こましゃくれり!!   作:屁負比丘尼

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大切なものはなんだ

 

 俺と由香里の出会いは小学校からだ。小さい頃から仲が良くて一緒に遊んでいた。

よく笑う明るいやつで、一緒にいると楽しかった。

 

 中学に入ると思春期真っ盛りのませたクソガキだった俺は、彼女を好きになり意を決して告白した。心臓が破裂するのではないかと本気で思うほど緊張した。

由香里の返事は『嬉しい!』だった。あの日は俺も泣くほど嬉しかったのを覚えている。彼女を大切にしようと思った。

 

 高校に入っても俺たちの交際は続いていた。周りからは仲の良いカップルだと頻繁に茶化されたものだ。だが本当に幸せだった。夏には海に行って、冬には遊園地。デートは数えきれないほどした。高校3年間で山ほどの思い出を彼女と積み上げた。

この先も、二人はずっと一緒だと思っていた。

 

 だが、大学に進学する際に少し問題が起きた。俺の受験が失敗したのだ。

 

 由香里は俺よりもかなり成績が良く、親からは地元の国公立を受験する事を期待されていた。俺は彼女と同じ大学に入りたく、無理をして志望校を同じにしたのだ。しかし、俺の頭では難しかったようで、由香里は無事に合格したが、俺は落ちた。

 

 俺は浪人させて欲しいと親に頭を下げた。どうしても彼女と同じ大学でキャンパスライフを送りたかったからだ。両親は快く許してくれた。お金を出して予備校にも通わせてくれたので、感謝しかない。

 

 由香里は当然、先に大学に通いだした。『先輩になって待ってるよ!』っと明るく笑う彼女。そう言ってくれた彼女に感謝し、俺は勉強に専念した。

そのためデートの数は少し減ったがそれでも二人の仲は変わらなかった。

 

 そして、事件は2度目の受験の1週間前。由香里の部屋で起きた。

 

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 俺は久しぶりに由香里に会いに行った。最近は受験勉強ばかりで彼女とはあまり遊べていなかった。まぁ受験目前なので当然だ。俺もその日は長居する気はなく、勉強の息抜きに彼女に一目会いたかったのだ。

 

 由香里の家に行くと、ちょうど玄関口で彼女の両親と出会った。どこかに出かけるところのようだった。俺は両親に挨拶をして、由香里はいますか? と尋ねた。

『今はいないがもうすぐ大学から帰ってくるはず、部屋に上がって待ってていいよ』とのことだった。俺は彼女の両親とは仲が良く、信頼されていた。俺はお言葉に甘えて、由香里の部屋にあがった。

 

 そこで、ある悪戯心が芽生えた。由香里は俺が部屋に来ているのを知らない。クローゼットに隠れて脅かしてやろう、と。俺と由香里は本当に仲が良かった。それくらいのイタズラなら許しくれるし、むしろ笑ってくれるだろうと思った。そんな事を考えて、俺はクローゼットに隠れて彼女の帰宅を待った。

 

 10分もしない内に彼女が帰ってくる。部屋の外から玄関の開く音が聞こえてきた。だが俺は不思議な事に気づいた。()()()()()()()。二人分の足音が俺には聞こえた。

 

 俺の疑問の答えはすぐに解決する。由香里が()()()()()と一緒に部屋に帰って来た。困惑する俺。大学での友人であろうか。だが、二人きりで部屋で遊ぶほど仲の良い男友達がいるなど俺は聞いていない。呆気に取られている俺を置いて、事態は進んで行く。

 

 彼女らは俺が隠れているのも知らずに、ベッドに座り……

 

 馬鍬(まぐわ)い始めた。

 

 意味が分からなかった。クローゼットの隙間から見える、最愛の恋人に覆いかぶさる俺以外の男。脳がその光景を処理できない。まるでどこか遠い国の映像を見せられているようだった。

 

 俺はその場で放心状態に陥っていた。頭に強烈な電流が撃ち込まれたように、身動き一つ取れなかった。目に入ってくる、生々しい交わり。耳から聞こえる、よく知った由香里の声。それらが俺を拘束するように絡みついた。

 

 結局、俺はその情交を最初から最後まで黙って見ていた。

 

