「いい所であろう?」
店内に立ち、暖かな光を提供する赤提灯。二メートルはありそうな大樹の切り抜きに掛けられた、百を超える色とりどりの小さな瓢箪。
そんな内装煌びやかな和風の店内を背景に、安瀬は得意げな顔をしてこちらを見る。手に持っているぐい飲みが同い年とは思えないほどよく似合っていた。
「まぁな。突き出しも美味しかった……。でも珍しいな、外飲みの誘いなんて」
ここは安瀬が借りている賃貸近くの居酒屋。俺は安瀬に呼び出されて、今は店内奥の座敷で二人静かに飲んでいる。
「普段は宅飲みで十分であるからな! ご飯は美味しいし、酒は多種多様無限に出てくるでござる!」
「お前らが色々置いて行ってくれるおかげで、酒のラインナップなら居酒屋にも負けない自信はある」
我が家の押し入れの一部はもはや酒の魔窟といっても過言ではない。普段飲んでいる物以外にも、一度試しに買って気に入らなかった洋酒や、割る物が必要な甘いリキュール達がさらに自分たちを熟成させている。まぁ、酒のストックはあればあるほど嬉しいので別に困ってはいない。
「……で、ここに俺を呼んだ理由は特にないのか? 単純に飲み相手が欲しかっただけか?」
「本日は平素よりお世話になっております陣内殿に対して感謝の意をお伝えしたくこの場をご用意いたしました」
「ははっ、嘘つけよ」
安瀬が唐突に顔を伏せて、言葉で敬意を示しだした。随分とノリがいい。
「まぁ、理由は場が盛ってきてからほどほどにでござるよ!」
「それを言うなら
「細かいのぉ……まぁ、隣町からわざわざ来てくれた礼じゃ。今日は我の奢りでやんすよ」
「おいおい、マジかよ……!!」
なんと珍しい。俺たち四人組は奢られることはあれど、奢るような高潔な精神の持ち主はいないと思っていた。
「一昨日にバイト代が入ったばかりでござるからな。
「意味はよく分からんが、今日は安瀬が生き仏に見えるぞ」
そうとなれば話は別だ。気分よく酔っぱらって頂いて、気分良く奢ってもらおう。人の金で飲む酒ほどおいしい物はない。
俺は空いてるお猪口に酒を注ぐため、徳利を安瀬に差し向ける。
「どうぞ一献」
「ククク、悪いの……」
トクトクと徳利を鳴かせながらお酌する。
酌を受ける安瀬の姿はとても堂に入っており綺麗だ。白いニットと落ち着いた色をしたジャケット。それらを身に纏い、長く色素の薄い艶やかな茶髪を後ろで一まとめにしている姿は、天真爛漫で幼さを感じさせる普段の言動とは相反しつつも奇妙な親しみやすさを感じさせた。
ギャップというか黙っていれば美人というか……。
「ぐい飲みがよく似合うな」
「そうかえ? まぁ店内は薄暗い。夜はすべての猫が灰色に見えるという事であろう」
逆手で杯を口までもっていき、静かに飲み下す。粋な飲み方だ。
「昨日、ゲームに負けた罰で
「あ、あれは我もキツイものがあったでござる……」
10月の寒さ厳しいこの時期に、股下3センチのへそ出しスタイルで大学に赴く彼女の雄姿は生涯忘れられない物になるだろう。彼女のスタイルの良さが災いし、用意していたコスプレ用制服の
陣内家での罰ゲームは必ず実行される。
これは血の掟だ。どんなに泣き叫ぼうが必ず実行させられる。以前、大学の食堂で本気の一人漫才をやらされたことがあるが、夢に出てくるレベルでトラウマになった。
「一番傑作だったのが、線形代数学の先生の『この後、AVの撮影でもあるのかい?』だったな」
「あれは心をえぐったでござるよ……。というか普通にあの発言はセクハラであろう!」
その時、俺たちは怒るでも訂正するでもなく過呼吸になりそうなほど笑い、周りをドン引きさせていた。まぁ、あの格好で講義を受ける方が悪い。
「しかも今日、その事で
「ははははは!! 佐藤先生も仕事とはいえ大変だな」
佐藤先生とは俺たち四人の担当女教授だ。
そして、俺たちは
有名大学ならいざ知らず、私立の微妙な大学で2浪はかなり珍しい部類に入る。そういった事情を持つ俺らは一か所にまとめられ、佐藤先生の担当学生となっているのだ。この問題児たちの相手をする佐藤先生には同情を禁じ得ない。
「まぁ、そうでござるな。咄嗟に『陣内に命令されました』と誤魔化したが、事情聴取の対象が我から陣内へと移っただけで、先生の仕事量は変わらんの」
「勝手に俺を巻き込でんじゃねよ!」
ただでさえ同じ学科の奴らに『女を侍らす漫才師見習い』だの『彼女にコスプレを強要する変態鬼畜外道』など様々な異名で呼ばれているのに!
