戦姫絶唱シンフォギア コドクの神が求めるモノ   作:@sora@

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第187話

「それじゃ、ガッコに行ってきます」

 

クリスが穏やかな笑顔で両親の仏壇に手を合わせた後、身支度を整えて玄関へと向かう。仏壇の傍には、先日開かれたクリスの誕生日パーティーの写真が飾られていた。ソファーの中心に座って顔を赤くしたクリスの周りに響や未来、切歌と調が寄り添い、背後では翼と奏、マリアが肩を組んでクリスに満面の笑みを向けている。

 

そして写真の端には『生まれてきてくれてありがとう!』、『尊い!』、『私をバーンして!』等と書かれた団扇を持つアイドル応援団風の衣装を身に纏ったナナシの群れが映りこんでいた。どれが偽物でどれが“紛い物”なのか分からない上にややこしい。

 

「えっくしぶ!…この寒さ、プチ氷河期どころじゃないぞ…」

 

通学路を歩く最中、吹きつける風の冷たさにクリスはくしゃみをして悪態を付く。コートだけでなく首にはマフラーを巻き、手には赤い手袋、そして頭には赤いニット帽を被っているにも関わらず身震いをするクリスの姿は、ニット帽の両端が緩く角張って動物の耳に見える事もあり、まるで寒さに震える猫のようだった。

 

「クーリスちゃーん!」

 

「おはよう、今日も寒いね?」

 

そんなクリスの背後から、やたら上機嫌の響といつも通りの未来が声をかけてきた。

 

「ああ、寒いな…」

 

「寒いよね~?でも、あったかいよね~?お似合いの手袋と帽子…」

 

ガスッ!

 

「ぐあっ!」

 

響が茶化すようにそう言った瞬間、クリスが自分のカバンを響の頭に振り下した。

 

「毎朝毎朝押し付けがましいんだよ!バカ!!」

 

「調子に乗り過ぎ、はしゃぎ過ぎ」

 

「だってさ~、一緒に選んだあの手袋、クリスちゃんに喜んでもらっているみたいだから!兄弟子に貰った帽子もね!!」

 

響の言葉にクリスは顔を赤く染めて、そんな表情を隠すようにニット帽を更に深く被った。

 

「帽子と手袋して休まず登校してくれるし!」

 

「言われてみれば、推薦で進学も決まっているのにね」

 

「それはだなあ!あたしは、皆より学校に行ってないから、その分をだな…」

 

顔を赤くしてそう言うクリスの様子が微笑ましくて、響と未来は顔を見合わせてクスリと笑ってしまった。

 

「…だけど、そろそろ呑気に学校に通っている訳には、いかないかもしれないな」

 

不意に真剣な表情となったクリスは、ニット帽の端を軽く握りながらポツリとそんな事を呟いた。

 

 

 

 

 

一方その頃、ライブ会場の裏で奏と翼が今度行われるツヴァイウィングの凱旋ライブに向けた練習を行っていた。しかし翼の動きは何処かぎこちなくて、それを見ていた現場監督らしき男性も首を横に振って難しい顔をしていた。そんな翼達の様子を少し離れた場所から緒川と、何故かスーツにサングラス姿のマリアが眺めていた。

 

「何かに心を奪われているようですね?」

 

「そ、そうね。任務の合間に陣中見舞いしてみれば、この体たらく。凱旋ライブの本番は三日後だというのに…」

 

緒川の声に、少し遅れて反応するマリア。明らかにマリアも何かに心を奪われている様子に、緒川は思わず苦笑してしまった。

 

そんなマリア達の傍に、浮かない表情の翼と苦笑する奏が近づいてきた。

 

「お疲れ様でした」

 

「いえ…」

 

「世界に再び脅威が迫る中、気持ちは分かるけどね?でも、ステージの上だってあなたの戦う場所でしょう?」

 

「それはそうだが…ナナシの捕らえたあの三名以外にも神の力を狙う脅威が無いとは限らない。月遺跡調査計画が本格的に動き出してS.O.N.G.が慌ただしいのは理解していますが、せめて我々だけでも極冠にて回収した遺骸の警護に当たるべきではないでしょうか?」

