こましゃくれり!!   作:屁負比丘尼

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目まぐるしく、変わる変わる

 

 入院、16日目。真っ白な空間で特に変化の無い時間を過ごす日々。貴重な春休みはもう残り少ない。退院すればすぐに新学期が始まり、今度の長期休みは夏だ。本来なら、春休みは4人で旅行に行って酒を浴びるように飲んで過ごしていたはず。自業自得とはいえ、何ともやるせない。

 

 そんな病院生活ではあるが、退屈だけはしていない。その理由は俺の隣のベットにいる気の置けない女友達のおかげだ。

 

「いやーごめんねー、陣内。ご飯、食べさせてもらっちゃってー」

 

 俺は右手が使えない猫屋のために、病院食を彼女の口まで運んでいた。

 

「いいよ、別に」

 

 猫屋の怪我の責任を俺は取りたかった。何年掛かろうが完治するまで、俺は猫屋の右腕の代わりを(つとめ)る心づもりだ。……他人から見ればかなり重たい決心に見えるだろう。だから、この想いは誰にも内緒だ。

 

「ほら、もう一口」

「う、うん…………あーん」

 

 ニコニコ笑って、猫屋は食事を摂る。

 

「…………え、えへへー」

「?」

 

 猫屋の食事は毎回、俺が手伝っている。その度、彼女は何故か非常に機嫌が良い。病院食は薄味なので俺はあまり美味しいとは思えない。猫屋は超が付くほどの辛党のはずだが、意外と薄味の食事も好きなのだろうか?

 

「ご飯が終わったらさー、2人で一緒に()()()()舐めよーね?」

「そうだな」

 

 飴ちゃん、とは手巻き煙草(シャグ)の隠語だ。猫屋が親の目を盗んで病院に持ち込んだ大量の煙草の葉。それをキャンディと呼ばれる巻き方で俺が作成した。だから飴ちゃん。

 

「うへへへへー」

 

 病院生活でも煙草が吸えて嬉しいのか、彼女は猫のように愛嬌のある顔でへにゃっと笑う。

 

「…………」

 

 このつまらない病院生活での楽しみは猫屋とテレビを見ながらくだらない話をしたり、看護師さんたちの目を盗んで煙草を吸うくらい。なので猫屋の機嫌がいいのは非常に良い事だと思う。

 

 でもなんでこんなにテンション高いんだ、こいつ??

 

************************************************************

 

「すぅーーーはぁーーー……」

 

 背が高く、丈夫な屋上のフェンスに背を預けて煙草を燻らせる。

 青い空と程よく暖かい日光が気持ちいい。それに背もたれがあるから姿勢が楽だ。俺は肋骨が折れているためコルセットを装着しており、背を曲げる事ができない。肩肘張って常に綺麗な姿勢でいるのはどうにも疲れる。

 

「あ、え、えーと」

「? ……どうした?」

 

 猫屋は煙草を咥えたまま、火を点けずに突っ立っていた。

 

「ジッポ、部屋に忘れちゃったー」

「あ、そう。なら俺のライターを──」

「陣内」

 

 猫屋は俺の顔を一点に見つめて近づいてくる。

 

「せ、背中曲げられないでしょ? そのままじっとしててねー」

 

 そう言うや否や、猫屋は俺に真正面から寄りかかった。彼女は背伸びをして咥えた煙草を俺の火種に押し当ててくる。

 

「っ!?」

 

 煙草の先端同士が交わり、薄く火が灯る。シガレットキッス。その行為自体は何度も経験がある。なので、この程度で狼狽えるほど俺はチェリー君ではない。

 

 問題は煙草より下の方。

 

 直立不動の俺にしな垂れかかるように、猫屋は体を預けている。異常に柔らかい2つの感触。彼女は豊満な方ではないが、密着されれば嫌でもその存在を意識せざる負えない。それに加えて、燻された煙草の葉と本能に響く甘ったるい猫屋の香りがブレンドされた退廃的な薫香(くんこう)が肺に充満する。喫煙者の俺にとっては堪らない色香。こんなものを至近距離で嗅いではいけない。

