生まれ育った北海道の牧場に里帰りしてから大体一ヵ月ぐらいは経ったか。
やはり関東の夏とは比べ物にならないぐらい、涼しくて過ごしやすい。
突然の見た事の無い父親のオグリキャップ先輩の訃報にしばらく食べる飯の量が減って、物思いにふける時間も多かった。
それでも三日もすれば、一応納得していつもと同じように飯の量も戻り、それなりの運動もするようになった。
あとは父親が違うと思われる弟妹と仲良くなって、一緒に放牧地を走ったり昼寝をして穏やかな時間を過ごせた。
しかしそんな安寧とした時間も長くは続かなかった。ある日の朝に一台のトラックが牧場に来た。
爺さまが厩舎から弟を連れて来て、トラックに乗っていた男達に引き渡す。
ああ、そういうことか。前に爺さまから成長した馬がどうなるか聞かされていた。弟は競りに出されて、俺と同じように売られた後にレースをするのか。
夏休みで家にいるナツちゃん含めた美景一家が総出で弟を見送る。
【おねえちゃん、ぼくどうなるの?】
【前に教えただろ。お前は俺と同じように、これから速く走るために鍛えに行くんだ】
【またあえる?】
【一番速く走り続けたらきっと会えるさ】
弟は納得して、作業員に手綱を引かれてトラックに乗せられた。そして最後に嘶き、牧場の皆にも別れを告げた。
頑張ってレースに勝って、少しでも長く生きろ。
まったく、前世じゃ気にも留めなかったのに、いざ家畜の身に立たされると腹立たしくて仕方がない。
生き方を選べないのがこんなに辛いとは思わなかったよ。
弟とおそらく今生の別れを済ませた翌日。朝にまた別のトラックが牧場に来た。
何だよ、今度は妹の方を競りにかけるってのか?
そう思っていたら、とっつぁんが俺の迎えだと言った。
なんだ、もうバカンスは終わりか。でも、二ヵ月は休めたんだし十分かな。
寂しそうに鳴く妹を宥めて、とっとと車に乗った。
しかし、美景の一家がとっつぁん以外見送りに顔を見せないのが気になる。
どうなるか分からない弟と違って、レースに勝ち続けている俺なら、どうせ来年もまた会えると思って気にしないのかねえ。
トラックは適度に休憩を挟んで、北海道のだだっ広い道をひた走る。
相変わらず移動中はやる事が無いから、寝るか飯を食うぐらいしか時間を潰せない。飛行機の席みたいにテレビを付けてくれ。
トラックの輸送員は俺達に気を遣って走行中はラジオとかを聞かない。俺だけ特別に聞いてくれたっていいんだぞ。
色々考えて時間を潰して、体感的に昼過ぎになったら車は停まった。後部の扉が開けられて駐車場に降ろされた。
しかし降ろされた場所で何をするのかよく分からない。レース場や牧場じゃない。何かのホールや式場の類かな。
疑問に思っていると、嗅ぎ慣れた臭いの奴がこっちに来た。
「おーい、待ってたぞ。休みの所、引っ張り出してすまんな。元気そうで良かった」
久しぶりに会った厩舎の遼太が俺の首をペチペチ叩く。前に牧場に来たのは親父の方だったから、こいつとは日本ダービーから二ヵ月ぶりか。
遼太はトラックの作業員に礼を言って、手綱を引いて建物の裏口の、多分資材搬入口に入った。
しかし謎な施設だ。いや、用途は大体分かるんだけど、俺をここに連れて来る理由が判然としない。通路ですれ違う人達は、俺を見てみんなビックリしている。レース場と違って、ここは馬を入れる建物じゃないのだけは分かる。
さらに奥へと進み、扉の先は――――コンサートホールかな?今世ではライブ会場並に縁の無い場所なんですが。
しかも椅子にはズラリと沢山の人達が座っている。俺の姿を見て、騒然としている。あれ、これ俺が居て大丈夫か。場違いじゃないか遼太?
