6月の初旬。梅雨に入るか入らないか、ギリギリの季節。
その深夜。俺の目の前で薪が燃えている。
唐突だが言わせてもらおう。キャンプというアウトドアは一度手を出すときちんと継続する事が義務付けられる。大金を払ってキャンプギアを揃えたのだ。一度で飽きるのには勿体ない。
そんなこんなで、俺達4人は見晴らしのいい高地の大草原まで来ていた。草原と土がまだら模様に点在する空間が見渡す限りに広がっている。
「星、ちょー綺麗……!!」
「雨が降らなくて良かったでありんす」
空には満点の星空だ。
座りどころの深いローチェアに体を委ね、空を見上げる。同時に、タンブラーに注いだ香り高い
「空を眺めてメタクサを飲むなんて中々粋だよね」
「ん? あぁ、そうだったな」
メタクサは宇宙で初めて飲まれたお酒らしい。
宇宙飛行士はきっと、重力に囚われずに宙を彷徨う菓子グミのようなブランデーをズズッと啜って飲んだ。……味に変化はあったのだろうか? そんな想像をすると何故か無性に面白い。
「宇宙って凄いよな……。銀河系とか馬鹿デカくて、今も無限に膨張してたりして、すっげぇ遠い感じなんだろ? はぁー、すっげぇ……」
酒と煙草をキメながら、宇宙に思いを馳せ、闇の中で神々しく燃える焚火を眺める。
そうすると、ぜーんぶどうでも良くなる! 永遠とこうしていられるような錯覚すら覚えてしまった。
「宇宙について考えてると、なんか将来の漠然とした不安とか無くなるわ」
「"宇宙の広さに比べたら私の悩みなんて"と言うやつでござるな。……と言うか急にどうした、陣内? 悩みでもあるのか?」
「……いや、別に。この間、寝る前にユーチューブで宇宙の解説動画見ただけだ」
「それ寝れなくなるやつじゃーん」
「そもそも、動画を見てその理解の浅さかい?」
「睡眠時間を削っただけであったな」
「あ゛ぁ゛ーうるせぇ゛ー」
キャンキャンと騒ぐ酒飲みモンスターズを適当にあしらい、ブランデーを飲み干す。液体そのものが
「陣内、宇宙の動画見ちゃったからー、キャンプに行きたいって言いだしたのー?」
「あぁ、そんな感じだ」
適当に誤魔化して返事をする。今回のキャンプの発案者は確かに俺だ。だが、その目的は天体観測なんかではなくもっと単純。
……最近、なんかすげー疲れてる。
大学をサボらずに足繫く通う。安瀬との旅行費用を稼ぐためにバイトを詰め込む。新しい資格の習得のため再び自主勉強を始めた。その3点のせいか……倦怠感が凄い。疲労がピークに達している。
なので疲れをぶっ飛ばしたかった。最高の環境で、最高の酒と煙草をキメたかったのだ。
俺はクーラーボックスからビールを、懐からは煙草の入った缶ケースを取り出した。
プレミアムモルツとザ・ピースだ。
主観が入るが、ビールの中で一番優秀なのはプレミアムモルツだ。誰が飲んでも美味いと言う高品質なラガー。5種類ある味覚の中の1つ、『苦み』に目覚める事ができる普遍的に最強のアルコール。炭酸で弾けるホップの味わいが堪らない。
では煙草界の完全無欠とは何か? それは論ずる必要なくザ・ピースである。1箱1000円という高級シガレット。その特徴は何と言っても雑味が一切存在しない事だ。バニラ豆の自然な甘さとバージニア香が完璧な調和を成している。喉に引っかかりが無く、煙が気管を降りて行く吸い心地はもはや恐ろしいまである。
「……ふへへへへ」
俺はプルタブを開封し、顎をしゃくるようにして一気にプレモルを飲み下した。ゴキュゴキュとたいして味わいもせずに胃に流し込む。
「ぶふぅ…………すぅー……」
缶の半分ほどを飲んだ直後、次はピースを咥えて雑に煙を吸い込む。クールスモーキングなんかを気にせずに、多量の薫香を口内に充満させる。紙巻きの先端が勢いよく灰へと変わっていった。
「ぶはぁぁぁぁ……」
あ゛ぁ゛ー、幸せ。
この2つは、例え味覚が発達しきっていない中坊が摂取しても美味しさが理解できる程の組み合わせだ。きっまるぅぅ……。
「あーー!! それザッピじゃん!!」
猫屋が青と金の缶ケースを指差して驚いた。次に出てくる言葉を想像するのは容易だ。
「1本ちょーーだい!!」
ザ・ピースは値段が高い。おまけに売り場も少なくて入手が少し面倒…………まぁしかし、ケチだと思われるのも癪だ。
「ほれよ」
俺は渋々、細い煙草を猫屋に向かって投げ飛ばした。
「陣内、我も欲しい」
「僕も」
「…………」
無心の嵐だ。高い煙草を開けたらこうなるか。