 そこから、どうやって家に帰ったかは記憶にない。恐らく、行為に疲れた二人の目を盗んで逃げてきたのだろう。家に帰宅し、ベッドに横になって、俺はようやく先ほどの光景が理解できた。俺は中学生の頃から愛した恋人に裏切られた。

()()()()()()()()()()()()

 

 その事に気づいた俺は大声をあげて泣いた。苦しくて、辛くてどうにかなりそうだった。今さらになって、先ほどの光景が何度も頭の中でフラッシュバックした。

 

 自暴自棄になった俺はその光景を消してしまいたくて、冷蔵庫にあった父親の酒を全て飲んだ。俺の両親もその時いなかった。誰も俺の暴走を止める者はいない。

尋常じゃない量の酒を飲んで、血が出るまで何度も吐いた。

 

 6年間の綺麗な思い出。

それを全て、吐しゃ物に変えてぶちまけた。

 

 恐らく、この時の暴飲が原因で俺は今の体質になった。

 

 全てを吐き終え疲れ切った俺は受験を目前にしているにも関わらず、何もしないで泥のように眠った。

 

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 まだこの話には続きがある。

 

 俺は翌日、由香里を近くの公園に呼び出した。

気分は悪かったし、ストレスか酒を飲んだせいか頭痛も酷かった。だがどうしても、彼女の口から昨日の事について詳しく聞きたかったからだ。

 

 別れ話になる事は覚悟していた。

 

 由香里は指定した時間通りに公園に現れた。まだ、俺に浮気がばれていないと思っているのか、何故このような場所に呼び出されたか不思議そうだった。

 

 俺は浮気の現場を目撃した事を、彼女に告げた。

怒りはあった。だがそれよりも『どうして?』という気持ちが強かった。彼女の胸の内が聞きたかった。

 

 結果、俺は支離滅裂な罵倒を受けた。

 

 気が狂ったように、がなりたてる彼女。

『部屋に勝手に入って最低』『黙って見るなんて気持ち悪い』『浮気の原因はお前だ』『私は寂しい思いをした』『お前が受験に落ちたのが悪い』『私は悪くない』

彼女の自分勝手な主張。

 

 俺は女性のヒステリーというのを生まれて初めて経験した。

 

 俺は本当に愚かだった。普段は優しい由香里からはかけ離れた怒り狂う姿。それに圧倒されて、()()()()()()()のだ。確かに、受験に失敗したのは俺の過失。寂しい思いをさせていたのも知っていたし、いつも申し訳ないと思っていた。

 

 だが、浮気の非があるのは由香里だ。俺は何一つ悪くないはずなのに。

 

 人格まで否定され、何故か俺が謝り、その場は解散になった。

彼女とはそのまま音信不通となり、恋人関係は幻のように消えてなくなった。

 

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 1週間後の受験当日。俺は受験会場で試験を受けていた。カリカリと周りで受験生たちが必死に手を動かす。しかし、俺の手は全く動いていなかった。

 

 問題に向き合う俺は、自分が何のために頑張っていたのか分からなくなった。自分の為? 違う。夢見た恋人との楽しいキャンパスライフはもうあり得ない。ならここにいる意味はなんだ? 由香里と同じ大学の試験を受ける意味は? なぜあの時、俺は謝った? 本当に俺が悪いと思ったからか? 憎しみが籠った彼女の糾弾が怖かったからか? なら、ここで合格して何になる? また由香里と顔を合わすことになるぞ? 弱い俺にそんな事耐えられるのか? 由香里と会うのはいやだ。いやだ……いやだ…………

 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!! 嫌だ!! 嫌だ!!!!

 

 ザザザザァァァァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!

 

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 気づいたときには、病院のベッドの上だった。

過呼吸を起こして倒れたらしい。

 

 情けなかった、…………悔しい。

 

 俺はベッドの上で、惨めにまた泣いた。

 

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 佐藤甘利の研究室。そこで、安瀬と西代は黙って佇んでいた。外ではまだ文化祭を楽しんでいる人たちの笑い声が聞こえている。しかし、外の雰囲気と二人の表情はまるで真逆のものであった。

 

 ガラッと、ドアが開かれた。佐藤甘利が帰ってきたのではない。彼女はいま出張中。そこにいたのは猫屋だった。目の端が少し赤い。

 

「猫屋……その…………陣内君は?」

「…………」

 

 彼女は何も言わずに首を振った。

 

「そう、であるか」

 

