週末の土曜日の夕方。
俺は安瀬と一緒に買い出しから帰ってきた所だった。
今は賃貸の入口前。
「車を成約してから買い物が楽になったでござるな!」
ニコニコと上機嫌に笑う彼女。
今日はバイトの収入が入ったので良い酒を買った。
それが楽しみなのだろう。
「そうだな。後は2人が帰ってくるまでに晩飯を用意しておくだけだな」
猫屋と西代がもうすぐバイトから帰ってくる。
『バッカス』は昼間は居酒屋に様変わりして、西代が言うには昼営業の方が忙しいらしい。猫屋も朝からカラオケで長時間労働だ。
疲れて帰ってくる彼女たちの為に、美味しい晩御飯と熱い風呂を用意してやろう。
……ん? あれ? 俺たちはいつからルームシェアしてるんだ?
というか、なぜ俺がそんな専業主婦のような労いを??
自分の思考に漠然と疑問を抱いていた時、ある人物が俺に話しかけてきた。
「あら、梅治?」
「ん、あぁ、
俺の名を呼んだのは、この賃貸の管理者である
母さんの妹で、俺の叔母に当たる人だ。
年齢は39歳で結婚している。苗字は旦那さんの性だ。
「久しぶりだねぇ」
女性にしては低い声で松姉さんは俺に挨拶してくる。
「そうですね。最後に会ったのは夏休みの前ですから」
「正月は忙しかったからね。家族でハワイに行っていたよ」
「あ、相変わらず、お金持ちですね……」
「ははは。ごめんねぇ、少し鼻持ちならなかったね」
「そんな事ないですよ。すいません、変なこと言って」
松姉さんの夫はお医者さんだ。年中忙しいらしい。
俺達家族も正月くらいは、斎賀家だけで団欒と過ごして欲しいと思っていた。
「しかし、本当に久しぶりだねぇ。私はここの管理を業者に任せてるからほとんど来ないのよ」
「どこも最近はそうでしょう。……今日は何でここに?」
「火災保険の責任者確認ってやつでねぇ。今ちょうど終わったところさ」
「あぁ、なるほど。お疲れさまです」
「梅治も火の扱いには気を付けなよ? 部屋で煙草を吸うのは別にいいけどさ」
「はい、気をつけます」
相変わらず、雰囲気のある話し方をする人だ。
母さんとは正反対で人に威圧感を感じさせる。
俺は小さい頃から、叔母さんにはよく遊んでもらったので大好きだけど。
「ん? そっちの子は?」
「あ、えっと、こんばんは」
安瀬の口調は外行き用だった。
俺の叔母さんという事で気を使ってくれているのだろう。
礼儀を正して挨拶してくれるようだ。
「どうも初めまして、私はあ───」
「あぁ! あんたがモモちゃんだね?
突如、雷を纏った嵐が俺達を直撃した!!
ぶおおん、ぶんんぶんっ!!ぶおおおおん!!ぶおおおおおおんっ!!!
吹き飛ばされる意識と魂!!
荒れ狂う正気の
雷撃傷が精神体に浮かび上る!!
西代が麺棒で瀬戸内海をかき混ぜ、どこまでも人を飲み込む大渦を作り出す!!
