基本は私が書き、行き詰まったり方向性を見出すときに、AIに書かせてます。
長くなればなるほど、蒸気にこだわりを持つようになって困ってます。
また戦艦をつくろうとすると航空母艦の名前が出てくるあたり、
中々ロマンあふれていますね。
続編はやる気があればやります。
1850年。石炭を導入して、電気を作る会社を作った。
幕府が蒸気機関を輸入して、汽車を渋谷に作った。
これに影響された私は、作った電気を利用できる電車を走らせる会社を作ろうとした。
まずはドイツの会社から、電車を購入して走らせた。
すると、馬車よりも速いスピードで走りまわった。
そして、日本で初めての鉄道が走る駅を作った。
この駅には、後に鉄道記念公園という名前が付くことになる。
次に私が取り組んだのは、貨物だ。
蒸気機関は馬力が弱いので、それをなんとか解消しようとした。
そこで、船を利用することを思いついた。
そのため、大きな船を作る会社を作り、海運業に手を出した。
この海運業は成功し、私が作った会社の名は少しずつ全国へ知れ渡ることになる。
私は船で輸送を開始したが、積み荷を降ろすのにとてつもない時間がかかることに気づいた。
そこで私は先駆けて、一つの規格となる【コンテナ】を作ることにした。
これの開発によって、さらに大規模な運送力を得ることができた。
次に手掛けるのは、【貨物列車】の開発。
貨物列車を作れば、より遠くまで荷物を運ぶことができるようになった。
私は、さらに大きな鉄道を周囲に張り巡らせようとした。
まずは地元の開発。
地元は主に田園風景が広がり、米や麦などの穀物が農作物の大体を占める。
これらは酷く重いので、当時は人力車のみ。そこで、鉄道を使い港まで運んだ。
地元の特産を広く売るために、港から港へ運び広く売ることに成功する。
次に私は貨物ではなく、旅客のための駅を作る。
これに合わせて、鉄道の駅を中心とした商店街も作った。
そこで、鉄道の駅を中心とした街づくりを市長にお願いし、地産地消も推奨した。
次に私が手掛けたのは、鉱山の開発。
鉱山とは鉄などの金属を発掘できる場所で、鉄道や船の材料となる。
私はこの鉱山に外国から購入した機械を使って開発し、上質な鉄を掘り起こすことに成功する。
この鉄を使って船や鉄道を作る以外にも、私は様々なことを行った。
鉄道の駅を中心として、その周辺に病院、学校などを作り、国の発展に貢献することに尽力した。
さらに私は、鉄道の駅を中心とした街の発展に力を注ぎ、その結果、当時外国で一番発展している
首都のようになった。
私はこれで満足しない。
私が作り上げた会社は、もとはといえば鉄道の会社。
地産地消や海運業も、町と町・国と国をつなぐにも鉄道は欠かせない。
次に取り組むのは、作っている電車の改良だ。そのためにも技術開発はかかせない。
そこで自前の工業学校を作ることにした。
幸いにもここは、国内随一の生産力を誇る首都より首都をしている地方都市だ。
おかげで働いていない人が結構いる。
彼らを教育し、外を学ばせることで国の発展に寄与させることにする。
まず私が方向性を見出したのは、造船関係。
この時はまだ、日本は戦争をしていなかったので、自国の造船技術は発展していなかった。
なので、他国から買った最新式の船を作ることにした。
しかし、この時に私はあることを思いついた。
それは、【船体の一部を作る工場を作ること】。
私は、この工場で【鋼材】を大量生産することにした。
この工場は、今現在の造船業界の発展に大いに寄与することになる。
そして、その工場は当時の国策である富国強兵の一環として作られた八幡製鉄所に並ぶ、
大規模な製鉄所になったのだ。
さらに私は中国や朝鮮で儲けた潤沢な資金を使って国土の一部を購入し、鉄道網を敷く。
