先日、お気に入り登録が2000人を超えました。
自分で書いていても稚拙な作品と思いつつ、それでも楽しんで読んでいただける方がこんなにも多いと思うと大変嬉しく思います。
これからも頑張って書いていくつもりなので、皆様よろしくお願いしたします。
美景ナツにとって競馬場は、幼い頃から祖父や父が連れて行ってくれる遊園地のようなものだった。
着ぐるみのマスコットが歩いていて、屋台には美味しい食べ物が売っている。レースは迫力満点で、馬達が走り終わった後にはお土産を買ってもらって家に帰る。
といってもナツの来た事のある競馬場は帯広競馬場だけ。世界で唯一輓馬にソリを曳かせる『ばんえい競馬』専門の競馬場だ。
故に今日初めて中山競馬場を訪れた彼女にとって、中央競馬のG1レースは地元競馬場とは似て非なる場所と受け取った。
見渡す限りのヒトヒトヒト。公式来場数は既に十万人を超えていて、どこを見渡しても人の波でいっぱい。危うく人酔いすらしかねない環境に窒息感すら感じていた。
「爺ちゃん、こんなにたくさんの人が黒子を見に来てるの?」
「黒子だけじゃないが、一割ぐらいは期待して見に来てるんじゃないのか。ほれ、あれで黒子は無敗のまま今日のレースを走るしのぉ」
一割でも一万人。帯広競馬場の観客数の多い時とさして変わらない。
生まれた時から知っている馬がそんな大舞台で走るなんて今でも夢を見ているのか、ナツは自分で頬を引っ張って確かめてしまった。
「さてと、あの社長さんから待ち合わせの場所を聞いているから、そっちに行かんとな。ほれナツ、行くぞ」
祖父に手を引かれて人ごみの中を進んでいく。
連れられてやって来たのは一般入場口と違う馬主席の受付。そこで背広姿の中年が二人を見て近づく。
「ああ、美景さん。今日は遠方から、わざわざありがとうございます」
「なんの南丸社長。むしろ飛行機のチケットまで用意してくださった、儂等の方が礼を言わねばなりません」
「初めまして美景ナツです。今日は誘っていただきありがとうございます」
「美景さんのお孫さんですね。しっかりした子で鼻が高いでしょう」
「そう持ち上げんでください。うちの孫は馬と牛の扱いは達者でも、勉強はてんでダメで」
言外にバカ呼ばわりされてしまったナツだったが全く反論出来なかった。
中学の同学年では下から数えた方が早い成績。今年三年生で高校受験の年でも、まともに入れる学校の方が少ない。なんとか農家の子が集まる農業高校に行けそうと胸を撫で下ろすような有様だ。
やめよう、今日は家から出た馬の最高の舞台にネガティブな気持ちは相応しくない。
挨拶もそこそこに切り上げて、南丸は馬主席受付で身分証を提示して、秋隆とナツを同行者として受付も済ませる。
生まれて初めて馬主席に入ったナツは、もはや別世界に入り込んだように思えた。
競馬場の入口までは、どこにでもいる親子連れが楽しそうに笑っていたり、競馬新聞片手に殺気立つ勝負師のおじさん達が居た。
そうした人達はばんえい競馬でよく見かけて慣れている。
たまに法被を纏う白髪混じりのオジサン集団が『オグリキャップ』と書かれたハチマキをしてゾロゾロ歩いていたり、真っ黒な顔の馬の被り物をした異様な集団を見かけた。あれはもしかして黒子の真似なのだろうか。ああいうのが中央競馬の普通のファンなのか。
来場する数が多いから、色々な人達がいるのは分かる。
けれど、この馬主席にいる一定年齢以上の人達は明らかに纏うオーラが違う。自分や祖父とは住む世界が違う人達と一目で分からされた。
一応同年代やそれより年下の子は何人かいるけど品がある。
「こんにちは南丸さん。今日は晴れて絶好のレース日和になりましたね」
「ええ、古田さん。G1に相応しい良い天気です。美景さん、こちらは古田さんです。社大レースホースの代表と言えば分かりますか」
「そりゃあ勿論です。馬に関わる仕事をしてて古田さんを知らんモンはおらんでしょう。ああ、申し遅れました。儂は北海道でしがない牧場を営んでいる美景秋隆と申します。こっちは孫のナツです」
