こましゃくれり!!   作:屁負比丘尼

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鉄火場

 俺が思い出せる最古の記憶というのは、母親と叔母が泣いている姿だ。

 

 まだ3、4歳くらいの時分。母方の祖父が亡くなって、俺は葬式という物に初めて参列した。

 

 幼児だった俺は、見知らぬ場所に連れてこられた好奇心で胸が一杯。まだ、人が死ぬという事を理解できる年齢ではなかった。

 

『式場で騒がないように』と父さんに大好きな棒飴を買ってもらったので、流石に探検ごっこなどはしなかったが、この時、俺に悲観的な感情は一切存在しなかった。

爺ちゃんの遺体は綺麗な死化粧が施されており、眠っているようにしか見えなかった事も要因だろう。

 

 ただ、火葬炉に爺ちゃんが入ったその瞬間、母さんと松姉さんが泣き崩れた。

 

 ……2人が何故泣いているのか、分からなかったはずだ。それでも、幼い俺の胸中は今までとは真逆の感情で埋め尽くされた。

 

 大好きな母と叔母の悲痛な姿が、俺には耐えられなかった。

 

 甘い飴を放り捨てて、2人の元に駆け寄り、一緒に泣いた。

 2人も俺を抱きしめて、わんわんと、子供のように泣いた。

 

 たぶんこれが、俺が(あわれ)みという感情を覚えた瞬間だった。

 

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 ──ピンポーン

 

「………ん、ぉ」

 

 霞が掛かった視界が部屋の眩しい白色灯の光で鮮明になっていく。

 

 どうやら少しの間、寝落ちしてしまったようだ。パチンコで眼精疲労が酷かったので当然とも思える。

 

(なんか最近、夢見が悪い)

 

 ひどい内容の夢を見た…………気がするのだが、全く思い出せない。

 

 夢ってのは思い出そうとしても、思い出せない時があるからモヤモヤするな。

 

 寝具横のサイドテーブルに置いてあった部屋吸い用のアイコスに煙草を突っ込み、電源を入れる。それを手に持ったまま寝具から起き上がり、呼び鈴に導かれるように台所を横切った。

 

 加熱が完了した煙草を咥え、陰鬱な気分のまま玄関扉を開ける。

 

「どうも、お邪魔するよ」

 

 外に立っていたのは、紙袋を持った小柄な女。西代桃だ。

 

「すぅ……はぁー…………おう、入れ」

 

 煙を外に吐き出しながら、彼女を家に招き入れる。

 

 西代を一目見て、頭に詰まった埃が綺麗に吹き飛んだ。

 

 美貌に見惚れた、などという意味では決してない。これから行われる金の奪いあいに、胸がときめいただけだ。

 

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 パチンコ店の換金所。そこで、俺たちは博打の約束を取り付けた後、一度別れた。

 

 当たり前だが、個人間での賭け事は法律で禁止されている。悪事は人目を憚って行うのが世の常であり、そうなると最適な候補と言えるのは自室だ。

 

 西代は俺に自宅の場所を知られるのを嫌がったので、自然と賭場は俺の家になる。

 

 人を家に招くのなら、俺は一応部屋を綺麗にしておきたかった。そして、西代も何やら用意したい物があったらしい。

 

 その2点の理由で俺たちは一旦別れ、俺の部屋に集合して、今に至る。

 

「君、随分と良い所に住んでいるんだね」

 

 座布団を敷いただけの床に座った西代が、キョロキョロと俺の部屋を見渡す。

 

「一人暮らしにしては部屋が広いし、ここって大学からも凄く近いよね。家賃、かなり高いだろう?」

「ん、あぁそれか」

 

 確かに、ここの立地は最高だ。大学から徒歩5分であり、2DK。その好立地の為、本来の家賃は9万円にもなる。

 

「ここの賃貸、俺の叔母さんの物なんだ。だから格安で住まわせてもらってる」

「…………親戚が個人でマンションを所有、ね」

 

 西代が急に冷ややかな流し目を俺に向ける。

 

