全能感は。

 

「お前みたいなのは最後は自分で止めを刺す。屈辱的で、最低の方法で、西代の心をへし折りに来る。いくら言葉で取り繕うがこれが確固たるお前の本音のはずだ」

 

 こいつはいい……今ならどんな嘘でも暴ける気がする。もう誰も俺を欺く事なんてできない。

 

「それとな、お前、俺になんか妙な幻想を抱いてやしないか?」

 

 追い打ちとして、俺は大場の見通しの甘さを指摘してやる。

 

「何だかんだ言って俺は女には手を出さないとか。今までの情に絆されて最後には手を緩める、だとか」

「…………」

「そんな甘い幻想を、心のどこかで期待してないか?」

「……………………」

 

 大場の笑顔がどんどん歪んでいく。この視覚異常は俺の妄想ではなかったようだった。

 

「い、意外とパイセンって女の子の気持ちとか分かる人だったんっすね。普段はただの馬鹿だから気が付かなかったっすよ、あはは……」

 

 大場は引きつった笑みを浮かべながら、俺から距離を取るようにゆっくりと後ずさった。

 

「待てよ」

 

 当然、俺は下がった分だけ彼女に迫る。ナイフを固く握りしめながら。

 

「うぇ!? あ、あの、マジでやるつもりっすか!? 人殺しとか流石に冗談っすよね!? 先輩はそこまでしないっすよね!?」

「あぁ安心しろ。俺はそこまでヤベー奴じゃねぇよ」

 

 大場はどうやら俺に殺されると思ったみたいだ。まったく、人をなんだと思ってるんだこいつは……。

 

「もう片っぽの目を抉り取ったらそれで終わりにしてやるよ。流石のお前でも、そこまでやられたら諦めもつくだろ?」

「…………やっばぁ」

 

 脅しではないと感じ取ったのか、今まで優位な態度を崩さなかった大場が本気で焦り始めた。

 

「えぇっと、も、もう少しお話ししませんか? きっと、その、あの、平和的にこの場を収める手段があると思うっすよ!!」

「逃げられると思うなよ」

「えぇえぇ知ってますとも!! パイセンが元陸上部で足が速いことくらい!! で、でも流石にそこまでやると、ほら、世間体とかヤバいですし? け、刑務所に入る事になっちゃいますよ?」

「大丈夫だ」

 

 焦る大場が面白くて、そんなつもりもないのについ優しく微笑みかけてしまう。

 

「あの3人はそれくらいで俺を見限らない。信じてる。特に、西代は」

 

 これで俺も西代と同じ所まで堕ちられる。

 

 そう思うと勇気とやる気が溢れてくる。暗い未来のはずなのに胸には希望さえ抱いていた。

 

「存外、毎月面会に来てくれるかもな。俺はそれを楽しみに生きていく事にするよ」

「…………ちぃっ!! 見誤った!!」

 

 大場は舌打ちをして身を翻した。俺との交渉が無理だと悟り、脱兎のごとく逃走を開始する。

 

「ははははははは!! 待てよ大場ぁ!!」

 

 足に力を籠め、地を蹴り上げる。

 

 俺は腐っても元陸上部。しかも短距離を主に走っていた。素人との出だしの速度には雲泥の差がある。

 

 予想通り、チェイスは10秒も経たずに終了した。

 

 大場の細い手を後ろから掴み、無理やり引っ張り上げる。

 

「ぐ!? は、離せこのイカれアル中がっ!!」

「あはははははは!! 残念だったな!! もう俺もお前もここで終わりなんだよッ!! 諦めて一緒に沈みやが──────」

「光ちゃん、避けてぇええええええええ!!」

 

 突如、部外者の声が聞こえ咄嗟に振り替える。

 

 闇夜を切りさく閃光が目を焼き、耳はバイク特有の重低音でかき乱される。

 

 あ、そう言えばバイクのキー差しっぱな───

 

************************************************************

 

 私は、あの男に恐怖していた。

 

『次見かけたら殺してやる』

 

 あの言葉と目が、脳裏から離れなかった。

 

