サイレンススズカ。
タイキシャトルの世代からすればもはや語るまでもなく名の知れた逸材だったのだが、彼女の戦績を敢えて語るのならば「遅咲きの大輪」というべきなのだろうか。
彼女が本領を発揮し始めたのはクラシック戦線ではない。その時期の彼女はオープンを一つ勝ってG2で善戦した程度のウマ娘であった。
しかして、シニアに入ってからのサイレンススズカの成績については、G1勝者のウマ娘を中心に鑑賞していてある意味知識が偏っていたアオでさえ、目を丸くするしかない。
シニアクラスに入った彼女は、一度足りともライバル達に敗北を喫せずして無敗のまま秋の天皇賞に出場。
『――栄光の日曜日の主役になったのはサイレンススズカ! 第4コーナーの向こう側からみごと盾の栄誉を勝ち取りました!』
「……し、シニアに入ってからは全戦全勝? そのまま海外に挑戦?」
秋の天皇賞を勝ち取ったスズカは、そのまま海外へ挑戦していった。……トレセン学園を卒業した今現在さえも、ドリームトロフィーリーグなどに出場するアスリートとして活躍するウマ娘の一人である。
「It is good to be a winner.スズカは『逃亡者』ナンテあだ名されましたが、『海外に逃げられてリベンジする機会を失った』ナンテ、悔しがってた子もイマシタネ」
隣のベッドに寝転がるアオに向かって、タイキシャトルは微妙な笑顔(米くいてー顔)で、しみじみとそんな事を語った。
「……タイキさんもスズカさんの事知ってたの?」
そんな事を聞いてくるアオに、タイキは頷いた。
「イエス。公式戦で戦ったのは一回ダケでしたが、ドトウと同じく、スズカも大切な『マイディアー』でした」
アオはその表現に、少しジトっとした眼差しをタイキシャトルに投げかける。タイキはイタズラっぽく、自らの唇に人差し指を当てる。
「今のは、ドトウにはヒミツですよ?」
「……そういう事言ってるとドットさんでもさすがに妬いちゃうと思うよ?」
とはいえ、楽しそうに気さくに語る態度からタイキシャトルにとって、そのサイレンススズカは立派な『マイフレンド』なのだろうとは思う。
「明日、アニマルドクター――黒男先生に栗毛さんの様子を見てもらう予定デスヨネ」
タイキはベッドに寝転がり、天井を見上げながらそうアオに語りかけた。
アオは毛布にくるまりながら静かに返答を考えた。
「今回も頼っていいんだよね」
「イエス。黒男先生なら、キット悪いようにはイタシマセン♪」
タイキシャトルは信頼しきったようにそう断言する。アオとしては、自分が発端の事から他人を無責任に巻き込んでいるようで、ちょっと申し訳なさはあるのだが。
ただ彼女の言うとおり、今回はあの獣医に任せれば最悪の事態は避けられるのだろうという安心感は確かにある。
「……タイキさん。あの子が何か病気とか怪我とか負ってる様子はあった?」
アオの問いに、タイキは少し考えながら返答する。……少し言葉を考えてから、言葉を続けた。
「……シャトじいじの時は、面倒臭がった時もアリマシタけど。脱走しかけた仔牛を一緒に走って食い止めたり、空が晴れてる時は、ドッチが速いか競争したりシマシタ。なんだかんだで、シャトじいじは走る事は好きだったみたいデス」
二年前の、シャトじいじとの牧場生活の一端を語り始めたタイキシャトル。それは絵本の中の御伽噺を幼子に伝えるようなトーンで穏やかだった。
それでも話の中で、ちょっと言葉を選ぶようにタイキシャトルは黙った。
そして再度口を開き、タイキはこういった。
「あの子は、一向に走りたがりません」
それを聞いて、アオはむくりと身を起こしてタイキの方を見つめる。
「足に怪我があるとか?」