「君って、もしかして金持ちの子?」

「いいや? 叔母さんの旦那がお医者さんでな。金持ちなのは親戚の方だ」

 

 俺の家は両親が共働きであり、子供は俺1人だけ。なので経済的に裕福な方ではあると思うが、金持ちと言うほどではない。

 

「てか俺の事情なんてどうでもいいだろ? ほら、とりあえず金出せよ、金」

 

 俺はそう言いながら、今日儲けたあぶく銭を床にぶちまけた。合計、6万6千円だ。

 

「そうだね……ふふふっ。こんなの、不必要で、無駄な雑談だった」

 

 金を見た西代の目が一気に濁る。

 彼女はうすら寒い微笑を浮かべながら、俺と同様に財布から札を軒並み引っこ抜き、床にそっと万札を並べた。

 

「血が蒸発するような熱い戦いが始まるって言うのに、呑気に構え過ぎたよ。気を引き締め直さないとね……くひひひ」

「…………」

 

 瞳をドブ色に染める彼女のテンションはやたらと高い。躁の気が猛り狂っている。凄く楽しそうだ。

 

 よくよく考えたら、俺が親族を除いて初めてこの部屋に招いたのってコイツかよ。女がどうこう以前に、なんか微妙な心境になるな……。

 

「……それでよ。準備がしたいって言ってたが、何を用意して来たんだ?」

「はぁ? そんなの、コレに決まっているだろう?」

 

 西代は持参していた紙袋に手を突っ込んだ。

 

「どうせなら正規品でやりたいと思って、わざわざ家から持って来たんだ。良品だから、手荒には扱わないでよね」

 

 取り出されたのは笊壺(ざるつぼ)盆茣蓙(ぼんござ)、ピップが黒い2つの(さい)

 

「おい……まさか、丁半(ちょうはん)か?」

「そうだよ?」

 

 丁半とはサイコロを使った和製ギャンブルの事だ。

 サイコロを壺に入れて振り、逆さにして出た目を隠し、その出目の合計が偶数()奇数()かを当てる、と言ったシンプルなゲーム内容。

 

「僕は確かに、()こうを()れって言ったはずだ。君だってそれで同意したじゃないか」

「え、あ、あぁ、うん、そうか。そうだったな」

「……はぁ、分かってなかったんだね」

 

 歯切れの悪い返事を聞いて、西代がため息をつく。

 

 ……前後の会話とニュアンスだけで判断していたが"()こうを()る"とは、"丁半博打をする"という意味だったらしい。"賭け事をする"という意味だと誤解していた……。

 

「まぁ、いいや。それよりも早速、実際のゲームの手順を決めよう」

 

 心得違いしていた俺を尻目に、西代は話を続けようとする。

 

(まわ)(つぼ)……じゃ伝わらないか。公平を期すために壺振りは交互にやって、振らなかった方が壺を開く。それでいいだろう?」

「あぁ、文句はない」

「それで、一番重要なお金の賭け方だけど、直ぐに終わったら詰まらないから賭け額には天井を設けて──」

「いや、それはちょっと待て」

「ん、なに?」

「丁半に文句はないけどよ……やっぱり、そのままやるのは面白みに欠ける。だからルールを少し弄ろうぜ」

「僕はそのままでも十分面白いと思うけど……一体、どういった具合に?」

「賭け銭を罰杯(ばっぱい)に変えよう」

「?」

 

 ピンと来ていない様子で、彼女は首をこくりと傾げた。

 

「簡単な話だ。まず最初に、出目を予想する側が、グラスに任意の量の酒を注ぐ」

 

 俺は西代の笊壺を手に取って、それをグラスに見立てて説明を始める。

 

「それで、予想を当てたら壺振り側に全部飲ます。外した場合は自分で酒を飲み干す。最終的に、()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 床に直置きされた、俺と西代の現ナマ。それを雑多にまとめ、横に除けた。14万8千円の札束は、触れるだけで射幸心を刺激する。

 

「勝った方は、賭け金を全て総取り。どうだ? 分かりやすいだろ?」

 

