オグリの娘 ~畜生ダービー~   作:ウヅキ

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第11話 信頼関係

 

 

 12月26日 土 阪神競馬場  天候:晴   芝 : 良  15:42

 

 

 吾輩は競走馬である。年末の晴れた日に、乾いたターフの上に立っている。

 畜生にはクリスマスも無ければ、年末の休みも無縁だ。

 むしろ年末のイベントに向けて、数多くの鶏や牛がお肉にされて食卓に並ぶ。

 畜産とはそういうものと、生前は割り切っていた。しかし改めて家畜の立場に立たされると、ふざけるなと物申したい。言葉通じないけど。

 『家畜に神はいない』と誰かが言ったが、正確にはサディストな神しかいないと思う。

 

 先の事は誰にも分からないが、ともかく俺達レースをする馬は勝って走り続ければ、その間だけは肉にされる心配は無い。それだけは分かっている。

 今はそのいつ切れてしまうか分からない、不確かな蜘蛛の糸を登り続けるしかない。他の馬を蹴り落としてでも、出来るだけ長く生きて走りたい。

 だからここに集まった、俺以外の15頭の馬達よ。負けても悪く思うんじゃねえぞ。

 

 

 ウォーミングアップの走りを終えて、ゲートの前で静かに時を待つ。

 相変わらず馬共は落ち着きなく動き回ったり、騎手達に宥められている。

 しかしまさか年末に阪神レース場に連れてこられるとは思わなかった。てっきり中山レース場で、ホープフルステークスに出ると思っていたのに当てが外れた。

 年末に宝塚でこんなレースあったかなぁ?もしかしてOP戦以下なのかも。

 でも阪神レース場は前世で何度も走った事があるから、どう走れば勝てるか大体見当がついている。

 

「今日勝って、年末はゆっくり過ごそうアパオシャ」

 

【あいよ】

 

「初の重賞で頭数も多いのに、お前は全然気にしないんだな。頼もしいよ」

 

 数が多いだけなら何度も経験あるんだからそりゃね。

 ただ、ウマ娘の時と違って馬はデカいから、集団から抜け出す隙間が小さくなる。必然的にペースを上げるタイミングがシビアになるから、周囲の動きの把握が前以上に重要になってくる。

 場合によっては、アンタの助けもいるかもしれない。信頼しているから、いざとなったら指示をしてくれよ。

 

 開始の時刻になり、係員が次々と馬をゲートに入れていく。

 俺も12番ゲートに誘導されて、後ろを閉じられた。

 

【せまーい】

 

【だしてー】

 

【どきどき】

 

 相変わらずゲートの中に入ると、馬達が興奮してたり怖がって煩い。落ち着かない馬をどうにか宥めようとしている騎手はご苦労な事だ。

 落ち着き過ぎてスタートを見逃したら困るから、適度に緊張感を保って待つ。

 

 馬の耳にとって爆音に近いゲートオープンに、反射で身体を動かして一歩を踏み出した。

 残り15頭も我慢した鬱憤を晴らすかのように、それぞれ駆け出して速さを競う。さすがにここまで勝ち上がってきた馬だけあって、スタートも様になってきている。

 走り始めてすぐに緩い登坂がある。ここを登りながら徐々に集団が作られる。

 俺は大体10~11番手の後方で様子見をしている。先頭は登坂の後にすぐコーナーだから、六馬身程度の差しかない。ちょっと詰まり気味で動きにくさを感じる。

 

「まずい、猛さんにマークされてるな」

 

 コーナーを走っている最中に舌打ちが聞こえた。どうやら和多にとってやりにくい相手に目を付けられているらしい。

 ――――斜め後ろの外側に張り付いている馬か。体格は俺より一回りは大きくて、ジリジリと圧力が強くなっているのを感じる。

 柵と挟まって押し込まれたら、前を走る馬で蓋をされてしまう。

 こんな時に前世で会得した≪領域≫なら力ずくでこじ開けられるのに、生まれ変わってからは感覚が全く分からなくなってしまった。

 仕方ない。今更無い物ねだりをしたところで、状況は好転しない。

 ともかく相手に主導権を握られたままは困るから、加速して引き離しにかかっても向こうはそれを許してくれない。前は塞がってて逃げ道が無い。

 