 居ても立っても居られなくなった私は、その日の内に光ちゃんの賃貸に押しかけていた。あの男と西代桃に鉢合わせないように陸路を利用して。

 

 私の役目は本来ならあの男に西代桃の過去を暴露するだけで終わるはずだった。初めは仲違いを狙った暴露だと思っていたけれど、光ちゃんには言うにはどうやらそれは違うらしい。

 

 暴露すれば、あの女は自分の大切していた物を勝手に壊し始める。

 

 初手で決定的な楔を打ち込み最後は自分の手で終わらせてやるのだと、光ちゃんは楽しそうに語っていた。

 

『藤ちゃん、香川からだと特急料金と新幹線代が高くついたでしょ? 別に夜行バスとかでも良かったんじゃないっすか?』

 

 重要な役割を飛び越え駆け付けてしまった私を見て、光ちゃんは呆れながらも嬉しそうにしてくれる。

 

『そんな事はどうでもいいの。ねぇ本当にバレない? あの男に、光ちゃんの事』

 

 計画の成否や金銭の心配なんかよりも、私は光ちゃんの身をとにかく案じていた。明日の夜、彼女は自分を殺すと脅した男と2人きりで合う約束をしているのだから。

 

『あぁないないあり得ない。だってあの人、酒浸りで脳みそが働いてるのか怪しいくらいのクソ馬鹿っすから。あははははは!!』

 

 口調も、服装も、性格も、あの頃とは何もかもが変わってしまった親友は上機嫌に私の心配を笑い飛ばす。自分の計画に隙など針の先ほどにもないとばかりに。

 

『…………そっか』

 

 眼帯を付けている理由を隠すために変なキャラを演じ、口調すら元とはかけ離れた物へと矯正した彼女。その変化に少しだけ寂しさを感じながらも、自信のほどを見て安堵し、私は苦笑を返した。

 

『それに……バレた所でたぶん先輩は私を一旦は見逃してくれると思うっす』

『え?』

 

 光ちゃんは1つだけしか露出していない瞳を細め、どこか楽し気な表情で何もない中空を見つめ出す。それと同時に、テーブルの上にあった飲みかけの缶酎ハイに手を伸ばした。

 

『んっ、んっ、ふぅ……あの人、隠ぺい癖があるんっすよ。あの悪魔に私の事を知られるのを嫌がって自分一人で全部解決しようとするに決まってるっす。身内には死ぬほど甘いんっすよねぇ、パイセンって……』

『…………』

 

 光ちゃんの部屋には漆器の灰皿が置いてあった。

 

 中にあるのは5本の吸い殻。銘柄は良く知らないけれど、そこからは煙草らしくない甘ったるい匂いが漂っている。

 

『だから私への情が残っている混乱状態で交渉できれば余裕っすよ、余裕』

『………………』

 

 酒と煙草は、また1つ彼女が変わった証拠であるような気がした。

 

(情があるのは……案外、光ちゃんの方なんじゃないの?)

 

 胸に飛来した一抹の不安を私は口にはしなかった。

 

************************************************************

 

(どうしよう……どうしよう……)

 

 公園の外れにある茂みで身を隠していた藤田(ふじた)(しおり)は、友人の想定の甘さを指摘しなかった事を心の底から後悔していた。

 

 彼女の視線の先で、狂った男がナイフを持って親友へと迫っていたからだ。

 

(こ、このままじゃ光ちゃんが!!)

 

 藤田栞が思い出すのはあの日の惨劇。

 

 血が錯乱した赤い教室。赤鈍色の鋏と、血だまりの中で嘲笑う悪魔。

 

 地に伏したままピクリとも動かなくなった親友。

 

(何とか、何とかしないと……!!)

