こましゃくれり!!   作:屁負比丘尼

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化けの皮が剥がれだす

 

「なぁ、西代。人生で睡眠薬を盛られた経験ってあるか?」

「あるわけないだろう……」

「だよなぁ……」

 

 中央宿舎の屋上。俺はスカイブルーの天上を憂鬱に見上げながら、西代と作戦会議という名の雑談に興じていた。

 

 話題は当然、あの西代と渡り合って勝ち越している安瀬についてだ。

 

「人に躊躇なく睡眠物質をぶち込めるのは某お子様探偵くらいさ」

 

 西代の瞳の中で毒蛇がとぐろを巻く。水晶体の荒れ具合から察するに彼女は相当悔しがっているようだ。

 

「くそっ……僕はまだあのイカレた女の勝ち誇った顔が忘れられないよ」

 

 イラついた様子で西代は煙草のフィルターに噛みつく。

 

「ちょっと待て、西代。携帯灰皿は持ってんのか?」

「…………そういえば持ってなかった」

「じゃあ、ストップ。最低限のマナーは守ろうな」

 

 しかめっ面の彼女の口から、まだ火が付いていない煙草を抜き取る。

 

「あ、ちょっと!!」

「ほら、こっちにしとけ」

 

 怒られる前にすかさず、俺は酒の詰まった水筒を彼女に突き付けた。

 

コアントロー(オレンジリキュール)のアップルジュース割りだ。ふふっ、複雑で濃厚な甘さが、お前のイラつきを溶かすように解消してくれるだろうよ」

 

 自分事ながら、なんて的確な気配りなんだろうか。甘味とアルコールは幸せ脳内物質を爆増させる。これで西代の不満も和らぐに違いない。

 

「…………まぁ、今は気がまぎれるならなんだっていいよ」

 

 悪態をつきながらも彼女は水筒に口をつける。

 

「んっ、んっ…………甘くて美味しいね、これ」

「そうだろう、そうだろう。なんせ俺の特性ブレンドだからな」

「…………愚痴はここらへんでやめて、現状の分析と、これからの対応について話し合おうか」

 

 俺が思った通り、お酒のおかげで西代の機嫌は少しばかり良くなったようだ。

 

「腹立たしいけど、僕の勝利はもうあり得ない。残る結果は引き分けだけだ」

「あぁ、そうだな」

 

 戦績は、1負け1分け。次の勝負で勝っても引き分けになる。

 

 引き分けは理想の展開であるのだが、こちらが負け越しているのは想定外。未だ気を抜ける状況ではない。

 

「それを踏まえてまずは認識を改めよう。この勝負は初めから、課題の優劣を競い合う物じゃなかった」

「…………」

 

 お前は何を言っているんだ? とツッコミを入れたかったが現実はその通りだった。

 

 破壊工作にスパイを使った投薬。……よくよく考えてみれば安瀬のとった行動は最適解に等しい。西代との実力差を覆すためには妨害は必須だった。

 

「そして僕らが保有しているパソコンは1つ。各チューター班に配られた1台のみだ」

「ん? あぁ、そうだな」

 

 安瀬はこのオリエンテーションに自分のノートパソコンを持参してきたが、学習意欲が皆無の俺たち三馬鹿は持ってこなかった。よって、安瀬チーム、西代チームともにパソコンは1台ずつ。

 

「当然、それは安瀬も承知しているはずだ。そうなると、彼女が取ってくる手段は1つ」

 

 周囲の空気が一気に重くなった。西代の黒い瞳がより漆黒に染まる。

 

「安瀬はパソコンの奪取、もしくは破壊を目的として()()を仕掛けてくるはずだ」

「……は?」

「襲撃時刻はおそらく深夜。人目に付いたら間違いなく大問題になるだろうからね」

「なぁ、これって何の課題だっけ? 陸上自衛隊の演習とかでしたっけ?」

 

 流石にツッコミを入れざる負えなかった。人に夜襲をしかけるのは情報工学科ではなく野戦特科部隊あたりがやる事だ。

 

「なんだいその言い方? 僕の予想が信じられないのかい?」

「いや、だってよ……」

「人に睡眠薬を盛るようなやつだよ? それくらいはきっとやる」

(……………………なんで、こう、話が際限なくややこしくなる?)