そして多くの技術者と貨物列車を使って、県と県をまたいで大規模な物流を生み出すことに成功した。
もちろんこれは物流だけでなく、多くの旅客列車を導入することになり大規模な人の流れができた。
1850年では収まらない大事業なため、多くの月日を費やして30年。
そしてこの一年後、のちに国鉄と呼ばれる日本鉄道が誕生する。
1881年。私の鉄道会社は西日本を中心とし、大阪から兵庫・岡山・広島・山口・福岡と鉄道を広げている。
さらに海運業の一環として、船上鉄道というものを香川や愛媛に向けて行った。
香川には後に琴平電気鉄道・愛媛には伊予鉄道ができるが、今は影すらない。
そこで私はこの四国に、【四国環状鉄道】を作り上げた。
この【四国環状鉄道】によって、
「南九州と四国を結ぶ」
「四国を行き来する」
という、大きな役割を果たすこととなる。
さらに、この鉄道を使って、南九州から北海道へ向かう計画も立てた。
この計画は、北海道開拓で一躍有名になるはずだと思ったが、その役割はすでに日本鉄道が
国に売り込んでしまっていたため承認されなかった。
その代わり江戸、今でいう東京に駅を置くことができた。
東京には【東京湾】というとても海運業に適した自然の港がある。
既に外国船が多く散見され、イギリス・ポルトガル・オランダ・フランスといった西欧諸国の
蒸気船がいる。
私は海運業や鉄道のほかにも、多くの技術者を育てている。
幸いにもここだと外国語を学ばせることもできるし、西欧諸国に視察しに行くこともできる。
電車の祖であるAEG社がある、標準軌ドイツ。
紅茶と蒸気機関を開発した産業革命の大本、狭軌のイギリス。
私はどちらを主に学ばせるか迷った。
標準軌は車体が安定し速度も出るが、土地を多く使う。
狭軌は車体が不安定で速度も出ないが、土地をあまり使わず山間部に強い。
私は熟考しどちらに行かせるか決めた。
私は技術者たちを、標準軌ドイツに送り、標準軌を使う車両を作ることにした。
さらに、イギリスの技術者に設計図を渡して、狭軌を採用した車両を作ることも考えた。
しかし、これは反対が起こり、
「狭軌は揺れが大きく、スピードを出すためには車体が大きくなければいけない。
そのために、狭軌を使った車両は、車体の幅が広くなりすぎ、車両を引くことが難しくなる。
そのため、この案は却下」
と多くの上級技師たちが語った。
私もそう思っていたところだ。
狭軌はすでに山間部が大多数を占めている日本鉄道が用いて、東北地方や未開拓地域の北海道に
線路を敷いている。
本来ならこちらも狭軌で合わせるのだろうが、こちらは旅客と貨物をどちらも採用している。
揺れが大きいと
「お客を貨物扱いするのか!」
と多くの乗客からサービスの悪さを指摘される。
しかも電車ということもあり加速も速度も非常に大きく、もしも脱線したらと思うと大損害だ。
それに貨物需要もこの30年間で非常に大きくなっている。
日本国内なら川で運んでいた木材も、鉄道で運べば大体三日ほどで一生かかってもいけない場所へ運べる。
そもそも私が敷いた鉄道は、開発された平坦な場所。
狭軌にする利点がないのであった。
さて標準軌ドイツに多くの技術者を送ったが、それ以外にも見るべきところがある。
それはカール・ベンツといえばわかるだろう。
ベンツは世界で初めて【ガソリンで走る自動車】を開発し、販売したのだ。
ガソリンで走る車は、当時はとても珍しかった。
だから、この車はとても大きな反響を呼ぶこととなる。
また、今でこそベンツは高級車として有名だが、当時はその中でも安い部類に入る。
このことは、私以外だれも知らないはずだ。
もちろんフランスのキュニョーが作り上げた蒸気自動車も捨てがたいが、
蒸気というのは非常に不安定だ。