それを聞いて、タイキは難しい顔をする。
「ワタシの見た限りは、怪我はアリマセンでした。でも見えない怪我があるカモシレマセンから、明日黒男先生にその事を相談しようと思っています」
そう言葉にしてから、難しい顔をしていたタイキは、パッと笑顔を見せてくれた。……アオを不安にさせないように、だろう。
「今日も、夢の中でスズカに出会えるといいデスネ♪」
何故スズカが夢の中に出てきたかという謎に関しては……「タイキシャトルのレースで見かけていた彼女を覚えていて、それが夢に出てきた」という結論だった。
アオは釈然としない部分があったが、彼女がアオの事をよく見知っているように微笑んでいた事について説明が付かないので、渋々納得している。
「きっと、アオはスズカにcrush crush(惚れ惚れ)したのですね!」
「いや、まぁ……確かにスズカさん美人だけど……」
とはいえ……アオからすれば本当に綺麗なウマ娘であった。「お胸がぺったんこ」とは評したが、ある種の気品ある凛とした姿。むしろ胸が小さい事を含めてさえ、整った美しさを感じていた。
「……どっちかっていうと、ドットさんやタイキさんみたいにおーきくなりたいんだけどなぁ……」
タイキに聞こえない声でそう呟く。自身の平べったい胸を両手でぐりぐりと撫でてから、アオはちょっぴり憂鬱になった。
翌日。
厩舎の手伝いを終えたのち、アオは小学校で過ごしていた。
「なぁなぁ、さっきの体育の時間にさ。校門の方にすっごいきれーなウマ娘のお姉ちゃんが――」
などと、帰りの会を終えてから男子の同級生達が騒ぎ立てていた。アオは思春期男子の異性に対する好奇心について「やれやれ」と思いながら、話に加わる。
「ここにだってすごくきれいなウマ娘がいますよ」
と、自身を親指で指さしながら、そう会話を混ぜ返した。それがいつもの事なのか、男子達は即座に切り返してきた。
「アオちゃんはきれいっていうよりかわいいし」
「うん」
興味なさげに、歯が浮くような言葉で褒めてくるから、アオは下唇を噛んで大袈裟に悔しそうな表情をした。話に加わってない者も含め、笑いが起こる。
「きれーなウマ娘さんって、ウチのドットさんやタイキさんじゃないの?」
笑いが取れたのを確認してから。二人より美人なウマ娘なんて早々居ない、などと自信があるアオは冗談交じりで聞いてみた。
そんな彼女の言葉を聞いた男子の一人が、アオに向けて前のめりになりながらこう言った。
「ちがうちがう。細くて、スラーっとしてて……めっちゃサラサラの長髪だったー……」
その子は本気で憧憬を抱いている雰囲気で、そのウマ娘の事を語る。その様子は少年らしい恋したような様子。
「あれって、確かちょー有名なウマ娘の人だよ。テレビで見た事あるもん」
一緒にいた男児もそういって盛り上がる。アオは薄ぼんやりと話に加わっていたが、そのように有名なウマ娘なら一目見てみたいと思った。
「ちょっとあたしも行ってみる」
そういって赤いランドセルを背負うと、女子の一人から甲高い声が飛ぶ。
「あおちゃーん! 掃除係!」
それを受けてビクリと震え、バツが悪そうにするアオ。
「ごめん! 明日と明後日連続で手伝うから!」
クラスメイトが止めるも聞かず。アオは持ち前の足の速さで走り去って行ってしまった。
校門に辿り着いたアオは、それが当てはまりそうなウマ娘を探した。
小学校の下校時間前後だから、学校の前を歩く大人自体がそうはいない。
だから、すぐにわかった。校門近くに、『すっごいきれーなウマ娘』だという少年の言葉を理解させられるウマ娘を見つけた。
彼女は、アオが目を丸くして見つめている事に気がつくと、自然な笑顔を浮かべて、囁くような挨拶を向けてくれた。