 

 俺は今、一体何をやっているのだろうか。どのような形でもいいから安瀬の大学生活を楽しい物に変えるのが、俺の目的だったはずだ。

 

 そのはずなのに、どんどん本来の目的から遠ざかってるような……。

 

「に、西代ちゃんすっごーい!! よくそこまで安瀬ちゃんのやばい作戦を見抜けるねー!!」

「「っ!?」」

 

 突如、背後から飄々とした女声が耳を打つ。

 

 驚いた俺と西代は反射的に背後に振り向いた。

 

「「ね、猫屋!!」」

「あ、あははー!! ど、どーも……ずる賢い裏切り者の登場でーす!!」

 

 引きつった笑顔を浮かべながら、猫屋はおかしな決めポーズを取る。表情から察するにその心情は気まずさに溢れていそうだ。

 

「…………」

 

 睡眠薬を盛った張本人のご登場に、西代の頬っぺたがぷくーっと膨らむ。

 

「に、西代ちゃん、改めてごめんねー!! で、でも、安瀬ちゃんに許してもらうにはあーするしかなくってさー……」

「…………ぷい」

「おい、ガキかよ」

 

 変な効果音をつけながら西代は顔をそむける。

 

 どうやら完全に安瀬の味方になってしまった猫屋が面白くないらしい。自分でそうなるように立ち回ったはずなのに、なんとも大人気がない……。

 

「ご、ごめんって西代ちゃーん……」

「猫屋、携帯灰皿は持ってるか?」

 

 腰を低くして謝る猫屋に、俺は灰皿の有無を尋ねた。

 

「え? そ、そりゃー常備してるけどー……」

「なら、ほらよ」

「んっ」

 

 不貞腐れている西代の口に、先ほど取り上げたセッターを突っ込む。

 

「猫屋、火をつけてやれ」

「あ、はいはーい!!」

 

 間髪いれずに猫屋はジッポを開いて炎を灯す。

 

「すぅ、ふぅー…………僕の機嫌を取るには酒と煙草で十分だって?」

「違うのか? この2つさえあれば大抵の事は許せるぞ、俺。猫屋だってそうだろ?」

「え、えぇー? そんな雑な感じで同意を求めないでよー……まぁー、たしかに煙草があれば大抵の事はどうでもよくなるけどさー?」

「……ふっ、君たちって本当に馬鹿だよね」

 

 クツクツと、西代は呆れたように笑った。彼女はほほ笑んだままゆっくりと煙を吸い込み、艶やかに吐き捨てる。

 

「ふぅー……それで猫屋。君は何でここに? まさか適当にぶらついて屋上に来た訳じゃあないだろう?」

「あー、えーと、私は降伏(こうふく)の使者ってやつー? それで2人を探し回ってたー」

降伏(こうふく)だって?」

「実はー、ここに安瀬ちゃんからの伝書を預かってましてー……」

 

 猫屋は懐から真っ白な書状を取り出した。その紙には、やたらと達筆な筆文字で『降伏文書』と書かれている。

 

「じゃあ早速読み上げるねー…………んっ、ごほん」

 

 折りたたまれた半紙を広げ猫屋は内容を読み上げ始める。

 

「西代、貴様の敗北はすでに確定したようなものだ。これ以上無様を晒す前に、(みずか)ら私の眼下にて首を捧げろ。さすれば(くだ)り首に免じ、その中身の詰まっていない空っぽの頭を踏み抜くだけで勘弁してやろう」

「…………」

「また随分と挑発的な降伏状だな……それ」

「う、うわー、やっばー……」

 