 

 正直に言って、ヤバい。脳みそに直接、色彩豊かな油性ペンキをぶちまけられたような錯覚すら覚えた。

 

 俺は咄嗟に、腰だけを引かせた。理由は言うまでもない。硬いのを押し当てるわけにはいかないからだ。

 

「ん……」

 

 火が完全につくと猫屋はゆっくりと俺から離れた。

 

「はぁーーー…………美味しーね」

「あ、あぁ」

 

 上の空で返事をして、急いで猫屋に背を向けた。理由は言うまでもない。膨らんでる所を見られたくないからだ。

 

「えへへ、耳真っ赤にしてるー……」

「え?」

 

 俺の背後で猫屋が何か小声を発した。

 

「何でも無ーい!!」

 

 首だけで振り向き、彼女を視界に収める。猫屋は満面の笑みを浮かべて実に美味しそうに煙草を吸っていた。

 

「食後の煙草ってーー、マジで超おいしーよねー!!」

「まぁ、そうだな」

「これ知っちゃうとー、もう煙草が無い生活なんて考えられないって感じー」

 

 猫屋の発言はヤニカス過ぎて軽く引くが、今現在娯楽の少ない生活を余儀なくされる俺には結構共感できた。

 

「ふふ、ふん、ふーーん、ふーん、ふーーん」

 

 俺の目に映る、上機嫌に鼻歌を吹きながら喫煙する金髪の美人。彼女は銀色のピアスをチャリチャリと指で弄って遊んでいる。そのピアスは俺がプレゼントしたものだ。ピアスホールも一昨日に俺が開けてやった。猫屋は初めてのピアスが気に入っているのか、触るたびに嬉しそうな顔をしている。

 

「…………」

 

 その姿を見て、俺は思う。

 

 最近、コイツ超かわいい。

 常に上機嫌で笑っているし、表情が柔らかい。笑顔が魔性で妖艶。どんな男の心でもぶち抜ける破壊力が存在していた。

 

 端的に言えば、死ぬほどムラムラする……!!

 

 今、俺にはアルコールが入ってない。ノンアルコールも摂取できていない。つまり俺の精神状態はフラット。性欲有り余る21歳。猫屋が隣のベットに来てからは性欲の解消もできていないので欲求は溜まりに溜まり続けている。

 

「なぁ、酒も欲しくないか?」

 

 精神無敵盾が早急に必要だった。

 

 俺が病院に持ち込んでいた酒は小さなウイスキー瓶が一本だけだ。舐めるように飲むつもりだったのだが、猫屋との恥ずかしいやり取りの際に俺はそれを全て飲み干してしまった。

 

「……陣内はお酒欲しーの?」

「え、そりゃもちろん」

 

 酒の無い生活なんて俺には耐えられない。3日も酒を飲んでいないなんて、俺にとっては異常事態だ。

 

「そっかそっかー、仕方ないにゃー」

 

 彼女は猫なで声のぶりっ子で返事する。日差しのせいか顔が少し赤く見えた。

 

「なんだよ、お前だって酒は欲しいだろ? 俺の飲酒欲求はもう限界だ」

 

 俺はあくまで酒が飲みたいだけという体を装った。性欲を散らすために酒を欲していると猫屋に思われるのは恥ずかしくて死にたくなる。

 

「まぁ、確かに欲しーかも。酒と煙草があれば、いつもの生活と変わらないしねー」

「よし、なら決まりだな」

 

 病院内の売店には酒や煙草といった物は当然置いてない。なので、俺達が酒を調達する手段は1つだけだ。

 

「夜に病室を抜け出して酒を買いに行こうぜ」

 

 俺は脱走の共犯を猫屋に持ち掛けた。

 

「…………それいいねーー!! けっこう楽しそーじゃん!!」

「そうだろ!」

 

