2012年4月29日。日本はゴールデンウィークに入り、国民は連休を楽しんでいた。
去年は東日本大震災により自粛ムード一辺倒だったため、各種イベントも盛り上がりに欠けていた。
それから一年が経ち、今年は自粛も解除され、ほぼ例年通りに行楽やイベントも充実している。
競馬界も昨年は福島競馬場をはじめ、各地の施設や牧場に被害があったものの、現在は平常通りの開催をしている。
今月に入り、3歳馬の祭典であるクラシックG1も予定通り行われた。
桜花賞は、あの最強馬ディープインパクトを父に持ち、貴婦人の名を与えられたジェンティルドンナが豪快な末脚を見せて、見事G1馬に輝いた。
皐月賞は荒れたレースとなった。勝利者の名はゴールドシップ。父ステイゴールドから血と黄金の名を継いだ芦毛の若馬。
今年の皐月賞は前日の雨で内側の芝が荒れていて、全馬が内側を避けて遠回りを選んだ。しかしゴールドシップは敢えて荒れた内側を選んで突っ込み、最後方から追い上げた末に優勝。観戦していたファンは「ゴールドシップがワープした!」と驚愕した。
牡牝共に去年のオルフェーヴルに匹敵する実力と癖の強さのクラシックG1馬達は、競馬人気が加速し続ける日本で話題性もあって持て囃された。
そして人気の震源地である、日本史上最強馬とまで謳われたアパオシャの走るG1レースとなれば、連休を利用して日本中からファンが集結した。
鉄道やバスも春の天皇賞に合わせて、当日に競馬場に停車する車両の数を増やし、各馬をラッピングした車を走らせて盛んにレースを宣伝した。
注目しているのは日本人だけではない。昨年アパオシャが遠征したイギリスでも、春天皇賞はリアルタイムで放送していた。時差があり、イギリス現地では早朝の放送だったが女王陛下自らも視聴するという噂もあって、この日に限っては多くのイギリス国民が朝からテレビに張り付いた。
さらに同日の香港で開催される、G1クイーンエリザベス2世カップに日本のルーラーシップが出走する。イギリス国民は敬愛する女王陛下の名を冠したレースにも関心を寄せていた。
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吾輩は馬である。草食動物っぽいが、時々肉や魚の料理を懐かしいと感じる。
いやねえ、毎回レース場に来ると思うわけよ。観客が食べている料理の匂いがパドックにまで漂ってくるから、脳みそに刻まれた前世の記憶が呼び覚まされて辛い。
焼きそばの焦げたソースの香ばしい匂い。フライドポテトの油の重厚な香り。生クリームたっぷりのクレープのバターの香り。カレーのスパイスの刺激臭。どて煮のみりん入り味噌の匂いなんてたまんねえ。
やっぱり肉や魚も食べたいねえ。それに今まで野菜は沢山食べても、ジャガイモやサツマイモは一度も食べていない。馬に食べさせると困る食材なんだろう。ナスやトマトだって見ていない。アレかな、犬猫にタマネギやチョコレートを食べさせるのを禁止しているのと同じなのかな。
食べ物の制約が多いのは困るよ。
それでも厩舎の連中は色々と気を遣って俺の飯を作ってくれるからありがたい。
よく食べている野菜炒め以外にも、豆腐や油揚げのような大豆食品も出るようになった。それを野菜やきりたんぽと一緒に煮た鍋物を冬場に出してくれた時はテンション爆上がりだったな。
今年の正月は甘いあんこたっぷりの大きな饅頭が出たし、3月のひな祭りの時には雛あられと菱餅を食べられた。
もうすぐこどもの日だから、季節物の柏餅とか端午の節句のちまきも食べたい。
あそこの子供が食べている御座候が美味しそう。あれも皆で食べられればいいのに。
はぁ、次はどんな料理が出るかなぁ。肉類は無理そうだから、味噌煮込みうどんや蕎麦を食いたいねえ。それかパン。ライ麦を使ったどっしりとしたドイツパンをまた食べたい。
しかしパドックにいる馬も七割ぐらいは見た顔だな。
ウマ娘もそうだったが長距離は他の距離に比べて生まれの適性の比率が大きいのと、レースの数が少ないからどうしても見知った顔が集まりやすい。