 三人に重い沈黙が流れる。陣内の事を深く心配していた。

病的に青白くなった陣内の顔。どれだけ酒を飲んで二日酔いになろうと、あんな彼の顔を三人は見たことはなかった。

 

「猫屋…………お主、何か事情を知っておらんか?」

 

 安瀬が猫屋に問いかける。彼女は陣内が過呼吸に陥った際に、猫屋が『何もっ』と言っていたのを思い出していた。

 

 安瀬はその言葉に違和感を感じていた。陣内の異変は急に起こった。『どうしたの?』なら分かる。しかし、それはまるで()()()()()()()()()()()()()()事を後悔しているといった風に聞こえた。

 

「あ、……その……」

「何か知ってるなら、僕達にも話してくれないか? 頼むよ……」

 

 言い渋る猫屋。それを見た西代が彼女に(すが)るようお願いする。

 

「…………」

 

 猫屋は悩んでいた。プライベートな事だ。話してしまい、さらに陣内を傷つけることにならないかを恐れていた。ただ、迷いは一瞬のものであった。彼女達なら不甲斐ない自分なんかより、頼りになって信頼できる。猫屋はそう思い、ポツポツと事情を話し出す。

 

「私も詳しくは知らない。昔に彼女がいて、浮気されて、酷い振られ方をしたって」

「浮気に、()()()()()()……であるか」

「それが原因で、お酒飲むと性欲が湧かくなったらしい……」

「陣内君の体質はそういう……」

 

 群馬の旅行の際、あれだけの精力剤を盛ったのになぜか陣内は興奮状態にはならなかった。その理由が判明した。

 

 精神が変調するほどの衝撃があったのだ。そして、恋人に再会しだけで過呼吸を起こすほどのトラウマが彼の中には存在した。

 

「それが、あの由香里という女のせいでありんすか」

「たぶん、そうだと思う……」

 

 西代が窓から外を眺めだした。何かを探しているようだった。

 

「……いた、ステージ前だ。今日の応援作業は終わったのかな、随分と楽しそうに笑ってるよ」

 

 西代はその驚異的な視力で、群衆の中から由香里と呼ばれていた女を発見する。

 

「ハハハっ、……笑っている、でありんすか?」

 

 安瀬の乾いた笑い声が響く。ただし、その目は一切笑ってはいない。

 

「あぁ、彼氏と一緒に」

「…………ッ!!」

 

 バンッ!! っと力強く猫屋が机を叩く。

右肘の古傷など、彼女はまるで気にも留めていなかった。

 

 その顔は怒りに打ちひしがれていた。どんなことがあったのかは知らない。

ただ、浮気しておいてヘラヘラしながら陣内に近づいて、おまけに自分は新しい彼氏と仲良くデート……? 彼女の胸の内がどす黒く染まっていく。

 

「……ぶっ殺す。(おもて)を歩けなくしてやるッ!」

 

 その言葉には殺意が籠っていた。大切な友と自分の両方を汚く侮辱されたと猫屋は感じていた。

 

「恥知らずというのなら、どのような(はずかし)めを受けようと問題はあるまい。泣き叫んでも決して許さん」

 

 安瀬は青ざめた陣内の顔を思い出し決意を固める。安瀬にとって陣内は特別な存在であった。

 

「復讐は前に進むために必要な儀式だ。僕は例外なくそうしてきた、今回もだ」

 

 西代は自身の正当性を説いた。今はこの場にいない友の為、正義の剣を残虐に振るう事を心に決める。

 

 三女は何も言わずに懐から煙草を取り出し火をつけた。

研究室内は禁煙だが、怒りに染まった彼女らにそんな事を気にする余裕はなかった。

 

 立ち昇る紫煙は開戦の狼煙。復讐と報復は確実に決行されるだろう。

 

************************************************************

 

 俺はベッドの上で目を覚ました。あの後、猫屋から逃げるように帰宅した俺は大量の酒と煙草を摂取して、気絶するように眠った。

 

 頭が少し痛いが酒のせいではない。過呼吸による弊害だろう。

 

「いま……何時だ?」

 

 ベッドの隅にある目覚まし時計を見る。時刻は午後9時。どうりで外は真っ暗だ。

眠って一旦落ち着いたおかげか、胸の中で渦巻くような複雑な感情は軽くなった。

 