なぜなら蒸気を用いた蒸気機関はボイラーで熱された水が蒸発して圧縮されたものを、
シリンダーなどを回転させて生まれるエネルギーで動く。
そのため少しでも蒸気が漏れ出たならば、すぐに効力を失ってしまう。
それに対してガソリン車は蒸気自動車と違って、大きなボイラーが不必要かつ整備が簡単だった。
蒸気機関車のような巨体ならまだしも、一般人が使う蒸気自動車は大衆向けではない。
しかしガソリン自動車は、整備が簡単で比較的一般人でも扱えるものだった。
そのため、蒸気自動車はあまり売れなかった。
私達はこのベンツに使われた内燃機関を参考に、【ディーゼル機関】を開発した。
本来ならば1892年に、ルドルフ・ディーゼルが開発したものだ。
ディーゼル機関で作られるディーゼル車はガソリン車と違って、非常に安定していた。
私はこの機関を使って、鉄道の車輌を作っていた。
鉄道は蒸気機関で走っており、私や技術者が設計した鉄道はすべて蒸気機関車の形をしていた。
もちろん、蒸気機関車に比べて、動力は劣る。
そのため、私は蒸気機関車に引かれることを想定して、蒸気を送るためのパイプや蒸気タービンを
作ることも考えた。
これは、私が鉄道事業で得た金を元に、ドイツの研究者が作っていた【蒸気発電機】を
輸入した。
蒸気発電機は蒸気を使って、モーターやタービンを動かす装置。
蒸気を使うために蒸気機関よりも大きい。
しかし、蒸気を使っていることと、蒸気を作ることは同じだ。
そのため、蒸気機関よりも効率よく蒸気を生み出すことができた。
さらにこの蒸気発電機を、鉄道で使うことを考えた。
しかし、蒸気機関車とは異なり、蒸気を運ぶのは鉄道だけでなく、船舶にも必要になる。
そこで、蒸気を運ぶ船舶も作った。
この船舶は、今の船舶を作った時と同じく、造船所に多くの技術者を派遣した。
これもまた私や技術者達が作った【汽船】の改良を、日本で多く行ったことによるものだ。
しかし、日本では蒸気船が主流であったため、蒸気船を使った船舶を作ることにした。
蒸気を使うのは同じだが、蒸気機関よりも小型で力のある【蒸気タービン】というものを
開発するに至った。
原型はすでにスウェーデンのグスタフ・ド・ラバルが1882年に開発している。
また1889年には発電用に、1894年には船舶用に開発されるのだ。
私は技術者たちが西欧の言葉を学びいろんなところへ留学できるように、
いろいろと制度を整えた。
おかげで、最先端技術を習得するに至るのである。
すぐに国内に持ち帰り改良に取り組んだ。
私の会社は鉄道という枠組みの中で旅客と貨物をやっており、海運業の中で旅客や貨物運送を担っている。
まずは昨今の富国強兵により、多くの国民が地方と都会を行き来するために使っている旅客鉄道から
やっていこう。
旅客鉄道は今まで蒸気機関車だったが、1879年ドイツにて世界初の電気機関車がお披露目されたので、
すぐに技術を学ばせに行き十分学んだ技術者を総動員して電気機関車の開発を急がせた。
技術者が開発した電気機関車は、従来の電気機関車と違って人を車内に入れるものだった。
この会社で開発された電気機関車以外は、客車を引く形だった。
だが私がつくったこの会社は、すぐに旅客に使用することにする。
なぜなら加速や最高速度・制動距離等様々な面で蒸気機関車より優れており、
忙しい日本人にとってありがたい存在になる。
またこの形式の電気機関車は【電車】と一般的に呼ばれるようになり、1881年にはドイツが
1895年にはアメリカが電車を使った旅客鉄道が開始されるようになる。
次に【貨物列車】だが、これは坂道等で大きな力が必要となるため引き続き蒸気機関車に頼ることになる。