 西代の眼に、再び闇が蔓延する。その変異を見て猫屋はダラダラと冷や汗を流した。

 

「こっ、こっ、これって私の言葉じゃないからねー? 全部、安瀬ちゃんが筆を持ってノリノリでしたためた文章だからー……わ、私は何も関与してないからー……」

「……そうかい。なら猫屋、帰ってあの外道女に伝えてくれ」

「な、なーに?」

「降伏なんて誰がするかっ!! 最後の最後まで抵抗するから覚悟しておけってね!!」

「は、はーい!! 必ずそう伝えときまーす!! じゃ、じゃあまた後でねー!!」

 

 西代に怒鳴られながら、猫屋は一瞬で屋上から去っていった。

 

 猫屋のやつ、板挟みで超大変そうだな……。

 

「ふぅー、ふぅー!! あれが投降の書状だって!? 安瀬桜ぁ……ふざけやがってぇ……!!」

「お、落ち着けよ西代。ほら、お酒だ」

「僕は冷静だ!! 落ち着いてるよ!! んっ、んっ、んっ……!!」

 

 荒々しく俺から水筒を奪い取り、乱雑に飲みくだす。その様はとても冷静には見えなかった。

 

「ぷはぁっ…………逃げるよ、陣内君。こうなったら徹底的にだ」

「え? 逃げる?」

 

 好戦的な態度とは真逆の発言に思わずオウム返しで聞き返す。

 

「さっきの書状は挑発だ。安瀬はきっと、僕が逃走を図らないように楔を打ち込んできたつもりなんだろう。でも逆さ。誰がアイツなんかの思惑通りに動いてやるものか」

「あぁ、なるほど。明日の品評会がある朝9時まで行方をくらませるつもりか」

「その通りさ。パソコンさえ無事なら僕たちの勝利は100%確実なわけだからね……!!」

 

 冴えわたる逃走計画。猫屋から借りっぱなしの携帯灰皿に灰を落としながら、西代は作戦の方向性を定めていく。

 

「ただ、問題は潜伏先の選定だね。尾行が難しく、人目につかない場所が望ましい。加えて、宿舎からそれほど離れていない場所が理想なんだけど…………そんな都合のいい場所がどこかにないかな……」

「なんだ、それなら打って付けのがあるだろ」

「え、どこだい?」

 

 煙草を咥えたまま、彼女はこくりと首を傾げる。

 

「ここは山だぜ? 安物のテントさえ用意すれば、潜伏する場所には困らないだろうよ」

 

***********************************************************

 

 そして時刻は21時を過ぎたあたり。空は暗く、蒼い満月だけ輝く真夜中。

 

「なぁ西代、もうちょっと詰めてくれないか?」

「無理だね。これ以上広がったら、テントが破けちゃうよ」

 

 俺たちは人の手が入っていない森の中を抜け、比較的になだらかな地面にテントを張って身を隠していた。

 

「……もっといいテント買えばよかったな。2000円のシングルテントは流石に予算をケチりすぎた」

「いいじゃないか、別に。僕は狭くてもそこまで気にしてないよ」

「そうか?」

 

 互いの肩が密着するほど距離が近い。だが相変わらず西代はそういう男女の機微をまるで気にしない。

 

「うん。それに僕、ギャンブルと本以外の出費は嫌だよ。無駄だしね」

「…………」

 

 道楽に散財したい気持ちは理解できるので『そもそもギャンブルが無駄な出費だ』という言葉はなんとか飲み込んだ。

 

「というか陣内君、君の荷物が多すぎるのがそもそもの問題じゃないかな? ただでさえ狭いテントがもっと狭くなってるよ」

「仕方ないだろ。山で野宿するんだ。キャンプグッズと救急セット、それに酒盛り用の酒とつまみは必須だった」

「後半はほぼ無駄の物ばかりでびっくりだね」

「あ゛ぁ゛ー、聞こえねぇな」

 