「…………」

 

 だが今日の出来事を思い出すと、再び胸が苦しくなる。

俺と由香里の事はいい。アレは俺自身の問題だ。

 

 猫屋の手を振り払ってしまったことだけが気がかりだ。彼女の傷ついた表情が脳裏に焼き付いている。

 

「ちゃんと謝らないとな……」

 

 明日、大学に行って彼女に頭を下げよう。

いや、そうだった。ビンゴカードの入力作業が今日の夜あるんだ。

今からでも手伝いに行こう。そこで彼女に本気で謝ろう。安瀬と西代にもお礼を言わないと。俺のせいで皆で準備した計画に迷惑を掛けたくない。

 

『私ね! 今年から大学の学祭実行サークルに入ったの。だから今日はこの大学の応援に参加してるんだ!』

 

 明日も大学に行くのか? 由香里とまた会うかもしれないのに?

 

 ザァァァアア! と嫌な記憶とともに雑音が流れた。キンキンと眩暈がする。

胸が締め付けられるように痛く、気分も悪い。

 

「……情けない」

 

 猫屋に明日になったら平気と言った。ただ、由香里がいるとなると平気ではいられないかもしれない。弱い自分が本当に嫌になる。

 

 入力作業だけ手伝いに行こう。そして、明日の文化祭に行くのはやめておこう。また過呼吸でも起こして今度は騒ぎになったら、こっそりとカードを集める俺たちの計画も破綻する。

 

 俺は安瀬たちに連絡するためにスマホを手に取った。

 

「……ん?」

 

 そこには一件の新着メッセージと動画が送られていた。

メッセージは『見てね☆』っと動画の視聴を促す物であった。

 

「なんだ……?」

 

 俺はとりあえず動画の再生ボタンを押した。動画が長いのか読み込みは遅く、30秒程度待ってから再生が始まった。

 

『大爆走! トイレを求めて三千里!!』

 

 ババーーンっ! というふざけたSEとともに、動画のタイトルと思われるテロップが表示された。

 

「え? なんだこれ……?」

 

 俺が意味も分からずに困惑していると、なぜかスーツ姿の安瀬がマイクを持って画面に現れた。

 

「はい! 始めりました、トイレを求めて三千里!! 実況、解説、撮影をすべて任されている、みんな大好き安瀬桜でありんす!!」

 

 番組キャスターを思わせる謎の口調で話す安瀬。

は? な、なにが始まろうとしてるんだ……?

 

「本企画の挑戦者は……苗字は知らんが、名は由香里とかいうゴミ女じゃ!!」

 

 そう言うと、動画の映像が急に乱れた。

そして、彼氏と一緒に飲み物を飲んでいる由香里が映し出された。

 

 心臓がドクンっとはねた。由香里を見たからだ。

安瀬は由香里の事をゴミ女と言った。彼女が俺の元恋人であることを知っているようだ。恐らく猫屋が話したのだろう。それは構わない。

 

 だが、いったい何をする気なんだ? 挑戦者とは?

 

「いま、奴が飲んでいるのは西代が実行委員に偽装して『文化祭応援のお礼に』と手渡したホットワインである」

「西代が……?」

 

 何故、委員に偽装してまで由香里に飲み物を?

 

「あの中には、()()()()()()をたっぷり入れてるでやんす……!」

「はぁ!!??」

 

 俺はあまりの突拍子の無さに大声で叫んだ。

 

「さて、今回のルールは簡単じゃ。由香里とやらが無事にトイレまでたどり着ければ彼女の勝ち。そして脱糞すれば我らの勝ちじゃ」

 

 おいまて、なんか凄い事言いだしたぞコイツ!!

 

「もちろん、拙者たちは全力で妨害するぜよ! 猫屋なんかは珍しくブチ切れてたからの…………我もじゃが。まぁ、今から楽しみにしておいて欲しいである!!」

 

 俺の寝ている間に恐ろしいことが起こっていたようだ。

 

「おっと、長々と解説している内に挑戦者の顔色が悪くなってきたようじゃの」

 

 ジジッっとカメラが由香里の顔を大きく映した。安瀬の言う通り、彼女の顔色が青紫色に変わり、冷や汗を流し始める。彼氏に何かを話し、由香里は足早に走り去っていく。

 

