投稿再開は明日と言ったな。あれは嘘だ。
というわけで本日からアパオシャの現役最後の年を投稿します。
2012年1月某日。新年を祝う正月も一通り過ぎて、日本はまた日常に戻っていく。
昨年、日本中を沸かせて競馬界の顔になりつつある和多流次も、新年の仕事として東京のテレビ局を訪れていた。
ここ数年は競馬が再び世間から注目されている。
さらに馬だけでなく騎手にもスポットが浴び始めており、お手馬のアパオシャが勝つたびにテレビ画面に映り、新聞のスポーツ欄を大きく飾る和多は、全国クラスの知名度があった。
話題性が高まれば自然とテレビ出演の依頼が来る。しかも和多は顔が端整で話も上手いので、テレビ番組に向いている。本人も競馬界を盛り上げるつもりで、スポーツ番組の出演を承諾した。
「テレビの前の皆さんこんばんは。スマスポの時間がやってまいりました。新年第一回目となる今日のテーマは、現在話題沸騰中の競馬です」
テレビカメラが司会の女性を映す。そこから一歩引いて、カメラが横に向く。司会の代わりにカメラのフレームに収まったのは二人の若い男。
「本日のゲストはこちらのお二人です。昨年末に日本競馬史上初のG1八冠を達成したアパオシャを乗りこなす和多流次騎手。もう一人は、昨年日本で8頭目のクラシック三冠馬に輝いたオルフェーヴルの鞍上を務める池園賢一騎手を、スタジオにお迎えしています」
スタジオのギャラリーから拍手が飛び、紹介された二人の騎手は会釈をした。
「和多騎手は現在34歳、池園騎手は32歳。共に競馬界を引っ張る主力のお二人から、お話を聞いていこうと思います。それでは和多騎手から、昨年2011年はいかがでしたか」
「いやー思い返すと物凄い濃い一年でした。人生初の海外レースを三度も経験して、フランスの凱旋門賞に勝った時は、たくさんの騎手からシャンパンを頭からかけられました」
「確か和多先輩は酔っぱらって、夜にアパオシャの所に行ってそのまま馬房で一夜を過ごしたんですよね」
「ええー!?和多騎手はフランスでそんなことしてたんですか?」
「ええっと……その時は酔い潰れてあんまり記憶ないんですけど、朝起きたら藁の中で、横にアパオシャが居ました。相棒が物凄く呆れた顔だったのを覚えています」
「あれで先輩、しばらく宴会でも禁酒して、栗東トレセンの忘年会でも飲んでませんね」
「下手したら風邪じゃ済まなかったからね。嫁にも怒られたから今も酒は控えてる」
スタジオの観客から、そこかしこで笑いが零れる。司会は半笑いで池園の方にも話題を振る。
「うーん、去年は色々と楽しくもあり大変な年だったなと。騎手になって初のクラシックG1勝利は嬉しかったんですが、あの暴れん坊にとにかく手を焼く日々でした」
「でも念願の日本ダービーにも勝てたから良かったじゃないか」
「それはそうですけど、僕さんざんな目に遭ってますよ。オルフェーヴルの初戦で振り落とされて、手を踏まれて医務室直行。菊花賞の時は振り落とされた時にラチに脇腹ぶつけられて、しばらく息も出来なかったんですから」
「その後に歩いてウイニングランしたのはドンマイって思ったよ」
「先輩はいいですねえ。アパオシャは人にも馬にも優しくて、世界で一番強いんだから」
「先の動きが読めないって意味で、癖の強さはオルフェーヴルにも負けてないから。乗るのかなり大変だよ」
ここで幾つかのレースのVTRが流れて、和多達は過去のレースを鑑賞する。
昨年菊花賞のオルフェーヴルの雄姿と、その後の池園の落馬までが映されて、司会の女性が堪らず吹き出す。
次は凱旋門賞でのアパオシャの『大逃げ』からの、堂々の逃げ切り勝利。
さらに去年の有馬記念の映像には、中山の一度目の坂からアパオシャの突然の加速で必死にしがみ付く和多の姿、向こう正面で外側に走りながら勝手に減速するオルフェーヴルを必死で走らせようとする池園の姿に、本人達も笑うしか無かった。
最後はゴール手前で追いついたオルフェーヴルを押し切るアパオシャのゴールで映像を締めくくった。
「いやーどのレースも大変おもし……見応えがありました」
司会が慌てて言い直すが、その前に思いっきり笑って吹き出しているから今更である。
それを放置するのは可哀そうだから、和多は間髪入れずに真面目な口調でレース映像に言及する。
「やっぱり去年の有馬記念はオルフェーヴルが外に逸走してなかったら、僕とアパオシャは負けてたかな」
「多分そうだったと思います。僕がオルフェをしっかり制御出来ていたら勝てました」
