詠渡しの碧   作:稗田之蛙

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静けさ

 サイレンススズカ。

 トゥインクルシリーズのシニア級において秋の天皇賞含めた複数の重賞に出場し、全戦全勝した覇者。

 そのまま海外遠征を敢行し、トレーナーと共にその実力を世界に見せつけた。

 

 ――異次元の逃亡者。

 

 

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 偉大な功績を打ち立てたサイレンススズカに畏敬を込めて、人々はそう二つ名をつけた。

 

「……」

 

 アオが異界から連れてきた動物の診療を獣医がしてくれている合間、考え事をしながら動物達を眺めていた。

「そうれ、いくわよぉ!」

 獣医に付き添ってきた娘さんが、フリスビーを投げて遊んでいる。牧羊犬のウィルと遊んでいるらしい。当のウィルは老犬にも関わらず、うわ投げのような軽い投擲程度ならフリスビーを地面に着地させずにキャッチできた。

「もうおじいちゃんになっちゃったのにあいかわらずげんきねぇ~」

 わちゃわちゃとウィルをくすぐるようにもみくちゃにする娘さん。くすぐったそうにするが、嫌がる素振りはないウィル。お互いに楽しんでいる様子だ。

「……じゃあ、こんどはもっとホンキでいくわのよさ!」

 そういって、遠くへ投げるジェスチャーをしてから。思いっきり力を込めてからフリスビーを投げる。

 案の定、力加減を間違えたのか、まるで空気を切り裂く手裏剣のようなスピードで飛んでいく。時速数十キロ。ウィルもさすがには追いつける様子もなく、フリスビーは牧場の敷地外に出て行ってしまうだろう。

「アッチョンブリ――」

 二人と一匹がそう思ったのもつかの間。細身の何かがフリスビーよりもいくらか上回る速度で駆け抜けると、プロ野球選手さながらのフォームで大きくジャンプしてその手にキャッチした。

 

 それは、サイレンススズカだった。

 その脚は、まるでバネのようにしなやかに伸びていた。そして着地の衝撃も吸収する様に柔らかく地面につく。それが『未だサイレンススズカは現役の陸上選手なのだ』と、見るモノに思い知らせてくれる。

「……あの人、本当にすごいんだ」

 シニア路線の出場試合全戦全勝という文字通りの『異次元』さには、正直なところアオにとってどんな走り方をするウマ娘なのかイメージしにくい領域だった。

 しかし、こうして実際に目の前でその走りを見てしまうと。否が応でも脚の速いウマ娘なのだと実感させられてしまう。

「はい、どうぞ」

「わぁい、ありがとワのよ!」

 柔らかい笑み。線が細く、優しさを感じさせる表情は、アオが学校帰りに出会った時の表情と同じ。"他者という存在を信頼している"ような、そんな笑顔だった。

 

 ――…………でも。 

 

 サイレンススズカはフリスビーを手渡しで返すと、サイレンススズカは笑顔のままアオの方へ近づいてきた。

 思わず緊張し始めて、目を合わさずにウィル達がいる真正面をじっと見つめてしまうアオ。

 ただ単に、性別問わずやたらな美人が隣にいると緊張するだとか、国民的に有名なプロ選手が隣にいるという気持ちもある。

 だが一番は、「山林の異界で出会ったのがこの人かもしれない」という事実が、アオの心を縛り付けてしまっているからだった。

「えらいわね、牧場のお手伝いしてるでしょう?」

 アオは、そう優しく語りかけてくるサイレンススズカの言葉にたじろぐ。なんだかむず痒いような気持ちになりつつも、絞り出すように声を出した。

「タ、タイキさんから聞いたの?」

「うん。タイキから」

 サイレンススズカは、そう優しく語りかけてきた。アオの緊張をほぐすように、優しく、柔らかく。暖かいものに満ちあふれていて。

 

 やはり笑顔の印象が違う。山林の異界で出会ったサイレンススズカは、優しい印象があったのは同じだがどこかに物悲しさを纏っていた。

 だからアオは、その出来事を打ち明けるべきかどうか迷っている。

 そもそも、眠っている間にあの空間に居た事なのだから。本当に自分の夢だったのか、意識だけがあの空間に持っていかれたのか、定かではない。

 