 

 あのような光景は2度と見たくない。その一心で、彼女は無我夢中でこの状況をなんとかできる何かを探す。

 

「ぁ」

 

 彼女の目に止まったのは路肩に止められていた一台のバイクだった。キーは刺さったままで、操作方法さえ知っていれば誰にでも使用できる状態。

 

「っ……!!」

 

 気が付けば彼女はバイクに跨り、フルスロットルでハンドルを回していた。

 

************************************************************

 

「……ちゃ……!! ふじ……!! 藤ちゃん!!」 

「ぅ? いっ……いたた……」

「おぉ!! 気が付いたっすか!!」

 

 大場光の強い呼びかけによって、気を失っていた藤田栞は目を覚ました。

 

「大丈夫っすか?」

「…………ひかり、ちゃん?」

 

 朦朧とする意識の中、藤田は目の前に挿し伸ばされた手を反射的に握り返し、ふらふらと立ち上がる。

 

「手……ありが、とう」

 

 藤田は覚醒した直後の機能していない頭で無意識に礼を述べた。

 

「いやいや、お礼を言うのはこっちの方っす」

「?」

「ナイスアシスト藤ちゃん!! おかげで助かったっすよ!! まさかリッターバイクで突撃を敢行するとは!!」

「え……?」

 

 彼女はそこでようやく振り返り、自分が何をしてしまったのか理解する。

 

「ぁ……あぁ」

 

 いつか見た血まみれの地獄とは、また違う地獄。

 

「あぁ、ああああああああああ……!!」

 

 血が付着し、無残に大破した大型バイク。それは地面へ接触した時の当たり所が悪かったのか、燃料タンクからガソリンが漏れ出していた。

 

 スパークで火が付いたのか、燃えるはずのないアスファルトの上では炎が轟々と燃え盛っている。

 

 煙の奥には倒れたままピクリとも動く気配のない人影。

 

 それは彼女にとって地獄と形容するしかない現場だった。

 

「わた、わたしっ……ひ、人を……人をっ」

 

 惨たらしい光景はただちに彼女の精神を引き裂こうとする。

 

「ん? あぁー……まぁそれは仕方なかったってやつじゃないっすか?」

「は、い?」

 

 そんな彼女を見かねて、大場は慰めの言葉を掛けようとした。

 

「ほら、先輩はナイフ持ってたんで正当防衛とかできっと無罪放免になるっすよ」

「で、でも、わ、わた、しっ……人を……人をころっ……殺して……!!」

「だから大丈夫っすよ。法廷では私がきちんと証言するっすから」

「ぃや、そんな……わた、わたし……!!」

 

 藤田栞は絶望のあまり再び地面に座り込む。

 

 今壊れかけている彼女と、もう既に壊れている彼女。当然の如く歯車はかみ合わない。大場の慰めは空回りをするだけだった。

 

「おぉ、よしよし。大丈夫、大丈夫っすから」

 

 それでも大場は友達に寄り添い、背に手を添える。自分のために勇気を出してくれた友人を精一杯労おうとした。

 

(……にしても、これからどうなるんっすかねぇ)

 

 心神喪失状態である藤田の背を摩りながら、大場はこの後の展望の不透明さを心の中でぼやく。

 

(仕方なかったとは言え、こんな形で…………あの女への復讐が終わっちゃうとは)

 

 ごくっ、ごくっ、ごくっ。

 

(ここからは報復から逃げ回るだけの詰まらなそうな展開になりそ、う………………は?)

 

 ごくっ、ごくっ、ごくっ。

 

 爆炎と煙の奥から、何かを飲む音が響く。

 

 それが酒であると彼女が気が付いたのは、背後で男が完全に立ち上がってからだった。

 

「う、そ……ですよね」

 

 燃え盛る炎が出す大量の煙の中には、どこか愉快なシルエットが浮かび上がっていた。

 

 西部劇に出てくるようなウイスキーボトルを高く掲げ、顎を反らしながら浴びるように酒を飲み下す、何か。

 

「ふ゛はっ…………ふっっかぁ~~~つ」

 

 黒煙を切り裂いてゆっくりと姿を見せたのはまさしく怪物だった。

 

 頭部からは大量の出血、太腿から折れた右足、炎に晒され火傷を負った肌。血が滲んでいない箇所の方が少ない真っ赤な手負いの獣。

 

「じ、陣内せんぱ、い?」

 