俺たちは鳴門海峡大橋の渦潮に為す術もなく飲み込まれていった……
「えっと、どうかしたかい?」
「「っは……!」」
松姉さんの言葉で俺達の意識はようやく現実に引き戻される。
あまりの衝撃で、幻覚を見ていたようだ。
「え、あの、こん、……え?」
安瀬は今までに見た事ない顔で汗をダラダラと流していた。
「ん? 違うのかい? 確かに姉さんが梅治に婚約者ができたって……」
「あ、あぁ! そうだよ!! 彼女が
「うえ!?」
俺はようやく事態を把握する事ができた。
母さんは俺の嘘によって西代の事を将来を誓い合った恋人だと思い込んでいる。母さんがその事を、松姉さんに
俺の脳内CPUはここまでの考察を0.04秒でたたき出す。
緊急事態により、異常な伝達速度で神経パルスを巡らせることができた。
「あぁ、やっぱりねぇ……うん? 聞いてた話によれば、モモちゃんは黒髪じゃ───」
「染めた!! 茶髪に最近染めたんだ!! な、モモちゃん!!」
「モッ!?」
俺のモモちゃん呼びに、今度こそ安瀬が完全にフリーズした。
ここで会話が途切れるのはまずい。
俺は安瀬にだけ聞こえるように小声を短く絞り出した。
「たのむ……! 今は西代のフリをしてくれ……!」
「え、え、な、なんでじゃ!? どういう事でありんやんす!?!?」
「理由は後で話す……! 頼む……!」
「う、え、わ、わかったぜよ……」
まだ混乱しているようだが、安瀬はなんとか了承してくれた。
「は、はじめまして、西代桃と申します」
安瀬は名を偽って、松姉さんに深く頭を下げた。
後で土下座して謝ろう。好きな酒も買って、感謝の言葉を伝えよう。
「ん、あぁ、これはご丁寧に。梅治の叔母の斎賀松です」
松姉さんも深く頭を下げた。背を丸めずに流麗な所作だ。
年と教養の差を感じさせる。
久しぶりに会ったのでもっと話がしたいが、今は嘘が露呈する前に逃げるべきだ。
もしボロが出た場合、そのままずるずると俺の部屋に酒飲みモンスターズが常在してる事が露見しそうだ。恋人でもない、それも複数人の女性を部屋に連れ込んでるなど、部屋中で下卑た酒池肉林の宴が行われていると邪推されてしまう。
「ま、松姉さん。会ったばっかりで悪いけど、この後友達が家に泊まりに来るんだ。だから早めにご飯の準備をしないと……」
俺は適当な言い訳で煙に巻いてこの場を逃げようとした。
「……このマンションに
「え?」
「それは梅治とモモちゃんの友達の事だったのかい」
ツーっと背中に冷背が流れた。
そんな噂が出回っていたのか。まずい。
松姉さんはおっとりとした母さんと違って、かなり鋭い。
急に叔母の視線が疑心的なものに変わった。
「……なんか、ちょっと怪しいねぇ?」
「な、なにがだよ、松姉さん!」
「いや、梅治じゃあない。モモちゃんの方だ」
「わ、私ですか?」
話題を振られた安瀬が焦ったような声をだす。
なんていう、鋭さだ。女の勘というモノだろうか。
「恋人の家に複数人の女友達を連れ込む? 梅治を取られるのが怖くないのかい?」
「え、いや、えっと」
予想外の質問に口ごもる安瀬。
普通、俺の様に大して魅力がない男が取られるなんて心配はしないだろう。
だが、松姉さんはかなりの過保護だ。俺の事を親目線の贔屓目で見てしまっている。
「し、信頼できる友人達なんです」
安瀬は焦りながらも言葉を返した。
松姉さんは納得がいっていない様子だ。
「梅治の方が手を出すとは思ってないんだね?」
「は、はい。信用していますから」
「松姉さん、俺はそんなことしないって」
これは本当だ。俺はそんな事はしない。先ほどとは違い言葉に淀みはない。
しかし、松姉さんの疑いは晴れなかった。
「もしかして、このマンションが大学の近くだからって梅治の部屋を宿舎代わりに使っていないかい? 梅治とは
「っ」
なぜそこまで、確信的な結論にたどり着けるんだ!?