池園は悔しそうに自分の騎乗ミスを認めた。どんな気性難、荒ぶる気質でも的確に制御してレースに勝つ事が騎手の義務。レースに出した以上は馬の気性は言い訳にはならない。
自分の技量がもっと優れていれば、世界トップレベルの身体能力を持つ暴れん坊を完璧に導いて勝利していた。己の不足が敗因だったと認めた。
「それでは和多選手はどのようにアパオシャを乗りこなしているのでしょうか?」
「何もせずに、全部馬に任せて好きに走らせる事ですね。稀にこちらが助けないといけない時はあっても、アパオシャは本当に頭が良いから、どう走れば勝てるか分かってる子なんです。なんて言いますか、アパオシャはプロフェッショナルなんですよ。その日の馬達やコースを見て仕掛け所を理解して、一番勝ちやすい走りをして実際にレースに勝つ。だから騎手がする事なんて基本は無いです」
「オルフェみたいに負けん気が強くて、熱くなって前に行きたがる性格じゃないですね」
「走る事と勝つ事は好きだけど必要以上に熱くならない、結構淡々としてる性格かな。あと、たぶんだけど相手を煽ってレースをコントロールするのが抜群に上手い。その辺りは美浦トレセンの馬達のリーダーやってる経験が活きたんじゃないかな」
「有馬記念のオルフェはまんまと乗せられたわけですか」
「それぞれの馬を事前に研究してもいないのに、パドック周回や返し馬で性格とかを把握してレース展開を決めているんだと思う。レースのVTRを見直して、『ここで仕掛けた意味はこうだったのか』って答え合わせして気付く事も多いんだ」
実際に乗った本人の口から改めて聞かされると、馬の常識を超えたアパオシャの知性には驚かされる。
この後は一旦、二頭の馬から離れて、騎手二人の2011年の競争成績の紹介に移る。
和多はアパオシャの騎乗を除くと、地方と中央での幾つかの重賞勝利はしていても、G1勝利には恵まれていない。
一方、池園はスプリンターズステークスをカレンチャンが制し、エイシンアポロンがマイルチャンピオンシップを勝利して、G1二勝を得ていた。
和多はG1勝利数15勝に対して、池園は2歳年下でも16勝を挙げている。
どちらがより騎手として評価が高いかと言われると、一般的には池園を推す声が多いと思われる。
「やっぱり池園君は凄いね。あんな癖馬軍団を御してG1を何度も勝ってるんだから」
「僕の乗る馬は全部が全部癖馬じゃないですよ。カレンチャンは凄い素直で人懐こくて、彼女にしたいぐらいです。和多先輩のアパオシャはどうなんですか、嫁にしたいですか?」
「アパオシャが嫁になったら、思いっきり尻に敷かれそうで嫌かな。僕の事は信頼してくれて気遣ってくれるけど、多分人間のあいつは物凄いストイックな性格。それもプロ野球選手の〇チロー選手ぐらい禁欲的でプロ意識が高い。仲間を大事にして、面倒見が良いから交友関係は広いけど、隣に居たらプライベートでも一秒も気が休まらないのが辛い」
「フランスで一緒に寝たのに?」
「ぶっふふ!!―――す、すみません」
司会の女性が堪え切れずに笑ってしまう。
これ以降も二人の競馬トークは数十分続き、番組の収録は無事に終わった。
後日、ゴールデンタイムに放送された番組は、イケメン騎手同士の軽快なトークが人気になり高評価を得た。
その後も番組には度々騎手がゲストに呼ばれて、お茶の間に競馬が進出していくようになった。
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吾輩は競走馬である。有馬記念を勝利して数日。正月も終わってから、ようやくトラックに乗せられて懐かしの美浦トレセンに戻ってこられた。
去年の5月末に日本を出発してから、半年以上が経っていた。
迎えには厩務員の松井が来た。よう、随分久しぶりだな。
「おーい、迎えに来たぞ女帝~」
誰だよ女帝って。俺はエアグルーヴさんじゃないぞ。
怪訝な顔を松井に向けると『すまんすまん』と笑って、本来の名前を呼んだ。
「お前は世界一の馬だからな。そうやって呼ぶ奴も多い」
そりゃ異名なんて他人が勝手に呼ぶだけで、自分から名付けて他人に呼ばせるなんて普通はやらん。
前世の時も大体この手の異名はURAが勝手に付けて広めていた。正直恥ずかしいと思ったぞ。
どこの誰でも勝ち続けると、色々と余計な事を考えるものだ。
今は畜生の身だし、抗議も出来ない。たとえ凱旋門賞に勝っても、家畜とは実に不自由なものだ。