「はいはい」
俺は素直にピースを提供した。ヤニカスモンスターズは俺から煙草を受け取ると、一斉に咥えて火を灯す。
「ふぅーー……。吸いやすいのにー、ニコチンとタールがそこそこある感じがいいよねー、コレ」
「相変わらず旨いね。高級品だから普段吸いはしないけど……」
「で、あるな。常用品はメビウスで十分じゃ」
安瀬の言葉を受けて、ふと、俺達の吸っている煙草の銘柄は各自バラバラだなと思った。
俺がウィストン。
安瀬がメビウス。
西代がセブンスター。
猫屋はラッキーストライクを基本にして他にも手巻き煙草、ボング、シーシャ、シガリロと何にでも手を出す。
「……良い煙草もあるし、効き煙草大会でもやるか?」
「おっ、いいねー。それ私、自信あるよー」
「たしか、前のキャンプでも効きビール大会をしたよね」
「うむ。その時は猫屋が最下位であったな!」
「うぐっ……で、でも今回は絶対に負けないからねーー!! 汚名をきっちり返上させてもらうってーー!!」
「よし。なら最下位は罰として鼻で煙草を吸ってもらおうか」
御煙草様の味が分からんヤツは、風味を鼻粘膜に直接覚え込ませるべきだろう。
「もちろん、両穴で吸えよ? まさかとは思うが、俺達の中にこの程度の罰ゲームで怖気づくビビり君はいないよな?」
「「「…………乗った!!」」」
そうして、夜は騒がしく更けていった。
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──ザぁぁぁぁぁ。
「ん、んん……」
寝袋の中で、ゆっくりと目を覚ます。
(…………鼻が痛い)
昨日、鼻で煙草を吸ったせいで鼻奥がつーんとしていた。
何が効き煙草大会だ。2度とやるか。
ザァぁぁ、ザァぁぁぁーー。
雨だ。雨が降っている。テントに雨粒がぶつかる音が響いていた。雨音と湿気が合わさって気持ちがいい。環境音が安らぎを生み出している。
「…………ん? 雨?」
雨を認識した瞬間、一気に意識が覚醒した。
「やっべ!? 起きろお前ら!!」
「「「……ん?」」」
「雨はまずい!! い、急いで外のテーブルとか片づけるぞ!!」
「「「うぅ、えぇ?」」」
酒飲みモンスターズはまだ意識がハッキリとしていないようで、
「起きろクズども!! 俺は片付け始めてるから絶対に二度寝するなよ!!」
しゃっきりしない彼女達に罵声を飛ばし、俺は弾かれたようにテントから飛び出した。
「ぐぁあ、最悪だ!! 死ぬほど振ってやがる!!」
多くの雨粒が俺を濡らす。
外に置いていた椅子、テーブル、焚火台がずぶ濡れだ。テーブルの上に置いていた人数分の煙草も水分を吸って使い物にならなくなっていた。
「あぁ、くそ……!!」
缶ケースに入っているおかげで被害を免れた数本のザ・ピースをポケットに突っ込み、俺は急いで片付けを始めた。
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「……ふぅ。これで大体は車に詰め込めたか」
雨が降る中の撤収作業は迅速に終わった。一時的な避難として、車のトランクに全てのキャンプギアを詰め込むことができた。
酒飲みモンスターズは些か遅れてテントから出てきたが、ちゃんと撤収作業を手伝ってくれた。
「はぁ、朝の優雅な時間が消え失せたでありんす」
今は縦開きのバックドアを雨よけにして、俺と安瀬はキャンプギアについた水滴や泥を1つずつ掃除している。猫屋と西代はテント内で
それらの作業が終われば、テントを畳んでキャンプは終了だ。名残惜しいが雨が降ったのなら仕方ない。
「コーヒーとか作って飲みたかったよな…………ん?」
車を後ろから眺めていると、変な違和感を感じ取った。
視線の先は車内前方の座席。ハンドルのある位置が斜め上に傾いて見える。
「ま、まさか」
その場に急いでしゃがみ込み、リアタイヤを確認する。
「どうした陣内? 急にしゃがみ込んで」
「…………」
後部の両タイヤは泥濘に沈み込んでいた。軽自動車の狭いトランクに4人分のキャンプギアを詰め込んだせいで後部に荷重がかかり、ぬかるんだ地面に食い込んだのだ。
「な、なぁ安瀬。ちょっと車を動かしてみてくれないか?」
「……ま、マジでござるか?」
俺の行動と一言で、安瀬は全てを察したらしく青い顔をしていた。
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結論から言うと、車は一切動かなかった。