 要するに、1対1のゼロサムゲームを酒の潰し合いに変えただけだ。

 

「なるほどね。金と健康、君はその両方を賭けろと言いたいわけか……」

 

 提示された倫理観マイナスの変則丁半。それを聞いてなお、彼女は笑みを深くする。

 

「はははっ、気に入ったよ。その変則ルール……!! 」

 

 目の前のギャンブル馬鹿女は、俺のゆすり行為にムカついていた。

 そして俺の方は、彼女に博打という名の喧嘩を売られた。

 なら、金だけ奪ってハイ終わりってのじゃあ収まりが悪い。

 

 分捕りとノックアウト。行きつく先は、より凄惨なほうが望ましい。

 

「あぁ先に言っておくけど、女だからって僕を舐めないでよね。飲んだ経験は少ないけど僕、お酒はかなり強いよ。両親と初めて飲んだ時だって驚かれたんだ」

「へぇ、そう」

 

 西代の戯言を適当に聞き流す。俺が女より酒に弱いなんてのは天地がひっくり返ってもありえない事だ。多少自信があるようだが懸念点にすらならない。

 

「…………それともう1つ。もし酔いに任せて襲おうとしたら、嚙み切るから。そのつもりでね」

 

 ドブ色の瞳が更に暗く曇る。彼女は今日一番の敵意を俺に向けてきた。

 

「誰がそんな事するか、アホ。気色悪いこと言ってんじゃねぇ」

「ふんっ、どうかな? 男なんてみんな獣みたいな物だろう?」

「…………俺は酒飲むとそういう気分にならねぇんだよ」

「……?」

 

 俺の低い呟きを聞いて、西代は怪訝そうな表情を作る。

 

「……まぁいいや。それより、イカサマ行為があった場合の事も決めておこうか」

「あ゛? んなもん、グラスなみなみの酒を一気飲みでいいだろ」

「ん……言われてみればそうか。今回みたいな場合で過度にイカサマを咎めるのは無粋だね」

「そういうこった。酒はちゃんと飲みやすいヤツを用意してやる。あぁ、これは俺の奢りだ。だから遠慮せず、()()()()()()()()()()()()()()

「ははっ、気遣いは嬉しいけど遠慮させてもらうよ。ちゃんと、()()()()は置いて帰ってあげるさ」

「………ふ、ふははははは」

「………あはっ、あはははは」

 

 笑うという行為は本来、攻撃的な物である。あれはきっと迷信ではない。

 

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 ロックグラス、8本脚の蜘蛛がプリントされた酒瓶、氷が一杯のZIMAバケツ。それらを持って、俺は台所からリビングへと戻って来る。

 

「お酒を用意するだけなのに、随分と遅かったね?」

「悪い、ちょっと選定作業に難儀してな」

 

 時間を掛けてしまい、西代を待たせてしまった事を素直に謝る。

 

「このゲームに合いそうな酒を色々考えてたんだよ。まぁ、結局テキーラに落ち付いた訳だけどな」

 

 俺が持ってきたのはTRANTULA(タランチュラ)。透き通るような薄水色が美しいお酒だ。

 

「……たしかに罰杯にはテキーラのイメージだけど、また随分と物騒な名前のお酒だね。やっぱり、度数が高いのかい?」

「安心しろ。普通のテキーラよりは低い。それにこれはシトラス(柑橘)フレーバーを配合してるから甘くて無茶苦茶飲みやすいぞ」

 

 俺は色々と嘘をついた。

 

 コイツの度数は35%。標準的なテキーラの度数は40%なので、5%しか低くない。

 

 タランチュラはその甘い飲みやすさからレディキラーとして非常に有名であり、弱い奴なら5杯も飲む前に沈むことになる代物。何も知らない女に飲ますには打ってつけだ。そもそも厳密に言えばコイツはテキーラに分類されないのだが、そこら辺も含めて彼女に説明する必要はない。

 

「へぇ、そうなんだ。僕、お酒ってワインしか飲んだことがないから少し楽しみだよ」

 

