オグリの娘 ~畜生ダービー~   作:ウヅキ

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第33話 準備は万全

 

 

 2011年5月25日

 

 

 吾輩は四冠馬である。次はいよいよ、世界の舞台に飛び立つ。

 数日前からトレセンの別の厩舎で、他の馬から隔離されて過ごし、夜明け前にはトラックに乗せられて連れて行かれた。

 一緒に来ているのは責任者の遼太と、数人の厩務員。普段世話になっている松井が居ないのは、英語がある程度話せる人選だかららしい。中島のオッサンは厩舎全体の管理があるから一緒には行かない。

 

 次に降ろされたのは飛行場だった。

 遠目には無数の飛行機がせわしなく離着陸を繰り返している。飛行機を見るのも久しぶりだな。

 

「相変わらず動じない奴だな。頼もしいよ」

 

 遼太が苦笑しながら俺の耳に防音用のカバーを被せる。その後は顔が出せる程度の箱に乗せ替えられて、何本もの鎖で固定されて身動きが取れないようにされてしまった。

 なるほど、これは家畜が飛行機の中で暴れたら危険だから、動けないようにする処置か。

 ではいよいよ飛行機に乗ると思ったら動きが無い。首を傾げると遼太が苦笑した。

 

「今回はお前ともう一頭、一緒に行くからそいつを待つ。食い物と水はあるから、ちょっと我慢しててくれ」

 

 仕方あるまい。ならそのもう一頭が来るまで飛行機を眺めていよう。

 

 二十分ぐらい経った頃、飛行場に俺が乗せられたトラックと同型がやって来た。やれやれ、ようやく御着きか。

 トラックから降ろされた若い牡馬は怯えながらこちらに連れて来られる。

 

「お待たせして申し訳ありません」

 

「いえいえ、先は長いですからこの程度は構いません。こちらがセントジェームズパレスSに出るグランプリボスですか?」

 

「ええ、それであちらがアパオシャですね。噂に聞いた通り、この場でも全く動じませんね」

 

「我々より胆力がありますから。こういう遠征には安心して連れて行けます」

 

 挨拶そこそこに牡馬は俺の隣の空いている箱に入れられた。そこでもグランプリボスという名前にしては暴れていたから、俺が落ち着かせた。

 

【大丈夫だから落ち着け。暴れている方が危ない。人の言う事をよく聞いていればここは安全だ】

 

【……そうなの?】

 

【ああ、そうだぞ。俺も結構前からここに居るけど平気だ】

 

【わかった。ねえちゃんをしんじる】

 

 スッと大人しくなり、係員の仕事が楽になった。

 

「はー、これが女王の威厳ですか。うちの馬が一気に大人しくなった」

 

「アパオシャ自身は面倒くさそうに思ってますけどね」

 

 実際面倒だしな。やりたくないけど出来る奴が居ないからやってるだけだ。

 隣の馬を完全に固定したら、いよいよ車で移動して飛行機の中に搬入された。こうして見ると俺達って完全に荷物だな。

 機内はかなり狭いが水と食糧は完備してある。空調も死なせないように万全だ。世話をする人間もすぐ近くに待機中。

 

 しばらく待っていると扉が閉まり、いよいよ出発となる。貨物室内にエンジンの轟音が響き、隣のグランプリボスが騒ぎ始める。名前が長いし、偉そうだな。面倒だからお前はランプだ。

 

【ちょっと煩いが我慢するんだぞ】

 

【いやだあああー!!こわいよぉーだしてぇー!!】

 

 あーやっぱりこうなるか。防音用の耳当てをしていても、俺ですらクソうるせえと思うんだ。この爆音を普通の畜生が聞いたらトラック以上にメンタルをやられるのは仕方ない。

 でも、もうどうにもならないから諦めろ。

 お隣のランプの奴の絶叫も、機内に響くジェットエンジンの轟音にかき消されて、俺達は空へと舞い上がった。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 体感的に丸々半日以上押し込められて、ようやく目的の場所に着いたらしい。着陸時に結構な衝撃を感じたのは、貨物室だからかな。