エンジンをいくら吹かしても、車輪は空転を繰り返すのみ。後ろから運転手以外の3人で押しても、泥に足を取られた車はびた一文として前に進まなかった。
「もーー、何でこうなっちゃうかなーー」
「今日の天気予報は晴れだったはずなのに、ついてないね」
「山地にノーマルタイヤで来たのがそもそもの間違いだったな」
「キャンプの経験不足がもろに出てしまったの」
テント内で円状に座って、俺達はぶつくさと文句を言い合う。外では未だ結構な量の雨が降り続けていた。帰宅手段を失ったので、俺達はテント内に閉じ込められた事になる。
……しかしまぁ、実はそこまで危機的な状況というわけではない。
「明日は快晴ぽいしー、昼まで待ってタイヤの泥を拭いたら何とかなりそうだよねー」
「そうでござるな」
「最悪、明日も雨が降っていたら公道まで歩いて出てタクシーを呼ぶか」
「麓のホムセンまでチェーンを買いに行くわけだね」
「あぁ」
車に着けるチェーンがあれば、泥沼からの脱出も簡単だ。金が凄くかかるという点にさえ目を瞑れば無事に帰ることはできる。
「うむ、では」
パンっと安瀬が手を叩き、俺達3人の視線を集めた。
「今日はここでもう一泊して、明日安全に帰宅するという結論でよろしいか?」
「「「異議なし」」」
災い転じて福となす。疲れていたので何もしない日というのはむしろありがたいかもな。今日は寝袋に横になってスマホでも弄りながらボーっと過ごそう。モバイルバッテリーもある為、充電の心配もない。
「でもご飯とお水はどーしよー?」
「水は問題ないでござる。近くに湧水を排出する水場があるぜよ」
「飯はまだベーコンとウインナーがあったから、そこに白飯だな」
「少し彩りが足りないけど仕方ないね」
カセットコンロがあるので火の確保も問題ない。
「まぁ、一応は危機的状況な訳でござる。申し訳ないが、個人の食糧や物資を共有してもよいか?」
「謝るなよ。当然の判断だろ?」
「そうだね。至極真っ当な話だ」
「安瀬ちゃん、こういう時は本当に頼りになるよねー」
「そ、そうかの……?」
安瀬は少しだけ顔を逸らした。素直な賞賛が恥ずかしかったのだろう。だがやはり俺らのリーダーは彼女だ。ぶっちぎりの信頼がある。
俺達は安瀬の指示通り、自分の荷物を漁って共有する物を集め始めた。やっている事は厳格だが、本当に危機感はない。完璧に閉じ込められているわけでもなく、食糧難に喘いでいるわけでもない。緊急事態と言うには大袈裟だ。
数分後、俺は自分の出せる物を彼女たちの前に晒した。他3人も物資を提供する。
テントの一角に様々の物が積みあがった。菓子類、ジュース、ウェットティッシュ、紅茶パック、モバイルバッテリー、カイロ、その他多数。
だがそこに、酒と煙草は一切提出されなかった。
「「「「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」」」」
テント内の空気がどす黒く淀んでいく。俺を含めた4人から、暗黒の瘴気がほとぼしった。
「おろろ? 皆の衆、少し品ぞろえが悪いようじゃが?」
わざとらしい声音で安瀬は周りに圧を掛けた。
「そうだね。きっと自分だけ良い思いをしようとする卑しい人間がいるせいだ」
外の泥濘地より汚れた瞳を、西代は俺達に向ける。
「ここで物資を共有しない奴はー、後でぶちのめされても文句は言えないよー??」
猫屋はもはや直接的な脅し文句を口にした。
「まぁまぁ、全員落ち着けよ」
暴動寸前の彼女達に落ち着くよう声をかける。
「今の俺達は仮にも運命共同体だ。そんな中で、1人だけ物資を独占しようなんてカスがいるわけがない。そうだろ?」
「……陣内の言う通りでござるな!!」
「いやーー、ごめんね疑っちゃってーー!!」
「あはは……!! 僕も素直に反省する事にするよ! 仲間を信じられなかった未熟さを恥じるばかりさ」
「いやぁ、俺達って本当に硬い絆で結ばれてるよな!!」
闇の3女どもの反応で確信を得る。物資を隠しているのは絶対に俺だけではない。酒飲みモンスターズも何かを隠している。
「「「「………………………………」」」」
自分の嗜好品を守りながら、他人の財産を白日の下に晒して奪い取る。今日はそういったコンセプトの戦いだ。
疲れていたのでちょうどいい。この陣内梅治、この状況下で誰よりも裕福でストレスフリーに休日を過ごして見せよう。