 

「気持ちは分かるわ。でも、遺骸の調査・扱いは、米国主導で行うと各国機関が…と言うより、ナナシが決めたんだから仕方がないじゃない」

 

「我々は少々派手に動きましたからね。あの聖骸まで我々の管轄に置くのは流石に難しいでしょう」

 

神の力で何が可能かを実演してしまったが故に、後から出現したあの聖骸までもS.O.N.G.で独占してしまっては流石に各国の不満を抑えきれないだろう。

 

「ですが…」

 

「おーい、翼。ちょっと落ち着けって」

 

ガシッ!

 

「ひゃっ!?」

 

突然後ろから抱き着いて耳元で囁く奏に、翼は驚いて可愛らしい悲鳴を上げてしまった。

 

「翼の言いたい事は分かったけど、それってどちらにせよナナシを説得しなきゃ実現出来ない事だろう?ちょっと“妄想”してみてくれ。ライブを中止してあのミイラの警護をしたいってナナシに伝えたらどうなるか…」

 

奏のその一言で、少し赤くなっていた翼の顔が一気に青ざめてしまった。

 

「多分だけど、今翼が考えた事よりももっと碌でもない事態になりかねないから、あたしらは世界の平和のためにも全力でライブを盛り上げような?」

 

「ふ、不承不承ながら、了承しよう…」

 

奏の腕の中でガタガタと震えながら翼が答える。そんな二人のやり取りを見つめながら、マリアが零すようにポツリと呟いた。

 

「そう…後の事は全て、計画を実現するために全力を尽くしたナナシが決定すべきだ。私達が我儘を言って、彼を困らせてはいけないの…」

 

まるで自分に言い聞かせるようにそう呟くマリア。そんなマリアのサングラスが不意に奪われ、驚き見開いたマリアの瞳にニヤリと笑う奏の顔が映った。

 

「それじゃあナナシの代わりに、あんたに聞いてもらおうかな?あたし達の我儘を!」

 

「……は?」

 

 

 

 

 

三日後

遂に迎えたツヴァイウィングの凱旋ライブ当日、会場へと続く道路は大渋滞となっていた。一向に進まない車の中で、響は遠く離れたライブ会場を見ながら嘆いていた。

 

「久々のライブだよ!?翼さん達の凱旋公演だよ!?だけどこんなじゃ間に合わないよ~!!」

 

「どうしようもないだろ!道路が混雑してんだから!」

 

嘆く響の隣に座る未来が困っていると、隣の車からクリスが顔を出して響を怒鳴りつけた。

 

「マリアも急に来られなくなるなんて…」

 

「ツイてない時は、何処までもダメダメなのデス…」

 

クリスの隣では調と切歌もしょんぼりと落ち込んでいた。大切な姉は不在でライブも見られそうにない。まさに踏んだり蹴ったりである。

 

それから少しして、一切動きの無かった響達の車がようやく進み始めた。

 

「よしよしよ~し!このままガンガン行っちゃってください!」

 

「響、運転手さんを困らせたら駄目でしょう?この渋滞だとちょっと進んだだけですぐ止まっちゃうって」

 

未来はそう言って響を宥めようとするが、予想に反して響達の車は先程の停滞が嘘であったようにグングン会場へと進んでいった。

 

「およよ、あっという間に会場が目と鼻の先デス!?」

 

「会場の方で臨時の駐車スペースでも確保したのかな?」

 

「何でも良いからこのまま最短で、最速で、真っ直ぐに、一直線に行きましょう!!」

 

「いや交通法規くらい守らせろよ!?幾ら急いでても、車でこんな空飛んでるみてえな速度は…ん?…はあっ!!?」

 

そこでようやくクリスが違和感に気付いて窓から顔を出すと、自分達の車が道路ではなく空中を駆けている事に気付いた。

 

「全く、どうせ送るなら弦十郎もヘリくらい出してやれば良いのに。俺が気付かなかったらお前ら絶対間に合わなかったぞ?」

 

