「あんれまぁ、こりゃあ驚いたなぁ」
牧場主の奥さんは、目を丸くしながらその動物を見つめていた。その姿はかつて二年前に出会った動物の事を思い出させた。
しかし、その態度からは二年前の動物が戻ってきたという素振りではない。その動物はどこか怯えるように牛舎の隅で縮こまっている。
ドトウは以前にここに居住していた動物と同一個体であるかどうかも一応の考慮に入れながら観察してみた。
動物は茶色い毛で覆われている。栗毛だろうか。ブラウンのたてがみを持ち、また例によって綺麗に切り揃えられている。
仮にこういった動物がもし自然で生きていたとして、牧場主の旦那さんや獣医さん曰く、童話の『ラプンツェル』のようになってもおかしくないらしい。
「……初めてお会いしますよね?」
「…………」
ドトウは問いかけるが、うんともすんとも返事をしてくれる気配はない。
体色は以前保護した動物に似ているが、顔に走る流星の形もたてがみの色も違うし、仕切りの柵越しに観察してみれば明らかに見た目の雰囲気が違う。
また以前と同じ彼が迷い込んだというわけではないだろう事に安堵していいのか、あるいは不安になるべきか。
「股のモンついてるからあの時とおんなじ牡なのは間違いなさそうやんけどねぇ」
牧場主の奥さんが躊躇いもなくそんな事を述べた。まぁ、動物相手に気遅れするのは厩務員らしくないかもしれないが……ドトウは頷く形で、それ以上何も言わずにおいた。
「写真で見せてくれた子とおんなじ子じゃないの? たてがみの色や顔つき、模様だって、加齢で色変わる動物もいるよ。お母さんだって白髪が」
アオがそう失言して、額を指で突かれてた。確かにそういう事もあるかもしれないので、否定はできないのだが。
「いいえ、彼ではないです……」
ドトウにはなんとなくだが、そういった確信だけはあった。たとえ超常的な現象が起きて『彼』が記憶を無くして若返って帰ってきたとしても、不思議と見間違えない自信が今はある。
一体この子はどういう子なのだろうと奥さんやドトウが悩ましく考えていると、アオが二人の顔色を不安そうに窺いながら訊いてきた。
「まさか、元の場所に戻してこいとか言わないよね?」
……これが路地裏で猫や犬を拾ってきたのなら、まぁそういう事を諭す選択肢もあるにはあるのだが。
「いいや、どっかの牧場の仔だろうし……同業のよしみさ。保護しといた方がいいだろうね」
そう決めたのは、牧場主の奥さんだった。ひょんな事から同種の動物を保護した事が遠因で、一人娘であるアオが行方不明から帰ってきたからか、今回も見放す気にはなれないらしい。
「その代わり、粗末に扱ったら叱りつけるかんね!」
彼女はそう言って、新しい住民になった動物の頭を撫でようとする。しかしその動物は怯えているのか、ビクッと別の隅っこに逃げていってしまった。
「ありゃりゃ、嫌われちゃったかね」
残念そうに肩を竦める奥さんだったが、すぐに笑顔になって餌と飲水を用意し始めた。ドトウと同じく、二年前の彼を思い出せて嬉しい部分もあるのかもしれない。
その夜、宿舎で就寝の準備をしている皆の耳に動物の嘶きが聞こえてきた。
「……すごく不安そう」
アオは、連れてきた動物が誰かを探すようにずっと嘶いているのを耳にして、同情するように呟いた。
あのまま放っておくと、迷子になったままだったかもしれないとはいえ。当の動物からしてみれば見知らぬ人間に監禁されたと解釈しても仕方ないかもしれない。以前、一時的に保護した捨て犬とて野良猫とて、飼い始めた一日目は大抵の場合どうしてもそういう反応をする。
3日か4日すれば慣れてくれて、犬の方は懐いてくれて猫の方は「餌を寄越せ」とばかりに足に頭突きしてきたものだが……。
アオ自身も、自分が見つけた手前もあって不安を感じる。「ちゃんと元の飼い主の元へ送り届けてあげられるのだろうか」と。
「
アオが心配そうにしていると、同じ部屋で就寝の準備をしていたタイキシャトルがそんな風に声をかけた。
「うん。お姉ちゃん達みたいに、ちゃんとあたしにも出来るかどうか……」
アオは枕を抱きしめながら、小さく頷いた。
タイキシャトルはそんな彼女の頭をポンポンと撫でた後、彼女を安心させるように言った。
「先に寝ていてくだサイ。ワタシが様子を見てきますカラ」
タイキはそういって、動物の様子を見に行こうと部屋を出ていく。
部屋に残されたアオは、タイキシャトルの事を信じて部屋の電気を消して布団を被った。
アオは、浅い眠りの中で吹雪の中で迷子になった当時の事を夢という形で思い出していた。
永遠に思えるほど長い時間、その雪景色を彷徨い歩いた気がする。
――お母さん、お父さん……っ!!
