ケータリングとは。
料理人に高額な依頼量を支払い、自宅、会社、公共施設などといった飲食店以外の場所で料理を作って貰えるサービスの事である。
そこに呼ばれるのは三ツ星相当の腕前を持った一流の料理人たち。提供される料理の質は東京都内の高級レストランと何ら遜色ないレベル。
そんな庶民には縁遠いサービスを、本日はとある地方の豪族が利用している。下々が暮らす住宅地よりも1つ上の立地に建てられた丘上の大きな豪邸の一室では創意工夫が凝らされた皿がゲストに提供されていた。
「はぁ……なんだかな」
西代桃は慣れた手つきでフォークを使いながら、誰もが羨む高級フレンチを前にため息をつく。
「あら、口に合わなかったかしら?」
娘のぼやきに同卓している母親が反応する。
西代
「いや、美味しいんだけど昔から肩が凝るんだよね……こういうの」
彼女が食事に不満を漏らすのは稀である。それが両親の前なら尚更の事。
だが今朝届いた陣内梅治からの事故報告が彼女の苛立ちを加速させ、思わず愚痴を溢させた。
『バイクで転んで太腿が折れた。大した怪我じゃないから見舞いは別にいい。特に安瀬と西代は帰省してて遠いからマジで大丈夫』という大雑把な報告だ。
本当は彼の言葉など無視して駆けつけたい所存であっただろうが、この連休は彼女の両親が日本に帰って来ていた。
怪我をしたが命に別状はない想い人と、偶にしか会えない肉親。彼女の中ではどちらも捨てがたい物である。
結果、西代は冷静に両親を優先することにした。間が悪かった、という言葉でなんとか自分に折り合いを付ける。
ただ、その想い人への心配は目の前の料理に愚痴を溢させた本質ではない。
『安瀬はともかく、猫屋は絶対に見舞いに行った』『なんであれ怪我は猫屋と陣内君を縛る鎖だ』『彼女は甲斐甲斐しく看病をするだろう』『あぁ想像するだけでイライラする』『これでまた1つ、僕は遅れた』『ただでさえ一番遅くこの気持ちを自覚してしまったというのに』といった暗雲を胸中で勝手に膨れ上がらせた結果であった。
「…………」
静かに頭を振り、西代は邪念を振り払う。今は両親との食事中。専心を向ける事柄が違っていると思い直す。
「僕、たまには母さんの手料理とか食べてみたいかも。よく考えたら食べた事ないからさ」
「……ごめんなさい桃。母さん、包丁なんて人生で握った事ないの。恐らくとんでもない物ができると思うわ。とても口にできないレベルの」
「だからこそ面白いと思うんだけどね。後世に言い伝えられるほどの品が出来上がりそうで」
母親の申し訳なさそうな視線に、桃は優しくて意地悪な物を贈り返す。
視線での軽い甘噛みを受け、西代梨鈴は肩の力を抜いて苦笑を漏らした。
「ふふっ、母親の手料理を見世物にしようとしないでちょうだい。あぁそれと、気に入らないのならそのお皿下げさせましょうか?」
「いいよ。これはこれでワインが進むし」
西代はそう言ってグラス内のワインを香りを際立たせるために回してから少量を口に含む。普段なら瓶に直接口を付け内容量の半分を流し込む彼女であったが、両親の前では流石にそのような下品な行為は控えた。
「ん、ふぅ……この赤ワイン美味しいね。どこのやつ? フランス?」
「さぁ忘れてしまったわ。田舎の葡萄畑にあるワイナリーにふらっと寄って、適当に買ったのよ。甘くない物だけれど口に合ったようで良かったわ」
「うん、程よく渋みがあって飲みごたえがあるよ。気に入ったよ」
「…………あなた、良い酒飲みに育ったわよね、本当に」
重みあるワインの感想に、感心を含んだ本音が零れた。
西代桃がお酒を飲み始めてまだ2年も経っていない。ふれあいの少なさ故か食事の在り方では未だにちぐはぐな2人であったが酒の趣向については時間を超越して既に似た価値観を形成していた。
(どう考えても彼の仕業よね)
西代梨鈴の脳内に浮かんだのは1人の青年。離島で作られているジンを一口で言い当て、親権を賭けるという異常な博打で勝利を掻っ浚っていった自称、娘の友人。
(煮え切らない所が見受けられるけど実際の所はどうなっているのかしら?)