車の上から聞こえてくる声に全員が視線を向けると、車二台を“飛翔”で運ぶナナシの姿があった。

 

「わあああ!兄弟子、ありがとうございます!!」

 

「おまっ!?これ大丈夫か!!?騒ぎになったりするんじゃ…」

 

「“認識阻害”で対策はバッチリだ。このまま会場まで向かうぞ」

 

あっという間にライブ会場の傍まで到着すると、ナナシは全員が降りた車を“収納”して、運転を任されていたS.O.N.G.職員へと声をかけた。

 

「マリアに急ぎの依頼があるなんて聞いてないけど、お前らは何か知っているか?」

 

「い、いえ…」

 

「我々は何も…」

 

「全く、あのアイドル大統領は…迎えに行くからお前らは会場で待っていろ。帰りはまたここに集合って事で…」

 

「待って!」

 

「待つデス!」

 

今にも飛び立とうとするナナシに、調と切歌がしがみ付いて引き止めた。

 

「マリアは三日前までアタシ達と一緒に来るつもりだったデス!本当に急な予定が入ったみたいで…今から迎えに行っても、ライブの開始には間に合わないデス!」

 

「自分のせいで先生がライブに間に合わなかったら、マリアはきっと傷つくと思うから…どうか先生はこのままライブに参加してください!よろしくお願いします!!」

 

「お願いするデス!!」

 

「…ハァ、分かった。分かったから少し落ち着け」

 

必死にナナシを止める二人の想いを感じ取り、ナナシはライブ会場に残る事にした。

 

「それじゃあ俺は特等席で見物するから、お前らは精々他の観客に押し潰されないように気をつけろよ」

 

「あ、あの!兄弟子も偶にはわたし達と一緒にライブを見ませんか?」

 

響が恐る恐ると言った様子でナナシにそう提案する。調達が名案とでも言うように瞳を輝かせるが、二人が何かを言う前にナナシは素早く返答した。

 

「悪い、俺はライブでは特等席で誰の人目を憚ることなくはっちゃけると決めているんだ。お前らがドン引きするくらい弾けてくるから、そっちも気にせず楽しんでくれ!」

 

「あっ、兄弟子!」

 

今度は制止の言葉に耳を傾ける事無く、ナナシはライブ会場の上空へと昇って行ってしまった。シュンと落ち込む調と切歌の頭に、クリスがポンと手を置きながら声をかけた。

 

「あいつが好き好んでお独り様を楽しんでんだから、それで良いだろう?ほら、あたしらもさっさと中に入るぞ。せっかくあいつのお陰で先輩達のライブに間に合ったんだから」

 

「は、はい!」

 

「デス!」

 

クリスの言葉に気持ちを切り替え、元気よく返事をしながら調と切歌がクリスの後に続く。響もクリス達の後を追うように歩みを進めて…ふと立ち止まり、ナナシが消えていった方向を何処か心配そうな表情で見つめていた。

 

そんな響を、未来もまたジッと無言で見つめるのだった。

 

 

 

 

 

ライブ開始の時間が間近に迫り、会場を埋め尽くす人々の期待と熱気が高まっていくのをナナシは会場を照らすライトの上で感じ取っていた。

 

「……」

 

普段であればそんな観客達と同じように期待に目を輝かせるナナシであったが、今のナナシは何処か上の空で何か別の事を考えているようだった。

 

(ハッキリ言えば…早まったって感じだな)

 

ナナシの頭にあるのは、自ら始動した月遺跡の調査計画についてだった。

 

(計画自体は随分前から実行可能だった。だから事前に弦十郎と八紘には根回しをしていたし、後は可能であれば揃えたい条件とベストなタイミングを計っていたが…条件の大半とベストなタイミングが一気に揃った事で、気が逸ったのは否定出来ない)

 

パヴァリア光明結社を瓦解させ、神の力を奪い取った事で存外にナナシの能力が向上され、各国の混乱に乗じる事が出来るまさに絶好の機会ではあったのだが…計画を進めた直後に発生した幾つもの問題によって、ナナシの中にこのまま計画を進めるべきかという迷いが生じていた。