だが石炭を燃やした時に出る蒸気の煤が洗濯物を真っ黒にするという周辺環境が悪化する事態が多発しているため、人が多く住んでいるところは【ディーゼル機関車】を多用するなど使い分けていきたい。
最後に海運業および船舶だが、開発した【蒸気タービン】を使って今まで開発した船舶に設置する。
またこれ以降作る船にも、すべて標準装備にする。
これにて、1885年が終わる。
私は今まで会社の運営に必要な道具をそろえてきたが、そろそろ鋼材以外の原材料の確保も
自前でする時期に来た。
そこで最初に考えたのは、石炭か石油を確保しようと思った。
日本で石炭が産出されるのは、北海道から九州にかけて比較的全国でみられる。
そもそも石炭は植物が炭になったものなので、掘ればだいたいどこにでもあるようだ。
そこで有名な軍艦島や夕張市へ伝手を作ろうとしても、現在そんなものやっていない。
あとは筑豊炭田や西彼杵炭田が有力だろうか。
次に日本で石油が採掘できるのは、ほとんどなくあったとしても雀の涙だ。
そこで目を付けたのは中東のサウジアラビアだ。
今のサウジアラビアは、血で血を洗う戦争をしている。
とてもじゃないが、油井を立てることなんて叶わない。
1886年にて、比較的安定しているのはベネズエラ・アメリカ・ロシア・ルーマニア・インドネシア等だ。
今の技術で行けるのは、インドネシアだろう。
将来的に失うかもしれないが、今のうちに開発していても問題はないはず。
とりあえず現地人を雇用して教育し、インドネシア独立のための試金石にしてやろう。
しばらく時が過ぎ1889年。
ついに日本鉄道の東海道本線が、全面開始されることになる。
私は彼らに先んじて、【九州環状鉄道】や【山陰陽感情鉄道】・近畿や北陸道等彼らが
線路を敷いていないところにも敷いた。
さらに連絡船等を完備して、中国・朝鮮・ロシアといった外国にも船舶を行き来させている。
そのほかに、【台湾鉄道】を建設したり、【琉球鉄道】を完成させたりした。
また、蒸気機関車に使用する石炭と水の消費量を抑えるための研究も行った。
これの開発には相当月日をかけることになるが、南アフリカのレッドデビルのようなものに
なっていく。
そして電車も例外ではなく、いろんな形のモーターを開発させてどれが理想的かつ実用性の高いものを
使えばいいのかと検証をたくさん行った。
ここにはかけていないが多くのことを行った。
重要なことだけ書いたが、実は国より重要な国家機密の提案をされた。
それは外国に一番詳しいからこそ頼まれたもの。
依頼されたのは、【戦艦】の開発だ。
つまり日本国政府は、私のつくったこの会社に旅客船舶ではなく戦争の道具を作れというのだ。
まあ作るんだがね。
技術者たちも方向性の違うものを開発できると奮起しているようだ。
私が提案したのは戦艦で、構想は【三笠】と酷似している。
しかし、大きさが違う。
私の会社の【戦艦】は、全長150メートル、全幅30メートルで、搭載する主兵装は35.7センチ砲5門だ。
対して三笠は、全長131メートル、全幅23.2メートル、主兵装は30センチ連装砲2基4門だ。
私の会社の【戦艦】の方が、かなり大きい。
しかも、兵装の平均口径も私の会社の【戦艦】のほうが、ずっと大きい。
説明会を行うと一部の上級技師が、この【戦艦】には【飛行機】をつけてやろうというのだ。
飛行機は、私の会社の技術者たちが考案したもので、【プロペラ機】や【翼】を使ったものである。
原型は【竹とんぼ】と【蒸気タービン】だ。
これをガソリン車のボイラーを組み合わせるとあら不思議、空を飛ぶ飛行機の完成だ。
さすがに先を行き過ぎた発想のため、国会は【飛行機】に関しては保留し【戦艦】のみを注文することにしたようだ。
ほかにもイギリスのヴィッカースにも同様のものを注文したようなので、
彼らに負けないようにたくさん作ることにする。