同期のローズキングダムやヒルノダムール以外に、トーセンジョーダンやオルフェーヴル。日経賞を走った馬も何頭かいる。
前世みたいにレースが終わったら、ウマ娘のこいつらと一緒にケーキ食べたり、焼き肉や鍋を囲んでワイワイやれたかもしれない。休みの日にはバーベキューをしたら楽しいんだろうなぁ。
そういえば騎手はレース終わったらどうしているんだろう。同業他社みたいに基本仲が悪いのか、スポーツ選手のようにプライベートなら気の良い相手と一緒に飲みに行ったりするのかな。
「――――アパオシャ。アパオシャ!」
あ?ああ、和多か。すまん、ちょっとボケっとしてた。
「大丈夫か?前の有馬記念の時みたいなことは困るぞ」
【平気だよ。さて、IFなんて脇に置いてレースをしよう】
気合を入れ直して顔つきを変えたら、相方も安心してくれた。
よしっ!今日も頑張って勝ちに行くか。
コースに出れば春の涼しい風とポカポカ陽気が気持ち良い。こんな時は乾いた芝の上で昼寝でもしていたい気になるが、残念ながら今日は≪天皇賞・春≫があるから無理だ。
ゆっくりターフを走ると、横から一頭が傍に寄る。
確かこいつはこの前の日経賞に居た奴だ。背の上には前のレースと同様に猛って騎手が乗っている。
「和多、このレースは勝たせてもらうぞ」
たった一言だけ、搾り出すように宣戦布告をして行ってしまった。
張り詰めた気が彼の本気を窺える。
「猛さん……いや、勝つのは俺ですよ」
うんうん、和多も負けていない。気圧されていたら、次からは背に乗せなかったぞ。
鬼気迫る姿勢と言えば聞こえはいい。でも、少しの余裕すらない精神は容易く揺れて、些細な事でミスを生む事だってある。
あの騎手が何であそこまで思い詰めているかは知らないが、レースは気持ちだけで勝てるほど楽じゃない。
こちらは程々に注意しつつ、自分の走りをしようか。
G1天皇賞・春 京都競馬場(右回り・芝3200m) 天候:晴 芝:良 現在時間 15:40
発走時間になり、作業員に13番ゲートに押し込められた。左隣14番ゲートのローズキングダムが興奮して煩い。俺の臭いを嗅ごうとするな。
畜生は放っておいて、今日はどんなレースになるのかな。
――――――よし。開いたゲートに遅れず、スタートを切った。左右を見渡せば出遅れた馬は居ない。
大外18番のオルフェーヴルは今日もゆっくり出たか。
右側には11番ゼッケンの馬に乗る猛がこちらに視線を向けている。今日は徹底的にマークするつもりか。
まずは向こう正面をゆっくりと走る。坂を登りつつ出方を窺う中から、三頭が集団から飛び出て先頭争いをする。今日はあいつらがペースを作るか。
淀の坂を登り切って最初のコーナーに入る。俺は現在12~13番手ぐらい。すぐ横には猛の乗る馬がピッタリと引っ付いている。オルフェーヴルはもう少し後ろで、さらに尻にはヒルノダムールの鼻息が当たって気持ち悪い。
今すぐ前に行きたいが、まだ様子見する状況だから我慢するしかない。後で覚えていろよ。
一度目の最終コーナーを回る時、隣の11番が外側に膨らんで俺をさらに外に弾き飛ばしやがった。身体が大きく横によれてコースを外れる。
「えっ!?猛さん………」
和多が信じられないような困惑の声を漏らす。進路を大きく乱した俺は最後尾に追いやられて、馬群はどんどん進んでいく。
やってくれたよ。直線で斜行したら後続の進路を妨げたとして反則になる。だが今の状況ならコーナーで膨らんで、たまたま隣の俺にぶつかってしまったと言い訳がきく。ラフプレーというほどでもない、なかなか厭らしい事をする。
ポジション争いはレースで日常茶飯事。時に囲まれて動けず、前に壁を作られて進路を塞がれる事だってある。だからこの程度は卑怯とは言わんよ。
ただ、ここまであからさまにやられたのは久しぶりだぞ。
おそらくこの一回で終わりはしない。体格は向こうの方が一回りは大きいから、もう何回かやってこちらを委縮させるつもりだ。
そちらがその気なら、こっちは流儀をちょっと変えようか。