 

問題の一つは、先日南極に出現した棺…そこに納められていた聖骸だ。まさか神の力の有用性を示した直後に別口であんな物が出現するなど思ってもいなかった。

 

(まあ、正直利点もあるからアレの存在自体はそこまで大きな問題ではない)

 

ナナシが聖骸の管理を米国に任せたのは、各国の不満を抑えるため…ではない。ハッキリと言ってしまえば、神の力を狙う者達の目をS.O.N.G.から逸らすための囮になってくれると思ったからだ。一組織とは言え世界屈指の防衛能力を持つS.O.N.G.と、大国とは言え異端技術の扱いでは他国と大差のない米国では、神の力を狙う者達の標的は高確率で後者となる。

 

(危険を承知で力を欲するなら好きにすればいい。俺にとって重要なのは、歌姫とその周りにいる連中だ。それ以外は全てがオマケ。助けを求めるなら応えてやっても構わないが、嬉々として火中に飛び込む馬鹿共を火傷を負ってまで引き留めてやる気はない。精々派手に燃えて注目を集めてくれ)

 

一応、聖骸を管理するリスクについてナナシはきちんと説明した。それを力の独占狙いと判断して聞く耳を持たない者達が後を絶たなかったので、そんな者達をいちいち説得する気にはなれず、早々にナナシはそれらしい理由を並べてS.O.N.G.に聖骸の管理を放棄させた。

 

(あんな力に魅せられただけの連中には、神の力を目覚めさせる事すらままならないだろう。制御なんて夢のまた夢だ。この世界であの力を制するだけの『覚悟』を持っている奴なんて…俺はS.O.N.G.以外では、あのジジイしか知らない)

 

そう、ナナシが警戒しているのは国や組織ではなく、ただの個人…風鳴訃堂だけだ。

 

(下手に俺達であのミイラを守っていると、最悪の場合あのジジイは護国災害派遣法を楯に単身でS.O.N.G.に突っ込んで来かねない)

 

ナナシが最も恐れているが、この風鳴訃堂によるS.O.N.G.への特攻だった。しかし幾ら隔絶した力を持つ訃堂でも、今のS.O.N.G.を制圧する事は不可能なはずだ。弦十郎を始めとした訃堂に匹敵する強者が複数存在する以上、確実に訃堂を抑え込む事が出来る。

 

だが…

 

(それまでに何人、あのジジイに首を刎ねられるか…)

 

…無傷で勝利出来るほど、風鳴訃堂は甘い相手ではない。正面から攻められた場合、ナナシの“血晶”があったとしても、訃堂と渡り合える者達が到着するまでにどれほどの犠牲が出るか分からない。

 

だからこそナナシは、自分の能力を一部明かしてでも世界を味方につけた。訃堂が守れるのは己の刀の間合いのみ。全世界が日本に敵対すれば、例え訃堂本人は生き残れたとしても、日本を守る事は不可能だ。訃堂もそれを理解しているからこそ、彼は常に力を求め続けていたのだ。日本という国を守るために…

 

ナナシと訃堂は互いに互いの大切なモノを蹂躙する力を持っている。ナナシはそれを示唆する事で膠着状態を生み出そうとしたのだ。このまま自分達がぶつかり合うなら共倒れになる。故に不動を…不干渉を貫けと要求した。その想いはあの晩、互いに刃を向けたにも関わらず、互いに衝突を避けた事で充分に伝わったはずであった。

 

しかし訃堂は、ナナシに対して予想外の方法でこの提案に否を突きつけてきた。

 

(まさかあのジジイに、あんな可愛い女の子の手駒がいるとは…)

 

ナナシはノーブルレッドと訃堂に繋がりがある事を、先日風鳴機関の男が接触してきた時の三人の反応から察していた。しかしこの時、ナナシには訃堂の真意を見破る事が出来ず…致命的なミスをしてしまった。

 

(あのジジイはあの三人と部下を…俺を見定めるための捨て駒に使いやがった!)