 西代が課題作業を進めている昼間のうちに、俺は麓のショッピングモールに降りてこれらを準備しておいた。これで万が一のことがあっても大丈夫。スマホにGPSアプリも互いに入れてあるので迷うこともありはしない。

 

「……あれ? ちょっと待て。俺たちは準備万端で山入りしたけどよ、もしあの2人が俺たちを探しに山に入ったらまずいんじゃねぇの? 迷ったりしたらやばいぞ」

「よく考えて物を言いなよ。僕たちが山に入った確証があるならまだしも、それも知らずに夜中の森に入るような馬鹿はいないよ」

「……それもそうか」

 

 森に入る際に、安瀬と猫屋の尾行がないかを入念にチェックした。なのでこの場所での野宿は彼女たちにバレてはいないだろう。

 

 心配事がなくなったので、俺はバッグからビールを取り出して呷った。

 

「んっ、んっ、ぶはぁ…………西代も飲めよ。外で飲むビールは格別にうまいぞ」

「……………………」

「西代?」

 

 西代からの返事がない。その代わりのように、彼女は無言のまま、俺の肩に頭を預けしな垂れかかってくる。

 

「おい……な、なんだよ」

「陣内君。君には、特別に、たった1つだけある()()()()を晒そう」

「は? 弱点」

 

 脈絡のない話に首を傾げる。

 

 弱点……とは一体どういうことだ?

 

「僕は高所であっても平気だし、例え獰猛な動物に出会っても怯むことはない。目に見える障害なら、なんだって恐れる事はしないんだ。……で、でもね」

 

 狭いテントの中、西代がさらに身を寄せて腕を絡める。

 

「ぼ、僕、お、お化けだけは本当に無理なんだよね。この暗い中、ビールなんて飲んでトイレに行きたくなったら、僕は1人で外に出られる自信がない……」

「…………お、おま、冗談だろ?」

 

 世の女性の中でトップクラスに怪異的な存在から、まさかの弱点が告げられる。

 

「お、俺たちもう20歳なんだぞ? なのに……ぶふっ、お、お化けって、お、お前なぁ……」

 

 この年になってそんな物に震えている西代がおかしくて、ふつふつと笑いが込み上げてくる。

 

「う、うるさいね!! 半笑いで茶化すなよ!!」

「い、いや、だってよぉ……」

「に、苦手なものは苦手なんだ!! 仕方がないだろう!! 小さいころ、おじい様に死ぬほど揶揄われて──」

 

──ガサガサガサ

 

「ひっ!! な、な、なに!?」

「ちょっ」

 

 悲鳴を上げながら、西代が腕を絡めるを通り越して抱き着いてくる。

 

 柔らかさだけで構築された異性の体が俺に強く密着した。

 

「いやだから、近いって……」

 

 低い背丈と、確かに存在する女性らしい胸元。それに加えて幽霊なんかに怯えるその仕草は、女性として相当な破壊力を有しているのだろう。

 

 俺は酒を入れているので変な気を起こすことはないが…………正直、素面だったら結構やばかったかもしれない。この変な体質になって1年くらい経つが、初めてこれに感謝した。

 

「たぶん小動物の類だろ。キツネとかウサギとかだ、気にすんなよ」

「ほ、本当に……? お、おばけじゃない??」

「だから、んなもんが存在するかよ。いいからとにかく離れて…………ん?」

「な、なに!? 変なところで言葉に詰まらないでよ!!」

「いや……西代、背中に何かついてるぞ?」

「え?」

 

 抱き着く態勢になっているせいで、彼女の背面が大きく視界に映る。彼女の腰の辺りには、缶バッジサイズの物体が張り付いていた。

 

「なんだ、これ?」

 

 マジックテープで付けられている物体をぺりぺりと引きはがし、西代に見えるよう目の前に持っていく。

 

「これって……スマートタグ(発信機)じゃないか!?」

「はい?」

「ま、まさか、()()()()()()()()……!! 昼間背後から声をかけてきたあの時に…………ま、まずい!! この場所はもう既に捕捉されて──」

 

 ──カラン

 

「「え?」」

 

 西代が焦って俺から離れたその瞬間、テント内に筒状の何かが投げ込まれた。

 

 フ゛シュュゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウウ────────ッ!!