半年以上留守にしていても、全く変わらないトレセン内を歩く。
途中、何頭かの馬ともすれ違った。
【あっ、おねえちゃんだ!】
【おー、久しぶりだな。元気だったか】
結構久しぶりだけど、まだ覚えていてくれたか。軽い挨拶だったり、顔を擦り合わせて若い馬達と触れ合う。
【あねさ~ん!あいたかった~】
年上の馬にも挨拶して、留守中にちゃんと若い馬の面倒を見てやったか聞く。
地震で色々不安だったけど、何とか頑張ったと言っているから、褒めて礼を言っておいた。
気遣い一つで馬達は大喜びするんだから、手土産や贈り物のいる人間よりはずっと楽だ。
道中、木製の掲示板を通り過ぎた時、視界に見過ごせないモノが目に入って立ち止まった。
「どうした?…あぁ、それに気づいたのか」
松井が指差す先には、一枚のポスターがある。被写体はレースで俺がゴールする瞬間だった。前のヒーロー列伝とかいうポスターと違うな。
ゴール板には英語でアスコットと書いてあるから、イギリスの時の写真か。
「お前が外国で走っている間にJRAが作ったんだよ。東日本大震災の災害復興PRに、お前の走る姿が使われたんだ。『諦めずに走り続けよう』って書いてあるんだぞ」
そういえば前世の震災後も、その年にレースで活躍していたウマ娘が被写体になったポスターを見た記憶がある。
これを見て、本当に被災者が元気になってくれるかは分からないけど、気休めでも良いからもう一回立ち上がって、自分の足で歩いてくれたらいいな。
海外にいる間にプチ浦島太郎を味わったが、何事も無く一番見慣れた中島厩舎に戻って来た。
【ねえちゃんおかえりー!】
【わーい、ねーちゃんだー】
【どこいってたのー?】
厩舎の後輩達が一斉に嘶いた。こいつらも余震続きで心配だったが元気で良かった。
【ちょっと遠い所で走ってた。もちろん、俺が一番速かったぞ】
【【【わー、すごーい!】】】
松井が気を利かせてくれて、厩舎の全部の馬に顔を見せてから、元居た馬房の前に連れて来られる。
隣にはよく見た顔の妹分が嬉しそうに顔を馬房の外に突き出す。
【ねーちゃん!ねーちゃん!あたいねーちゃんがいないときに、いちばんはやくはしったよ!!】
【おー、頑張ったなトフィ。よしよし、お前は強い子だぞ】
顔と顔を擦り合わせて褒めれば妹分はご満悦だ。俺が居ない時は大丈夫かなーと思ったけど、こいつもとっくに一端の競走者だったな。
妹分の成長を見れたのは良かった。
隔離中に厩舎の連中が暇潰しにテレビやラジオを用意してくれたのは助かったが、流れてくる情報も良いものばかりじゃなかった。
まさかナリタブライアンが二十年も前に産まれていて、さらにとっくに死んでいたとは思わなかった。
あいつだけじゃない。クイーンちゃん、オンさん、オグリキャップ先輩、バクシさん、リルさん――――ざっとテレビで知った中でも、これだけ前世で友好を結んだ人達が死んでいた。
俺が走った凱旋門賞の数日後に死んだリルさんは、馬の中ではかなり高齢だったと聞いて納得はする。
だがウマ娘の連中は大抵長生きしていたから、ナリタブライアンやオンさんのような早死は少し残念に思う。
こっちのセンジみたいに前世の記憶は持ってないと知って、名前が同じだけの別の生き物と理解していても、多少思う所がある。
それに来世ではトフィ達も、もしかしたらウマ娘になっているかもしれない。
だからか、生きて顔を合わせている間は、出来るだけ面倒を見てやりたいと思うようになった。
それから数日後、レースが近い馬達の調整の併走に付き合う事になった。
OPクラス未満や未勝利戦を走る連中ばかりだから、レース明けの慣らし運転にはちょうどいい。
助手が上に乗っていない分、俺は負担が軽いから気兼ねなく、前後から自由に馬達を煽って走らせた。
実力で言えば一勝するだけでも大変な連中だけど、同じ厩舎所属として勝ってほしい。
ただ、一頭調子の良さそうな馬が居る。まだ若い牝馬で昔のトフィより一枚落ちるぐらいだが、頑張ればOP戦ぐらいは勝てそうな力がある。
「よしよし、いいぞミッドサマーフェア。アパオシャも良い追走だったな」
体を鈍らせない良い運動になるからいいさ。
中山レース場を貸し切って、広々としたコースを走るのも解放感があって良かったが、誰かと一緒に走るのも良いもんだ。
そろそろアパオシャの繁殖相手を考えないといけません。どんな種でも付けられるというのは選択肢があり過ぎて逆に困ります。どうしましょう。