相変わらず、恐ろしいまでの勘の良さ。小さい頃、かくれんぼで遊んでもらって一瞬で見つかり泣いた事を思い出した。
「違います。撤回してください。それだけの理由で彼と付き合っているわけではありません」
「…………へぇ」
俺の心配をよそに、安瀬は平然とした態度で問いを返した。
その表情はどこか冷たい。普段の明るい彼女のものではない。
「不快な思いをさせたならごめんねぇ。でも、梅治は大きくなったとはいえ私の子供同然なんだ。今は姉さんに代わって保護を任されているしねぇ」
「そうなんですね」
「大切な預かり子に寄生虫がとりついた。なんて事はないわよねぇ?」
「はい、ありません。彼とは愛し合っていますから」
バチッと放電が起きた気がした。
なんでだろうか。
虎と竜が一触即発の睨みあいをしている風景が見えた。
「"西代さん"、急で悪いけど来週の土曜は予定を開けてくれないかい?」
「……なぜでしょうか?」
安瀬は怪訝そうな顔をして、目を細めた。
叔母の彼女に対する敬称が変わった。物凄く嫌な予感がした。
「なぁに、ちょっとした親睦会さ。ご飯を食べて縫い物でもしながら親交を深めようじゃないかい」
俺は松姉さんには本当に気に入られていた。昔、松姉さんの子供と一緒によく遊んでいたからだ。楽しそうに年下の面倒を見る俺を見て、母さんの子供という事もありとにかく可愛がられた。
松姉さんは俺にふさわしい婚約者であるかどうか目利きをするつもりだ。
なんて、無意味でお節介な事を。
「喜んで参加させていただきます! 何でもしますので気兼ねなく申し付けてくださいね!」
安瀬は大輪を咲かせた向日葵のように笑って提案を受けた。
だが、俺には彼女の内情が分かる。その目がドブ川の様にドス黒いヘドロで覆われて濁っていたからだ。
なぜか、彼女はブチ切れている。
「ふふっ、そうかい。ならこのマンションの503号室でランチしようか」
「503って、確か一番大きくて長い期間使われていない空き部屋じゃあ……」
「そうだねぇ。ちょっと、掃除を手伝ってもらう事になるかもしれないけど……かまわないだろう?」
「はい! 誠心誠意、心から頑張らせていただきます!」
俺の脳内に嫁をいびる姑という言葉が浮かんだ。
実際に今の状況は少しに似ている。
「ふふふ、よろしくねぇ?」
「ふふふ、こちらこそ」
安瀬は売られた喧嘩は買う主義だ。そして、叔母さんもだ。
もはや俺の事など差し置いて、器量試しの女の争いは宣言された。
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その夜。
酒飲みモンスターズが集結した我が家。
俺達は先ほどの叔母との騒動について話し合っていた。
「え!? じ、じゃあ、西代ちゃん、正月に陣内の実家に泊まってたのー!?」
「まぁね。正月は実家に帰りたくなかったから」
猫屋の大声に反して、西代は平然としていた。
俺は自身の黒歴史と家庭事情を含めて、正月に西代がついて来た事情を彼女たちに話した。もちろん、淳司との喧嘩や西代の過去は省いてだ。
「ねー、それってさー、大丈夫だったの?」
「何がだい?」
「ほ、ほらー。陣内に襲われたりー……」
「ねーよ、阿呆。ずっと酒飲んでた」
「お主ら、我らに隠して影で付き合ってるとかではないであろうな?」
「ねーよ、ド阿呆」
俺は2人の疑惑をすぐさま否定した。
西代は素敵な女性だが、俺は友達として接していたい。……本当に素敵だろうか。
素敵な女性はパチンコで大負けして泣かない。
「同じベッドで寝たりはしたけど、僕らは男女の仲ではないよ」
「べっ!? えーー!?」
「お、お主ら、倫理観がバグっておるでありんすよ!」