 

訃堂には分かっていたのだ。ノーブルレッドの三人が力及ばずS.O.N.G.に捕らえられる事も、証拠隠滅のために暴走する部下がいる事も、そして三人の引き渡しにS.O.N.G.が抵抗する事も…全ては訃堂が狙って生み出した状況だったのだ。

 

ノーブルレッドの三人にも、暴走した風鳴機関の男にも、誰一人として訃堂に誘導されていた自覚など無かった。故にナナシは表面上の状況を疑う事無く受け入れてしまった。三人は訃堂の手駒で、男はそれを隠蔽しようと今のS.O.N.G.と日本政府の力関係を無視して乗り込んできた間抜けだと、信じてしまった…ナナシの手元に、猛毒の混じった稀血が届くまで。

 

訃堂は理解していた。ノーブルレッドが錬金術師の被害者と知ったS.O.N.G.が、彼女達を保護するだろうという事を…

 

訃堂は理解していた。三人の生命維持のために、S.O.N.G.は近々日本の医療機関から稀血を手に入れる事を…

 

訃堂は理解していた。ノーブルレッドが自供しなくても、ナナシは彼女達が自分の手駒であると察する事を…

 

訃堂は理解していた。ナナシならばきっと、自分が稀血に毒を仕込んだ事に気付くだろうという事を…

 

そしてナナシは理解してしまった。訃堂が知りたいのは、見定めたいのは…この状況を利用して、ナナシが三人を殺せるのかという事だ。

 

(俺が本当に各国を操って日本を滅ぼせると言うのなら、あのジジイの手駒である三人くらい簡単に手にかける事が出来るはずだ。弦十郎達が反対したとしても、第三者が血液に毒を仕込む事で、俺は気付かなかったフリさえすれば良い状況まで作り出してみせた…!)

 

どれだけ強力な抑止力も、引き金が引けないなら無力同然だ。千日手にまで追い込んだはずのナナシに、訃堂はこの局面であろうことか⋯

 

『殺れるものならば、殺ってみせよ』

 

⋯ナナシ相手に、心理戦で王手を仕掛けてきた。

 

ナナシは選ばなければならない。ノーブルレッドを生かすために仲間を危険に晒すか、仲間を守るためにノーブルレッドを切り捨てるか。

 

そしてナナシが選ばなければならない命は、もう一つある。

 

(ナスターシャ教授の容体が、いよいよ危ない)

 

ナナシの対処療法で症状を抑えていたが、先日恐れていた発作が発生してナスターシャ教授は本当に危ない状況まで追い込まれた。ナナシとウェル博士が手を尽くしても発作を抑え込めず、マリア達に覚悟を促す必要がある程に⋯

 

万策尽きたと思われたところで、ナナシはある一つの賭けに出た。

 

ナナシの肉体は、その身に受けた災いに対して耐性を獲得する。それは毒物なども例外ではない。そしてこの機能は、人間の『免疫』を強化したものと考える事が出来る。

 

故にナナシは、ナスターシャ教授の血液を自身に投与する事で、ナスターシャ教授の病に対する耐性を獲得、そして自身の万能血液をナスターシャ教授に投与する事で、ナスターシャ教授の病に対する抵抗力を高められないかと画策した。

 

本当に一か八かの賭けであった。免疫不全など、別の症状を発症してナナシの手でナスターシャ教授を殺す事になる可能性も充分にあったが⋯ナナシは賭けに勝利して、ナスターシャ教授の発作を抑え込む事に成功した。今は定期的にナナシの血液を輸血する事で、ナスターシャ教授の病状を抑え込んでいる。

 

だが、病の根絶には至っていない。もしも再びナスターシャ教授に発作が起これば⋯

 

希望はある(・・・・・)。だけど、それがもし失敗したら、本当に後は俺の能力覚醒くらいしかチャンスが無くなる。だが計画を進めてしまえば、俺はしばらくS.O.N.G.に戻る事が出来ない。せめて結果を見届けるまで、どうにか計画を延期出来れば⋯)

 

しかし今回の好機を逃してしまえば、次にいつ計画を再開出来るか分からない。時間が空けば空くほど各国は冷静になり、自国も月遺跡の調査に加わろうと画策し始める。そうなればせっかく作り出した世界がナナシに従う流れが崩れてしまい…訃堂の動きを抑える事が出来なくなってしまう。

 

(迷っている暇は無い。ノーブルレッドの生存がバレるのは時間の問題、計画変更が可能な期間も限られている。今日にでも選択しなければ、全てが手遅れになりかねない…!)