「というか、明日、間違いなく俺が佐藤先生に呼び出される……。なんて言い訳すりゃいいんだよ!!」
「アッハッハッハ! どれ、我が特別に面白いヤツを一緒に考えてやろう!」
「いや、お前のせいで頭を悩ませているんだが……」
明日行われる生活指導という名のお叱りを想像して憂鬱になった。せっかくの飲み会なのに変なことに頭を使うのはごめん被る。
煙草が欲しくなったので、ウィストンを一本咥え火をつける。喫煙席がある居酒屋はありがたい。この寒い中、外にわざわざ一服しに行くのは手間だ。
「ふぅ……そういえば、ここの居酒屋のおすすめはなんだ? 行きつけなんだろ?」
煙草を灰皿に置いて店内を見渡す。喫煙可能なのが不思議なほどに手の込んだ内装だ。また、安瀬のお気に入りの店という事は装飾だけではなく酒の質も高いはず。
「あぁ、ここは自家製のモヒートが美味いでありんす。バカルディではなくわざわざモルガンのプライベートストックを使っているらしいのじゃ」
「それは、まぁ、随分と良い物を……」
モヒートとは、ミント、ラム、砂糖、ライム、ソーダ、で作る清涼感と甘さが特徴的なカクテルだ。普通の居酒屋ではコスパを考えて、大手飲料メーカーで売っている炭酸で割るだけで出来上がる業務用の物を使っているはずだ。
「モルガンのプライベートストックなんて一本五千円くらいするだろ。それにモヒートって普通、ホワイトラムで作るんじゃないか?」
「ダークラムで作るモヒートの方が我は好みじゃ。飲んだことないかの? ちなみにお値段は一杯千五百円である」
「強気な値段設定だな。奢りじゃなきゃ頼まないかも」
確かにあのラムはめちゃくちゃ美味い。度数40%とは思えないほどの口当たりの良い甘みが特徴的だ。個人的にはレディキラー代表作。俺の場合ストレートでも難なく飲むことができるくらい。むしろ、コーラ等で割ることには抵抗がある。
「ふふっ、それは奢りがいがある話であるな。すいませーん! 注文いいですかー!」
『はい只今』という店員の声が聞こえてくる。たいして間を置かずに店員が足早にやってきた。
「自家製モヒートを二つとスモークタンをお願いします」
「かしこまりました」
安瀬は俺たち以外の前だと普通の口調になる。いきなり口調がまともになると、普段との温度差で風邪ひきそうになるな。
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「うっっっま」
「で、あろう?」
ミントの心地よい爽快感だけが口内で広がると同時に、ラムの濃いシロップのような甘みがアルコールやミントの苦みを打ち消してくれる。グラスについてあるライムも新鮮でアクセントにぴったりだ。
おつまみのスモークタンもいい塩梅。歯ごたえがあり塩辛いスモーキーな味わいが炭酸の効いたお酒をさらに加速させる。
「ゴキュゴキュいけるが千五百円だと思うと勿体なくて舐めるように飲んじまうな」
「分かるでおじゃる。お互いに貧乏性でやんすね」
そう言いながら、安瀬がフィルターに埋め込まれたカプセルを歯で噛み潰した。よく見ると普段吸っているメビウスではない。
「何吸ってるんだ?」
「マルボロのアイスブラスト。これも御贔屓の品じゃな」
「あぁ、あれか。……ミントの酒に、ミントの煙草ね。好きだよな、ミント味」
返事もせず、安瀬は紫煙をくゆらす。煙を肺まで入れずに香りを楽しんでいるように見える。少しの間の後、ふーっと優しく息を吐き出した。
不思議とその姿はなまめかしい。煙草を咥えたピンク色の唇が店内の灯りを反射して怪しく光って見えた。
「この冷めた清涼感がどうにも堪らないでありんす」
「猫屋みたいに過剰に好物を入れだすなよ」
「あそこまでではござらんよ」
カラカラと二人で笑いながら酔いと時間を先に進める。
「けど、今日は他の二人は呼ばなかったのか? これだけ良い酒場なら、あいつ等も絶対に気に入るぞ」
「……」
俺が猫屋たちの事を口にすると安瀬は急に押し黙った。
「二人も一緒が良かった?」
「へ……?」
慮外の発言。そう言うと安瀬は流れるような所作で俺の隣に座ってきた。
「お、おい……」
ミントの煙草を吸っていたせいだろうか。彼女の体からは心地よいハーブの香りが漂っている。
「わ、私だけじゃ、つまらないですか?」
いつもの口調を止めて、彼女は俺にしな垂れかかってくる。整った顔立ちの彼女がそういった事をやると恐ろしいまでの庇護欲をそそられる。だ、誰だこいつ?