スタンド正面の直線でルートを修正つつ、最後尾を走る二頭に目を付けて横に並ぶ。一頭はローズキングダム。もう一方は美浦トレセンのコスモロビン。まずは仕込みだ。
【おーい、一緒に走ろうか】
【やったー!】
【いいよおねえちゃん】
もう少し前に行き、次の獲物に並んだ。
【よう、オルフェーヴル。まだこんなところでチンタラ走ってるのか】
【なんだうるさい】
【こんなタラタラ走ってたらまた俺に負けちまうぞ。いやー、それどころか前を走ってる奴等に遅いって笑われるぞ。いいのかー?本当に?】
【むかっ!!オレはおそくねえ!!】
さて次だ次。もう一頭前に居たヒルノダムールの隣に寄せる。
【ヒルノダムール、ちょっと前に行こう】
【いいよーあねさん】
これで三頭を自由に使える。直線が終わり第一コーナーに入ったら、声をかけた三頭と一緒にさっきの11番の奴を囲んだ。
圧力をかけられた11番は騎手の指示で隣の俺を弾き飛ばそうとしたが、その前にヒルノダムールを身代わりにした。二頭は体格的に拮抗しているため、俺のようにはいかない。
そして怒ったヒルノダムールがやり返して、騎手達の制止を無視してガシガシ体をぶつけ合っている。
【みんなー、こいつとちょっと遊んであげて。飽きたら上の奴の言う事聞いて先に行きなよ】
【【【はーい】】】
念のためにローズキングダムとコスモロビンも置いておく。そのうち騎手が無理にでも止めさせるだろうが、俺が前に行く程度の時間は稼げる。
この隙に加速して、第二コーナーを過ぎたあたりで中団まで順位を上げる。
向こう正面に入った頃には、先頭の二頭と大体十馬身差ぐらいはある。オルフェーヴルの奴は四番手ぐらい。騎手が必死に手綱を絞って暴走を抑えつけている。
あのペースでは並の馬ならスタミナが持たずに最後は失速しても、菊花賞も勝ったあの規格外の怪物なら持つかもしれない。
ゴールまでは残り1200~1300mぐらいか。ペースも予想より結構早い。そろそろ動かないと追いつけないか。
じゃあ久しぶりにセオリー無視しますか。登り坂に入った瞬間にガシガシ加速して、外から馬達を抜いていく。
坂を登り切って第三コーナーに入る時に僅かに速度を落としつつ、体重移動と小刻みなステップで加速の膨らみを最小限に抑えて曲がる。
「くぅ!」
すまんな和多。毎度変則的な動きに、遅れず対応してくれるから助かるよ。残り700mで8番手。前にはトーセンジョーダンも居る。
下り坂を抑え気味に走るセンジの横を再加速して抜き去り、さらに一頭、また一頭抜いて5番手まで順位を上げた。
四馬身先で先頭争いをしている6番ゼッケンの奴はほぼ限界に近い。あいつは問題にならん。もう一頭の1番ゼッケンはちょっと怪しいな。このハイペースでも息が残る可能性がある。そしてオルフェーヴルもかなり息が上がっているが油断は出来ん。
下り坂が終って最終コーナーに入る。外に膨らむ7番ゼッケンを内側から抜いて、4番手で最終直線400mに突入した。
京都競馬場はここからがきつい。長く平坦の直線は、一番苦手なスピード重視の環境だ。
だが勝つには泣き言は言っていられない。それに何気にこの状況は嬉しいぞ。姿形は違えどクイーンちゃんの孫と、現役で栄光の春の盾を奪い合える今この瞬間は、アスリートとしての血が滾る。
前世の三度目の春天皇賞は、ここの最後の直線勝負でクイーンちゃんに押し切られて3cm差で負けた。代地の阪神レース場に比べて直線が長く平坦だった為、スピードがあって中距離も強い後輩にしてやられて三連覇を阻まれた。
あの時とはだいぶ状況は違うが一つのリベンジマッチとして付き合ってもらうぞ。
二馬身離れた先頭の1番、二番手の6番ゼッケンはスタミナが残っていないから無視していい。それと三番手のオルフェーヴル。
【俺が全部抜いて勝つ!】
首を地に着けるつもりで下げて身体の重心を低くする。残ったスタミナを注ぎ込んで脚のピッチ回転をさらに上げて、二段飛ばしでスピードを上げた。
グンッと急激に加速しても、微かな挙動を読み取って姿勢を変えた和多はしっかりしがみ付いてくれる。
騎手を振り落とす心配をせず、全力疾走でオルフェーヴルに並ぶ。
