タイキシャトルがスズカに抱擁を続けている合間、件の獣医がやってきた。
「やぁ、また友人が来ているのか」
「仲良き事はいい事なのよさ」
黒と白のツートンカラーの髪色の獣医さんと、そのお子さんであろう幼稚園児くらいの女の子。
アオは頼り甲斐のある獣医がやって来てくれた事を喜び、それについてきた女の子の方には年離れた従姉妹にでも話しかけるように挨拶を向けた。
「久しぶり! ちょっと体大きくなった?」
「せんせーに新調(しんちょー)してもらったのよさ!」
そういって、アオに対して彼女は胸を張る。……たぶん、服の事だろう。アオはニコニコと笑いながら数ヶ月振りに会えた彼女の成長を喜びつつ、獣医の方に話を向ける。
「先生、二年前に牧場にやってきたのと同種の動物を連れてきたんです」
「あぁ、旦那さんから聞かせてもらっている」
ならば、話が早い。二年前に保護した「シャトじいじ」と同じく、感染症に罹っていないか検査をしてもらう形になるだろうか。
「保健所の人達へ連絡はしたのかい?」
「もちろん! ……シャトじいじの時に対応してくれた人達と同じだったみたいで、苦笑いされてたけど」
そんな事を雑談しながらも、三人はタイキシャトルの方をちらりと見た。
「スズカぁー!! It's wonderful to see you again after all this time!!」
「タイキ……くるしい……」
……今は邪魔しない方がいいだろうな。タイキの感極まったハグを目の前にそう感じたのであろう。アオ達はそそくさと、厩舎の方へと向かっていった。
厩舎へ赴くと、放牧から戻りたての栗毛の動物は部屋の中を気を紛らわせるようにくるくると歩き回っていた。
「あぁ、またやってる」
「バターになっちゃういきおいなのよさ」
やはり不安なのだろう、とアオはため息をついた。獣医は栗毛の動物の様子を見て、少し眉が動く。
「牧場に来てずっとからこうなのか?」
「うん。足を壁にぶつけて怪我しちゃいけないから、あたしも止めようとはしたんだけどね」
そういって、アオが柵を軽々飛び越えて房に入ると。栗毛の動物はピタリ、と歩き回るのを止めた。
「ね。利口でしょ。止めようとしたら、叱る前にやめるし。他の人を踏まないように気をつけてもいるみたい」
このように体の大きい動物が、利口な様子を見せるのを、ひとまずの信頼関係は築けている証なのだとアオは少なからず自慢気に思って胸を張って笑みを浮かべる。
小さな事かもしれないが、大きい一歩だと思っているから。
……しかし獣医の顔は、全く笑っていなかった。
「この子は、確実に人に飼育されていた子だな」
アオはその意見に、獣医の方へ振り向く。
「シャトじいじと同じでタテガミが綺麗に切り揃えてあるから?」
僅かながら、野生の子ならずっと自分の手元に置いていてもいいのかもしれないと思っていたアオは、抵抗の意思を込めて獣医の方を見つめた。
「アオくん。蹄鉄は知ってるか?」
獣医の方は、静かにそう返す。
「うん。ウマ娘の運動靴につける保護具でしょ。あとは、農耕牛とか力仕事をする子の蹄にもつけてあげるってのも聞くよ。ウチの子達はむしろ伸びっぱになるから削蹄するけど……」
蹄鉄。ウマ娘の場合は脚。家畜の場合は、蹄を保護する場合に装着する。
しかしアオの牧場のように、乳牛は運動量の関係で蹄がすり減らないので装着する事はまずなく、むしろ保護具をつけずに定期的に削蹄して管理する必要があった。
「その動物は、蹄鉄をつけている」
アオは、先の短い時間でそれに気づいた獣医の観察眼に驚くと共に、ぐるりと栗毛の動物の方を見た。彼が地面を掻くようにして脚をあげた一瞬、確かに金属の蹄鉄が見えた。
「……シャトじいじはつけてなかったってドットさん達に聞いたよ!」
だから、決して自分が動物に関して無知なわけではない! 数日間一緒にいて全く気づかなかった愚かさを誤魔化すように、思わず声を荒げてしまうアオ。
獣医はそれに対して、静かにゆっくりと返答する。
「落ち着きたまえ。驚いているぞ」
獣医の隣にいる女の子も、栗毛の動物の方も、目を丸くしながらアオを見つめていた。彼女の取り乱しようを目撃して、思わずといった様子だった。
今の一瞬で獣医の先生が気づいたのなら、それより長い時間一緒に居た牧場主であるアオの父親母親はもちろん、厩務員として世話していたタイキやドトウも気づいていたのかもしれない。いや、気づいていたのだろう。
アオは、それを考えると恥ずかしさでまだ上ずりそうな声を落ち着かせながら、話題を戻した。
「……えーっと。じゃあ、この子は農耕の為に人間に飼われてた子、って事? 蹄に保護具がつけてあるって事は」
「確かに、力強そうではあるな。もしこの動物が多く生息していたとしたら、そう使役するのも合理的だったかもしれない。どちらかといえば乗用向きだろうが」
現代は重機があるからともかく、江戸時代以前など機械がなかった時代なら牛と同じくそういう方面で活躍していたのかもしれない。そういう推測に関しては、アオと獣医は一致できた。
獣医は栗毛の動物を怯えさせないように慎重に近づいては、脚をあげてもらうように催促する。栗毛も、それには従ってくれた。
「新しくはあるが、摩耗しているな。短い期間に相当な運動をする子なのだろう」
アオは獣医の言葉に……先の、房をくるくると動き回る動きを思い返した。