「い、いやそんな事はないが」
「そう……よかった」
そう言うと安瀬は安堵の吐息とともに可愛らしく笑って見せた。普段の彼女からは考えられないほどの健気さ。月下美人という言葉が似あう。
「今日、陣内だけを呼び出したのは実は
潤んだ瞳で上目遣いになった彼女が、赤い顔をこちらに向けている。
「そ、そのちゃんとした理由とは……?」
「うん……実は陣内に言いたいことがあって」
こちらを向く彼女の顔は相変わらず朱い。朱い頬は酔いのせいか、紅潮のせいかは判断できない。しかし、彼女に密着しているため伝わってくる体温は心なしか高いような気がする。
「今日は二人を連れてくるわけにはいかなかったの。大切なことが言いたかったから……」
「た、大切な事」
刹那、
嫌な汗が額からにじみ出て、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「あのね……」
やめてくれ。俺はなんだかんだ今の関係が気に入って──
「実は我、37度くらいの微熱があるんでやんすよ」
ダラーっと鼻水を垂らしながら安瀬はそう言ってのけた。
「はぁ!? は、はぁぁぁぁぁあああああああ!?」
店内にもかかわらず、俺は大声で感嘆の声を上げた。
「いやー、昨日のコスプレで体を冷やしちゃったようで、お昼ごろから発熱しちゃったでござるよ」
「お、おま、おまえな……!!」
そう言われれば、コイツ来た時からいつもよりテンションが高かったし、変な言い間違いもしてた! 体温もやけに高いし、そんなに飲んでないのに顔が赤いのもおかしい!!
「あ、一応弁明しておくと風邪の類ではなくただの体調不良じゃ。午後の講義を抜けて病院に行ったら、医者にそう診断されてな」
「いや、そういう問題じゃないだろうが!! 体調崩してんのに酒なんて飲んでんじゃねぇよ!! 危ないだろ!!」
「あ、あははは……そう言われると弱いでありんす……」
安瀬は先ほどまでの明るい態度から今度はシュンっと落ち込んで見せた。俺の目から見れば反省しているというより、熱で躁鬱が不安定になっているようにしか見えない。さっきまでの甘酸っぱい雰囲気は、はるか彼方へと吹き飛んだ。俺は残った酒とつまみを流し込むように胃に収めて、座った状態から勢いよく立ち上がる。
「おい、会計済ませて急いで帰るぞ!」
今はこのど阿呆の体調が心配だ。
「あ、その、さっきからフラフラして立てなくての……」
そう言いペタンっと座り込む安瀬は普段の
「……おぶってやる、ついでに看病もセットでな」
「す、すまぬ……」
少し怒気を込めた俺の声に、安瀬はさらにシュンっと縮こまった。
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会計は安瀬が宣言通りにおごってくれた。体調の悪い彼女にお金を出させるのは一瞬抵抗を感じたが、元々身から出た錆という事を思い出して気兼ねは無くなった。
今は安瀬をおぶって、彼女の賃貸に向かっている途中だ。彼女の体重の軽さは運びやすくて助かるが、もう少し重たいほうが体力の心配をしないで済む。背中越しに感じる彼女の体温は先ほどよりも高く、冬の夜の冷たさは体に響く。急いで帰らなければならない。
しかし、その前に安瀬には聞いておきたいことがある。
「なんで熱あるのに飲んでんだよ」
俺は当たり前の疑問を彼女に投げかけた。
「あ、アルコールの解熱作用を試してみたかったでありんす」
「安瀬、アルコールに解熱作用はない」
俺の呆れた声に、安瀬は乾いた苦笑いで答えた。彼女の考えなしの回答に付き合いながら、今日の行動をさらに振り返ってみる。
「俺以外を呼んでないのはなんでだ?」