 

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「寒くない?」

「え?」

 突然、サイレンススズカはアオにそう聞いてきた。その質問の意図が読み取れず、思わず素っ頓狂な声で返してしまうアオだったが。

 頬に冷たいものが当たる感触。みぞれだった。雪になりきれてない、ちいさな水氷の塊。それがちらほらと、散発的に天から落ちてきている。

 それを認識した瞬間、アオはぶるっと体を震わせた。先刻にも寒気でくしゃみをして彼女に上着を借りた事を思い出し、大事な事を忘れていたと青ざめる。

「ご、ごめんなさい! 服、返さなきゃ!」

 牧場に帰ってきた時には自室に勉強道具を放り込んで、厩務作業しやすいオーバーオールに着替えてからサイレンススズカに借りた防寒着もポールハンガーにかけたのは覚えている。

 わたわたと慌てているアオに、サイレンススズカは指を口にあて、微笑ましそうにクスクスと笑いながら言葉を続けた。

「いいのよ。まだ帰るまで時間はあるし、それに。この地域の肌寒さも感じ取るのも、私にとっては新鮮で楽しいかも」

 そう言って、彼女はウィル達がフリスビー遊びをしている方へ目を向けて、笑む音をこぼす。

 

「この牧場には不思議な動物さんがいるのね」

 そんな、彼女の何気ない一言が、アオの心にドキリとさせた。

「二年前くらいにね、ニュースになっていたから私も前の動物さんについては知っているの。シャトじいじ、だっけ? 国外のレースで遠征してた時期だから、詳しく調べられなかったけれど……」

 サイレンススズカは、シャトじいじの事をもうすっかり日常の思い出話のような軽さでそう聞いてくる。続く話題を察知したアオは、反射的に呟いた。

「アタシは今回の事で学者さんに頼りたくない……ニュースにだってしたくない……」

 新しく自分の手で迎え入れた動物。他人に委ねるなんて、絶対考えたくなかった。そう言い返してしまうと、気まずくなりながらもサイレンススズカの顔を窺うように見上げる。

 彼女は口元に笑みを称えたまま、こちらの顔を覗き込んできて、じっと見つめてくるだけだ。

 碧色の瞳には慈愛さえ感じさせる眼差しが混じっていて、アオは相手の心を探るような視線を返す他になくなる。

「どうして?」

 サイレンススズカは、まるで語りかけるような優しい口調で、アオに尋ねてくる。

「だって……。だって、シャトじいじの時みたいに、余所に送るなんて話になったら……」

 アオは言いながらも、自分の独占欲に嫌気がさす。もう、アオも分かっているのだ。あの動物の為にどういう事をすべきか。

 

 でも、それを認めてしまう事は、あの動物をいずれ手放す事になる。

 アオは、それが怖いのだ。ドトウがシャトじいじの事を思ってそう動いたはずなのに、自分は受け入れないなんて。

 

「あの不思議な動物さんを、大事に思っているのね」

 サイレンススズカのその言葉に、アオは沈黙して肯定も否定も出来ずにいる。

 少なくとも、自分が連れてきたのだから手元にずっと置いておきたいのが本音だ。だが、それは傲慢だと自覚がある。

 野良犬や野良猫を拾ってきて我が儘を言っているどころか、まるで珍しい動物を『トロフィー』として扱っているに等しいのではないか。アオの罪悪感が自身にそう訴えかけてくる。