 看護師たちの目を盗んでの大冒険。お宝は酒。他にも病院内では手に入れられない体に悪そうなジャンクフードなんかも最高に美味しそうだ。

 

「ふひひ!! 陣内って本当にこういう事好きだよねー!!」

「ぐはは!! 猫屋だってそうだろ!!」

「まぁーねー!!」

「大人しく入院してるなんて俺達には似合わないからな!!」

「マジで同感!! やるならしっかりとルートを考えなくちゃねー!!」

 

 猫屋もかなり乗り気なようで嬉しい。明るく笑う彼女を見ると、やっぱり元気がでてくるな。

 

 猫屋の楽しそうな顔を見て、このような悪事が俺よりも大好きであろう女友達の顔が思い浮かんだ。西代は見舞いに来てくれたが、安瀬は未だに見舞いに来ていない。こんな計画は彼女が我先にと提案してきそうなものだ。……退院したら、真っ先に会いに行かないと。

 

「……この入院生活、お前が一緒だから退屈ではないのだけが救いだな」

「え、え、そう? 本当にそう思う?」

「あぁ、やっぱり1人じゃせっかくの悪事にも張り合いがない」

「そ、そうでしょー!! いやー、私ってホントにいい女ーー!! 傍に置いておくだけで効果を発揮するってわけよー!!」

 

 トイレの芳香剤みたいな自慢をしないでくれ。

 

「陣内は私に感謝してもっと甘やかしていいんだからねー!!」

「はいはい」

 

 でも、本当にいい女過ぎて困る時があるよな……。あ゛゛ー、早く酒が飲みてぇ。

 

 猫屋にそんな感想を抱きながら、俺は彼女と一緒に病院脱出計画を練り上げ始めた。

 

************************************************************

 

 カチャ、ババババッ、ドカバキドカバキ──

 

「ぐ、ぐぬぬぬ」

「えい」

「あ、まっ──」

 

 ガガガン、KO!!

 

「ぐぬぁー!! また負けたでござる!!」

「これで10連敗。格ゲーで僕に勝つにはまだまだ修行不足のようだね」

 

 場所は酒飲みモンスターズが新たに成約した賃貸。時刻は陣内達が病院脱走計画を練っている最中。安瀬と西代は木製のフローリングに敷かれた厚手の絨毯に座り込み、TVゲームに興じていた。

 

「ふふっ、ほら、敗者は安酒でも飲んでなよ」

 

 10連敗の屈辱に震える安瀬に、西代はテキーラがなみなみと注がれたグラスを差し出す。敗北のペナルティは飲酒行為の強要のようだ。

 

「……運動センスが終わっとる癖に、ゲームの類は何故そうも上手いのじゃ?」

「れ、連敗中の癖して、随分と憎まれ口を叩くじゃないか……」

 

 安瀬の歯に衣着(きぬき)せぬ物言いに、西代は何とも言えない表情を作る。西代は最近になってようやく自分が運動が苦手な事を自覚した。

 

「僕は1人っ子で暇つぶしによくゲームをやってたからね。この手の物は得意なのさ」

「我もよく兄貴をボコボコにしてたでありんす」

「最近はネット対戦があるから、僕の相手は全国の猛者だ」

「はぁ、納得でやんす…………次は負けぬでござるからな!!」

 

 威勢よく啖呵を切った後、安瀬はグラスを傾けてテキーラを一気に飲み干してみせる。

 

「う゛、かはぁ~~!! …………10杯も飲むと中々に効くのぅ」

 

 安瀬は少しだけふらつく。顔が少しだけ赤かった。

 

「しかし、安酒故かあまり美味くはないの」

「テキーラってポン酢を入れると飲みやすくなるらしいよ?」

「それ、前に陣内が『微妙だった』と言ってたでござる。それに拙者は酒に変な調味料を入れて飲むのには抵抗があるで候」

「……それなら、次は別の罰ゲームにしようか」

「ふむ。と、言うと?」

「敗者が勝者の言う事を何でも一つ聞く、というのはどうだい?」

 