 そうこうしている内に第二コーナーも終わって、向こう正面の直線に入った。

 参ったな、そろそろ抜け出してペースを上げないと。猛とかいう奴の馬がこの段階でも後方待機なら、末脚に自信があるんだろう。最後の真っ向勝負は俺の方が不利だ。

 手をこまねいている内に残り1000mハロン棒を過ぎた。

 その時、和多が左手に鞭を持って、俺の目の前に見せる。そのままケツをバチっと叩いた。

 鞭で叩かれた怒りと、こんなところで加速を指示しても脱出は無理と抗議したかった。

 しかし同時に手綱を操って顔を外側に向けられた瞬間、すぐさま和多の思惑に気付いて、一瞬だけ脚の速度を緩めて左側にラインをずらして外側に脱した。

 

 マークが外れたら、すかさず加速して第三コーナーに入る前に五番手まで順位を上げた。

 あとは必要以上に外に膨らませないように加速しつつ、最終コーナーが終わる前に先頭を奪った。

 

 阪神の内回りコースの最終直線は短いから、とにかく脚のピッチ回転を上げて最高速度を維持したまま走り続ける。

 後ろから次々と距離を詰めて来る蹄の音が増えて焦りが募っても、決して呼吸と精神を乱さず、一歩一歩確実にゴールへ突き進む。

 

 まだだ、まだ脚は十分に動く。負けるわけにはいかない。

 さっきの奴が後ろから追い込んでも、何とかリードを僅かに保ったまま先にゴール板を駆け抜けた。

 

 ふう、久々に冷や汗の出るレースだった。今回は和多のおかげで勝ちを掴めたな。

 

「どうだアパオシャ。俺もずっとお前のお荷物でいるつもりは無いからな」

 

【ああ、助かったよ。アンタは一緒に戦ってる。次も頼りにしてる】

 

 あの時鞭を見せたのは俺にじゃない。あの猛とかいう騎手に加速すると見せかけてから、先に行かせてマークを外した。

 この世界のレースは、ウマ娘だけのレースとは根本から違う。騎手の力も使わないとレースに勝つのは難しい。

 それを知れたのが今日のレース一番の収穫だ。

 

【長く生きても、まだまだ未熟だな】

 

 

  12月26日 土 阪神競馬場  第11レース ラジオNIKKEI杯2000m (jpn3) 16頭出走

 

 着順  馬番          馬名    着差

 

 1着  12       アパオシャ    

 2着   3   ヴィクトワールピサ   アタマ

 3着  14    コスモファントム    クビ

 4着   4    ダノンシャンティ     1

 5着   1     ヒルノダムール    ハナ

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 阪神競馬場の全てのレースが終わった夜。宝塚市の某所の料亭で、三人の男が膝を突き合わせて盃になみなみと注がれた酒を飲み干した。

 男達は今日の阪神競馬場のメインレース、ラジオNIKKEI杯(jpn3)の関係者。調教師の中島大、和多流次騎手、アパオシャの馬主南丸だった。

 夜に三人で祝勝会を開きたいと大が二人を誘い、馴染みの店に連れ行った。

 無論、アパオシャの初の重賞勝利を祝いたいのはある。ただしそれだけではない。内密に話したい事があったので、二人を口の堅い店に招いた。

 

「お二人には本当に感謝しています。いえ、厩舎のスタッフも同様です。私が三度も勝利に立ち会えるなんて夢にも見なかった。それも、オグリキャップの子の馬主として。いやーこんなに嬉しい年は人生でも数えるほどです」

 

「馬を勝たせて馬主さんに喜んでもらうのが我々の仕事ですから、お気になさらずに。和多も今日はよくやってくれた。アパオシャとは上手くやっているようだな」

 

「はい。あの子は僕の事を信頼してくれます。騎手の意図にすぐさま気付いてくれる賢くて良い馬ですよ。おかげで猛さんを出し抜けました」

 

 大も中盤で和多が猛のマークを外したのに気付いた。あれは馬と騎手の息が揃っていなければ無理だった。良いコンビになってくれて先達として喜ばしい。

 それからそこそこにつまみを口にして、三人とも酔い潰れない程度に酒で口を湿らせる。

 酒は半分口実。こういう店に付き物の芸者や酌をする女性も最初から断っているのは相応に話があるからと、誘われた二人は意図に気付いている。

 口火を切ったのは誘った大だった。

 

「そろそろ本題に入りましょう。アパオシャが走る来年のレースについてです」

 

 二人は姿勢を正す。生涯に一度しか走れないクラシックレースは競走馬にとって大舞台。軽い気持ちで聞いても、決めてもいい物ではない。

 

「南丸オーナーには、以前にクラシック登録の話はしていますね」

 