 

 

 

『あなたが成すべき事を、成したい願いを、見失わないでください』

 

 

 

ナナシの脳裏に、ナスターシャ教授の言葉が過ぎる。それを切っ掛けに、ナナシがこれまでに積み上げてきた出来事が次々と浮かび上がってきた。歌姫達の美しい旋律、仲間と笑い合う日々、拳と想いのぶつけ合い、ノーブルレッドと過ごしたここ数日のやり取り⋯ナスターシャ教授が一命を取り留めた時の、マリア達の涙と安堵。

 

(⋯計画は、延期だ)

 

そう結論を出したナナシは、その決定のために必要となる代償についても覚悟を固める。

 

(世界如き、何度だって欺いてやる。そして⋯お望み通り殺ってやろうじゃないか⋯!)

 

命の選択を終えたナナシは、それを魂に刻み込むように、これから自分が行う事を言霊として口から零した。

 

 

 

「風鳴訃堂を、この手で殺す」

 

 

 

ナナシの言葉が闇に溶けるように消える。俯き拳を握り締めながら、ナナシは必死に体の震えを抑え込んだ。

 

(認めてやる、俺の負けだ。あの時お前の心臓の前で刃を止めた本当の理由は⋯人と共に在りたい俺の未練からだ。いつも邪魔者は消すと大口を叩きながら、いざ迎えたその瞬間を前に動きが鈍った。隙を晒した。その結果がこのザマだ。だからもう言い訳はしない。小細工は使わない。俺は自分の欲望のためにこの手を血に染めて…“紛い物”の自分と決別する!)

 

命ある者が己のために他者の命を奪う。それはこの世界で繰り返されてきた自然の理だ。だからこそ、不死であるナナシが命を奪う事は力の強弱を超えた一方的な搾取となる。人と共に在る事を信条とするナナシにとってそれは明確な一線であり、一度その一線を越えてしまえば、“紛い物”として人と人外の両方を都合良く行き来していた今までの生き方には二度と戻れない。

 

そんな決意を固めながらも、今この瞬間にも簡単に命を奪えるノーブルレッドの首を晒して訃堂の動きを抑えるのではなく、勝てるかも分からない訃堂の命を直接狙うのは…

 

(仕方ないよな?一度迎え入れたペットを最後まで面倒見るのが、飼い主として最も重要な義務なんだから…)

 

それが本心からなのか、この期に及んでまだ人としての在り方に未練があるからなのかは、ナナシにも分からない。そんな自分に呆れてナナシがクスリと苦笑していると、観客達が一斉に歓声を上げ始めた。ナナシが顔を上げると、ステージに『Zwei Wing』と大きく表示されていた。待望の瞬間を目前に、観客達の感情が高まっていく。その様子をナナシは愛おしそうに見つめてしまった。

 

(屁理屈を並べて、いつもこんな辺鄙な場所でライブを見てきたけど⋯俺はただ、この場所の居心地が良かったんだなぁ…)

 

歌姫に惹かれて集まる人々の輪⋯そこから少し外れた、通常では存在を許されない場所。会場の内には納まっているが、人と交わる事のない、まるで人の内と外が交わる境界のようなその居場所をナナシは気に入っていた。人から外れた存在が、それでも人と同じ景色と想いを共有出来る⋯そんな“妄想”で自分自身を欺ける、都合の良い居場所。

 

(これが“紛い物”として参加する最後のライブだ⋯ここはもう開き直って、ライブが終わる瞬間まで楽しんでやる!!)