 ともかく箱ごと飛行機から降ろされて、倉庫内で鎖を解かれてようやく自由の身になれた。

 体をほぐすために軽い屈伸運動をする傍らで、ランプの奴は死んだ目で厩務員に従っている。

 

 しかし生まれ変わっても、またイギリスに来るとは思わなかった。倉庫内には日本語が一切見当たらず、全て英語表記。作業員も日本人は一緒に来た連中以外に誰も居ない。

 これからまた、イギリスの地を走ると思うと心が躍る。

 

「お前元気だなー。でも、レースはまだまだ先だから、気合入れ過ぎて気疲れするなよ」

 

 遼太にペシペシ首筋を叩かれる。確かに倉庫の壁に貼られているカレンダーはまだ5月。6月中旬のアスコットミーティングには結構時間がある。

 それまでに環境に馴染ませて、芝に慣れるのが先だろう。

 それから俺とランプはトラックに乗せられて、数時間走った後に厩舎に放り込まれた。

 ようやく落ち着ける場所に来て、隣の馬房のランプと一緒にぐっすり寝た。

 

 

 新しい厩舎に来て、数日間はほぼ缶詰にされて検査の嵐だった。

 毎日血液を採集されて、体温計を尻に挿されて体に異常が無いか、獣医に触れられていない場所は何処も無いと言わんばかりに調べ尽くされた後、ようやく解放されて運動も許可された。

 共に日本から来たランプは空輸の疲れでくたばっていたが、検査期間中には徐々に体調も回復して食欲も元に戻っている。

 おそらくは今夢中になって舐めている至高の液体のおかげだろう。

 

【うまうま】

 

 醤油である。

 俺用に持ち込んだ醤油にランプも興味を示して、試しにランプの厩務員が与えてみたら気に入った。

 あいにく味噌の方は美味しくないと言って突っ返してしまったが、俺も発酵調味料仲間が出来て結構嬉しい。

 イギリスの獣医や厩務員は調味料を食う日本馬に怪訝な顔を向けつつ、サプリメントの一種と自分を納得させていた。

 

 

 体調が戻れば、いよいよ異国の地での練習が始まる。

 ランプと一緒に広大で、自然なままの練習場を走り回る。

 日本のように整備されておらず、草も伸びっぱなしで脚が取られる凸凹の道を工夫しながら走る。

 なるほど、四つ脚ではこういう感覚になるか。しかし、前世の経験と擦り合わせながら調整すればすぐに馴染む。

 一方、ランプの方は普段と異なる道に戸惑い、四苦八苦しながら走っている。

 

【もっと脚の先に力を入れて走れ!】

 

【うん!】

 

 先達として後輩に異国の地での走りを教える。うーん、これは結構かかりそうだ。

 医者たちが書き込んでいたカルテの日付から、今は6月の初週と分かっている。アスコットミーティングまで大体十日ぐらいしかない。

 確かこいつはセントジェームズパレスSに出走と聞いている。初日の約1600mレースだったな。

 走りを傍から見ればパワーとスピードはなかなかのものだけど、調整が間に合わない可能性もある。

 海外遠征の肝は、慣れない土地に素早く順応出来るかどうかだ。どれだけ強くても100%力を発揮出来なかったら意味が無い。

 まして前世と似通ったイギリスなら、ヨーロッパ中の強豪が集まる。そいつらとアウェーで戦う辛さは、日本のレースの比ではない。

 こいつとは会って数日の仲でも、同じ日本の馬のよしみで良い成績を残してもらいたい。

 そして俺もゴールドカップを走る。あの劣悪なアスコットレース場の高低差22メートルのコースを走り切るということ。

 毎日のように日本の坂路トレーニングを走り続けた経験は、決して無駄でなかったと示さねばならない。

 

 

 イギリスに来て、幾日か経った。正確な日数は覚えていないが周囲の人達の緊張感のある顔と雰囲気から、そろそろ本番が近いと察せられる。

 今日も坂路トレーニングを終えて、馬房でストレッチをして適度に疲労を抜いていると、聞き覚えのある足音に訝しんだ。それも複数だ。

 足音の方に目を向けると、数名の男女が厩舎の職員の先導で馬房に入って来た。

 

「ようアパオシャ。元気にしてたか?」

 