 

「うわ!? な、なんだ!?」

 

 突如、テント内に濃煙が立ち込める。

 

「ごほっ、ごほっ!! は、発煙筒(はつえんとう)だって!?」

「うぇっ!? げほっ、げほっ!! く゛、苦しいっ……!!」

「じ、陣内君!! とりあえず避難だ!!」

「お、おぅ……」

 

 目を刺すような痛みのあまり、最低限の荷物だけを手にして俺たちは転げるようにテントから飛び出す。

 

「けほ、けほっ……!! 一体、何が…………いっ!?」

「わっ!?」

 

 呼吸を落ち着かせようとしたその時、色彩が眩しい球体状の物体が後頭部に直撃し、べちゃっ!! と炸裂する。

 

「な、なんだこれ? ……夜光塗料??」

「防犯のカラーボール!? や、やられた……!!」

西()()()()()()()……」

 

 ボールの投擲先から、怨嗟の籠った女性の声が響く。

 

 恐る恐るそちらに視線を向けると、片手にカラーボール、もう片手にはホッケースティックを持った安瀬がこちらを睨みつけていた。

 

「あ、安瀬さくら……!!」

「愚か者どもめ、この私からそう易々と逃げおおせるとでも思ったか……!!」

「あ、あのね安瀬ちゃーん? も、木製とはいえ、長物は流石に過剰武装じゃないかにゃー……?」

 

 安瀬の隣には、猫屋が困惑した面持ちで突っ立っていた。完全武装した安瀬に対して気が気ではないといった様子だ。

 

「はっ、いいか!? よく聞けよ貴様(きさん)ら!!」

 

 猫屋の心配をよそに、安瀬は1歩前に踏み出してホッケースティックをこちらに突きつけてくる。

 

「貴様らは釈迦の掌で踊らされる孫悟空だ!! 三障(さんしょう)の擬人化、天魔の再来、幽世の女傑とまで恐れられた私に策略で敵うと思うなよ!! どこまで逃げようが地獄の果てまで追い立てて必ず叩きつぶ──」

「陣内君、二手に分かれるよ!! 散開(さんかい)!!」

 

 短い言葉の後、西代はわき目を振らずに背を向けて走り出した。

 

「え、お、おう?」

 

 電光石火の強襲と、迅速果敢な撤退指示。

 

 あまりの速さについていけないが、この場に留まる事だけは不味いと直感し、俺は西代とはまた別の方向へと走り出した。

 

***********************************************************

 

「…………ふん、名乗り口上を聞き終える前に尻尾をまくるとは、情けない奴らめ」

 

 陣内梅治と西代桃が逃げ去った後のキャンプ地で、安瀬桜は燻ぶる発煙筒をもみ消しながらぼやく。

 

「え、えーっと……安瀬ちゃん、今のってー?」

「はっ、中々格好がついていたろう? 戦前の前口上は気分が高ぶるからな」

(あぁー、シャウト効果(大声によるアドレナリンの分泌)かー。たぶん理論知らずに本能的にやってるんだろーなぁー……結構ヤバいなーこの娘……)

 

 異常な行動に、異色の経歴がかみ合わさる。猫屋は自分と同じくらいには喧嘩慣れしてる安瀬に内心で恐れを抱いていた。

 

「さて、発信機には気が付かれたようだが夜光塗料はつけられた。これでいくら身を隠そうが追跡は容易であろう」

「なんか安瀬ちゃん、超楽しそーだねー?」

「……(はかりごと)は誰でも好きだろう? 自分が考えた通りに物事が進むのは悪くない」

 

 猫屋の問いかけに安瀬は気のないふりをして返す。

 