 それを追って安瀬も走り出した。どうやら前に肝試しをした時に使った小型カメラで撮影しているようだ。走っていると画面が揺れてまともに撮影できていない。

 

 それでも安瀬は走りながら解説を続ける。

 

「大学本館は防犯の都合で1階のみの解放。そして、1階の女子トイレは今日はずっと混みあっておる。確実に10分以上は並ぶことになるでやんす」

 

 由香里が本館のトイレにたどり着いた。ただそこには、安瀬の言うように長蛇の列ができている。由香里の顔が苦痛に歪んでいる。今にも漏らしそうなのだろう。

 

「となると、ここから一番近いのは教授棟の中にあるトイレでありんす。あそこは教授たちの仕事場である故、今日も解放されておる」

 

 確かに、その通りだ。だが、他大の生徒である由香里がそれを知っているのか?

 

「彼女は文化祭の応援として来たようでござる。実行委員から緊急時のトイレの場所を聞いている可能性はある……もし聞いていたのなら面白い物が見れるぜよ」

 

 安瀬の言ったように、由香里は何かを思い出したように走り出した。

教授練に向かっているようだった。

 

「ふ、ふふふ。計画通りであるな……」

 

 恐るべし安瀬の企画力。由香里はまるで糸で操られた人形のように誘導されていた。

 

 由香里が教授練まで辿り着き、自動ドアをくぐる。教授たちは自室にこもって仕事をしているため、教授練の長い廊下には誰もいない。トイレは廊下の途中にあった。

 

「まず第一の仕掛けじゃが、まぁシンプルに……ワックスとローションじゃ」

 

 その時、つるっと由香里が転んだ。バタンっと大きな音が響く。

そのまま廊下を滑走していき、トイレを取り越し、()()()廊下の突き当りに置いてあったペンキ缶の山に突っ込んだ。

 

「きゃっぁぁぁああああああああああ!!??」

 

「おぉ、何とも胸がすくような悲鳴じゃわい」

 

 由香里は様々な色のペンキを頭から被ってしまい、なんか現代アートみたいになっていた。クツクツと笑いながら隠れてその姿を盗撮する安瀬。

 

「なんなのよ!! 一体!! ……っぐ!?」

 

 当たり前だが滅茶苦茶怒っているな、由香里。しかも漏れそうにしてお腹を押さえている。怒りながらなんとか立ち上がった彼女は廊下を這うようにしてトイレに向かっている。

 

「うむ、実に無様でありんす」

「そーねー」

 

 いつの間にか、安瀬の横には猫屋がいた。

猫屋は何故か口元に布を巻いている。

 

「やっほー? 陣内見てるー?」

 

 猫屋がカメラに手を振ってくる。今の現状には全然あっていない声音だった。

 

「あの女子トイレの個室はぜーんぶ、私が先回りして内側から鍵かけてるんだー」

「おいおい、マジかよ」

 

 恐るべき事実を飄々とした口調で語る彼女。つまり、あのトイレは由香里にとって偽りのゴールとなっているようだ。そうとも知らずにトイレに入っていく由香里。

 

「じゃあ、手筈通りに()()投げ込んでくるー」

「行ってらっしゃいでやんす」

 

 そう言って、猫屋が取り出したのは爆弾としか形容できない何かだった。丸く包装紙に包まれており、導線のような紐が伸びている。それにジッポで火をつけると、猫屋は本当に爆弾をトイレに投げ込みに行った。

 

「あぁ、この動画を見てる陣内よ。安心してくりゃれ。あれは花火と爆竹と煙玉と胡椒と七味と催涙スプレーを適当に詰めた物でありんすから」

「いや、多すぎだろ。何も安心できねぇよ」

 

 俺は思わず画面内の安瀬に対してツッコミを入れる。彼女が語っているのは、純然たるただの凶器だった。

 

ボンッ!! ボンッ!! ピューーーっ!! ババババッ!!!