 俺が用意した高度数の酒を前にして、何も知らない西代は悠長に構えていた。

 

「準備も出来た事だし、早速始めようぜ。順番はどうする?」

「互いに用意した物の基準にしよう。君はお酒で、僕は壺振りだ」

「分かった。なら早速1杯目を」

 

 グラスに氷を入れた後で慎重に酒瓶を傾け、見せつけるようにタランチュラを注ぐ。量はツーフィンガー程度だ。

 

 テキーラといえばショットで飲むイメージが強いが、長時間飲む場合はやはり氷で割るべきだ。冷めた液体は甘さを感じやすいため飲みやすく、酒精で火照った体には心地よい。

 

「まぁ初戦だから量はこんなもんで」

「妥当だね。それじゃあ次は僕だ」

 

 西代は指の間に賽2つを挟み、壺の底を俺に見せつけてくる

 

「では…………入ります」

 

 惑わすようにふらふらと両手を振った後、素早くサイコロを壺に放り込み、そのまま勢いよく茣蓙(ござ)に叩きつけた。

 

「丁か、半か。さぁ、どっち」

 

 残心を残すように軽く壺を引いて、西代は壺から手を完全に離す。

 

 無駄に凝った演出だった。道具を揃えてたくらいだし、練習していたんだろう。

 

「丁だな。俺は丁に賭ける」

 

 俺は特に何も考えず、直感に従った。

 

「そうかい。ならご開帳をどうぞ」

「…………」

 

 彼女の言葉に従うまま、俺は笊壺を持ち上げる。

 

 出た目はサブロクの半だった。

 

「ふふふっ、悪いね。初戦は僕の勝ちみたいだ。さぁ、早速自分で注いだお酒を飲み干しなよ」

「いや、待てよ」

 

 俺はポケットから、冷蔵庫に貼り付けてあったマグネットを取り出した。先ほど酒を作りに行った際にポケットに忍ばせておいた物。それを、ゆっくりとサイコロへと近づける。

 

 丁半の道具は全て彼女が用意した。疑いを持つのは当然だった。

 

 ──カチン

 

「……………………」

「……………………」

 

 呆気ないほど簡単に、不正は発覚する。

 

 サイコロの内部に、磁石が埋め込まれていた。

 

「おい、カス。何か言いたい事はあるか?」

「っふ、何かを言えというのなら、賛辞を述べてあげよう。よく見抜けたじゃあないか、陣内君」

 

 パチパチパチと、西代は大仰に拍手を送る。同時に、袖に仕込んでいた電池で動くタイプの電磁石を外して俺に見せつけてきた。

 

「まぁこれは軽い挨拶みたいな物だよ。やっておかないといけない定番ネタ、みたなものさ。イカサマはバレても敗北ではない訳だしね」

 

 不正を働いたはずの彼女は、あり得ないほど堂々としていた。ふてぶてしく、ニヒルな笑顔で笑っている。

 

「そうかよ」

 

 事前にイカサマについて取り決めていたし、()()()()1()()()()()()()()ので、怒鳴るような事はしない。

 

「言いたいことは分かるが、それはそれとしてちゃんと飲めよな」

 

 ただし、それは罰杯をきちんと処理するのが前提の話。

 

 コポコポと、もう1つのコップに並々と酒を注ぐ。イカサマ発覚のペナルティ分だ。

 

「もちろん。僕はそこを誤魔化すような人間じゃない」

 

 西代は黒く濁った瞳のまま、グラスを手に取り、口に添える。そしてそのまま勢いよくグラスを返した。

 

「んっ、んっ、んっ……!」

「お、おい……!?」

 

 白くて細い喉が躍動し、酒をどんどん奥へと流し込んでいく。ものの数秒でタランチュラは飲み干された。

 

「ぷはっ…………何だい、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして。言っただろう? 僕、お酒は強い方なんだって」