 西代は意地の悪い笑みを浮かべて安瀬に重めのペナルティを打診する。

 

「きゅ、急に罰が重くなったであるな」

「なんだい? もしかして怖気づいた?」

「ぬかせ。勝負事で日和るほど、我の肝っ玉は小さくはない!!」

 

 10連敗中の身の上であるが、安瀬は自信に満ちた表所を浮かべる。

 

(ふふふ、負けそうになったら脇でも(くすぐ)ってボコボコにしてやるでござる)

 

 安瀬は卑劣な盤外戦術を脳内で練る。安瀬は勝つためには手段を選ばないタイプだった。

 

「お主が負けた時は、この安酒を空にしてもらおう」

「僕が勝ったら、陣内君のお見舞いに行ってね」

「っ!?」

 

 気が合う事に、目的のために手段を選ばないのは西代も同じだった。

 

「猫屋には会いに行ったのに、陣内君とは会わなかっただろう? わざわざ陣内君の入浴の時間を調べて、猫屋だけに会おうとするなんてね。そんなに彼に会いたくなかったのかい?」

「…………ふん」

 

 西代の追求を、安瀬は鼻で笑って受け流す。

 

「あのような(うつ)けの見舞いなんぞに、何故我が(おもむ)かねばならん」

「安瀬は対人関係にはけっこう不器用だよね」

「なにぃ?」

「お見舞いにマスクメロンなんて買っちゃってさ。(いく)らしたんだい?」

「勘違いするでない。あれは猫屋だけへの贈り物じゃ」

「なら退院祝いに買ってある(うぐいす)徳利(とくり)はいったいなんだい? 6万もする超高級品じゃないか。猫屋への物じゃないよね」

 

 西代の言葉に安瀬は目を見開いて驚いた。

 

「な、なぜお主がそれを知っておる!?」

「ふふっ、さぁ? 何でだろうね?」

 

 クツクツと人を喰ったように笑い、西代は言葉を続ける。

 

「金額で気持ちは伝わるだろうけど、物で謝罪を済まそうなんていうのはあまり感心しないね」

「べ、別に謝るつもりなどない。悪いのは、あの(たわ)け者であろう」

「そうだね。君の叱咤は至極真っ当で正当な物さ」

 

 そこは西代も認めていた。彼女も自分を誘わずに1人で動いた陣内には思う所があった。

 

「でも、怒りすぎた……そう思ってるんだろう?」

「………………」

 

 安瀬は悔いるように少しだけ俯く。

 

「まったく、仲直りにいったい(いく)らかけるつもりだい? 素直にお見舞いに行って、二三(にさん)ほど話せば済むことのはずだよ」

「今は……顔を合わせとうない」

「なぜ?」

「嫌われて……おるかもしれん」

「彼はそんな人じゃない」

 

 西代は安瀬の弱気をきっぱりとした口調で否定した。

 

「うん……」

 

 安瀬はこくりと静かに頷く。

 

「しかし、素直に謝るというのは……その、あれじゃ…………どうにも恥ずかしいでありんす」

「ふふっ、そうしていると安瀬は本当に可愛いね」

「うるさい」

「仕方ない。なら僕が特別に安瀬が一番会いやすい状況をセッティングしてあげよう」

「……どうやってじゃ?」

「僕の予想だと、今晩当たりがあの()()()鹿()()()()()だと思ってるんだ」

 

 西代は遠くを睨むように目を細めた。

 

「?」

「まぁ、詳しくは君がゲームに負けた時に話すよ」

 

 そう言って、西代はゲームのコントローラーを握り挑発的に笑う。

 

「僕は本気で勝ちに行くよ。賭け事で手を抜くのは信条に反するからね」

 

 西代の目が真っ黒に濁っていく。友人との約束を果たす為、彼女は本気モードに入った。

 