「しかし別々に逃げられたのは不味かったな……これではどっちがパソコンを持ってるか分からん」

「えー、そう? こっちも二手に分かれて追えばいいんじゃなーい?」

「ほう? その場合、猫屋は()()2()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……うぇっ!?」

 

 安瀬の鋭い指摘に、猫屋は動揺する。猫屋の視線はものすごい勢いで宙をさまよっていた。

 

「い、いやー、それはー、あの、えぇっとー……」

「ふんっ、八方美人は大変だな猫屋?」

「も、もぉー、考えすぎだってー安瀬ちゃーん!! わ、私、そんな簡単に裏切ったりしないしー……!!」

「……まぁいい、そういう事にしておこう」

 

 両方の仲を大事にするため土壇場で裏切るつもりの共犯者。その存在を認知していても安瀬は余裕を崩さない。彼女には、どちらを追うべきかの検討は付いていた。

 

「ではこちらも二手に分かれるか。標的を捕え次第、手筈通りに合図を送って各自で下山するでござる」

「りょ、りょーかい…………────────え、ござる?」

「っ」

 

 パシっと、安瀬は勢いよく手で口を押さえる。

 

「な、なんでもない…………ほら急いで追え、猫屋!! 私はこっちで、貴様はあっち方面だからな!!」

「え、あ、はーい……」

 

***********************************************************

 

『もし緊急の事態になった時は、陣内君がパソコンを持って逃げるんだよ? 僕よりも君の方が逃げ足が速いだろうしね』

 

(って言われてもな、西代……)

 

 視界全体が草と木に囲まれている中で、バッグに入っているパソコンを強く意識する。俺は10分ほど逃げ回った後、安瀬たちに見つからないよう木の陰に座り込んでいた。

 

「はぁ……疲れたぁ」

 

 西代の命令通りに逃げてきたが、服は塗料で汚れたし、夜の森は虫も多く、ついでとばかりに蜘蛛の巣に頭から突っ込んだ……。

 

 正直言ってかなり辛い。この状態で朝まで鬼ごっこ、というのは流石に苦しい。

 

(……西代には悪いけど、こっそり帰るか)

 

 野営拠点も失ったことだし、もう下山してしまおう。それに案外、このまま意表をついて宿舎に戻れば安瀬チームの追跡を躱せるかもしれない。

 

(よし、そうと決まれば、スマホ、スマホ)

 

 現在位置を確認するためポケットからスマホを取り出す。スマホを起動したその際、LEDの白色光が俺に付着した夜光塗料をより一層光らせた。

 

「…………」

「…………」

 

 すると、こちらに向かって長物を振りかぶる安瀬と目があった。

 

「ふん!!」

「うおわぁああっ!?」

 

 振り下ろされたホッケースティックを咄嗟の動きで回避する。空を切ったスティックは目前の地面にめり込んだ。

 

「あ、安瀬っ!? なにを……!?」

「クソ!! よけるなカスがっ!!」

「ちょ、ちょ、ちょ!?」

 

 二打目、振り上げの一線。昇ってくるそれをのけ反って何とか躱す。

 

「お、おまっ、それは当たったら洒落にならないだろ!!」

「知るか!! 言ったはずだ、次はビンタごときでは済まさないとな!!」

 

 三打目、四打目と、安瀬は木々の隙間を縫って凶器をぶんぶんと振り回す。

 

「危なっ!?」

 

 風切り音がすぐ耳元で聞こえるほどの紙一重で攻撃を回避する。俺は堪らず転げるようにして地面を這い、安瀬から全力で距離を取った。

 

「な、なぁちょっとやりすぎだって!?」

 

 両手を前に突き出し、必死になって安瀬に静止を促す。

 

「い、いったん落ち着いて話しあ──」

「黙れ!!」

 

 暗闇を安瀬の激昂が走る。彼女はスティックを振り回して乱れた構えを八双になおし、俺を真正面に見据えた。

 