 

「ぎゃぁぁああああああああああああーーーー!!??」

 

 そうして、爆弾は起爆したようだ。由香里の絶叫が聞こえてくる。

花火の綺麗な光と、異常に赤い煙が女子トイレから漏れ出した。

 

「ふぅー、ただいまー」

「おかえりでありんす」

 

 猫屋が一仕事終えてスッキリしたような顔で帰ってくる。

トイレ内は未だに阿鼻叫喚の渦だろう。ビカビカっ! と緑色の蛍光色が点灯している。

 

「なんか催涙スプレーにしては煙が赤すぎるような気がするでやんすね?」

「あー、普段私が家で使ってるー、激辛香辛料も交ぜたからかなー?」

 

「うあああぎゃぁぁああああああああああああーーーー!!??」

 

 恐るべき事実をサラッと口にする猫屋。コイツの普段使いの調味料とか舐めるだけで悶絶するレベルのものだろう……死んでないだろうな由香里。

 

 俺の心配をよそに、何とかトイレから出てくる由香里。

その顔は本当に酷い物だった。目が真っ赤な癖に顔が青白く、見た目は極彩色のペンキまみれ。一瞬、新しい日本の妖怪かと思った。

 

「っぶ、マジでやばそうな顔してるー……!」

「であるな! いやぁ、ここまで用意したかいがあったで候」

 

 それを見てキャキャっと楽しそうに笑う安瀬と猫屋。悪魔か……?

 

「……う、……ぐ…………トイレェ!!」

 

 由香里がよほど切羽詰まっているのか、大声で叫ぶ。

そうして、彼女はすぐ近くの男子トイレの方に向かった。この際、男だ女など言っていられないのだろう。というか今の姿で彼女の性別を当てられる者はいない。

 

「お、予想通りでござるな」

「あっちも、全部内側から鍵してるもんねー」

 

 お前ら本当にすごいな。人を追い詰める天才かよ。

 

「後は西代が間に合えば─────」

「おまたせ!!」

 

 委員に偽装した姿の西代が急に動画に現れる。

その手には、手作りだと思われる放水器が握られていた。

水色のホースを束ねて、先端には発射口として大きな口が開いている。

尋常な大きさではない。

 

「標的は?」

「男子トイレに入ったところー」

「ナイスタイミングぜよ」

「良かった。機械工学科に忍び込んでポンプを盗んできたから時間かかったよ」

 

 西代はこの企画のためについに泥棒に手を染めたらしい。変装しているのは、万が一盗みがバレても委員に罪を擦り付けるつもりなのかもしれない。

 

「じゃ、急いで放水してくる」

「うむ、火刑の次は水攻めと決まっておる」

「ペンキは油性だから落ちないしねー」

 

 スタスタとホースを引きずりながら駆けていく西代。

彼女たちはローションやワックスの撒かれた床を把握しているようだ。滑ることなく男子トイレの外まで辿り着いた。

 

 西代は真顔で放水器具の蛇口を回した。

 

ドゴゴォォォォォオオオオオオオオオオオ!!!!!!!

 

 ちょっと引く量の水が男子トイレ内部に向けて発射された。

恐らく機械工学科にある実験用化け物ポンプの出力をマックスにして放水しているのだろう。たしか、毎秒40Lほどの出力を誇るはずだ。ちなみに消防車で毎秒60Lだ、ほぼ変わらない。

 

「おぼぼぼぼぉぉおおおおおおおおおお!!!??」

 

 由香里の絶叫がまたも響き渡った。

 

「アハハハ!! 西代ちゃんマジでイカれてるーーー!!」

「ゲヒャヒャ!! おぼーって言ってるござるよ!!」

 

 大声で由香里の醜態を嘲笑う彼女達。

何がそこまで楽しいのだろうか。彼女に恨みがある俺でも可愛そうになってきたぞ。

 

 時間にして3分は放水したであろうか、西代が満面の笑みで帰ってくる。

 

「一瞬、圧力で吹き飛ばされるかと思ったけど、中々スリリングで楽しかったよ」

「どーう? 中のゴミ死んだー?」

「反応が無くなったから多分気絶しただろうね。後、ほのかに臭かったから多分漏らしてる」

「おお! 作戦大成功でやんすな!!」

 

 そりゃそうだろうな。消防車レベルの放水を受ければ、誰でも漏らすと思う。

彼女らは作戦の成功をワイワイと喜び合った。まるで狩猟の成功を祝う原始人だ。

 

 その後、カメラに向き直って画面越しにこちらを見て話しかけてくる。

 

「どうだったかの陣内! 楽しんでいただけたでありんすか?」

「アハハハ! まぁちょっとやりすぎたかもしれないけどー」

「ふふ、全然思ってないでしょ猫屋。ずっと笑ってるし」

 

 三人は俺に向かって各々好きな事を言ってきた。

楽しんでくれたかだと……?