「ええ、五つのクラシックG1レースは事前に三度登録をする必要がある。第一回目は十月に行われた。アパオシャもその内の桜花賞、オークス、菊花賞の第一回登録は済ませてあると先生は仰った」

 

 クラシック登録とは3歳馬だけが出走を許される五つのG1レース、すなわち皐月賞、日本ダービー、菊花賞、桜花賞、オークスへの三度の事前登録の事。

 登録の第一回目は今年の十月、二回目は来年の一月、三回目が出走するレースの十五日前。

 レース創設当初は三度とも事前に登録しなければ、絶対にレースに出られなかった。

 その規定を崩すきっかけとなったのが、アパオシャの父オグリキャップの活躍だった。

 彼は元々地方競馬の馬だったが地方の枠に収まらない強さを示して、3歳の時に中央に移籍した。だから2歳時にクラシックの事前登録をしなかった故に、どれだけ強くても規定上クラシックG1を走る事を許されなかった。

 しかし世論はそれに異を唱えて特例処置を求め、JRAが協議の結果、数年後に追加ルールを設けて対応した。

 追加ルールとは、一回目と二回目の事前登録をせずとも、第三回目の登録に、通常の数倍の登録料を支払えば希望するレースに出走可能になる。

 オグリキャップ自身はクラシック三冠を走れなかったが、彼の活躍により加えられたルールの恩恵により、一頭の馬が夢を掴んだ。

 決して忘れられない和多の無二の相棒。今もなお彼の魂を燃やし続ける覇王『テイエムオペラオー』。彼はこの追加登録制度を使って皐月賞を走り、栄冠の一つを手にした。

 

 話が少し逸れた。とにかく、クラシックG1レースを走るには登録が必要になる。アパオシャも来年に向けて、そろそろ二回目の登録をする時期になっていた。

 南丸と和多は飲みに誘われた時に、その話と見当はついていた。しかし大の話はいささか予想を外れていた。

 

「来月が期限の第二回登録は予定通り三つとも行います。その上で、アパオシャは桜花賞とオークスの出走を見送る事を提案します」

 

「どういうことですか中島先生?アパオシャに何か問題があって、単にレースに出せないなら分かります。しかし登録した上で出さないというのは腑に落ちません」

 

「オーナーの仰る通りです。私はアパオシャを牝馬二冠に出さず、クラシック三冠を走らせたいと思いました」

 

 南丸は息を呑む。隣の和多はアパオシャの力ならそれもアリと、レースの勝ち筋を探る。

 牡ばかりのクラシック三冠を牝馬が走ること自体は可能だ。そういうルールが定められている。

 しかし実際に走る馬はごくごく僅か。単純に牝馬は牡馬に身体能力が劣る。ゆえに、一部例外を除いて牝馬は牝馬三冠を走らせるのがホースマンの常識である。

 

「オーナーは二年前の日本ダービーで、どの馬が勝ったか覚えていますか?」

 

「ええ、あの時は相当に話題になりましたね。64年ぶりに牝馬のウオッカがダービーを制したと」

 

「はい、実力さえあれば牝馬がクラシック三冠を制するのは可能です。私は前々からアパオシャも勝てると思っていました。確信を持ったのは今日のレースを見てからですが」

 

 調教師の自信を持った言葉に南丸は心が傾き始めている。

 牝馬が牡馬ばかりのクラシック三冠をもぎ取る。もし実現したら、その痛快さは並のレースに勝つのとは比べ物にならない。

 しかし現実問題として、本当に勝てるかどうかはまだ判断が付かない。よってもう一人の競馬のプロの意見も聞かねばならない。

 

「これまでアパオシャに乗っていた和多君は、皐月賞やダービーを勝てると思うかい?」

 

「騎手として正直に言えば、勝ち目はあると思います。アパオシャのスタミナは古馬にも引けを取らないし、パワーも同年の牝馬の中でトップクラスです。レース展開次第では勝てます」

 

「それに、同年の牝馬には国松厩舎のアパパネがいます。あれとマイルの桜花賞でぶつかったら、アパオシャはほぼ負けます」

 

 南丸も今月のJpn1阪神ジュベナイルFを勝ったアパパネの事は知っている。確かにあの馬とレースでぶつかったら、短距離が苦手のアパオシャは不利だ。

 だからと言って牡馬ばかりのクラシック三冠が楽勝かと言えばそうでもない。今日のjpn3レースを見ていれば無様な負けにならないと思うが実に悩ましい。

 迷っているオーナーを見て、大はさらに優位な材料を示して天秤を傾かせる。

 