「万が一の時、我を運べるのは陣内だけであろう?」
「なるほどな。じゃあ、珍しく奢ってくれるって言ったのはもしかして……」
「もしもヤバくなった時の迷惑料代わりで
居酒屋の代金を生命保険代わりか。まぁ確かに俺なら喜んで看病するけど……。
「なら、急に口調を変えて変な雰囲気で迫ってきたのは?」
「…………そっちの方が面白いかと思って」
アレが演技だと考えると末恐ろしいやつだ。コイツが普段からあんな感じだったらもっとモテまくるだろう。
「はぁ」
あらかた安瀬の奇行の理由が解決したところで、大きくため息をつく。
俺には彼女に強く言いたいことができた。
「あのなぁ、安瀬」
俺の改まった様な口調を受けて、安瀬は背中で小さく丸まった。背後から『くわばら、くわばら』という声も聞こえる。俺からの雷に備えているのだろう。だが、そんなまじないを気にする事はなく、俺は彼女に容赦なく落雷を落とす。
「風邪ひいて、寂しくて、看病して欲しかったなら、今度からは回りくどい事せずにちゃんと言えよな」
「……え?」
俺の言葉に、安瀬は呆気にとられた間抜けな声を上げる。
「まだ半年程度の付き合いだが、それぐらいは分かるよ」
俺は自分の見解をツラツラと語り始める。
「どうせ、明日の講義は公的な理由でサボれるからラッキーとか思いながら家で寝てたら、思いのほか寂しくなっちゃって、俺なら飲みの誘いなら槍が降ろうが駆けつけるし、良い酒でも奢ってそれを理由に看病してもらおうって思って、でもなんか素直に頼むのが恥ずかしくなっちゃって、変な雰囲気で誤魔化しながら自白しようとしたんだろ?」
「な、なんでそこまで分かるでありんす!?」
「お前が馬鹿だから」
流石の安瀬も今回はぐうの音も出まい。
「ぐ、ぐぅ……」
うん、ぐうの音でちゃったな。ま、まぁ俺の推測は間違ってなかったようだ。しかし、今回のような事が再び起きないようちゃんと安瀬には釘を刺さねばいけない。
「安瀬、確かに俺は自他供に認める大酒酒飲みで喫煙者のろくでなしだけどな」
一つ前置きを置きながら、彼女を間違っても落とさないように深くおぶり直す。
「友達が熱出してる時くらいは、甘酒でも作りながら……看病するよ」
背後で安瀬が沈黙する。予想外の言葉に驚いてるようだった。さすがに病人の横で煙草を吸うつもりはないが、酒は我慢できないので甘酒くらいは許して欲しい。
「……っぷ、なんでござるかそれ。ふふ、結局、酒が飲みたいだけではないか」
堪えきれないように笑う彼女。思ったより元気で何よりだ。安瀬はひとしきり笑うと肩を掴んでいた手を首に回して、しっかりと体を密着させてきた。空いた肩に頭を載せて、俺に体を委ねる。そっちの方が安定感が増すので助かる。
「当たり前だけど、安瀬の方はもちろんノンアルな」
「えー……まぁ仕方ないでやんすね。ちゃんと治るまで禁酒禁煙じゃな」
「ははっ。そりゃ、明日は大雪だ」
疎らに立つ街灯だけが光る、二人だけの帰り道。俺と安瀬は風邪の事など忘れたように、仲良く談笑しながら帰路についた。
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翌日、俺は約束どおりに甘酒を
俺と同じように事態を聞いた猫屋と西代が看病に来た。猫屋は冷えピタやスポーツ飲料を持って駆けつけて、西代はグデグデになるまで煮込んだ病人食用のうどんを振る舞ってくれた。
俺たちの介抱もあって、安瀬は二日後にはケロッと復活したのであった。
この世界にコロナウイルスは蔓延しておりません。
また、コロナ蔓延前に作者も微熱状態での飲酒経験がありますが大変苦しかったため、決して真似してはいけません。