鏡写しのカノン   作:ゆなふぁい

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 この話で最終話です。


鏡写しのカノン。

 呻くようなユウカの質問に、ノアは要領をいまいち得ない顔でしばし考え、聞き返す。

 

「思い出せない、ですか?」

 

「そう。大切だったはずなのに、無くしちゃいけないものだったような気がするのに、どうしても思い出せない時ってノアならどうしてる?」

 

「あらユウカちゃん、無くし物ですか?」

 

「……多分ね」

 

 目を伏せて答えるユウカに、ノアも目を瞑っていた。静寂が流れ、僅かに床と擦れる靴の音が2人の間を満たす。

 

「そうですね―――」

 

 ノアが口を開いたのは、その数秒後。

 

「忘れたものが思い出せない場合は、文字や言葉に表すのが良いと思いますよ」

 

「文字と、言葉?」

 

「はい。記憶や感情を記録に変換して、観測し、欠片を集めて答えを出すんです。仮定を積み重ね、証明するように」

 

「………」

 

「あと、自分の気持ちには素直になってくださいね」

 

「ぇ、な、なによそれ! 関係ないじゃない! からかわないでよ!」

 

「ふふ、ごめんなさい。なんだか今日のユウカちゃんは凄くユウカちゃんって感じがして」

 

「もう……。まぁ、ありがと」

 

「はい。そんなに悩むなんて、凄く素敵な物なんですね」

 

「素敵な物かも分からないんだから答えようないじゃない」

 

 

 自分のデスクに視線を戻し、ユウカは手頃な紙とペンを取って思考の沼に自らを没入させた。

 

『記憶や感情を記録に変換して、観測し、欠片を集めて答えを出すんです。』

 

 聞こえたかもしれない声を、そうであると仮定してその声を聞いて自分が何を思うのか思案する。感情を全て分解し、落とし込んでいく。

 

「ぅぐっ……」

 

 忘れかけていた頭痛が酷くなってきた。晴れていたはずの心にまた濃い靄が絡みつく。でもそうすれば声が聞こえる気がして、ユウカは思考を止めない。

 

【頭が痛い】

【モヤモヤする】

 

 心臓が早く、鐘を打つように大きく跳ねる。今までにないほどドキドキしているのを自覚する。明らかな異常だが、止めずに続ける。

 

【ドキドキする】

 

 

『【ユウカ】』

 

 

「っ……!」

 

 声が、聞こえる。

 

 温かいかもしれない。少しだけ心がホッとしたかもしれない。安心しているのかもしれない。優しげな声だった。

 

【温かい】

 

【安心する】

 

【優しい声】

 

(誰ですか……誰なんですか……教えてください……!)

 

 

『【買い物のたびに、毎回ユウカに相談しなきゃダメ……?】』

 

 

 甘えたような声が耳朶に響く。ユウカの前ではお調子者だった。ユウカがしっかりしなければ衝動的な買い物ばかりして、以前はコッペパンなんて食べて―――。

 

【お調子者】

 

【少し甘えん坊】

 

(私ばっかり小言を言うようになったりして……そんな人、キヴォトスになんて……。いや、いるの! いると仮定したんだから!)

 

 

『【芸術の価値は、数学の公式みたいに計算できないからね。】』

 

 

 諭すような声。計算以外の視点を見せてくれるような。数値だけではない価値を教えてくれるような。頼りなさそうで、頼りになる声。

 

【頼りなさそう】

 

【頼りになる】

 

 書くたびに、書いた文章を瞳に宿すたびに、ユウカの心の靄が少しずつ晴れていく。太陽に照らされたような心地良い感覚。

 

 同時に、くすぐられるような甘酸っぱい感情が心を締め付けるけれど、不快感は全くない。どころか、その感情が尊いものに思えて、離したくない。

 

(お願い……! 誰か……教えて……お願いっ!!!)

 

 必死にペンを動かして、泣きそうになりながら記述を連ねて、自分の気持ちを形にして。

 

 いつか、ピースがカチッとハマった気がした。

 

 

『【ギャンブルの世界は冷酷なものだよ。】』

 

 

「ぁ―――」

 

 そうだ。あの人は、そういう人だった。

 

 優しくて、イタズラばっかりで、お調子者で、ズルくて、温かくて、忙しなくて、頑張りやで、理想ばかりで、一生懸命で、強くて、賢くて、ドキドキして、触れたくなるほど隙だらけで。

 

 頼りになるのに―――

 

 

『先生っっ!! この書類、連邦生徒会に提出しなきゃけないシャーレの定期報告書じゃないですか!』

『いくら私が計算が得意だからって、やりたくない面倒な仕事を人に押し付けるのはダメです! これは先生がご自分で処理してください!』

『【………】』

『……そんな目で見つめても、ダメなものはダメです!』

『【………】』

『……はあ、仕方ないですね。本当に少し、お手伝いするだけですよ?』

 

 

「―――それでもやっぱり、頼りない」

 

 

 そして、そう口にした刹那。

 ユウカの中に、既にその答えはあった。

 

「………せん、せい……」

 

 水面に絵の具が滴るように、何もなかったはずの記憶が彩られていく。灰色の世界に色が、音が、感情が刻まれていく。

 

 思い出した。

 全て、取り戻した。

 

(せんせい……せんせい、せんせい、先生……!!!)

