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アパオシャがイギリス女王陛下の友になって数日後の日本。
高緯度で涼しいイギリスから次々と送られてくるホットニュースに、ただでさえ暑い日本はさらに熱く盛り上がっていた。
自信をもって送り出したスターは、まずは肩慣らしとばかりに、ともにG1四冠のフェームアンドグローリーを相手取り、6月のG1ゴールドカップを快勝。
震災のあった一週間後にドバイワールドカップを勝利したヴィクトワールピサに続き、2011年の海外G1二勝目の報を日本に届けた。
世間では流石アパオシャと、重く停滞していた暗い空気を一時的に払拭して、久しぶりに自粛の空気が解かれて、お祝いムード一色になった。
競馬関係者はお祝いこそすれ、日本馬が苦戦するヨーロッパの芝に軽々と対応した事に理解が追い付かず首を捻るか、アパオシャの血統を洗い直して、その強さの源泉を解き明かすのに躍起になった。
共にイギリスに渡ったグランプリボスは、G1セントジェームズパレスSを5着入賞。健闘したと一定の評価は受けたものの、やはり勝利馬のアパオシャに比べると反響は弱かった。
しかし、この時の優勝馬フランケルの後の偉業を前に、むしろよくやったと数年後に再評価が進んだのは少々皮肉と言える。
さらに時は進み7月。今度はキングジョージ6世&クイーンエリザベスSの出走も、日本では大きく報じられて、リアルタイムのテレビ中継もされている。
今回は約2400mと不得手な距離に加えて、ナサニエルを除いて出走する馬が全てG1馬だったので、下馬評はやや不利と分析されていた。
にもかかわらず、終わってみれば昨年英国ダービーと凱旋門賞勝利馬のワークフォースを下しての、アパオシャのイギリス二勝目。平日の深夜でも、日本各地は祭りのように熱狂した。
レース中に事故死したリワイルディングの事は残念だったが、こればかりはアパオシャに責任は無い。亡くなった馬に哀悼の意を示しつつ、翌日は新聞の一面を勝利で埋め尽くした。
なお、この時のレース中継番組の視聴率は深夜放送にもかかわらず、25%超えと驚異的な数字を叩き出して、放送していたテレビ局を狂喜乱舞させていた。
おそらくレコーダーに録画して後日視聴した日本人はもっと多いと思われた。
格式あるイギリスG1を二連勝して、いよいよ次は日本の競馬関係者全員の夢、フランス・ロンシャンの凱旋門賞と世間の期待は日に日に高まった。
JRAもこの雰囲気を大いに盛り上げるために、クラシック三冠を得た中山、東京、京都競馬場にアパオシャの特設展示ブースなどを用意、百貨店などと提携してグッズ販売の拡大を企画した。
この扱いには同じように今年の凱旋門賞に出走する、ナカヤマフェスタと、ヒルノダムールの陣営は面白くなかった。
特にナカヤマフェスタ陣営は、海外レース勝利で先を越されてG1勝利数でも負けていても、宝塚記念勝利と昨年凱旋門賞2着のプライドがある。是非とも自分達が日本初の凱旋門賞勝利を手にしたいと気炎を上げた。
イギリスG1の二連勝に気を良くする日本。しかしこれだけで終わらないのがアパオシャの予測不能な動きだった。
7月末日、アパオシャの情報を日本に送り続けていた日本のテレビ局の派遣員が、現地の報道の一部を伝えた事で大混乱に陥った。
世界で並ぶ者の少ない偉人の当代イギリス女王がプライベートでアパオシャを訪ねて、しかも背に乗って悠々と乗馬を楽しんだというのだ。
日本で言えば、天皇陛下が現役最強の競走馬の背に乗ったようなもの。
とてつもない名誉と珍事に、ほぼ全ての新聞社が一面記事で取り上げ、テレビも連日のように現地テレビ局から入手した映像をワイドショーで放送した。
さすがに調教師としてアパオシャの管理を任されていた中島は苦言を呈したかったが――――女王の訪問までは、すぐに現地責任者の遼太から連絡は受けていた――――現場でオーナーの南丸が立ち会っていて、かつイギリス王室に物申せるはずもない。
実はこの騒動で一番大きく反応があったのが、これまで主戦騎手で乗り続けた和多流次である。
彼はイギリス女王が自分のお手馬に乗った事に、苦笑いをしてコメントを残した。
「そこは僕の特等席ですから、次の凱旋門賞までにはちゃんと返してください。たとえ女王陛下でも、アパオシャの背は譲りませんよ」
冗談の混じったコメントでも、一国の女王相手に啖呵を切る和多の姿は結構な反響を生んだ。
元々社交性の高いイケメン騎手として認知されているのもあり、この時からメディア露出が増えて、騎手個人のグッズの売り上げも伸びた。
日本人の多くは偉大なイギリス女王が自分達が送り出したスターホースを気に入り、高い評価を付けたのを誇らしいと感じて好意的に受け取った。
逆にこの記事を快く思わない日本人もいる。
アパオシャが引退した時、繁殖牝馬として引き取る事を考えている生産牧場や、彼女の産駒を欲している馬主である。
もしイギリス女王その人がアパオシャを大いに気に入り、買い取る意思を示した場合、どうあっても阻止出来ない。
日本の宝が外国に連れて行かれてしまうのを、歯噛みしながら見ているしかない。
馬主の多くは資産家であり、日本社会に影響を持つ者も多い。多少の無理は積み上げた札束で解決出来たが、そんな馬主でも一国を背負う女王を前では象を前にした鼠である。最初から勝ち目など無い。