 その沈黙を、サイレンススズカはアオの返答と捉えたのか。彼女は、手首を軽く握って顎に手をつけるポーズをとって思案気な表情をすると、やがて目を細めて口元に弧を描く。

「ふふ、タイキも同じ事言ってたわ。『出来る事なら、今回の仔も自分達がずっと世話して一緒に居たい』って」

 後ろめたい気持ちを肯定してもらえるとは露とも思わず、アオは思わずサイレンススズカの顔を見つめて固まった。

「ねぇ、アオさん。あの不思議な動物の事を、もっと教えてほしいな。その、名前とか」

 叱られるか諭されると思って身構えていたアオはそんな事を聞かれると思っておらず、目をぱちくりさせる。幾分か緊張のほぐれたアオは、少しまごついた。

 そういえば、あの不思議な動物に名前をつけていない。シャトじいじの時は彼の物だと思われるコートに縫い付けられた名前から取ったらしいが……。

「えぇっと……まだ、決めてない。おとなしい子だからシズカ? ……うーん……それじゃ女の子みたいだし……」

「あれ、あの子って女の子じゃないの?」

「いや、綺麗な見た目で女の子みたいな仔だけど。男の子だよ。ちんちんついてたし」

 サイレンススズカは、そんなアオの話を吹き出しそうになりながらも聞いている。他愛のない会話といえ、アオにとってはこの話題がこの上なく嬉しいものだった。

 誰かがあの動物についての会話に付き合ってくれる。それが、アオにとってとても心地いい。

 

 他にもいくらかあの動物について話を交わしている最中ふと、自分達の近くをタイキとドトウの二人が通りかかり、アオは質問を投げかける。

「ねぇ、タイキさん。ドットさん。あの子の名前って何にしたらいいと思う?」

 すると、二人は互いに顔を見合わせると、二人同時に笑い始めた。

「え、そんなに変な事聞いた!?」

 その様子に戸惑いだすアオに、ドトウはふるふると顔を横に振った。

「いえ、違うんです~。その……良い事だと思ったので~……」

 微笑ましいものを眺めるように笑うドトウ。

「Peace begins with a smile.前向きに進めば、平和でハッピーデス」

 タイキも、アオの質問に前向きなモノを感じたから明るく笑い、スズカにその表情を向ける。

「ヤッパリ、スズカは幼い子の相手が得意デスネ。レースを引退した後は、教育番組のお姉さんを目指してみるのもドウデスか?」

 スズカは、タイキの言葉に少し考えるように間を置いて、やがてフルフルと首を振りながら苦笑した。

「そんな、私は向いてないわ。自分の尋ねたい事を尋ねただけだから……」

 向いてると思う。とは、言葉にせず頷いてるアオ。そして気になる話題を聞いて、ピンと耳を張り詰めるように伸ばしながら身を乗り出す。

「スズカさん。レース引退するの!?」

「えぇ~~!?」

 今現在でもドリームトロフィーリーグや国外レースを主軸に活躍しているというスズカの引退はドトウにもアオにも寝耳に水の話だ。

 足を酷使する陸上競技において人間でもウマ娘でも「30歳が抗いきれない限界」とされているが、スズカの年齢ならまだいけるようにもアオは感じる。

 スズカは、二人の慌てようにわたわたと手を左右に振る。

「え、えぇっと、まだ決まったわけではないの。ただ、ちょっと足に違和感があるから、ちょっと休暇を取って、それでタイキやドトウさんに会いに来たというか……相談というか……」

 そう説明するが、彼女自身、まだそういう決心がつかないらしい。タイキが三人を落ち着けるように口を挟んだ。

「何はともあれ、スズカも、私達も考えるべき事がたくさんアリマス! 性急に結論を出す必要はナイ。ソウデショウ?」

 タイキの言葉に、三人は一度沈黙する。そして一番初めに口を開いたのはドトウだった。

「そ、そうですね。私は、獣医さんから、牛達や例の動物さんの検診が問題なかったか聞いてきます~……」

「……アタシもそうしようかな。スズカさんに借りた服もついでに取ってこよっ」

 そう言って、ドトウは厩舎の方に小走りに駆けて行った。アオも、フリスビー遊びを続けている獣医の娘さんの方に駆け寄りながら、タイキに振り返る。

 

 依然として穏やかに笑うスズカと、やたら明るい笑顔を浮かべているタイキ。アイスクリームや牛乳などのお土産を売ってる直営売店の方へ案内するつもりらしい。

 たぶん、スズカがこうやって牧場にやってきたのも観光ついでに旧友に色々意見を求めたい事があったのかもしれない。

 

『ちょっと足に違和感があるから』

 

「アオさん、どうしたんです~?」

「いや、ちょっとだけ、ちょっとだけね」

 ……アオに、スズカの言葉が妙に嫌な形で頭の中に引っかかっていた。

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