 問いかけに呼応するように、獣は立ち昇る煤煙も気にせず大きく息を吸い込んだ。

 

「お、ぉぉぉおぉぉおおおおおおばぁぁぁっぁぁっぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 空気を叩き壊すような咆哮が陽狂(ようきょう)を遥かに凌駕し炸裂する。

 

「──────っっ」

 

 瞬間、既に正気を失ったはずの心は芯から震えあがった。

 

「こぉぉろおおおおすぅぅぅうううう!! ふ゛っころしてやるよぉぉぉぉおおおお!! お、お、おぉぉぉおおばああああああああ!!」

 

 狂い叫びながら血をまき散らし、折れた足を引きずりながらも、獣は両目に殺意を宿し無理やり前へと進み始めた。

 

「は、はは……誰が……」

 

 大場光は自分の計画は間違っていなかったのだと確信する。

 

「誰が、貴方みたいな化け物と正面からやりあおうなんて思うんっすか」

 

 戦慄と畏怖。

 

 光を失う以上の恐怖などないと思っていた大場の認識はあの悪魔をも超える怪物の出現によって容易に塗り替えられた。

 

「はぁ……はぁ……テメェもだ腰巾着のクソチョーカー!! よくも、よくもやってくれたなぁ、あ゛゛ぁ゛!?」

「っひ……!?」

 

 怒号と共に尋常ではない殺意を向けられた藤田は小さな悲鳴と共に腰を抜かした。

 

「次会ったら殺すって言ったよなぁ!? 俺言ったよなぁ!? 宣言通りその首ナイフで掻っ切ってよぉおおおおお、あのメイクと同じ模様を刻んでやるよぉぉぉおおおおお!!」

「ぁ、ぁぁ……ぁぁぁぁ」

 

 発狂の標的となった彼女は恐怖のあまり涙を流し、水はけの悪いアスファルトの上に小さな水溜まりを作る。

 

「い、いやぁパイセンそれはちょっと……」

 

 友の失禁を見かねた大場は堪らず陣内からの視線を切るようにして口を挟む。

 

「この子は本当に無関係なんで見逃してあげてくださいよ? ね?」

「キ゛ャハハハハハ!! 嫌だね!! この俺にここまでやって無関係はねぇだろうが!! あ゛ぁ゛!?」

 

 完全に開き切った瞳孔は狂気に染まったそれであり、もはや優しき面影を崩壊させていた。

 

「あ、いや、それは…………はい、パイセンのおっしゃる通りっす」

「ひ、ひか、光ちゃん……!?」

「まぁまぁ藤ちゃん落ち着いて。とりあえずこの場に限ってはもう私たちの勝ちなんで、安心してくださいっす」

 

 大場はそう言って腰を抜かしてしまった藤田に肩を貸し無理やり立ち上がらせた。 

 

「それじゃパイセン、藤ちゃんが限界みたいなんで私たちはここら辺でおさらばっす!! お疲れさまでした!!」

「あ゛? ……はははははは!! おう、そうだな!? またなゴミども!! 今日は俺の負けだ!!」

「え? え?」

 

 狂気的な笑みで別れを告げあう化け物ども。未だ常人である藤田は2人の思考に付いて行けない。

 

「この足だからなぁ……ここは見逃がしてやるよ。だがどこに逃げようが、どこに隠れようが、俺は必ずお前たちを見つけだす。次会う時が楽しみだよな、大場ぁ!!」

「くひっ、ひひひ!! もちろんっすよ陣内先輩!!」

「ぁ、へ?」

 

 傍観者を置き去りにして狂気の波紋は共振し膨れ上がる。惹かれ高まっていくようにして2人は獰猛な笑みを突きつけあった。

 

「ひひひっ、救急車は早めに呼んでくださいね? もし死にでもしたらこちらが困るんで。あと、不躾なお願いなんっすけど……」

「あぁ言うな言うな分かってるって!! ちゃんと単独事故って事にしてやるよぉ!!」

 

 傷害未遂と正当防衛、裁判や情報の流布。この惨事は陣内にとっても大場にとっても単独事故で済ませた方が都合が良い。

 