泣き叫びながら歩き続けようが、どれだけ歩いても一面が真っ白な地面と雪化粧をした針葉樹しかない事に強い恐怖を覚えて、心細さに涙があふれ続けた。
そこで諦めて降りしきる雪の中に埋もれる事を選ばなかったのは、共に連れてきた一匹の若牛を道連れにしたくなかったという責任感があったからかもしれない。それ以上に、ここで諦めてしまったら二度と両親にも会えなくなるという確信もあった。
――どこなの……? どこへ行けばいいの……? もう嫌だよ、怖いよ……。
それでも前に進むしかなかった。立ち止まってしまったら、もう二度と歩けない気がしてならなかったからだ。
その意思すらも砕けたのは、どれだけ歩いても、どれだけ泣き叫んでも、元の場所に戻れないと自覚して絶望した時だ。
――ぐすっ、お父さん、お母さん……。
もう何もしたくないと思った。全て諦めて、白い地面に埋もれてしまいたいとすら思った。
だが、そんな時……一匹の仔牛が、アオの目の前に現れたのだ。
まだ生まれて数ヶ月程度の幼い仔牛は、つぶらな瞳でアオを見上げてくる。そして、よほど心細かったのかアオの元に擦り寄ってきた。
その時だった。その仔牛の後を追ってきたように、見知らぬ女性が現れたのは。
「……お姉さん、だぁれ……?」
……アオの目の前に突然現れた『彼女』は、すぐに優しい笑みを作ってしゃがみ込み、絶望して心までもが凍りついていたアオの頭を、そっと優しく撫でてくれた。
アオは浅い眠りから覚めた状態で、天井を見つめていた。彼女は先程まで見ていた夢の内容をぼんやりと思い出す。
「…………」
その時の出来事は、今でも鮮明に覚えていた。忘れられるはずもない。
「……あたしは、あの人みたいになりたい」
アオはベッドから起き上がると、窓の外の雪景色を見つめながら呟いた。
彼女のように優しくて温かい人間になって、動物達の事を真っ直ぐに見つめられる大人になりたい。
それが、あの事件を経て抱いた想いだった。ほんの少しでも、自分と同じようにあんな寂しい想いをするような迷い子を減らしたかった。
タイキシャトルがまだ部屋に戻っていない事を確認すると、アオはすぐさま立ち上がってハンガーに掛けていたジャンパーを羽織る。
それから宿舎を出て、今日出迎えたばかりの動物がいる厩舎に向けて駆け出していった。
アオが厩舎に向かった頃には、動物の嘶き声は止んでいた。
中に入って新しく住民を招き入れた場所を覗き込んでみる。すると、タイキシャトルが牧場で飼っている老犬のウィルを抱きかかえて、不安そうに厩の中を動き回る動物の姿を眺めていた。
「タイキさん」
声をかけると、タイキシャトルはゆっくりと振り返り明るい笑顔を浮かべている。
「Hi」
「……歩き回ってる仔の傍にいて蹴られたりしない?」
心配になったアオは、少し怯えた様子で尋ねる。しかし、タイキシャトルは小さく首を横に振って答えた。
「大丈夫! 蹴られても、チョットくらい怪我しても平気デス!」
要点はそこではないのだが。……とはいえ、動物の様子を見るにどうにも蹴飛ばされるような事はなさそうである。
「励まそうとやってキタのデスが、ウィルに先を越されてマシタ」
タイキシャトルはそう言って、腕に抱えている老犬の頭を撫でている。
アオは仕切りを軽い身のこなしで乗り越えて、タイキシャトルの横に座って一緒に動物の様子を眺めた。
アオから見て、その動物はとても綺麗な毛色をしていた。以前からタイキシャトルの髪色を綺麗だと思っていたが、それと同じような色をしているこの子の毛並みも艶があって美しいと思う。体毛が薄い電灯の光を反射して、少し輝いて見えるほどだ。
「牝じゃないよね」
あまりこの種類の動物の事を知らないアオでさえ、思わずそんな独り言が出てしまうほどに、その仔は女性的な印象を受けた。そういう印象を受けたのは、見た目の問題だけではなかったかもしれない。
「……トテモ寂しそうデス」
タイキシャトルは、どこか哀しそうな表情を浮かべながら言う。