アウトロー気質なのは言うまでもないが、そこは娘も同じ。隣同士に立つ姿を想像すればよく整った名画になる。
しかし陣内梅治の一歩身を引いた態度が西代梨鈴の鑑定を不透明にしていた。
「…………俺もワインを一本買ってきた。食後、一緒にどうだ?」
母親もいれば、当然父親もいる。
西代梨鈴が思案していた空白を縫うようにして西代
「えぇ? 父さんの目利き? 普段はお酒飲まないでしょ? 大丈夫かなぁ」
「意地悪を言わないでくれ。詳しくないとは言え、色々と試飲してから選らんだんだ。きっと口に合うと思う」
「へぇ、それは楽しみかも。そうだ、どうせなら今日はワインの飲み比べでもしようよ。地下のワインセラーに母さんのコレクションが秘蔵されてたよね? あれ、何本か空けちゃおう」
「あぁそうだな。そうしよう」
「え、ちょっと、あそこにあるのは」
「いいじゃないか、梨鈴。偶の事だ」
「……もう、仕方ないわね」
「ふふふっ、ありがとう」
西代桃の父母への甘え方は昔からこうであった。
彼女は幼き頃から我儘を言う事はなかったが、いつもじゃれつくような言動を好んだ。少しだけ小生意気に振る舞い、それを享受される事に安心を覚えて満足するように微笑を浮かべる。
聞き分けはよいが、時に意地悪で可愛らしい。
西代夫妻は娘のこの捻くれた茶目っ気が大好きだった。娘が成人を迎えてもそれは変わらず、未だに目に入れても痛くないほどに愛している。
「あ、ごめん父さん母さん。深くお酒が入る前に、ちょっといいかな?」
「ん? なぁに桃?」
「2人に個別でお願いがあってね」
「…………珍しいな」
意外そうにして五歛はそう呟いた。
年に数回しか会わないような親子間であったため西代夫妻は帰省の折には、その潤沢な資金を持って娘の願い事を聞いてあげようと決めていた。傍に居られない彼らなりの罪滅ぼし。金銭で愛情を買うようで後ろめたい気持ちはあったが、それぐらいしか仕事に追われる彼らには娘に与えられる物がなかったのだ。
だが西代桃が自分から両親に何かをねだる事はほとんどなかった。おもちゃ、ゲーム、お菓子、そんな物よりも両親から外国や仕事の話を聞いたり、自分の事を話すのが彼女の幸せであったからだ。
他にも、彼女の祖父が孫娘に甘かったという事も理由としてあげられる。
「珍しい? あぁたしかにそうかも。どうしても欲しい物があった時って僕いつもお爺様に相談するようにしてたから」
「そう、か。親父にか」
「うん」
五歛は複雑な心中を表情には出さずに押し止める。
彼は幼少期、父親のせいで中々に酷い目にあってきた。無数の側室が織りなすドロドロの家庭環境、次期跡取りとしての詰め込み教育、挙句の果てには政敵からの営利誘拐まで多種多様。
実はその誘拐は事前に計画が垣蔵にはバレており、逆に政敵に弱みを作らせるためわざと泳がせ誘拐させたものであると高校生の五歛が知った時、彼はヴァイオリンだけを担いで家を出たのだ。
五歛が父親を恨むのにはこのような背景があり、未だにその禍根は残っている。
しかし娘の面倒を見てくれた点についてだけ、彼は感謝していた。それが五歛が胸中が複雑になってしまった理由である。
「実は今回もお爺様に先に頼んだんだけど、何故か爆笑しながら断られてね。『それは両親に頼んだ方がいいんじゃないか?』なんて言われちゃった」
「は? 親父が?」
「うん。だからね、おねがい父さん」
媚び甘える声音で父親を呼びながら西代は一度だけ瞳を瞬く。
「お小遣いくれない? 300万ほど」
プロジェクターが切り替わるようにして、黒い瞳は周囲の光を奪いながら沈み込む深い蒼へと変貌した。
「……え? 300万?」
急に提示された額の大きさに五歛はオウム返しで聞き返してしまう。
だが桃はそれには反応せず今度は母親の方へと視線を移す。
「母さんはこのお盆中、買い物に付き合ってくれない? 流行のファッションとか化粧品とかに僕は疎いから、色々と教えて欲しいな」
「…………え!? ぇ!? えぇぇえええ!? ショッピング!? 桃が!? 私と!?」
娘のお願い事に父親以上に母親は驚く。
西代桃は服装や化粧については非常に無頓着だった。どこを切り取っても整っている外見をしているというのに幼少期から着飾るという行為に興味を持たなかった。
原石のまま磨かれていない宝石を前にして、美術商である母親はなんとかして娘を飾り付けようとした。だがそれらは徒労に終わっている。帰省するたびにプレゼントしていた衣服は一度だけ着られた後、そのまま箪笥の肥やしになっている。