【やっと来たか和多。それにオーナー、とっつぁんとお袋さんも久しぶり】

 

 久しぶりに顔見知りに会えて嬉しいぞ。

 歯を見せて笑みを向ければ、四人もこちらの顔や首を撫でる。

 ランプに去年の有馬記念で見たラテン系の騎手が来ていたから、和多とオーナーは来ると思っていた。

 しかしわざわざイギリスまで、美景牧場のとっつぁんとお袋さんが応援に来るとはな。

 

「まさかうちみたいな小さな牧場で生まれた馬が、レースの本場イギリスの大舞台を走るとは思わなかったぞ」

 

「アンタはいっつも私達の思いもしない事をする子だよ。でもおかげで人生初の海外旅行が出来たから、ありがとうね」

 

 来てくれただけでも嬉しいから気にしないでくれ。

 さてと、こっちは良いが、来るのがちょっと遅いんじゃないのか。ランプの方の騎手は結構前から来て、練習で乗っているんだぞ。

 そういう意味を込めて、和多の肩を鼻で小突く。

 

「なんだ、来るのが遅いって?これでも自分の信条を曲げてでも、お前と走りに来たんだぞ。そこは認めてくれ」

 

「そうだぞアパオシャ。和多君は出来る限り多くの馬に乗って勝たせるのを信条にしている。しかしお前に乗る為だけにイギリスまで来た。多くの馬よりお前だけを選んだ。そこは分かってあげなさい」

 

 そうかい。アンタにもそういう矜持ってのがあって、なのに俺を優先したのか。

 なら、それに見合うだけの成果を一緒に出そう。

 

 翌日から遼太に代わって背中には和多が乗り、練習には一段と身が入った。

 遼太の事を悪く言うつもりはないし不満も無いが、それでも和多の乗り方の方が上手いと感じる。

 オーナーやとっつぁん達も、日に一回は顔を見せに来た。

 やはりというか、イギリスの飯に色々と不満があるみたいで、俺にポロっと食事が合わないと漏らしていた。それにまだ時差ボケもあるようで、眠そうにしている。

 和多は大丈夫かな。他の日本人は最悪体調を崩してもレースに直接関係無いけど、相棒だけは万全でいてもらわないと俺も困る。

 辛かったら俺の味噌や醤油を口にしても良いんだぞと、食事の時に味噌付きのカボチャを口に咥えて和多に差し出す。

 

「気遣ってくれるのか?俺なら大丈夫だよ」

 

 そう?確かに鞍上での動きはあまり悪くはないのは確認しているから、本人の言う通り多分大丈夫だろう。

 

 和多と本格的な調整を始めて数日後、今度はランプの迎えが来た。

 いよいよ栄えあるアスコットミーティングの開催というわけだ。

 馬房から出されたランプに激励を贈る。

 

【ここの馬は強いが励め。お前が一番速いとみんなに見せてやれ】

 

【うん!】

 

 気合十分、足取りも軽い。これは案外いけるかもしれないな。

 意気揚々とトラックに乗るランプを見送った。

 

 

 夜になり、ランプの陣営が厩舎に帰ってきた。

 彼等の顔は一様に暗く、ランプも酷く疲れて落ち込んでいる。あぁ、これはダメだったか。

 

【お疲れさん。今日はもう休め】

 

【……あいつにぜんぜんおいつけなかった】

 

 それだけ言うと、隣の馬房に入って寝てしまった。

 外では遼太達があっちの陣営から話を聞いている。

 こちらまで聞こえる話から、辛うじて5着入賞はしたから日本代表の面目は立ったようだが、フランケルという馬の足元にも及ばなかったと、屈辱感に苛まれていた。

 フランケル、フランケル………思い出した。確か俺より世代が上の、G1を十勝して無敗のまま引退した、イギリス歴代最強クラスのウマ娘の名前だ。

 そんな奴相手なら負けても恥じゃない。

 とはいえ連れが負けても、俺まで負けるつもりは無い。必ずもう一度、英国王からのトロフィーを相棒に渡してやろう。

 二日後のゴールドカップに備えて、明日からの調整も頑張ろう。

 

 

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