 

そしてナナシは“紛い物”として、精一杯周囲の人間達の気持ちに寄り添った。周囲の人間と同じように歌姫の登場に期待を膨らませ、瞳を輝かせ、笑みを浮かべて⋯

 

『and Maria』

 

「⋯⋯は?」

 

⋯周囲の人間と同じように、新たに表示されたその名前に戸惑いの声を出してしまった。ざわめきの収まらない会場の中心に、『三人』の歌姫が姿を現す。

 

ワァアアアアアアアアアア!!!

 

ツヴァイウィングと共に現れた歌姫マリアの存在を、観客達は素直にサプライズと受け止め大熱狂する。しかしナナシは詳細を知っているためその想いには共感出来ず驚愕してしまう。

 

(何でマリアが!?あいつは三日前まで別の任務に就いていたはずだろう!!?さっき切歌が三日前に急な予定が入ったって言っていたが…たったの三日で二人用の曲と振り付けをアレンジしたって言うのか!?そんな…そんな事…!)

 

 

 

 

 

「そんなの無理よ!?出来ないわ!!?」

 

三日前に奏からライブ参加を要請されたマリアも当初、その無謀さに思わずそう叫んでしまった。

 

「いつだったか、あたし達と歌い明かしたい言ってくれたじゃないか?」

 

「でも、私には…」

 

過去に零した想いを指摘され、顔を赤くしながら口籠るマリア。その躊躇いには計画の無謀さ以外にも、世界を欺くためにアイドルとなった自分が奏達の大切なライブに加わる事への葛藤も混じっていた。

 

「私達は歌が好きだ。マリアはどうだ?」

 

それを察した翼が、笑顔でマリアにそんな殺し文句を投げ掛けた。自分達とマリアの歌に対する純粋な想いに違いなどあるはずがないと信じて疑わない笑顔を見て、マリアは顔を真っ赤に染めて否定など出来なくなってしまった。

 

相棒の天然たらしっぷりに苦笑しつつ、奏は翼とマリアの肩を組んでまるで内緒話をするかのように二人の耳元で囁いた。

 

「それに、ウジウジと悩んでいる時は大声を出して騒ぐのが一番だ!⋯二人共、ナナシに言いたい事があるんだろう?」

 

「「!!?」」

 

「自分のためって言いながら今度の計画やあんたの母親の事で悩んでいるあいつの事が心配なんだろう?」

 

「「⋯⋯」」

 

「でもさ、あいつがあたし達の前であんなにも分かりやすく悩んでいるのっておかしくないか?いつだって都合の悪い事は笑顔の下に仕舞い込むあいつなら、既に問題が明るみになっているにしても、もっと上手く誤魔化すんじゃないか?⋯あいつひょっとして、分かりやすい悩みがあるのを利用してもっと碌でもない事を抱え込んでいるんじゃないか?お前らが焦っているのも、薄々ナナシの違和感に気づいているからだろう?」

 

「「!!?」」

 

奏の言葉に、翼とマリアはハッと目を見開いた。そして奏は傍で自分達のやり取りを見守る緒川にジトッとした視線を向ける。その視線に緒川は苦笑いする事しか出来ない。

 

「どうせ何を聞いたところで認めやしないさ、あの馬鹿は⋯それならこっちにも考えがある。くだらない想いを抱えて離さないあいつに、余計なもん抱えたままじゃ受け切れないほど、あたし達の想いをありったけ叩きつけてやろうじゃないか!」

 

 

 

 

 

歌姫達の美しい歌声が広い会場の隅々にまで響き渡る。ステージに施されたギミックによる高低差を利用した様々なパフォーマンスは、三人の息の揃った動きと歌声による相乗効果で観客達の心を捕らえて離さない。これが三日と言う極々短期間で仕様変更された、ほとんどぶっつけ本番の仕上がりだなど、誰一人として思ってもみないだろう。

 