「は、はじめまして」
「いえいえ、そうお固くならずに。ところで美景というと、南丸さんのアパオシャの生産者ですか?」
「へえ、その黒子…アパオシャの面倒を生まれた時から見ていました」
途端に秋隆の話を聞いた周囲の者達が集まって、次々自己紹介を始めたため軽く騒ぎになった。
「いやー、美景さんに会えて嬉しいです。あのオグリの娘は凄まじい!あなたのおかげで我々はまた夢を見る事が出来る」
「本当です。今日は同じ皐月賞を走る馬を出しているから応援は出来ませんが、オグリキャップの血を絶やさずにいられる事を喜びます」
「同じ生産牧場を経営する者として、ぜひ美景さんにご教授願いたいものですな」
「いやいや!儂みたいな趣味で馬をやってる牛牧場の爺に、そんな知識などありゃしません!」
「何を仰る!かのマルゼンスキーを母ごとアメリカから購入した橋木氏は、元は牛の仲買人だったんですよ。多くの経験を積んだ畜産者は扱う種を選びません」
生産牧場関係者に物凄い剣幕で詰め寄られた秋隆はタジタジだ。
そんなこと言われても秋隆自身、なぜ黒子がああも走る馬なのか皆目見当もつかない。
何度血統を調べようが、中央の重賞レースに勝つ要因が全く見当たらないのだ。
いくら父や祖父が偉大なG1馬とて、今の競走馬界の常識である相性の良い血統同士を組み合わせるニックスや、血統的に近い馬同士で交配させて強い因子を発現させやすくするインブリードも全く行っていない。
さらに現在の日本競馬で主流となるサンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンの血すら一滴も入っていない。
精々が父オグリキャップを介して、アメリカで22戦21勝を挙げたネイティヴダンサーと、ナスルーラーの血が僅かに入っている点。
あとは母馬にシンザンの血が入っている点だろうが、それなら過去のオグリ産駒やシンザンの血統が今も活躍していなければ説明がつかない。
誰も彼もがアパオシャの強さに首を捻り、頭を抱えている。血統に寄らないあの馬特有の強さの源泉を、競走馬に携わる者はみな知りたがっていた。
しかし分からないものは分からないとしか答えようがない。
「はっきり言って申し訳ないが儂にも分からんのです。人がこさえた理屈なんぞ、馬は関係なしに速く走る。だからこそ競馬は面白い。それでええじゃないですか」
秋隆の言葉に、一部は頭の血がスッと降りて冷静になる。その通り、競馬の本質は速く走る馬を見たい。その一点に尽きる。
社大の古田のような、馬に命と魂を捧げたホースマンにとって、賞金も賭け事もオマケのような物だ。
それでも納得しない者は居るが、数多くの馬主がいる今この場で無理に追及する事は避けた。
解放された秋隆はホッとした。単に最後だからオグリキャップの種付け料が特別安かったから選んだだけで、速い馬の配合なんて全く考えていなかったなどと、この場で真相を言ったら袋叩きに遭っていた。
その後、馬主達から零細生産牧場者と思えないぐらい好待遇で二人は迎えられて、むしろ落ち着かないぐらいだった。
馬主達にとっては、あのスターホース≪オグリキャップ≫の実子を再びG1で走らせてくれたとあれば、悪い扱いなど出来なかった。
それでもレースが始まれば、ナツは興奮して食い入るように見続ける。勝った馬には拍手を贈り、馬の可愛らしさを褒める。
すると結構な馬主からは好意的に見られて、実の子や孫とまでは行かなくとも、親戚の娘ぐらいのつもりで世話を焼かれる立ち位置に収まっていた。
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4月18日 日曜日 中山競馬場 天候:晴 芝:稍重 15:35
吾輩は競走馬である。レースで勝たなければ肉にされる………かも。実績沢山挙げたし、今日勝てばそろそろ大丈夫かな?