「安瀬も、まぁ、精々本気でかかってくれば?」

「…………」

 

 安瀬は黙ってコントローラーを握った。

 

 彼女は卑怯な盤外戦術を実行せずに、11連敗を素直に受け入れた。

 

************************************************************

 

「よっと……猫屋、怪我は大丈夫か?」

「全然へいきーー」

 

 深夜3時の真夜中。俺たちはカーテンで作った簡易的なロープで病室の窓から脱出した。

 

「というかー、2階くらいなら何もなしで飛び降りられたんじゃないのー?」

「帰り道どうするんだよ」

「壁でも蹴って登るー」

「忍者か」

 

 片手でそんな芸当ができるのは、身軽で運動神経抜群な猫屋だけだ。

 

「戦利品の運び込みもあるからロープは必須だったろ」

「あ、そっかー」

「俺たちの退院まで、まだ5日もある。毎日飲むなら結構な量が欲しいしな」

 

 朝昼夜と深夜。その全てに酒は必要だ。

 

「私ー、今はコンビニの激辛担々麺をビールで流し込みたい気分!!」

「俺はハーゲンダッツにウイスキーを垂らして食べたい」

「好きだよねー、それ」

「なんか食べてると一気にストレスが吹き飛ぶ。アイスはあの喰い方が一番旨い」

「あ、その感覚分かるーー! 私も辛い物食べて汗流すと疲れが嘘みたいに吹き飛ぶよー!」

「そこに追い酒と煙草だ」

「アハハハー!! 最強のやつじゃーん!!」

「今日は病室でパーティだな!!」

「だねー!! 夜更かしして朝まで二人で遊ぼー!!」

「へぇ? 面白い話だ。僕も混ぜて欲しいね」

 

「「え?」」

 

 バチバチバチバチ゛゛ッ!!!!

 

「あびばびゃびゃびゃびゃびゃびゃびゃゃぁぁああああッッ!!??」

 

 西代の声が背後から聞こえたその瞬間、強烈なスパーク音と供に猫屋が悲鳴を上げた。

 

「お、おい!? 猫屋!?」

「─────きゅー……」

 

 ぷすぷすと黒い煙を体から出しながら痙攣する猫屋。気絶したと思われる彼女を支えているのは()()()()()()()()()()()西()()だった。

 

「よし、最大敵戦力の撃沈に成功」

 

 彼女は戦利品を手に入れた蛮族のように邪悪な笑みを浮かべていた。

 

「お、お、お、お、お前、なんで……!?」

「それはこっちのセリフだよ、クソ馬鹿」

 

 西代は瞳をドロドロに濁らせて怒った風に話す。賭博の魔、西代さんモード……いや、違う。目の中のヘドロがまるで化石燃料のように燃えていた。その瞳には見覚えがある。以前、俺が酔っぱらって西代の本を踏んづけて(やぶ)いてしまった時に彼女はこのような目をしていた。

 

「怪我人の癖して酒と煙草? ……冗談は程々にしてもらいたいね」

 

 背後に不動明王の御姿が透けて見える、怒りの西代()()モード。

 

 この状態の彼女は本当に容赦が無い。本を踏み抜いた俺は怒った西代に包丁を突き付けられ、(やぶ)いた単行本全288ページを醤油に浸けて食わされた。しょっぱい紙の触感が最悪であり、畜生(ちくしょう)ヤギのような気分になってかなり屈辱的だった。翌日、俺は腹を下しながら同じ本を買いに書店へ走らされた。

 

 あの西代大激怒事件を受けて、彼女を本気で怒らせるのは絶対に止めようと思っていたのだが……

 

「君たちは今の時間、病室で大人しく寝ているはずだ。違うかい?」

 

 どうやら、俺達は西代をあの時よりも遥かに怒らせてしまったようだ。

 

「いや……その、それは──」

「僕の心からの心配を無下にするなんてね…………僕は悲しいよ」

「その心配する対象が電撃で伸びている訳だが!?」

「安心しなよ。既に人体実験は何回も済ませているから、電流の塩梅は最低限のはずだ」

 

 誰で人体実験したんだよ!! くっそ怖えわ!!