「ちげぇよ!! 良い酒なんだから味わって飲め!! 罰杯だからって適当に流し込んでるとぶち殺すぞコ゛ラ゛!!」

「…………怒る所そこなんだね」

「当たり前だろうが!! いいか!? 洋酒ってのはそもそも輸入に関税がかかるからな国産のとは違ってだな────」

「うるさいな。そばで騒がないでくれ」

「あ゛ぁ゛ん!?」

「ちゃんと美味しかったよ、これ」

 

 西代がもう1つのグラスを手にし、その衝撃でカランと氷が崩れる。先ほどと違い、彼女は優しく酒に口をつけた。

 

「んっ……ふぅ。本当に甘くて飲みやすいね。よく冷やしてあるから、まるで氷菓子みたいだ」

「……そうか」

 

 逆手でチビチビとテキーラを味わう彼女が呟いた感想は、概ね満足いく内容だった。

 

「なら、まぁ、いいんだ。美味しかったのなら、それでいいんだ。旨いもんな、タランチュラ。うんうん、俺も大好きだ。とにかく冷やして飲むと旨いんだよな、これが」

(なんでそんなに嬉しそうなんだろう…………変な奴)

 

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 カラカラと壺の中でダイスが舞い、トプトプと酒瓶が鳴く。丁半を宣言する声には自然と熱が入り、腹奥の丹田がじりじりと焦げつく。

 

「んっ、んっ…………ぶはぁ」

 

 臓腑に追加の熱が落ちる。冷めた液体を嚥下しているのに、体が熱くなるのが度数の高いアルコールの楽しい所だ。

 

「くくくっ、良い飲みっぷりだね?」

「うっせ。煽ってんじゃねぇよ」

 

 酒は美味い。だが、負けが込むのは面白くない。

 

 ここまでの勝ち負けは、7戦、2勝、5敗。飲んだ酒の量は圧倒的に俺が多かった。

 

「はぁ……次だ、次。酒注いでやるから、ストップって言え」

 

 俺は次の罰杯を注ぎ始める。次戦は8戦目だから、俺がサイコロを振り、彼女が酒の量を決める番。

 

「ストップ。それくらいでいいよ」

 

 俺はグラス半分程度で酒を注ぐのを止める。先ほどからずっと、酒を注ぐのは俺がやっていた。

 

 罰杯の量が定まったので、床にグラスを置き、サイコロを壺に放り投げる。茣蓙(ござ)の真ん中に壺を叩きつけ、俺は勝負相手を睨んだ。

 

「丁か半か、どっちだ?」

「ふふっ。さぁ、どうしようかな?」

 

 背の低い彼女が、俺の顔を下から覗き込む。その表情には、自信と侮りが張り付いていた。

 

(くっそ、この女。調子に乗りやがって……)

 

 西代は、またイカサマをしている。勝率から見てそれは明らかだ。

 

 彼女は俺が壺を振った時だけ、確実に予想を的中させていた。

 

 西代が言った通り、最初の磁石入りサイコロは挨拶のつもりだったのだろう。今度のは何をしているか本当に分からない。

 

 丁半博打の有名なイカサマは"針を使った物"や"毛返し"。前者は床下に自分の息が掛かった者を忍ばせ、下から針を使って出目を変える。後者は笊壺に髪の毛で糸を張り、それによって出目を操作するといったイカサマだ。

 

 当然だが、今はどちらも不可能。現代のフローリングに針を通せる穴など存在しないし、壺の中身は毎回チェックしているが糸らしき物は見つからない。

 

「うん、決まった。今回は丁にしようかな」

「……じゃあ、開けろよ」

 

 白くて小さな手が、壺を持ちあげる。現れたのはニロクの丁。また西代の勝ちだ。

 

「おやおや、今日は随分と付いているようだ」

「……ちぃっ」

 

 ニコニコと笑う彼女とは対照的に、俺は顔を屈辱で歪めて酒を呷った。

 

************************************************************

 

「んっ、おぉ……」

 

 頭がぐらぐらと揺れている。どれくらいの回数やりあったか分からないが、既に酒瓶の内容量は9割を切った。

 

 相変わらず、俺の勝率は3割程度。短期間で高度数のアルコールを摂取しすぎたせいで、強い酩酊状態にある。

 

 これはまずい、本当にまずい。

 

「さぁ、次は君の番だ。それとも、もうギブアップかな?」

「ぬかせ。誰がそんなことするか」

「みっともなく吐き散らす前に諦めた方が良いと僕は思うけどね」

「ぐ、ぐぬぬぬ……」

 

 たとえ急性アルコール中毒で倒れたとしても、ギブアップなんぞ宣言してたまるか!