「口調がバグってるお前に言われたくない」
西代の発言に二人は明らかに狼狽えた。
西代のヤツ、安瀬と猫屋の反応が楽しくてワザと誤解を生みそうな発言をしているな。事実、彼女は煙草と酒を手に彼女らの姿をクツクツと笑っている。
「おい、いい御身分だな」
「ふふっ、正直この事態がちょっと面白くてね」
「なんも面白くねぇよ…… 」
彼女はこの婚約者騒動に関して、傍観者の立ち位置を決め込むつもりのようだ。
「けど安瀬、僕の名前で喧嘩を買ったんだ。来週の嫁姑対決は負ける事は許さないよ」
「お、おぉ? よく考えたら、なんで我が西代の名誉の為にこんなめんどくさい事を……」
「違うぞ安瀬。西代の為じゃなくて俺達の為だ。お前が婚約者として相応しくないと判断されたら、たぶん両親に連絡が行く」
「え、そーしたらどうなるのー?」
「詳しい話をされると、安瀬と西代の特徴の違いが浮き彫りになる」
「あー、ウソがばれちゃうわけかー」
そのような事態になれば、俺が実家に連れてきた女と部屋に連れ込んだ女は別人となり、どういう関係なのか根掘り葉掘り聞かれることになるだろう。
「最悪、お前らはこの賃貸から出禁を喰らう可能性すらある」
「「「な、なにーッ!?」」」
余裕な態度だった西代まで一緒になって驚嘆の声を上げた。
「そ、そんな横暴な事が許されるのかい!?」
「建物の管理者は叔母さんだからな」
「わ、私たちは健全な関係なのにー!?」
「信じてくれる訳ないだろ」
俺は自身の体質については親族に話していない。友達とはまた気の使いようが異なるからだ。由香里との出来事はもう解決したし、心配を掛けたくないので身内に話す気はない。
「「という事は……」」
猫屋と西代がゆっくりと安瀬を見る。
「え、なんじゃ2人とも」
彼女は煙草を吸い冷酒で一杯やっていたが、2人の視線を受けて面喰う。
「この気狂いを1週間で素敵な婚約者に?」
「絶対にむり、おわったー……」
露骨にがっかりする二人を見て、安瀬は部屋隅にあった模造刀を取り出した。
「そこに直れ、
「そういうとこだぞ、安瀬」
ここ俺の家なんだが。趣味の品は自宅に置いてくれ。
だがまぁ、彼女らの言い分も分かる。
見た目は100点満点だろうが、必ずと言っていいほど突飛な行動が飛び出すのが安瀬だ。
「まぁ、でも約束までしたんだ。やるしかないだろう。俺も正月の嘘はバレたくない」
松姉さんと出くわしたのが運の尽きだ。
覚悟を決め計画を練ろう。幸いにも1週間も準備期間はある。
それに、だ……
「意外と楽しそうじゃないか?」
俺はニヒルに笑い、落ち込む2人に挑発的な言葉を放つ。
「安瀬を立派なレディにプロデュースだ。どうだよ?」
「……安瀬ちゃん、魔改造計画かー」
「ふふっ、確かにいいね。新しい悪だくみという訳だ」
危機的事態ではあるが、3人で楽しそうに頬を釣り上げる。
騙し嘲り偽り誤魔化す。俺達は本来、この手のイベントは大好物。
大酒飲みはいつもツマミになる話を求める。
真剣な松姉さんには悪いが、今回も楽しい事になるだろう。
安瀬魔改造計画、もしくは偽りの花嫁作戦とでも呼ぼうか。
問題は本人のやる気だ。
先ほどは松姉さんの口車に乗せられて喧嘩を買ったが、その威勢はまだ彼女に残っているだろうか?
俺たちの期待に満ちた視線が安瀬に集まる。
「……はぁ、お主らの見世物になるのはちと癪じゃが、元々は我が買った喧嘩でありんす」
彼女はガバッと勢いよく立ち上がった。
そして刀を掲げて声高に宣言する。
「
「いい気っ風だね」
「たのもしー!」
「よっ! 我らが総大将!!」
豚もおだてりゃ木に登る、とまでは言わないが似たような気分だった。