「先の書状で(くだ)るよう忠告はしたはずだ!! だが貴様らは愚かにも私の情けを踏みにじった!!」

「あ、あれが情けの籠った忠告?」

「五月蠅い!! それにそもそも、私はなぁ…………昔から自分の激情を抑えるのが大の苦手だ!! こうなってしまった以上、打撲の1つや2つは覚悟するのだな!!」

「はぁ!? それマジで言ってんのか!?」

「当たり前だ!! 怪我をするのが嫌なら、パソコンでも盾に使え!!」

「っ!! そ、そういう事かよ!!」

 

 安瀬は俺がパソコンを持っていると勘づいている。

 

 論理的に考えて、貴重品を守る役目は男の方が適任。それを承知の上で、彼女は無茶苦茶をやっているのだ。狂気と合理が複合した策略だった。

 

「覚悟……!!」

 

 短い気合の後、肩に得物を担いだ安瀬が突っ込んでくる。数瞬後には、上段からの攻撃が俺を襲うだろう。

 

「天誅っ!!」

(や、やば!?)

 

 安瀬は何のためらいもなく得物を振り下ろす。肩口を狙った綺麗な袈裟斬り。

 

 だがその一撃は、高所にある木の枝に引っかかって弾け飛ぶ。

 

「うっ!?」

 

 固い枝を打った反動で、安瀬の態勢が大きく崩れる。1メートル半はある木製凶器は女性の筋力では取り扱いが難しいようだった。

 

(しめた……!!)

 

 ふらつく安瀬の隙をついて、俺は茂みをかき分けて死に物狂いで逃げ出した。

 

「ま、待て!!」

 

 安瀬は当然、俺を逃そうとはしない。不格好ながら両手で得物を握り直し、勇猛果敢にこちらに迫ろうとする。

 

 ──ガッ

 

 その時、地面に露出した太い根が安瀬の足をさらった。

 

「ふぎゃっ!?」

 

 バランスを崩したまま俺を追いかけようとした安瀬は地面に倒れこんだ。

 

「……………………な、なぁ、大丈夫か?」

 

 得物を持っていたせいで受け身も取れずに転倒した安瀬のことが心配になり、俺は追われる立場でありながら足を止めて彼女の安否を確認した。

 

「くっ……」

 

 盛大にすっ転んだ安瀬は少し恥ずかしそうにして頬を赤らめる。

 

「な、何を敵の心配をしている!! 貴様、舐めているのか!!」

「い、いや、全然舐めてないです……その容赦の無さにちょっと引いてるくらいで……」

「へ、減らず口を……!! 今、その醜悪な性根ごと成敗して────っ!!」

 

 立ち上がろうとしたその時、安瀬は足首を抑えて顔を歪めた。

 

「おい、足がどうかしたか? まさか、挫いたのか?」

 

 足首を抑えたまま、安瀬は立ち上がろうとしない。

 

 俺はそれが心配になって彼女と距離を詰める。

 

「っ!! 寄るな……!!」

 

 近寄ろうとする俺を、安瀬はぎろりと睨みつける。

 

「この程度、なんてことはない!!」

 

 負傷した足をかばったまま、彼女はじりじりと後退し俺から離れようとした。

 

「…………俺、実は捻挫の手当てができたりする」

「は?」

 

 高校生の頃、俺は陸上部だった。なのでコーチから何度か応急手当のレクチャーを受けた。自主練中に起こした捻挫だって、自分で処置したことがある。

 

「救急セットも、ちょうど今持ってる。見せてもらえれば、たぶん何とかできるとおも──」

「ふざけるなっ!! 誰が貴様なんか手を借りるか!!」

「だけどよ……」

「近寄るなと言っているっ!!」

 

 座り込んだまま得物をこちらに向け威嚇する彼女。その行為には、混じりけのない純粋な敵意が込められていた。

 

(………………なんだ?)