 

 苛立ちを誤魔化す為、何の変哲もないサイコロを手中で強く握りしめる。

 

「…………ん?」

 

 そうしていると、敏感な指先に妙なざらつきを感じた。

 

「ん? んんん?」

 

 ツルツルとしているはずのプラスチック製ダイス。だがしかし、四角形の辺の部分だけが、何故か少しだけざらついていた。

 

 目視できないほどの小さな傷跡。指先で触らなければ、決して気がつかなかったであろう違和感。

 

「…………」

 

 試しに、フローリングの床で何度かサイコロを振ってみる。しかし、思ったような結果はでず、ダイスはランダムな目を出すだけだった。

 

「おやおや、どうしたんだい? サイコロはちゃんと新品の物を開けただろう? それはグラ賽なんかじゃあないよ」

「……………………」

 

 その通りだった。

 サイコロは先ほどの磁石入りの物から変更した。それも西代が用意していた物だが、そちらはパッケージに包まれた未開封の物であったため、俺は特に疑うことなく使用していた。

 

 ただ、最初からこのような傷は無かった。新品なので当たり前だ。

 

(これは絶対に、後から西代に付けられた傷だ…………そうなると、その理由はなんだ?)

 

 そんな物は決まっている。傷による摩擦で、ダイスの目を操るため。

 

 ただ、フローリングのツルツルした床では、出目は一定にならなかった。

 

「…………」

 

 今まで壺を叩きつけていた盆茣蓙(ぼんござ)の中心部分に俺は指を伸ばす。

 

「ぁ、ちょ──」

 

 俺が触った部分だけ、い草ではなく、やたらと摩擦係数が高い透明のジェルが塗ってあった。

 

「んだよ……手品の種はマットにあったか」

「はぁ……やられた。まさか、この仕掛けに自力でたどり着くなんてね。中々、鋭いじゃないか」

 

 西代は観念した様子で、紙やすりと複数のサイコロをポケットから取り出した。

 

 新品のサイコロを開けた後、彼女は紙やすりを使って目立たない程度の傷を付けた。そして、傷と摩擦床で強烈なブレーキをかけたのだ。この方法なら、振り手が他者であろうとも出目をコントロールできる。他のサイコロは出目が偏らないようにするために、別途に用意しておいた傷入りサイコロと入れ替えて使っていたのであろう。

 

「しかし惜しいね。この勝負、イカサマを反則負けにしなかった時点で僕の勝ちは確定しているのさ」

 

 彼女は掛け金となっていた方のグラスの酒を一瞬で飲み干す。

 

「ふぅ……。見ての通り、僕はまだまだ飲める。さっきも言ったけど、早めにギブアップしたらどうだい?」

「いや? ギリギリで間に合った。何とかなって一安心だぜ」

 

 俺は空のグラスにペナルティ用の酒を勢いよく注いだ。酒瓶の酒はそれで底をつく。

 

「? 何を言ってるんだい? 言っておくけど、勝負は酒を別の物に変えて続行だからね」

 

 西代は憎まれ口を叩きながら、俺が注いだ酒に口をつける。

 

「悔むのなら自分の浅慮をくや────ぶはぁ゛ッ!!??」

 

 次の瞬間、西代がはじけ飛んだ。

 

「ぉえ゛!? ぁ゛、あちゅぃッ……!! の、のと゛がや、や゛ける……!!」

「あぁ、間違っても溢すなよ? ちゃんと全部飲み干すまでがペナルティだからな」

「そっ、そ゛れより、こ゛、これ!! こ゛れは、いったい!?」

「実はな、この酒瓶の奥の方だけ()()()()()()()()()