「なら、歩き回るのやめさせた方がいい?」
獣医は少し思案すると、答えを出さずにアオに別の事を述べた。
「少しこの子の事を検査するから、その間その子と一緒に遊んでおいで」
獣医はそう言って、連れてきた女の子の方を見る。
「……わかったよ、しょうがないなぁ」「ちょうがないわねぇ~、ちぇんちぇーの頼みだから」
……アオと少女は、そう言ったのち、お互いの顔を見合わせる。
どちらが面倒を見てあげる立場かハッキリさせようじゃないかと言わんばかりに、二人は厩舎を我先にと出ていった。
獣医は二人が出ていったのを確認してから、栗毛の動物に向き直る。
「……キミは前の子ほどイタズラっ子でないようだから助かる。あの子は、狙ったように脚を踏んできたのが懐かしいよ」
栗毛の動物はそれを聞いて、少しだけ首をかしげたように見えた。それは獣医の気の所為だったかもしれないが。
厩舎を出て、二人っきりになったアオは、ひとまずウィルや仔牛など自分たちだけで相手をしても問題なさそうな動物を見て回っている。
「ウィルも、小さい頃は前足を舐める癖があったんだよねぇ」
懐かしい記憶を思い出すように、アオはウィルを抱きかかえながら女の子にそれを教えてあげた。
「あんら~、かわいいぢゃない」
……子犬が前足を舐める様子を想像して、頬に手の裏を当てて和む少女。その反応を見て、アオは「そういう反応もあるか」と頷きながら話を続けた。
「でもさ。前足舐めすぎて、その部分だけハゲちゃったんだよ。ピンク色の地肌が見えちゃってさ」
「あっちょんぶりけ!」
ハゲ、と聞いて。女の子は驚いたように頬に手を当てる。子犬がハゲるという話は、少しショッキングだったらしい。
「なんでそんなこちょになるまで舐めちゃってたのぉ?」
少女に顔を近づけられる風に、ウィルはそう問われていた。アオの方は、昔を思い返すようにしばし考え込む。
「たぶん、寂しかったんだと思う。実はウィルって、他の牧場で産まれた子を貰ってきた子なんだ。でもウチに来て、お母さんと兄弟とかと離れちゃう事になったから」
アオは、そういって何か思いついたようにニヤリと笑った。
「そういうのを『代償行動』っていうんだって。欲求を紛らわせる為にやっちゃうクセ。貧乏ゆすりとか。知ってた?」
得意げになってそう語るアオを見て、少女は「ほへー」と呟きながら目を丸くする。感心はしてもらえたらしい。
「じゃー、あのくりげの動物ちゃんがくるくる回ってるのも、そのだいちょーこーどーってやつなのかちら」
アオは彼女の指摘に、頷いた。
「かもしれない。前の飼い主さんの時からやってたクセなのかもしれないし、この牧場に来てからやり始めたのかもしれない」
それについてはまだあの動物についての知識が浅いアオには分からないが。
「……タイキさんは。あの子が『走りたがらない』って言ってた」
だから、アオは脚や蹄に関して何かしら怪我があるのではないかと。そう確信めいた結論をつけている。だからあのくるくる回るクセは、やめさせた方がいいのだろうとも思ってる。
だが、タイキは獣医に脚の事を必ず伝えるだろうし、アオから進言がなくてもあの腕のいい獣医は脚や蹄についてある程度見立てをしてくれるだろう。
「……何にも、手伝えないなぁ。あたし」
先に声を荒げてしまった事も含め、己の不甲斐なさを恥じた。シャトじいじがやってきた時のドットさんみたいに、いや、彼女ほどでなくとも……アオは、もっと自身に何か出来ると思ってた。だが出来てない事が、酷く苦痛だった。
そんな事をしばし考える。
「あなたもだいちょーこーどするのねぇ」
と、女の子の方から言われた。言われて意識してみれば、自分の横髪をくるくると指で巻いてしまっていた。
「あぁ、うん。髪に指巻き付けるのは昔からのクセ。つい強めにやっちゃって、変に巻き癖ついちゃうの。髪も傷んじゃうし……」
少女はそのアオの言葉を聞いて、またぼんやりとした表情のまま、首を傾げていた。
「やめられるよー、どりょくはしちゃのー?」
アオはしばし沈黙する。
「……お母さんにも、やめるように言われはしたんだけどねぇ」
アオは、それをやめるように我慢はした時期はあった。しかしどうしても我慢すればするほど、何故か代わりに涙が出る事が増えた事を覚えてる。
「しばらくしてさ。お母さんの方から『くせっ毛も可愛いから我慢しなくてもいいんじゃない』なんてさ。ひどいったらないよね! 今になっても、結構悩んでるのに」
その言葉を聞いて、少女は納得したように軽やかに笑った。
「なら、ムリに治さなくていいんじゃないかちら」
笑い声の後にそう付け足された言葉に、思わず目を見張った。
「だって、あなたのおかあちゃまの言うちょおり、かわいいらしい髪型だもの」
からかいとは違う、年下をあやすようにコロコロと笑いながら言われたものだから、アオは何も言い返せなかった。
「それに、だいちょーこーどーを我慢するちょ、きっと『すとれちゅ』がたまるんだから。ムリにがまんすることはないのよさ!」
その物言いに、どこか説得力を感じる。本当にこの少女は、自分よりも年下なのだろうか。アオはそう感じる事もある。
「…………うん、そう考える事にする」
栗毛が房をくるくる回る事をやめさせようと第一に考えていたアオは、彼女の言葉を聞いて……ひとまず、それは考え直し、獣医の判断を待つ事にしたのだった。