そんな飾り立てのないさっぱりと娘が、自分からファッションのご教授を頼んできた。彼女にとってこれは300万などのお小遣いよりも驚嘆に値する事件であった。
「は、ははは、そんなに驚かれる事かな? いや、今までの僕の性格からしてそりゃあそうだよね。自分の事ながら呆れるよ、はは……」
軽くため息を付きながら西代桃は肩をすくめる。その態度を見て、西代夫妻は冗談や酔狂で娘がこのようなお願いをしているのではないと察した。
「なぁ、桃」
未だに呆気取られている母親の代わりに、先んじて五歛が疑問府を浮かべる。
「そのお小遣いは服とかに使うつもりなのか? いや別に300万程度どうでもいいが…………随分と急だな?」
「ほ、本当にそうよ!! いやいや私も喜んで付き合うけれどね!? 桃と一緒に服を選ぶなんて積年の夢ですっごく楽しそ…………いやそれよりも本当にどうしたのよ!?」
「それは……えっと」
両親の追及を受け、西代は言いづらいなと頬を掻く。だが暫く俊住したのちに、控えめに口を開いた。
「き、気になる人がいて……さ。だから、まぁ、そう言う事……」
「「っっっ!!」」
頬を赤く染め恥ずかしがる娘を見て西代夫妻に電流が走る。
両者に落ちた雷は同じ威力であったが、その反応は全く別物となった。
母親の方はあらあらまぁまぁと楽し気な含み笑いを浮かべ、父親の方はうごごごごごぉぉぉぉぉぉっっと両手で頭を抱え机に突っ伏した。当然、こう言われて2人が思い描く娘の想い人とは陣内何某の事である。
(あ、あ、あの野郎……!! 何が、娘さんとは、ただの友達だ。しっかりと桃を
(ふふ、ふふふ。どうにも煮え切らない態度だったと思ってたけど……そゆこと。本人がやけに桃を大切にしてるようだから勘違いしちゃってたわぁ。桃の方が、彼を好きなのね。随分と絶妙な配色をしてるじゃない、この2人)
「?」
吐きそうな父と美しい絵画を目の前にしたような母。
頂点と最下層と言える反応の違いを前に、西代は思わず首を傾げる。
「あの、父さん? どうしたの?」
「…………わ、悪い。少し、驚いてな。あ、あぁ、でも、大丈夫だ。お、お、お、お小遣い、は、ちゃんと、出すから」
五歛は親としてのプライドをなんとか捻り出す。初めて娘が口にする我儘らしい我儘。叶えなければ親とは言えない。
「本当? あぁ良かった……お爺様に断られるとは思ってなかったから、お父さんだけが頼りだったんだ。ありがとうね」
「い、いや、これくらい、全然平気……だ」
「母さんも大丈夫かな? 折角のお休みに、僕に付き合って貰っちゃって」
「いいのいいの!! 全然いいのよ桃!!」
下痢を我慢しているような五歛とは真逆のペカーっと眩い微笑みが室内を明るく照らす。
「むしろ私の方が大丈夫かしらぁ!! まだまだ若いって言われるけど、もう立派なおばさんですものぉ、私!! 桃のお眼鏡に叶うかしらぁ!!」
「はぁ、何を言ってるんだか。百戦錬磨でしょ? そういうの」
「ふふ、ふふふふふふふふふふ」
審美眼と文化理解において美術商の右に出る物はいない。顧客が何を見て感動するかを推し量る職業。無論、資産運用を目的とした顧客を相手取る事が常だがそれは美的価値を保証する感性と知識が土台としてあってこそ成り立つ物。
西代梨鈴に掛かれば今の若者が好みそうなファッションカルチャーなど一晩あれば網羅でき、あとはその中で娘が一番輝く物を選び出す楽しい作業となる。
「さぁどういった服を揃えようかしら!! 私が勝手に想像するに意中の彼は自然なフリルが風でなびくようなザ・女の子って服装が好みだと思うのだけれど!!」
「えぇ? 僕、あんまり派手なのは苦手なんだけど」
「あらそう? まぁ桃がそういうのなら清楚にまとめて見ようかしら。あぁでもでもガラッと印象を変えてみるのもいいと──」
「………………ぐ、むぅ」
娘と妻が楽し気に会話を弾ませている中、西代五歛は眉間に皺を寄せ、嵐が過ぎ去るのを待つように身動ぎを封じ込める。
(む、娘が、ろくでもない男のために着飾ろうとする金を俺が払う? 世の父親は、娘が就労するまで常にこんな心労に晒されているのか……)
どこか世俗から離れた思考に苛まれながらも、彼は一気に酒を口に運び、苦痛な時間を耐え忍ぶ。
なお、この食事会の内容を人伝に聞いた東城垣蔵は老体であることも気にせず高らかに笑い続けたのだとか。