「牝馬には斤量のハンデも軽いです。むしろ牝馬ばかりのレースより、一頭だけ牝馬のアパオシャには有利です」

 

 斤量とは騎手の体重に加えて、馬に背負わせる重りの事。OP戦以上の牡牝混合レースでは、大抵牝馬のほうが1~2kgは軽く済む。

 競馬を知らない者なら、たかが数kgと思うかもしれない。しかしレースにおいて1kgの重りは一馬身差のハンデに匹敵すると言われている。

 時に数cmを争うレースでは、このハンデは極めて重い。特にクラシック三冠は牡馬と2kgの差が付く。

 今日のレースで牝馬のアパオシャが多数の牡馬に勝てたのも、1kgの斤量差に依る処が大きかった。

 諸々の要素を分析した結果、素人の南丸も心が段々クラシック三冠へ傾きつつあった。

 

「――――――分かりました。お二人の言葉を信じて、アパオシャのクラシック三冠への参戦を認めます。ただし、一つ試験を受けてもらいます」

 

「試験ですか?」

 

「ええ、来年三月の弥生賞で勝てとは言いませんが掲示板には入って、皐月賞でも勝てる事を証明してください。それが出来なければ、予定通り桜花賞とオークスを走らせます」

 

 ある意味妥当な条件で、大はホッとした。弥生賞は皐月賞のトライアルレースに位置付けられている。そこで良い結果を出せなければ、本レースに挑む資格が無いのは道理だ。

 それに仮に弥生賞で散々な結果でも、今日まで三勝して得たレース賞金額なら、チューリップ杯のようなトライアルに出なくても、確実に桜花賞の出走権は得られる。両方のレースに出られない最悪の展開にはならない。

 南丸とて既に馬主。クラシック三冠への欲は人並みには持っている。

 それにアパオシャはオグリキャップの子。制度に阻まれて走れなかった父親の無念を娘が晴らすとなれば心が動く。

 

「ところで先生は先程、桜花賞とオークスの二回目の登録はそのまま行うと言っていましたが、それは皐月賞に出られない時の保険ですか?」

 

「それもありますが、もう一つは牝馬三冠に出ると見せかけたダミー情報です。これでギリギリまで、菊花賞を除くクラシック三冠出走を伏せておきたい」

 

「なるほど、登録料が多少無駄になりますが、二回目までは必要経費と割り切れる額ですね」

 

 第一回登録は一レースにつき一万円、第二回登録なら三万円がかかる。二回目までの登録料は例えレースに出なくても返金はされない。

 アパオシャの場合、桜花賞とオークスの二レース分の八万円が無駄になるが馬主にとっては惜しむ額ではない。

 

「ですが皐月賞とダービーには追加登録料の二百万円が必要になります。非常に心苦しいですが、こちらはオーナーの負担になってしまいます」

 

「なんの。今までアパオシャが勝って得た賞金を使えば気になりません。オグリキャップが作った制度を使って娘が走る。これもまた巡り合わせですな」

 

「そういうわけだ、和多。オーナーの許しが出たから、これからも頼むぞ」

 

「任せてください。まずは弥生賞で良い結果を出してみせます」

 

 和多も久しぶりの皐月賞に気分が昂った。アパオシャとなら、かつて相棒と挑んだ皐月賞にまた勝てるかもしれない。

 オペラオーが引退してから、宿題を解くまでは彼に会わないと勝手に決めた。

 今年はアパオシャと一緒にG1を勝って相棒に最高の報告が出来る。心の中で期待感が膨らんでいく。

 

 この時、大は敢えて口にしなかったがアパオシャを牝馬三冠で走らせなかった理由はもう一つある。

 厩舎で預かっているアプリコットフィズの馬主が、彼女を牝馬三冠に出したいと言って来た。

 同じ厩舎の馬を同じレースに出すと、色々と煩わしい事がある。特に件の馬主は日本で一二を争う社大グループだから、無いと思うがなるべく刺激したくない。

 そうした裏事情は伏せて、幾つかの証拠を示して相手をその気にさせて誘導する。こういう駆け引きは騎手だった大の得手とする所だ。

 幸い南丸は真っ当な条件さえ満たせば納得してくれるので、付き合いやすい馬主の部類だ。

 

 アパオシャに関わった三人の男達はそれぞれ良い年を過ごせたと思い、来年もこんな年になれば良いと笑って飲み明かした。

 

 

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