その言葉の通り、その馬は今も落ち着きのない様子だった。厩の中をずっと歩き回っている、まるで何かを探しているようだ。
二人ともこの動物の事をよく知るわけではないけれど、その仕草からは不安や寂しさのようなものを感じ取れた。
「…………」
「……
アオが訝しげにタイキシャトルの方を見つめていたので、それに気づいた彼女は大げさに首を傾げる。
「なんかタイキさんとこの子似てない? 寂しがり屋なところとか。髪の毛の色とか。もしかしたら関係があるかも!!」
それを聞いて……タイキシャトルは思わず吹き出した。
言われてみれば確かにそうだと思わなくもなかったらしい。
「アハハ! そうですね。もしかしたら、ウマ娘の御伽噺のように、ワタシとこの子は名前と魂が一緒の可能性もアリマス」
だが、目の前の動物は部分的にタイキシャトルと似てはいても……『彼』の振る舞いとは似つかない。
だからだろうか、ドトウのようにタイキシャトルもこの動物が以前保護していた動物と同一の個体ではないという確信がある。タイキの態度からも、アオにはそれがなんとなく伝わったらしい。
――ならば、この子は『誰』なんだろう。
アオは、不思議とそんな考えが頭の中に思い浮かんだ。
周りの大人達は『誰かが飼っていた動物だ』とはいうが……本当は野生の動物で、名も無き動物という可能性も絶対に無いわけでもない。
それならそれで、アオにとっては『元の飼い主に返す』という責任が無くなるからある程度は気が楽でいいが。
そうでないならば、わざわざここに導いてきた側として最後まで責任を果たさなければならない……という考えが、アオの頭の中でねばつくように渦巻いていた。
「
思い悩んでいるアオの耳に届いたタイキシャトルの声は、いつもより理知的に聞こえた。
「相手を想う気持ちがウソでないナラ、いずれ答えは出てキマス」
タイキシャトルはそう言うと、視線を動物に向けたままアオの頭を軽く撫でた。
どうにも、寂しがり屋で放っておけないお姉ちゃんだと侮っていたら、たまに頼れる年上のような振る舞いをする時がある。
アオは気恥ずかしげに頬を指で掻きながら、一旦頭の中を空っぽにして動物の事を見守る事だけを考えた。
それから二人はしばらく厩の中を歩き回る馬の様子を見ていると、害をなしてくる存在ではないというのがとりあえず分かってもらえたのか。動物は少しずつ落ち着きを取り戻してきたように見えた。
「アオ。そろそろ寝ないと明日の学校に行けなくナリマスよ?」
そう言われて壁に掛かった時計を見ると、もう既に日付が変わってしまっている。
「タイキさんも人の事言えないじゃん。ドットさん達五時起きてくるよ」
「ワタシは、ココで寝マス」
……いくら賢い仔だとしても、さすがに踏みつけられる気がする。
アオはそんな事を考えつつ、少し困った表情で抗議してみる。
しかし、タイキシャトルの意志はとても固いようで、頑としてこの場所で寝るつもりでいるらしい。
これ以上何かを言っても無意味だろうと察した。
「分かった。ウィルは連れてった方がいいよね?」
「Hi。ワタシが寝ぼけて抱きまくらにシテシマウと、きっと苦しいデス」
本気なのか冗談なのか分からない彼女の言い草にアオは小さく笑うと、ウィルを抱きかかえて立ち上がる。
タイキシャトルは草藁の上で寝転んだ。どうやら本当にここで眠るつもりらしい。
「…………何故か"あの子"を思い出して、ほっとけナイです……」
去り際、アオの耳にそんなタイキシャトルの独り言が聞こえたような気がした。
タイキシャトルがいう"あの子"とは誰の事だろう? 一瞬だけそんな疑問が浮かんだものの、寝ぼけ頭ではそんな思考をする余裕すら与えられなかった。
「……どうせ、あたしの知らない人よね」
考えても無駄だろう。アオはそう割り切って、部屋に戻って眠りにつく事にした……。
導かれたのは一体誰?(複数話かけて、描写から読者が当てていく方式)
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