 

 その憎悪の視線に、俺は覚えがあった。

 

 ここ1年、毎朝鏡に映っていた自分と同じ瞳の色だ。

 

 異性を不浄だと毛嫌いする、特殊な憎しみ。その視線の意味を考えて俺はこの状況の危うさに気が付いた。

 

 人の目がない暗闇の森の中。完璧に近い彼女の見目麗しい容姿。そして、目の前には何を考えているか分かんねぇ最低のクズ。

 

 正当な警戒心と不信感。その2つが、俺のような男の治療行為を受け入れるはずがなかった。

 

「………………」

 

 憎悪、自尊心、潔癖。それらのワードを精査して、俺は彼女が受け入れられる妥協点を探った。

 

「それなら、自分でやれよ」

 

 考え抜いた末、俺は彼女に向かって救急セットを放り投げた。

 

「俺は何も手伝わない……口だけ出す。あとは好きにしろ」

 

 ぶっきらぼうにそう言って、距離を保ったまま地べたに座り込む。

 

「…………」

 

 安瀬は何も返事を返さなかった。

 

 少なくともそれで、拒否はされなかった。

 

***********************************************************

 

「んで、かかとを固定した後、足首にもう一周テープを巻いて終わりだ」

「…………」

「それで立てるようなら、問題はねぇよ。長引くのなら病院に行け」

「……………………」

 

 安瀬はホッケースティックを杖代わりにしながら立ち上がり、足の調子を確認する。

 

 治療の間、安瀬は終始何も言わなかった。ただ非常に不愉快そうにして俺の指示に従っていただけだ。

 

「……帰る」

 

 久しぶりに安瀬が発した言葉は、消えてしまいそうなほど小さく、感情の起伏を感じさせない物だった。

 

「そうか……まぁ、気をつけてな」

「黙れ。決して、ついて来るようなことはするな」

 

 安瀬はそう言って俺に背を向けた。

 

「あいよ」

 

 2度以上の深刻な捻挫だったのなら俺は有無を言わせず彼女の下山を手伝ったが、幸いにも捻挫は軽そうだ。これなら問題なく下山できるはず。

 

「…………」

 

 俺は少しだけ、安瀬桜のことを色々と理解できた気がしていた。

 

 『手を貸そうか?』なんて言っては絶対にダメなのだ。

 

 それはきっと彼女のプライドが許さない。加えて、彼女は自分を律する常識的なブレーキが壊れている。安瀬は狂気的に傲慢であり、同時に高潔なのだろう。

 

「…………礼は言わない。許しもしない」

 

 背中を向けたまま、安瀬は俺に語り掛ける。

 

()()()()()()には一理あった」

 

 不意に、安瀬は猫屋の名前を口にした。

 

「転学という選択肢は、この大学に入学させてくれた父の好意に背く。大学の勉強と受験勉強の二足わらじに無理があるのも事実。まぁそれでも、あそこまで言われる筋合いはなかったが…………猫屋は、何度も、何度も、深く謝罪した。だから許した」

「そう、か……そりゃあよか──」

「だが貴様はダメだ」

 

 短く簡潔に、安瀬桜は俺を拒絶する。

 

「何をしようが、いくら謝ろうが、私は貴様を決して許さない」

 

 首だけで振り向きこちらを見る安瀬の表情は、軽蔑の意がありありと現れていた。

 

「今日は引く。貴様のような奴に借りを作るのは御免だからな」

 

 最後にそれだけ言い残して、安瀬は夜の闇に消えていった。

 

「…………」

 

 その場に座り込んだまま、去った安瀬の残滓を名残り惜しく見つめる。

 

 思ったよりも、彼女の言葉は胸にすっと入って融けてしまった。

 

 だって、もし逆の立場であったなら俺だって俺を許さない。自身の過去に土足で踏み入って傷を開いた人間なんてのは唾棄されるのが当然なのだ。

 

 

 そして、この時になってようやく、俺は安瀬桜の苦悩を和らげる事ができる最低の方法を思いついた。

 

 

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