 

「じゃあ最後に武士の情けとして、(ふんどし)だけ置いてくるでござるよ!!」

「ぶっ!!」

「ぷ、くく、いいね、それ。目が覚めたら履くのかな?」

 

************************************************************

 

 西代の嫌味を最後に動画は終わった。スマホの画面が暗くなる。

ポツリと画面に水滴が落ちた。気づけば、俺の涙が流れ落ちていた。

溢れて止まらなかった。

 

「ハハハ、本当にあいつら馬鹿だな……」

 

 口ではいつものように馬鹿にした。だが、胸の奥から感謝の言葉が湧き出ていた。動画を見終わった時、俺の心にもう由香里はいなかった。俺の大切な所にはこっちを見て笑っている安瀬と猫屋と西代の姿だけがあった。

 

 この動画を見て思った。浮気を目撃した瞬間、俺が本当にするべきだったことは話し合う事ではなく、彼女を力いっぱいぶん殴る事だったのだろう。あの時を逃したから、俺は苦しんだ。

 

 だが、俺が後から由香里に動画と同じことをしたとしても、暗い過去の記憶は晴れなかっただろう。彼女たちのおかげだ。あの3人が俺の為にこの動画を作ってくれた。俺の為を思って頑張って、準備して、計画を練って、笑って、由香里を成敗してくれたから俺の心は楽になった。

 

 この大学に入って3人に会えてよかった。ありがとう、お前ら大好きだ。

 

 その時、ブーブーっとスマホに電話がかかってきた。着信先をみる。

由香里からだった。SNSはブロック済みだが、着拒にはしていなかったようだ。

 

 俺は特に躊躇もせずに電話に出た。

 

「なんだ」

「ちょっと梅ちゃん!! アイツらなんなのよ゛!!」

 

 あいつらとは安瀬たちの事だろう。俺と一緒にいるところを見られているし、俺と接点があると思って電話してきたようだ。

 

「私、あいつらに信じられない目に遭わされたんだけど!! 彼氏にも振られたし!!」

 

 だろうな。彼女が脱糞すれば千年の愛も覚めるってもんだ。

しかし……、本当に……

 

「ハハハハハハハ!! 面白かったよ、マジで! お前の脱糞ショー……!!」

「…………はぁ!!??」

 

 俺はあいつらを真似てゲラゲラ笑う。

本当に愉快痛快だった。俺はあの動画を思い出して、腹を抱えて笑っていた。

 

「ふざ、ふざ、ふざけてんじゃないわよ゛゛……!!!」

「ハハハ! ふざけてねぇよバーカ!!」

 

 鬱陶しい耳鳴りはもうしない。呼吸も心臓も平常運転。気分もスッキリしている。

俺は自信に満ちた表情で、ごみ女に言い放つ。

 

「おい、次その汚い面でヘラヘラ近づいてきてみろ。マジで顔面ぶん殴るからな」

「え、は、ちょ─────」

「じゃあな、クソゴミ。ウンコくっせーから、二度と電話かけてくんなよ」

 

 俺は返事も待たずに電話を切った。

青天の霹靂。過去の呪縛は俺の中から完璧に消え去った。

 

「ハハハハハハハハハ!!」

 

 通話が終わっても、俺はしばらく笑い続けた。

いつも馬鹿やって笑っていたはずだが、心の奥底から純粋に笑ったのは久しぶりな気がした。笑いすぎて涙が止まらなかった。

 

「ハハハ!! ……ふふ、笑ってばっかじゃだめだな」

 

 笑いすぎて痛くなった腹を押さえて、俺は、()()()()()()()に戻ることにする。

 

「よし、手伝いに行くか!!」

 

 俺は安瀬たちに連絡を取った。今回の楽しい悪だくみはまだ終わってはいない。俺の知る酒飲みモンスターズならあの動画を撮った後、しっかりとビンゴカードを回収したはずだ。作業が遅れた分は俺も頑張って挽回しないとな。

 

************************************************************

 

 時刻は午後7時。すでに辺りは暗くなっている。普段なら大学にこの時間まで残っている人間は稀だ。街灯が珍しく全力で輝いていた。

 

「おい、始まるぞ」

「私、ドキドキしてきたー……!」

「まぁ、頑張って集めたけど確定ではないからね」

「後は天に祈るだけで候」

 