本日は生まれ変わってから初めてのG1レース。しかも前世で走った事もある皐月賞だ。
クラシック三冠の始まりともなると、レース場は何万人もの観客が押し寄せるお祭り会場と化している。
そのせいかレースに出る畜生共が落ち着かずにイライラしたり、パドックで五本目の脚を大きくしているような奴もいる。
しかもどうも牝の俺を見て、興奮しているような視線を感じる。これだから盛りの付いた畜生は困るんだよ。
流石に人目も気にせず交尾をしようとする馬は厩務員が抑え込んで、冷水をぶっかけて無理矢理発情を鎮めている。
もしかして基本的に牡は牡、牝は牝でレースを分けているのはこういう理由があるからなのか?だとしたら俺マズくないか。
若干貞操の危険を感じ始めても、今更レースはやめられないから無視するしかない。いざとなったら脚で逃げるか、顔を蹴り砕いてやれば済む。
今はレース場に入って返しを終えて、俺を含めた18頭がゲート前で出走を待っている。
「いよいよだぞアパオシャ。今日もお前が走りたいように走れ。もし困った時があったら俺が手助けはしてやる」
【あいよ。任せてもらおう。アンタは指揮官だから、どっしりと構えていてくれればいい】
走るのは俺の役目だ。アンタは俺の上で偉そうに座っててくれ。
しかし、今日は他の騎手達から妙に視線を感じる。この感覚は前世でよく覚えている。
これはマークされているな。これまで勝ち続けていたから強敵と思われるのは仕方がない。となると、走り方も変えねばならん。
空は晴れているものの、先日の雨が芝に残っててバ場状態は稍重ぐらいかな。幸いコース芝の内側は剥げていないから普通通り走れる。
レース展開を考えていたら、すぐ横に一頭が並んでいた。何度か一緒に走ったヴィクトワールピサか。今日は猛とかいう騎手じゃないな。
【きょうはまけないよ】
【それは困る。負けて肉にされたくないから俺が勝つ】
【かったらこづくりしてもらうよ】
【――――やだね】
唐突に孕ませ宣言はやめろ。本当に畜生ってのは食う寝る子作りにしか興味無いんだな。いやもう畜生道って酷い。
こんなんなら修羅道辺りに堕としてもらった方が良かった気がする。
今更そんなこと言っても遅いか。ならせめて、元アスリートとしての意地だけは捨てずに生きよう。
係員がゲートに次々馬を放り込んでいく。俺も粛々と従い15番のゲート内でスタートを待つ。
かつて負けたレース。しかし二度負けるつもりはない。勝とうか和多。
爆音と共に開いたゲートに遅れる事無くスタートを決めた。そのまま一気に加速して誰よりも前に出る。
「おいアパオシャ、大丈夫なのか」
大丈夫だから心配するな和多。俺を信じろ。
とにかく足のピッチ回転を上げて、スタート直後の名物の坂を一気に上り切る。後ろは二馬身程度離した。
そこから内ラチに寄せつつ第一コーナーを回る。今回は外側スタートだからマークされていた場合、ずっと大外を走らされる。それを避けるにはスタートダッシュを決めてハナを取って逃げるのが一番楽だ。
第二コーナーに入れば、さらにペースを上げて後ろを引き離しにかかる。後ろの何頭かは牝の俺に離されないように必死で追いかける馬と、あくまで自分のペースを維持しようとする騎手とで、多少齟齬が生まれている。
頭と体がちぐはぐだと苦労するよな。その点、俺は騎手に恵まれた。
任せてくれた和多の信頼に応えるには勝つしかない。
第二コーナーを終えて向こう正面に入った。ここでちょっと脚を緩めて、後続を徐々に追いつかせる。
【追いつけると思ったか?甘いぞ】
下り坂を使って再加速を図って後ろを引き離した。こうすると馬達は面白いようにムキになって必要以上に加速して俺を外から抜きにかかる。
向こう正面が終わり、第三コーナーへと入り、無理な加速をした二~三頭は曲がり切れずに大きく膨らんで致命的なロスを生む。
その間に小刻みにコーナーを回って、何事もなく先頭を取り返す。そろそろ残り500メートル。ここから勝負に出ようか。
最終コーナー突入からガンガン加速して後続との差を広げて、最終直線へ一番乗り。
あとはもうスタミナの勝負だ。
最高速度を維持しながら走り続け、二度目の中山の坂を駆け上がる。
後ろからは地響きを立てて一団が迫る。俺を追い越そうと、騎手達が必死に鞭をしならせて馬達を追い込む。
【まてー!】
【メスがまえをはしるなー!】
【はぁはぁ、おしり!おしり!!】
闘争心に溢れた畜生共の声に、一部変な声が混じっているのは無視しよう。
しかし悲しいかな、中山の坂は俺の味方だ。他の馬共はスパートをかけても急勾配の坂で勢いは衰えて、差は縮まるどころか徐々に広がっていく。
坂を登り切って、後は70メートルの最後の直線を残すのみ。
一瞬たりとも気を抜かずに走り続け、後ろから抜群の末脚を利かせて迫る聞き慣れた足音にも慌てない。
ヴィクトワールピサの鼻が俺のケツと重なった瞬間には、先にゴール板を駆けていた。
やったぞ、G1皐月賞初勝利だ。