 

 呼びかけるたびに、振り向いてくれるあの人の笑顔が浮かぶ。感情豊かで子供っぽいその表情を見るだけで、言いようもない幸せに包まれる。

 

 もう離したくない。

 もう無くしたくない。

 

 見開いた瞳から、涙が流れていた。

 

(ぁう……)

 

 溢れ出て止まらない。何がこの涙を止めないようにしているのか分からないまま、ユウカは丁寧に指で涙を受け止める。

 

 視界がボヤけて、曖昧になる。

 

 目の前にいたはずのノアの輪郭がブレて、顔や身体が揺らめいて見えなくなっていく。セミナーであったはずの景色までぼんやりと薄くなっていく。

 

「の、あ……」

 

 見えなくなったはずのノアは、

 

 手を振って、笑っていた、ように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

「【ユウカ】」

 

「っ……!!!」

 

 耳元ではっきりとした声がして、はじけるように体を起こす。何かから目覚めたという感覚だけが後から体に追いつく。

 

「ここ……」

 

 さっきまでとは全然違う場所にいた気がして辺りを見渡すが、そこは消えていく記憶の残滓にあった場所とは全く違う。

 

(あれ、私、さっきまで何を……)

 

 何かを、何か大事なことをしていたような気がする。途轍もなく重要な行為をしていたように思える。

 しかし当の自分は現在ベッドから上半身を出していて、そのようには見えない。

 

 思い出せない。

 何をしていたのか。

 

 ―――そうだ、何かを思い出そうとしていた。

 

 どこで?

 

 何を?

 

 分からない。

 思い出せない。

 

「なんだろ、この感じ……」

 

「【ユウカ】」

 

『【ユウカ】』

 

「ぁ……」

 

 それは自分でもわからない。

 

 求めているものがそこにある気がしたのか、探していたものが見つかりでもしたのか、声がした方向へとユウカは反射的に顔を向けていた。

 

「【ユウカ、大丈夫?】」 

 

 そこにいた人を視認し、たったそれだけでユウカは目を見開いた。

 

「せんせい……?」

 

「【え、うん】」

 

 せんせい

 

 先生。

 

 胸が苦しくなる。締め付けられるように心がくすぐられる。体が熱くなる。心が温かくなる。ドキドキする。ホッとする。頼りたくなる。頼られたくなる。

 

 感情の奔流に洗い流されて、思考が追いつかず、唇が震える。

 

 ただ、たった1人。

 焦がれていたものを、見つけた気がした―――。

 

「先生……せんせい……」

 

「【ユウカ?】」

 

 離したくない。

 離れて欲しくない。

 

 普段なら流す感情に導かれるように、ユウカは目尻から伝わんとする涙に気づかないまま、その人の手を取る。

 

(先生だ……先生がいる……先生が、ここにいる…)

 

 それだけのことで何故こんなにも感極まってしまうのか、ユウカには分からないままだ。しかしだからといって、溢れてくるものを止めることもできず、ユウカは俯いた。

 

「せんせいっ………!!!!」

 

「【ゆ、ユウカ!? どうしたの!?】」

 

「す、みません……すこ、し…お時間、ください……」

 

 こんな顔を見られたくはない。

 

 見られまいと、ふさぎ込む。

 

「【………】」

 

 その人は察したかのようにそっぽを向いて、ユウカのしたようにさせる姿勢をとった。

 

(………っ!)

 

 その、いつも通りの気遣いさえ嬉しくて。

 

 ユウカは10分以上もそのままでいた。

 

 

「―――もう、大丈夫です」

 

「【本当?】」

 

「はい、お手数おかけしました」

 

「【なにか、あったの?】」

 

「それが、分からないんです……。でも、何故か涙が止まらなくて。すみません」

 

「【……そっか。いいよ。全然大丈夫だよ】」

 

「ありがとう、ございます」

 

 

「―――おはようございます、先生。今日はちゃんとお仕事してくださいね!」

 

 そして彼女は、起き上がる。

 その人と、一緒に、何度でも。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 観測され続けなければ完全に消失するのだろうか。

 

 その世界であっても、先生であっても。

 

 それが、terror:恐怖であっても。

 

 あるはずの物が、あって当たり前だったものが、なくて当たり前の物にすり替わってしまったら。

 

 それに気づかない人々は、それでも幸せに生きてしまうのだろうか。

 

 

 ―――そうではないのだろう。

 

 それが大事な物ならばきっと思い出す。

 戦わなければいけないものなら、きっと思い出す。

 見失ってはいけないものなら、きっと思い出す。

 

 そこにある、とお互いに手を取り合えば。

 

 

 そして共に困難を乗り越え、笑うことができれば、

 

 それはきっと、無限の可能性という光り輝く奇跡となって皆の心に降り注いでくれるはずだ。




 ここまで読んでいただきありがとうございました。
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