 

「さて、僕の悲しみの電撃を受けたくないのなら大人しく病室に戻ってもらおうか」

 

 西代はバチバチと放電するスタンガンを俺に突きだして威嚇してくる。

 

「ま、まじか」

「マジだよ?」

 

 西代の目が怪しく光った。目で語るとはまさにこの事。彼女の本気がひしひしと伝わってくる。

 

「気持ちは分からなくはないけど、アルコールは諦めて貰おうか」

「…………っ」

 

 俺に、酒を諦めろ、だって??

 

 その場合、どうなってしまうのだろうか。

 まず、俺の飲酒欲求と性的欲求がピークに到達する事は間違いない。ここで問題となるのは性的欲求の方。男のそういった感情は理性で抑え込めるものではない。男として21年間生きてきた俺は、その(さが)をきちんと理解している。アルコールを摂取できなければ俺は欲求に耐え切れずに狼となり、隣のベットで寝ている美味しそうな金髪美女の寝床に飛び込むと…………。

 

 そんな不義理で馬鹿な真似してたまるか!! 俺がコイツ等と一緒に居るには酒は必要不可欠なんだよ!!

 

「こ、こんな所で捕まるわけにはいかねぇんだよ!!」

 

 俺は共犯者(猫屋)を置いて走り去った。気絶した猫屋が重荷となって、西代は追っては来れないはずだ。西代もこれ以上の仕打ちを猫屋に与えたりしないだろう。

 

 最低でもノンアルコールは手に入れて帰還してみせる……!!

 

************************************************************

 

「……ふぅ。ちゃんとやりなよ、安瀬」

 

 西代は友達の仲直りを心から望む。

 

************************************************************

 

「はぁ…………はぁ…………い、いてて」

 

 少しの間、全力で走ったせいで脇腹が強く痛んだ。俺の肋骨は現在進行形で折れている。運動すれば当然こうなる。

 

 だが、全力の逃走のおかげで最寄りの24時間営業スーパーの駐車場に到着した。

 

「はぁ……早く酒飲んで痛みをしず──」

「痛みを止めたいなら、薬を服用するべきだと思うのですが」

 

 

 突如、凛とした声が夜の駐車場に響いた。

 

 

「…………」

「なんですか、その顔は? 私が来てあげたのですからもっと喜ぶべきでしょう?」

 

 俺の目の前でいつの間にか安瀬が仁王立ちしていた。

 

「…………」

 

 俺は急に現れた安瀬に目を奪われていた。驚いたわけではない。西代が居たのだから、彼女がいる可能性は十二分にあった。俺が度肝をぶち抜かれたのは()()()()()だ。

 

 長く綺麗な髪をドリル状に巻いたお嬢様ヘアー。黒を基調としたフリフリのドレス。靴は先端が丸くて底が厚い、黒塗りのヒール。100倍美化された等身大の西洋人形がそのまま動いているような姿。可愛さの白眉最良(はくびさいりょう)。これほどまでの美人を、どの情報媒体でも俺は見た事がなかった。

 

「…………」

「……陣内?」

 

 見惚れてしまった。

 

「…………」

「……何か話してください」

 

 安瀬の声を受けて、ようやく思考が巡りだす。

 安瀬の服装の趣味は和に寄っている。普段着として和服を着る事は無いが、部屋着は甚平であり、安瀬もそれを気に入っていた。そんな彼女が西洋風なゴスロリファッションの服を持っているはずがない。以前、俺が口にした好みの女性服。それを覚えていてくれて、わざわざその恰好で俺に会いに来てくれた。

 

 その理由は察しがつく。

 きっと、彼女は馬鹿な俺を許しに来てくれた。

 

「…………」

 

 その行為自体は落涙するほど嬉しい……嬉しい……嬉しいんだけど。

 