【……ゼェゼェ………まだだっ!】
スタミナが枯渇しているのに勝負根性だけでこちらに食い下がってくる。
こいつは本当に気性の悪ささえ克服して、騎手の指示通りに走れば無敗の最強馬になれたのに。つくづく惜しいが長距離で負ける気は無いんでね。
若造を抜いて、ついでに死に体の6番も抜いて、ようやく先頭のケツに肉薄する。いい加減そこを譲ってもらうぞ。
序盤から先行し続けて逃げ切るだけの末脚が残っていない1番ゼッケンを、残り200メートルハロン棒付近の外側から難無く抜いて先頭を奪う。
だがここで慢心はしない。後ろから次々とスパートを掛けてくる鋭い足音が幾つも聞こえる。
決して力を抜かず駆け続けて、後続には絶対に追いつけない壁として立ち塞って闘争心を挫く。
そのまま最後まで先頭を譲らず、今世二度目のレースを走り切った。
ファンの大歓声のアーチをくぐり抜け、悠々とウイニングランを果たした。相棒もガッツポーズで声援に返す。
なんかいつもより騒がしいと思って、電光掲示板を見たらレコードの表示が出ていた。おー珍しい。
そして後続の何頭かがこちらに来る。
「負けましたよ和多さん。今日はオルフェの奴もそこまで悪くなかったんですが」
「長距離はアパオシャの距離だからね。オルフェーヴルだろうが簡単に負けてはやらないよ。そうだろ?」
【まあね。――――また俺の勝ちだ。お前も何で負けたか次のレースまでに考えておくんだぞ】
【メスがえらそうにするなっ!!】
【その牝に負けたお前よりは偉い。悔しかったら次は勝ってみせろ】
【ぐぬぬ!!】
やれやれ、まだまだ若いねえ。まあ、前世も含めて百歳近いババアと比べたら酷かな。
本音を言ったら、前世の事もあるからお前に期待しているんだぞ。今は同じレースを走るライバルだから塩を送ったりしないけど。
言いくるめられて不快に思ったオルフェーヴルは、騎手を乱暴に揺らしてこちらから離れた。
さらに序盤に俺を弾き飛ばした馬の上の猛は項垂れてコースから去った。あの様子ではなまじ負けた悔しさ以外に色々と抱えていそうだな。
俺には関係無いからどうでもいいか。
着順 馬番 着差
1着 アパオシャ 13
2着 ビートブラック 1 2
3着 トーセンジョーダン 16 4
4着 オルフェーヴル 18 1
5着 ウインバリアシオン 11 クビ
勝ちタイム 3分13秒2 レコード更新
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≪女帝の威厳は健在!牝馬初の天皇賞・春連覇!!≫
やはり世界最強の女帝は強かった。昨年勝者で八冠牝馬の1番人気(単勝3.1倍)アパオシャが4月29日の『近代競馬150周年記念』第145回 天皇賞・春G1を連覇した。春の天皇賞の連覇はメジロマックイーン、テイエムオペラオーに続いて三頭目。牝馬では初。
レースは白熱した先頭争いから始まった。6番ゴールデンハインドと1番ビートブラックが後続を大きく引き離して逃げてハイペースを作る。
13番アパオシャの鞍上・和多流次騎手は後方から様子を窺う。一度目の第四コーナーで11番のウインバリアシオンとポジション争いに負けて、最後尾まで追いやられるが慌てず立て直して、向こう正面からの超ロングスパートで着実に先頭との差を縮める。
最終直線に入る頃には4番手まで順位を上げ、前哨戦の阪神大賞典を勝利した2番人気(単勝3.8倍)の三冠馬オルフェーヴルを物ともせずに抜き去って、先頭のビートブラックも豪脚で差し切り、昨年同様に最初にゴール板を駆けた。
2006年にディープインパクトが記録したレコードの更新に和多騎手は「アパオシャはスピードに秀でた馬じゃないですが、凱旋門賞の事もあって芝が乾いてて長距離ならこれぐらいは出来ると思ってました」
近年の天皇賞・春はスタミナだけでなくスピードも要求される『高速馬場』。牝馬には苦しいレースと思われるが女帝には如何ほどの不利も無い。
九つ目の冠を戴いた女帝の堂々とした姿に京都競馬場のファン達は惜しみない拍手を送った。
≪西スポ.net版から≫