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吾輩は馬である。肉にされる未来は回避された――――と思う。
先日のG1皐月賞は幸い、かつてウマ娘だった時に先輩のバクシさんから学んだ『逃げ』の技術と、地の利もあって勝ちを拾えた。多少疲れたが怪我もせず体調はそれなりの状態を維持している。
次のレースはおそらくクラシック三冠の二つ目、日本ダービーになるはず。
前世の時は奇策と豪雨で、どうにかナリタブライアンに勝てた記憶がある。ただ、次も雨の保証は無い。
それに前世と同様に東京レース場だった場合、距離は長くなっても平坦なコースはスピード重視になるから若干不利とも言える。
皐月賞にはナリタブライアン級が居なかったから、まだ易かった。でも、たまたま出ていなかっただけの奴だっているかもしれない。
『逃げ』を選んでマークを外す、一回こっきりの奇襲はもう使ってしまったから二度目は多分通じない。
レースまではあと一ヵ月と少々。残された時間で少しでも鍛えて、もっと強くならないといけないのに、簡単な散歩以外は強制的に休みを取らされている現状がもどかしい。
そんなわけで今やれる事は、飯を食って寝て体力を蓄える事以外に無い。はー味噌がうめえ。
味噌付きのカボチャを食ってから飼葉を頬張れば、気分だけは味噌和えの野菜をおかずに白飯を掻っ込むようなものだ。
ここの厩舎の連中も俺が味噌好きなのを分かっているみたいだから、量は少ないが一日に一回は食事に味噌を出してくれる。
G1勝ったんだし、これぐらいの待遇はしてもらっても良いよね。
【ねえちゃん、またそのへんなのたべてるの?】
【味噌だ、味噌。トフィは嫌いだったな】
【あまくないからいらない】
隣に居るトフィは味噌みたいな塩辛い物はお気に召さない。代わりにメロンやバナナとかの甘い果物は大好きだ。
飯の好みは馬それぞれだから、他の馬をとやかく言うつもりは無い。それに味噌食ったら必ずレースに勝てるわけでもないし。
トフィは何着か知らないが桜花賞でアパパネに負けている。その時は悔しくて暫く落ち込んでいたが三日もしたら元に戻った。
最近は休みを終えてトレーニングをしているから、次はオークスを走るんだろう。アパパネは強いが頑張れよ。
「よーアパオシャ。相変わらず味噌食ってるか?」
皿を手にこちらに厩務員の松井が近づいてくる。おや、その匂いはまさか―――。
松井は減っている飼葉や野菜の量を見て、一人でウンウン頷く。おそらくレースが終わっても食事量が減っていないのを喜んでいるんだろう。
「味噌が大好きなお前に良い物を持って来たぞ。ちょっとこれを舐めてみろ」
突き出された皿には暗褐色の液体がゆらゆらと動いている。まさかと思い恐る恐る匂いを嗅げば、芳醇な発酵臭が鼻腔いっぱいに広がり、おもわず溜息をもらしてしまう。
匂いだけでもこれほどの破壊力。であればその黄金にも等しい液体を口にしたら、俺は一体どうなってしまうのか。
舌を出して、その液体を少しだけ舐め取った。
【ほわー】
脳内に電撃が奔る。かつて前世で毎日のように食べ慣れて親しんだ味。適度な塩気と熟成したアミノ酸の暴力が魂を揺さぶる。
畜生に生まれ落ちて早三年。味噌と共に再び味わえるとは思わなかった。
【醤油とはこれほど甘美な調味料だったとは知らなかったよ】
さらにもう一舐めしてから、おもむろに飼葉を食べる。
こ、これは止められん! 草をムシャムシャしてから、もう一度一舐めして再度草を食べる。
この繰り返しでどれだけでも食える。懐かしさと美味さで思わず涙が零れてしまい、松井が驚いた。
「えぇ、泣くほど美味かったのかよ。どうしようかな、テキには味噌と一緒であまりやり過ぎるなって言われてるのに」
そう言うな。二度と口にする事は無いと思っていた醤油に再び出会えたんだぞ。日本人なら泣いて喜ぶだろうが。
―――――あぁ、俺もう日本人でもウマ娘でも無かったわ。かなしいなあ。
ともかく松井が持っている皿の分の醤油は全部舐め取った。
その日はお代わりは貰えなかったけど、それから数日に一回は少量だけ食事の時に付け合わせで醤油を貰えた。
やったぜ、これで食生活が一層充実する。
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醤油を食事に追加してもらった日から数日経った。