「くっっっそ不器用だな、お前」

「はぁ!?」

 

 俺は思わず本心をぶちまけてしまった。

 

「やっと口を開いたと思えば、何ですかその言い草は!!」

「あ、いや、悪い。……凄く似合ってるなその恰好。本当にしばらくの間、見惚れてた」

「…………それなら、まぁ、いいです」

 

 安瀬は強いウェーブのかかった髪を指で弄る。その姿は乙女チックで実に可憐だ。やっべ、酒が飲みたい。

 

「しかし退院を待ちきれずに酒と煙草を買いに走るとは……本当に呆れました」

「…………お前だって逆の立場なら抜け出すだろ?」

 

 彼女なら絶対にやる。俺と同じように下らない悪事に手を染めずにはいられないはずだ。

 

「そもそも私は貴方のような大怪我など負いませんから」

 

 そう言われると立つ瀬がない。というか下手な言い訳などせずに、早く今回の事を謝らないと……。

 

「あ、安瀬、改めてごめん。今回は本当に反省──」

「口だけならなんとでも言えます」

「うっ」

 

 本当にその通りだ。嘘つきの言葉などに信憑性はない。

 

「許して欲しいのなら行動で示してもらいましょうか」

「え」

 

 安瀬は冷めた視線を俺にやって、淡々とした口調で語りだした。

 

「まず金輪際、私に嘘をつく事は許しません」

「……はい」

「怪我が完治するまでアルコールと煙草は禁止です」

「…………はい」

「賃貸のトイレ掃除も半年間はやってもらいましょう」

「………………はい」

「バイトや学業で()った私の肩を揉みほぐす事を特別に許可します。嬉しいでしょう?」

「……………………はい」

 

 安瀬の容赦が無い誓約に俺は首を縦に振り続けた。

 

「…………後、最後に……その……」

 

 テンポよく俺を追い詰めていた安瀬が急に口ごもる。あの安瀬が口に出すのもためらうような内容。俺が悪いとはいえ、ちょっと震えてきた。

 

「一回、私をどこか遊びに連れて行きなさい」

「はい…………え?」

「1泊2日くらいのプチ旅行がいいです。日本の古い景観が残った観光地で酒と名産品を楽しむ……ふふっ、夜は温泉宿にでも泊って湯治(とうじ)と洒落込みましょう。あ、もちろん費用は全部あなた持ちですからね?」

「……そんなので許してくれるのか?」

 

 禁酒禁煙やトイレ掃除はともかく、最後の旅行は俺にとってはご褒美みたいなものだ。安瀬と行けば、絶対に楽しいに決まっている。

 

「ええ、はい。これらを守れるのであればの話ですが」

「その程度の事でいいのならお安い御用だ」

「貴方に禁酒などといった苦行ができるように思えませんが」

 

 確かに、俺は大の酒好き。だけど酒なんかよりも大切にしたい人が目の前にいる。

 

「……それでお前が敬語を止めてくれるなら、俺は多分我慢できるよ」

 

 強請(ねだ)るように情けない懇願をしてしまう。恥知らずで軟弱な話だが、土下座してでも俺は彼女の信頼を取り戻したかった。

 

「敬語……? あぁ、これでおじゃるか」

「っ!!」

 

 安瀬はあっさりと敬語を解いてくれた。

 

「この服装には、(かしこ)まった口調の方が似合っていると思っておったが、そうでもなかったかの?」

「……それだけか?」

「? それ以外に何があるぜよ?」

「いや……そっか」

 

 心の底から安堵して胸をなでおろした。……あの時、安瀬が口調を変えたのは馬鹿な俺を見限ったからではなかった。激情を隠すために自分を取り繕っただけなんだろう。

 

 あぁ……よかった。本当に良かった。安瀬の中で、俺という人間の立ち位置は変わってはいなかった。これからも、俺たちは一緒に居られる。失いたくない。あの忌まわしき出来事のように、俺の心の奥から誰かが抜け落ちるなんてのは耐えられない。二度目は、絶対に耐え切れない。