彼等はただ、大の競馬好きの女王陛下が欲張りでない事を祈るしか無かった。
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一頭の馬の生んだ衝撃に揺れる日本。その一頭の影響で、大きく運命が変わった馬が西日本の栗東トレーニングセンターにいた。
夏の夜明け前の薄暗い時間。暗褐色の毛並みに小さな白い斑点が幾らかある芦毛の馬が汗だくでターフを駆ける。
まだ若い2歳の牡馬は、騎手の鞭に応えて速度を上げながら簡易のゴール板を通り過ぎた。
馬上の調教助手は手綱を操り馬の脚を止め、走りの手応えを感じて馬を褒めた。
「よーし、良いぞ。今のは良い末脚だったシルバ」
助手はハナにシャドーロールを付けた担当馬の顔を撫でて褒める。シルバと呼ばれた馬も、褒められたのに気を良くして嘶く。
「じゃあ次も良いタイムを出せるように頑張るぞ。もう一回だ」
スタートラインに戻り、もう一度本番のレースさながらの走りを繰り返した。
2歳の夏ともなると、既にデビューをしている馬も多い。
栗東トレセンで調教を受けているシルバも、来月には晴れてメイクデビューを果たす予定だ。そのため調教にも一層力が入る。
この馬は真面目で調教を嫌がらずに頑張る馬だから、自然と調教師にも気に入られるし、血縁の馬の事もあるから勝ってほしいと願われる。
「いくぞ、ハイヨーシルバー!」
とある映画の有名なフレーズを合図に、銀の名を与えられた若馬は夜明けの暗闇を切り裂くように疾走した。
日が昇り暑くなる前に調教を切り上げて馬房に戻ったシルバは、厩務員に与えられた餌を喜んで食べる。
「よーしよし、いっぱい食って力をつけるんだぞ。お前の姉ちゃんみたいに強くなって無敗の三冠馬を目指せ」
「そいつは高望みし過ぎだろ。姉がG1六勝のアパオシャだって、弟までバケモノなんて都合よく行くかよ」
滅茶苦茶高望みをするシルバ担当の厩務員は、隣の馬を世話していた同僚に呆れられた。
シルバーチャーム産駒アウトシルバー、厩舎での通称シルバはあのアパオシャの半弟である。
この馬も姉と同様に非サンデーサイレンス、非ノーザンダンサーの血統で、何かがあると噂が絶えなかった。そのため、厩舎に来た時は皆かなり緊張していた。
実際に蓋を開けてみたら、姉に比べて普通の馬だったから肩の力が抜けたものの、真面目な性格で気性も穏やかだったこともあり、好かれる馬だった。
父親はアメリカケンタッキーダービー、ドバイワールドカップ等を勝ったG1三勝馬。しかし種牡馬としては悪くないがパッとせず、産駒は重賞止まり。
非主流派の血統ということもあって、シルバも引退までにOP戦に勝てれば上等と厩舎の面々は見ている。
唯一、この馬を任された厩務員だけは、こいつはきっと凄い馬だと反論するのが日常風景と化していた。
「んなこたぁねえって!オグリキャップだって、最後の最後でアパオシャが出たんだ。シルバだってG1を沢山勝つさ!」
「俺達だってこいつら皆に活躍してほしいと思ってるよ」
思っているだけで勝てたら苦労しない。
競走馬として生まれた馬がデビューして、引退までに勝ち上がるのは三頭に一頭と言われている。一度も勝てずに引退する馬の方が多数派だ。
そこからさらにOPクラス、重賞勝利、G1馬と一気に数が減り、クラシック三冠ともなると、五年~十年に一頭の割合しか生まれない。
自分が担当した馬が三冠馬になる夢を見るのは、厩務員にとってよくある事でも実際に叶った者はほんの僅か。
期待し過ぎるのも辛いから、大抵はせめて引退までに一勝する事を望むようになる。
だからシルバを担当している厩務員の方が夢見がちなのだが、夢を見ている奴に正論や現実的意見は通じない。
「こいつは酷い奴だよ。お前は凄い馬だって、デビューしたら見返してやろう!」
もしゃもしゃ飼葉を食べるシルバの首を軽く叩いて激励する同僚を、隣の厩務員が呆れた目で見つめた。
九月になり、アウトシルバーはアパオシャの弟と言う事で、デビュー戦を1番人気に推されたものの、結果は3着と振るわなかった。
結局、初勝利は12月のダート戦で、三戦目での勝利とあってそれなりの馬程度の評価で落ち着いた。
実際、走れば入着は多いが今一つ勝ちに恵まれず、華やかなクラシック路線とは無縁の裏街道。偉大な姉の影に隠れる目立たない弟との評価が大半を占めた。
一方でどんなレースでも粘り強く走り、年を重ねるごとに勝ちも増えて、古馬からはダートのOP戦やG3を勝つ、遅咲きのダート馬になっていた。
残念ながらG1は一度も勝てず掲示板に入る事はなくとも、目立った故障は無かった。そして長く現役に留まり続けて、マメに馬券に絡んでよく賞金を稼いだ。
そんな馬だから馬主には孝行馬と有難がられて、長年見続けたファンからは名前と芦毛にちなんで『いぶし銀』と愛された。
なぜそのような性格の馬になったか。それは彼が幼少期に、ほんの少しの間だけ一緒に過ごした姉から「一番速く走り続けろ」と言われた事を、愚直に守り続けた結果である。
既に姉の事は忘却の彼方へと過ぎ去ってしまったが、教えだけは決して忘れず、姉や妹が現役を引退した後も、彼は今日もひたむきに走り続ける。
それがアウトシルバーと名付けられた、アパオシャの弟クーの半生であった。