「は、はぁ!? 君は何を言ってるんだ!?」

「ほら、カクテルとかでグラデーションを作ったりするだろ? 理屈はあれと同じだ」

 

 スピリタスの原液に、八重泉バタフライピー(群青色の酒)を一滴。それでタランチュラと全く同じ配色をした劇物ができあがる。あとは砂糖を混ぜて比重を重くしてやれば、その差を利用して綺麗に分ける事が可能だ。

 

「まぁ、お前が何かやってくるのは目に見えて分かってたからな。サマの2個や3個は見つかるだろうと思ってたし、予め仕込んどいたんだよ」

 

 この酒を持って来た際、酒の選定に時間が掛かったと言ったが、あれも嘘。俺が酒選びで時間を掛けるはずがない。スピリタスの仕込みをしていて遅くなっただけだ。

 

 また、俺が酒を注いでやっていたのも善意から来るものじゃない。酒瓶をゆっくりと傾ける事で、内容物が混ざるのを防いでいたのだ。

 

「ほら、飲めるもんなら飲んで見ろよボンクラ。言っとくがこの勝負『酒を飲めなくなったヤツの負け』だからな」

「こっ、この酒クソ野郎……!! よ、よくもこの僕にこんな物をっ!! ぉ゛ぇ゛ッ」

「がはははは! アルコール初心者にスピリタスは厳しいか!!」

 

 西代が苦しそうに喉を抑える姿を見て、俺は声高に笑う。

 

 正直かなり運任せな作戦だったが、とんとん拍子で上手くいって良かった。

 

「これで金は俺の物だな!! ははははは!! ざまぁねぇなバーカ!!」

「ッ……!!」

 

 俺が罵倒しながら札束に手を伸ばしたその時、西代の眼光がより一層、腐食する。

 

 彼女は真顔でグラスを口元に構えた。

 

「んく゛ッ!! んぐぇ、ぉ、ぉき゛ゅ、き゛ゅっ、ん゛ん゛ッ……!?」

「な、なにぃ!?」

 

 西代が酒を飲み下すその音は悲鳴に等しかった。

 

 彼女は体中を震わせながら、スピリタスを飲み下したのだ。

 

「ぶはぁッ!! ぜぇ……ぜぇ……!! さ、さぁ、新しい酒を用意しなよ……ぼ、僕は、見ての通り、まだまだ平気だぞ!!」

「おい、待て。お前が話しかけてるのタンスだぞ」

 

 見当違いの方向を向いて、彼女は虚勢を張っていた。

 

「うるひゃい! 今はひょっと焦点が合わないだけりゃ!! 勝負はここかりゃが本番だ……!! バカにしやがってぇ、絶対に許さないっ、ボコボコにしぃぇやるからな!!」

 

 先ほどまで冷静だった彼女の情緒が壊れた。黒髪を振り乱し、今度は衣装ラックに向かって啖呵を切る。

 

「…………」

 

 顔を真っ赤にしてふらつく彼女を俺は冷静に観察した。

 

(……あれ? コイツ……もしかしてマジでかなり酒強い?)

 

 焦点も呂律も狂っているが、意識はハッキリとしている。スピリタスを結構な量飲んだはずだが、意外にもまだ元気が残っていそうだ。 

 

(ま、まぁ、もう少し飲ませたら流石に潰れるだろ)

 

 俺の方も意識が混濁を始めていて辛いが、ここで手を緩める気は無い。

 

「……分かった、まだやるって言うなら、別の酒を用意してやるよ。さっきよりも度数が高いのをな!!」

「ふんっ、上等さ!! 僕は一歩だって引く気は無いからね!!」

 

 押せば倒れる。

 満身創痍な彼女にとどめを刺すべく、俺は追加の酒を用意するためふらつきながら台所へと赴いた。

 

************************************************************

 

 その後の勝負は、身を切るような飲酒合戦だった。

 

 イカサマなど行う余裕のない純粋な運否天賦。サイコロに自身の生命を委ねるような激戦を、俺たちは繰り広げた。

 

「お゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛」

 