「大丈夫だ、落ち着けアパオシャ。お前はちゃんと、JRAと主催者から呼ばれたんだよ」
そもそもここは何の集まりだ?鼻腔に届く濃厚な花の匂いの元を辿ると、そこには白い花が壁のように飾られた祭壇がある。
壇の中央には馬の写真の大きなパネルが据えられている。まるで著名人の葬式か告別式のような会場に、まさかと思ってさらに周囲を見渡す。
祭壇の上部には『オグリキャップ号 お別れ会』の幕が掲げられていた。
ああ、そうだったのか。あの写真の馬がこの世界でのオグリキャップ先輩で、俺の見た事の無い父だったのか。
「あの写真に写っているのがお前の親父さんだ。孝行娘にせめてお別れをさせてやりたいから、お前が呼ばれたんだよ」
そうなのか?レースに勝っただけの俺がどう親孝行したかは知らないけど。
会場を見渡せば、ざっと五~六百人、いやもっと居る。畜生が一頭死んだだけで、こんなにも人が集まるのか。
おっ、日本ダービーの時にいた『オグリ』の爺さんと俺のオーナーもいる。
前世の先輩の時とよく似ている。
あの時も全国から共にレースを走ったウマ娘達、レース関係者、笠松の人々、全く関係無いかつてのファン達が押し寄せて、皆がスターウマ娘オグリキャップの死を悲しみ、別れを告げに来た。
俺もその時には杖がいるぐらい年を食って、腰の曲がった婆になっていたな。かつてのチームメイトや親友も、何人かは世を去っていた時代だ。
ウマ娘だった前世を懐かしく思うと同時に、尊敬する先輩へのお別れを二度もしないといけないなんて。神様は酷い事を考える。
手綱を引かれて、馬の方のオグリキャップ先輩の写真の前に連れて来られた。
「お別れには、こうやって花を持って献花台に置くんだ。分かるか」
遼太が手本を見せて、白い花の山に一本花を加えた。
弔問客の見守る中で、俺も口に花を咥えて献花台に捧げた。
そしてパネルに写ったこの世界での父を見上げる。
父と言われても実感は無い。しかし、前世での貴女への感謝の気持ちは生まれ変わっても忘れていません。
先輩のおかげで俺は経営の持ち直した笠松でレースを学び、中央トレセンに入り、素晴らしい仲間達とかけがえのない青春時代を送れました。
社会人となった後も、時々笠松トレセンに呼ばれて一緒に広報やイベントの仕事をしましたね。結婚式にも呼んでもらえました。
年を取ってから、時々笠松に顔を出した時はよく茶飲み話をする仲になりました。
楽しかった古い記憶が蘇り、自然と涙が零れてしまう。
本当にこんな想いをまたしないといけないなんて辛いよ。
どうしてわざわざ記憶まで持って生まれ変わっちゃったのかなあ。
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『オグリキャップ号 お別れ会』が執り行われる
2010年7月30日更新≪馬ニュース≫
今月3日に右足骨折により安楽死処置が施されたオグリキャップの「お別れ会」が29日、新冠町のレ・コード館町民ホールで執り行われた。
お別れ会にはJRA理事長、デビューの地・笠松で騎乗した騎手、元調教師、オグリキャップの名付け親で初代馬主、生産者といった所縁の関係者が参列。会場は全国から駆けつけた一般ファンなど総勢約800名が参列した。
お別れ会は現役時代のレースが映し出されスタート。ラストランとなった有馬記念の、感動のゴールシーンが映し出された時には、会場ですすり泣く声が漏れた。
JRAの全10競馬場から寄せられた8万3786人分の追悼記帳とともに、競走馬としては異例となる感謝状を贈呈した。
一般参列者の献花ではターフを模した祭壇中央で優しい目を見せる在りし日のオグリキャップに追悼。祭壇に置かれたたてがみを触り、永遠のアイドルホースに最後の言葉を贈っていた。
さらに会場には同馬の最後年産駒の二頭の内の一頭、現役3歳競争馬の二冠牝馬アパオシャも駆けつけ、まるで人のように花を亡き父の遺影に捧げる様は、多くの参加者を驚かせた。
父の写真を見上げ、瞳から涙を流すアパオシャの姿には、人と馬には何ら違いが無いと気付かされる日だった。
備考:オグリキャップ最後年産駒の一頭『ミンナノアイドル』は今年5月30日東京競馬場、未勝利馬戦(同日に東京優駿開催)に出走。14着で敗退。今月に『右前脚屈腱炎』で引退。
感想の中に、競走馬のアパオシャが再度ウマ娘化したら、どうなるかという意見がありました。ちょっと興味を持ったので、本編終了後の外伝で書いてみるのも面白そうだと思いました。おそらく日本語→英語→日本語の再翻訳のように、オリジナルと違うウマ娘になると思いますが、読みたいですか?
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面白そうだから読みたい
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興味無いから要らない
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パクパクですわ(お好きにどうぞ)