「おぉ流石パイセン!! そんな重症でも冷静とか超クールっす!!」

「やた゛、むり、むりだって、こんなの…………ぁ、あたま゛、おかしくなる……」

 

 血と炎の地獄でその判断を一瞬で下した2人の狂気に、常人の藤田栞の心は悲鳴を上げていた。

 

「それと最後に!! 告白の返事は次会う時まで待っててあげるっす!!」

「あ゛ぁ゛?」

 

 精神崩壊を起こしそうな友人を引きずりながら、大場は肩越しに陣内へと微笑みかける。

 

「今のパイセンなら私、付き合ってあげてもいいっすよ!! 最高にぶっ飛んでて惚れ直しました!! 愛してるっす!!」

 

 去り際、大場は器用にも赤い義眼の瞼を閉じウインクを血塗れの彼にプレゼントした。当然、敗者はそれを挑発と認識する。

 

「ぶっ殺すぞッ!! こっちはお前なんてはなからお断りなんだよクソボケぇぇ!! 死ねぇ!! 今すぐ戻ってきて俺に殺されろぉおおおおお!!」

「あははははははは!! そう言うなら、次までにもっと素敵な断り文句を考えておいてくださいっす、先輩!!」

 

 そう言い残して、恐ろしい怪物()は闇夜に消えていった。

 

************************************************************

 

 パチパチとガソリンが未だ燃え盛る小道の真ん中。

 

 俺は痛みを感じない体に違和感を覚えながらも、去っていった大場の残滓を睨み続けていた。

 

「……ちっ」

 

 持っていたスキットルを近くの公園にある茂みに乱暴に放り投げる。

 

 この重症じゃあ酒気帯びチェックの前に緊急搬送だろうから飲酒運転は疑われないと思うが、まぁ念のためだ。

 

「………………はぁ、疲れた」

 

 至る所から血をゴポゴポと流しながらため息をつく。

 

「ちょっと……はしゃぎすぎた……」

 

 頭に昇った血を体に下ろしてやるため、俺は血が付着した煙草を取り出した。

 

 ズボンのポケットに入れていた100円ライターはバイクに突っ込まれた衝撃で皮膚に食い込み取れなくなっていたので近場で燃えてる炎を火種とする。

 

「すぅ……ふぅー……」

 

 血の味しかしないニコチンを噛みしめ、自己の内面に潜り込む。

 

(…………やられたな。覚悟が足りなかった)

 

 大声で必死に威嚇しまくったものの、結局は大場に逃げられ、体はこのありさま。

 

 大敗だ。全ての因果を断ち切れる瀬戸際だったというのに、情けない限りだ。

 

 敗因は果たすべき責任から一瞬でも逃げようとした事だろう。あんな事で悩まず、電光石火のような暴力で決着を付けていれば俺の勝ちだった。

 

(どうしようもないクズが……好きで背負ったはずなのに、被害者面してよ…………頭に蛆でも湧いてんのか?)

 

 だが幸いな事に、今も吹き続けている吹雪のおかげで心も体も固く凍りついている。これでもう弱音なんて2度と吐くことはないだろう。

 

 次は、必ず仕留められる。

 

「……さて、そろそろ呼ばないと死ぬな」

 

 懐のスマホを取り出す。画面全体にひびが走っていたが、上着に仕舞っていたおかげで電源はまだついてくれた。

 

「あぁもしもし救急ですか? すいません、バイクで転んじゃ、って。場所は経高公園の近く……で……?」

 

 カクンと、捻じ曲がっていない方の膝が落ちる。

 

 体を支えようと地面に手をつこうとしたが、失敗して前のめりに倒れこんだ。

 

(あぁ……)

 

 体から急速に力が失われていく。声を上げようとしてみたが、あえなく失敗した。

 

(おれ、は……)

 

 薄れていく意識の中、自分の弱さを嫌悪する。

 

(おれは……すきで…………せおったん…………だから……もっと、もっと…………がんばらな、い…………と)

 

 意識は闇に飲まれ、底が見えない深淵へと溶けていった。

 

 

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