 結果、俺は便器に顔を埋めていた。

 

「う、ぅく゛、ぉぉ、おっ、お゛、お゛ぇ゛……!! ぅ、うゥッ、お、お゛っ、え゛え゛ぇ゛!!」

「き、君ぃ……ぼ、僕に、そ、そんな汚い音を聞かせ、ない、で……ぅぅ゛ッ」

「ぉ、お前も嘔吐(えず)いてんじゃねぇか……」

 

 トイレのドアを一枚挟んだ所から、西代の声が聞こえてくる。声音から察せられる通り、彼女もグロッキーだ。

 

(ま、まさか俺よりアルコール耐性が強い女が存在するなんて……!!)

 

 彼女のアルコール耐性は俺の想像以上だった。間違いなく、俺よりも強い。

 

 スピリタスをぶち込まれた状態で、俺が吐くまで粘りやがった……!!

 

「つ、次、僕だから、早く、変わって、くれ゛……」

「はぁ……はぁ……ちょ、ちょっとま、ぉッ、お゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛」

「ぅっぷ……!! も、もう僕、無理ッ!!」

 

 ガラリと、横開きのドアが開く。俺がトイレで吐いている途中なのに、西代が個室へと入って来る。

 

「スペース開けて……横に逸れて!! お願いっ!!」

「お゛、おまえ゛、馬鹿じゃねぇの!? ま、まだ俺が吐いてる途中……ぅおぇ、お゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛──────────」

 

************************************************************

 

 ──チュンチュンチュン

 

 朝を告げる鳥たちの鳴き声。ぼんやりと意識が覚醒する。

 

「……………………」

「……………………」

 

 狭いトイレの個室で目を覚ます。すると、西代と目が合った。彼女もたった今、目覚めたようだ。

 

「お、おはよう……」

「おぅ、おはよ……」

 

 壁を背もたれにして眠ったせいで、肩と腰が痛い。もっと言えば、二日酔いで頭も痛い。万力で締め付けられるような痛みが延々と続いている。

 

「…………」

「…………」

 

 半生半死。死にかけの状態で、ボーっと互いが互いの顔を俯瞰で見つめる。

 

 昨夜、俺と彼女は運命共同体だった。

 

 1つの便器を共有しながら、口から何も出なくなるまで互いの背をさすり合った。涙と胃液をいっぱい流しながら、互いに痴態を晒し続けたのだ。

 

「…………もう僕……お金とかどうでもいいや……」

「お、俺も……苦しすぎて、それどころじゃない……」

 

 地獄を共にし、今なお後遺症に苦しむ俺たちは同じ結論に至る。

 

「そ、それじゃあ……僕もう帰るから……帰って寝るから……お布団で、20時間くらい寝たいから……」

 

 壁に手を添えて、西代は何とか床から立ち上がった。

 

「あぁ…………()()()、西代……気を付けて帰れ」

「う、うん」

 

 西代は短く返事を返して、トイレから出て行く。バタンと、玄関扉が閉まる音が聞こえてきたので、一目散に家に帰ったようだ。

 

「あたま、痛て、ぇ」

 

 西代と同じように壁に手を添えて、何とか立ち上がる。ふらふらする体を何とか制御して寝室まで赴き、重力に逆らわずにベットに倒れ込んだ。

 

 この分だと、今日も大学は自主休講だ。

 

(…………アイツ、スゲェ馬鹿だったな)

 

 西代(にししろ)(もも)

 

 あいつ、クズだ。

 

 生まれてこの方、見たことがないタイプのクズだ。

 

 大学をサボって朝からパチンコ店で遊び、大勝した金を使って違法賭博を提案。その後は嬉々とした様子で不正を働き、最終的に俺を超えるアルコール耐性を見せつけた。

 

 あんな珍獣は、女と呼べる生物じゃない。

 

 アレはただただ面白いだけの怪物であり、女とは決して呼べない。

 

 俺が大嫌いな女とは、まるで違った……。

 

 ぐわんぐわんする脳内で、俺は西代をそう評価づけた。

 

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