 

 多分この状況は西代が作ってくれたのだろう。彼女の言った通り、全ては元通りになった。ありがとう……西代。

 

 そして──

 

「ありがとうな、安瀬……!!」

 

 安心感に任せて、俺は心の底からのお礼を彼女に述べた。

 

************************************************************

 

 主人を慕う犬のように人懐っこい笑顔を浮かべる陣内。安瀬はその顔を直視できずに思わず顔を逸らした。

 

(す、素の口調に戻しただけでそんなに嬉しそうな顔をするでない!! こ、こっちまで釣られてしまいそうになる……!!)

 

 頬に手を添えて、安瀬は無理やり表情を取り繕う。

 

「け、怪我はどれくらいで完治するのじゃ?」

 

 安瀬は咄嗟に話題を変えた。

 

「1月半後だ」

「骨折であろう? 随分と早いでござるな」

「肋骨って治るのが早いらしい」

「そうであるか。まぁ、あまり激しい運動は控えるでござるよ」

「あぁ、完治するまではバイトも休む」

「うむ! それは良い心がけであるな!!」

 

 望み通りの陣内の返事を聞いて、安瀬は花咲くように破顔する。安瀬と陣内の(わだかま)りは完全に解消されたようだ。

 

 陣内はその安瀬の態度を見て、控えめに口を開く。

 

「な、なぁ、安瀬。ノンアルを飲むのは別に構わないよな?」

「当然であろう」

「だ、だよな!! ならせっかくここまで来たんだし、ちょっと買ってきていいか? 禁酒にはやっぱり、代用品ってのが必要だろ?」

「……お主、そんな感じで本当に1月以上も禁酒できるでありんすか?」

「それは約束だから本気でやる。もし破ったら絶交してくれても構わない」

 

 陣内は覚悟の決まった目で安瀬を見据えた。

 

「そ、そこまで重く(とら)えるでない、阿呆」

「……それもそうだな。じゃ、ちょっと行ってくるわ。すぐ済むからここで待っててくれ」

 

 そう言って、陣内は1人でスーパーに向かって行った。

 

「………………ん?」

 

 その姿を見送っている安瀬に、天啓が落ちる。

 

(待て……1月半の……()()、じゃと??)

 

 安瀬は陣内と交わした約束について深く思慮を巡らす。

 

(もしや、これは…………好機?)

 

 安瀬は陣内の減欲体質については当然把握している。彼はひとたび酒を飲めば裸の女を目の当たりにしても、風邪をひかないように毛布を掛けてその場を立ち去る様な精神状態になってしまう。

 

 だが、しかし。

 

(これからの共同生活。あ奴は1月半もの間、()()()()()()()()()()事になる……)

 

 安瀬は自分の体と容姿にだけは絶大な自信があった。

 

(攻め時は……今?)

 

 陣内に恋慕の感情を抱いているのは猫屋だけではない。

 

(手を出させるだけでよい……あ奴は、女を手籠めにして責任を取らぬ男ではない)

 

 過去数度行われた、陣内梅治を誘惑する、もしくは意識させるといった内容の催し。その発案者は全て安瀬だ。あれは主に自分を意識して欲しくて画策した物。しかし、今までの作戦は陣内の減欲体質のせいで全てが不発と終っている。

 

(こ、告白されるのが一番であったが、この好機にそんな気長な事は言ってられん!! この1月半で、わ、我に骨抜きになってもらうでありんす!! この1月半が勝負所じゃ!!) 

 

 陣内はノンアルコールでも減欲体質を発動する事ができる。その事を安瀬は知らない。

 

(くふふっ!! 年貢の納め時であるぞ、陣内!!)

 

 恥を掻くだけで終わりそうな安瀬の思惑。彼らの共同生活は、今までよりもさらに混迷を極める事になるだろう。

 

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