 ビンゴ大会は大きな歓声とともに始まった。

ステージ上の進行役が番号の書かれたボールを箱から取り出す。

 

「西代、1つ目の番号が出たぞ!」

「分かってるよ。しっかり打ち込んだ」

 

 西代が持ってきたノートパソコンを操作し、自家製アプリに数字を入力する。

 

 進行役はどんどんとボールを箱から出していく。4つ目までは誰もビンゴはできない。そこで引くのを溜めても場は盛り上がらないだろう。

 

「4つ数字が出て、リーチは12枚」

「まぁ、悪くはないのか……?」

「というかよく考えたら4つのカードが、同時に最初に当たるって普通ないよねー」

「そう言われたらそうでござるな……」

 

 そして、運命の5つ目のボールが箱から引き抜かれた。

番号は44。何とも不吉な数字だ。

 

「どうであるか、西代!」

「……ビンゴはない」

「嘘だろ!?」

「344枚もあるんだよー……!?」

 

 彼女たちが俺が寝ている間に集めてくれたビンゴカードの枚数は344枚。配られた、半数以上を俺たちは牛耳った。だがしかし、最短でビンゴしたカードは存在しないようだ。

 

「だ、だけど、リーチは30枚まで跳ね上がったよ!」

 

 西代がディスプレイを見ながらそう言った。

俺達は他にビンゴした者が出ないように祈り始めた。

 

「お願いしまーす! お願いしまーす! おねがーーい!!」

「本当に頼む! でるな景品泥棒!!」

「あれは拙者たちの物なんじゃ! 七福神よ、今こそ力をお貸し下さい!!」

「ぼ、僕は天に選ばれたギャンブラー! こんな所では躓かない!」

 

 進行役のビンゴした者を確認する声が響き渡る。当選者がいたのなら、そいつはステージに上がって景品を選ぶ権利を手に入れる。

 

 俺たちの願いが天に通じたのか、当選者は現れなかった。

そして、盛りさがることを嫌った進行役はすぐさま、新しい番号を引いた。

番号は77。さっきとは正反対だ。

 

「きた! ヒット枚数は……4枚!! 該当カードは9番、38番、91番、203番!」

「はいはーい……!!」

 

 西代の言葉を受け、カードの束から指定された番号を抜いていく猫屋。

 

「はいこれ!! 皆急いで行くよーーー!!」

「「「ぉぉおおおおおおおおお!!!」」」

 

 猫屋からカードを受け取り、俺たちは一目散にステージに向けて走り出した。

 

 見事に当選者として認められた俺たちは大型冷蔵庫、ドラム式洗濯機、クロスバイク、最新ゲーム機といった高級品を根こそぎ掻っ攫った。そのせいでビンゴ景品は些かランクダウンして進行役は微妙な顔をしていた。

 

 俺たちの企画荒らしは無事に大成功。洗濯機とゲーム機は陣内家にそのまま残されて、他二つは売り払った。その結果、30万もの臨時収入を俺たちは得ることができ大満足。その夜は全員で酒を飲んで大いに盛り上がった。

 

************************************************************

 

 俺の予感通りだった。俺にとって初めての文化祭は最高に楽しいものになって幕を下ろした。この二日間の俺達の行いは、人によっては決して褒められる行いではなかっただろう。女に集団で危害を加え、金儲けの為に平等に皆にいくはずだったチャンスを奪い去った。

 

 だがそれがなんだ。俺たちは20歳になったばかり。大人未満の子供以上がやった事だ、大目に見てくれ。

 

 そりゃ、酒は飲めるし、煙草は吸える、ギャンブルだって何でもできる。犯罪行為を犯せば新聞に名前が載って刑務所行きだ。だが、まだ社会にすら出ていない。存在そのものが違和感を感じさせる、大人でもなく子供でもないその狭間を彷徨っている不思議な者達。

 

 大人に半歩だけ足を踏み込んだ、()()()()()()()()大学生。

それが俺たち。このくらいの茶目っ気は許してほしい。

 

 だが大人になろうとも、酒に煙草、そして程々のスリルは決して忘れないと思う。

後はまぁ……気を置けぬ友人達は何歳になっても大切にしていることだろう。

 

 酒と友人は古いほどいい、と言うしな。

 

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