厩舎の連中もただ醤油を付け出すだけでは味気ないと思ったのか、さらに醤油を使った料理まで出してくれるようになった。
例えば大根の葉っぱやニンジンを醤油で炒めた野菜炒めを作ってくれた。
これには飛び上がって喜び、飼葉を白飯に見立てて野菜を食う。さらに味噌もあったら味噌を舐めてから水を飲み、味噌汁っぽさを再現してみた。
ここまですれば気分は野菜炒め定食を食っているようなものだ。
完全な再現は無理だが気分を味わえるだけでも、トレーニング出来ないストレスは霧散した。
おかげで厩舎の連中からは、ますます馬らしくない馬と思われるようになった。でもその程度で良い飯を食えるんだから気になるかよ。
今日も腹一杯飯を食って体力を蓄えていた昼下がり。
急に〇クザのオッサンと遼太がカメラや撮影機材を持った数名を連れて馬房に来た。
「アパオシャ、これから写真撮影するから付き合ってくれ」
やれやれ、トレーニングが無いと思ったら面倒な仕事が来たぞ。
と言ってもウマ娘じゃないから色々ポーズを要求される事もなく、馬房の中でリラックスしている姿を写真で撮るだけだった。
芸をしろとか言わず、放っておけば満足して帰るだろうと思ってたのに、今度は遼太に手綱を引かれて外に出された。
「つぎは外で歩いている所を撮影するぞ」
はいはい、分かったよ。練習コース場に連れて行かれて、芝で適当に歩いている所をカメラに撮られた。
あとは俺は手綱を引いていなくても暴れたりしない大人しい馬だと聞いているから、カメラマンの要望でソロで歩いているシーンも撮りたいと言ってきた。
「じゃあ、ここからあそこまで歩いてくれよ。お前なら分かってくれるだろ」
指を差す遼太に念を押された。他の馬は無理でも、歩くだけなら俺には他愛もない。
そこでふと、悪戯心が鎌首をもたげる。最近は野菜炒めを食えて気分も良い。一人で歩けと言われたら歩こう。
後ろ脚で立ち上がって一歩一歩ゆっくりドスドス歩き、大体30メートル先の所で前脚を降ろした。
ふう、これは腰と後ろ脚に結構負担がかかるけど、強化トレーニングには良いかもしれない。これから暇な時に自主トレしよう。
「いや、お前歩けとは言ったけど、誰も二本足で歩けとは言ってないからな。あ、今の撮れました?」
「え、ええ!バッチリ撮りました!この馬凄いですね。いつもこうなんですか?」
「いえ、我々も初めて知りましたよ。アパオシャ、今のはお前の曾爺さんのシンザンの逸話じゃねえか」
へえ、この世界の曾爺さんも同じ事をやってたのか。父親らしいオグリキャップ先輩も、一度も見た事無いからどうでもいいけど。
野菜炒めを食べられて気分が良かったからサービスしてやったら、撮影スタッフも満足して帰って行った。
その後、オッサンから外で立つのは良いが、馬房の中でやるのはダメだとキツく言われた。
何でも中で立ち上がって、頭を強打して死んだ馬もいるとかなんとか。
そこまで不注意はしないと思うが、傍から見たら心臓に悪そうだし、心配させたくないから素直に従った。
さらに数日を経て休息は終わり、いよいよ日本ダービーに向けてトレーニングを再開した。
今回はオークスに出る、トフィと実戦を想定した2400メートルの併走を繰り返し行い、本番に備えた。
後日、トフィがオークスから帰って来た。浮かない顔をしていたから、おそらく負けてしまったんだろう。
結果は四着入賞と厩務員達の話が聞こえた。G1入賞なら立派と言いたいが、馬にはそんなの関係無いからな。
【ニンゲンがかなしそうにしてる。あたい、わるいことした?いちばんはやくはしれないとダメ?】
【トフィは頑張ったよ。でも人間はトフィが一番速かったら一番喜ぶから、次は一番になろう】
【わかった。つぎをがんばる】
やっぱりトフィがG1勝つのはきついか。でもG3ぐらいをマメに勝てるようになれば、肉にはされまい。これから怪我をせずに何とか頑張ってほしいよ。
競馬にあまり関係無いですが昔マイケル・ジャクソンのコンサートで失神者が出たと聞いて不思議に思いましたが、今になって当時の映像を見ると納得します。
歌って踊れる完成系を間近で見せられたら興奮しすぎて気絶するのはしょうがないと思いました。
目指せアパオシャ、馬のマイケル・ジャクソン。