世界デビューを果たしたツヴァイウィングが国内のファンに向けた特別凱旋公演。かつて背中を押してもらった彼女達の『ありがとう』の想いをテーマに企画されたこのライブは、歌姫マリアのサプライズ参加も相まって、観客達には翼達からの感謝の想いが溢れんばかりに伝わっていた。

 

「……」

 

万を超える人々の熱意と、それに応える歌姫達の感謝…そんな膨大な感情の中に紛れ込む想いを感じ取り、ナナシはただただ呆然とする事しか出来なかった。

 

 

 

『おい!聴いてんだろうナナシ!?コソコソあたし達の前から隠れやがって!お前がいればもっと派手な演出も加えられたかもしれないのに!!』

 

『知っているのだからな!どうせ貴様は、また私達に隠れて何か重大な問題を一人で抱え込もうとしているのであろう!?』

 

『月やマムの事を言い訳にしようとしても無駄よ!きっと司令や緒川さん達にさえ言えないような事を勝手に決めているんでしょう!?』

 

 

 

「何で…」

 

普段通りに過ごせていたはずだ。

慌ただしさを心配され、積み上がる問題に気遣われもしていた。

それでも笑顔を振りまき、周囲を気遣い、極一部のどうしようもない問題のみ大人達に相談する…『少し無理をする自分』を、違和感なく演じられていたはずだった。

それなのに…そんなナナシの虚飾を嘲笑うように、歌姫達は『確信』の想いを歌に籠めて突きつけてきた。

 

『そんなにあたし達を騙したいなら、お望み通り騙されてやるよ!お前が何も言わないなら、こっちの都合良く“妄想”してやる!お前が上機嫌ならあたし達のために何かしてんだなってニヤニヤしてやる!落ち込んでたらあたし達のせいだって泣き叫んでやる!失敗も成功も独り占めなんてさせないから覚悟しろバーカ!!』

 

『もう貴様に背を押されるだけの私ではない!一人で何もかも背負い足踏みする私の愚かさを傍でずっと小馬鹿にし続けた貴様が同じ愚を犯すと言うのなら、今度は私が貴様を笑い者にしてやる!』

 

『家族の問題を押し付ける事しか出来ない私が、あなたの意志に口出しする資格など無い…そんな都合の良い言い訳をして、弱い私はあなたに寄り添う事からさえ逃げていた!もう私は逃げない!!あなたならきっと、皆が笑顔でいられる方法でマムを救ってくれると信じている!『皆』の中にはあなたもいなければ駄目よ!あなただけが心の中で涙を流すなんて真似は絶対に許さないんだから!!』

 

『お前があたし達との約束を守るために必要だと思うなら、何年だって待ってやる!』

 

『貴様が今すぐ動くべきだと考えているなら、その背を引っ叩いて最初の一歩を踏み出させてやる!』

 

『その選択がどんな結果に終わったとしても、私達は笑顔でその未来を受け入れてみせる!』

 

 

 

『『『だから、どうか私達を、周りにいる皆の事を……』』』

 

 

 

ワァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!

 

歌が終わると同時に、観客達が今日一番の大歓声を上げる。緻密に組み上げてきた計画を破り捨て、無謀とも思える本番に挑んだ三人の歌姫は…全てを成し遂げ、より良い未来を掴み取ってみせた。

 

「ああ…分かった…分かったよ…」

 

せっかく固めたはずの決意が脆く崩れていくのを感じながら、ナナシは震えの止まった体で立ち上がった。

 

「ここまでされたら、無理だなんて言える訳ないだろう?…『信じる』よ…きっと何もかも上手く行くって…都合良く信じてみせるさ…」

 

不安はある。だがそれを遥かに超える力の籠った想いを胸に、ナナシは空に浮かぶ月を見て不敵に笑い…計画の決行を決意した。

 

 

 

歌姫達の歌と想いに後押しされて…“紛い物”の神は、月へと飛び立つ。

 

 

 




やばいです、もうストックが尽きました。
寒暖差の影響かここしばらく体調が優れず執筆が滞りまして…
またちょこちょこお休みさせていただくかもしれません。
長らくお休みを貰っていたのに申し訳ない…
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