オグリの娘 ~畜生ダービー~   作:ウヅキ

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 いただいた前話への感想が多いため、この場を借りてお礼申し上げます。感想の中に多かったカドラン賞の結末をお楽しみください。



第55話 泥と流血

 

 

 スタート開始から囲まれてしまった。失敗とは言わないがちょっと不利な位置に追いやられている。

 最初の下り坂が終わり、フォルスストレート(偽りの直線)に入る。

 和多はしきりに左右を見渡して、少しでも抜け出せそうな隙間を探っている。焦るなよ、まだレースは三割も過ぎていないんだ。

 フォルスストレートからスタンド前に来ても状況は動かない。

 相変わらず俺を中心の囲いは崩れず、先行の3頭と少々差が大きくなっている。

 メインレースの凱旋門賞が終わって、客の減ったスタンドからの声援と罵声が耳に障る。

 そろそろ一度目のゴールが見える。ここでちょっと仕掛けてみるか。

 

【おーい、レースはもう終わったよー】

 

 ゴール板を過ぎた後にフランス語で偽情報を流したら、何頭かの馬が力を抜いて減速しようとしたものの、すぐに騎手が気付いて鞭を入れて立ち直った。

 くそっ、日本と違って対応が早いし、馬も従順で引っかからないか。

 直線が終わり、第一コーナーに入った。

 コーナーを走れば遠心力で左側にある程度膨らむから、少しは隙間が生まれるはずだ。

 注意深く左側を観察して、抜け出す機会を探る。

 予想通り左の馬が少し膨らんで隙間が大きくなった。

 ――――ちっ、行けると思ったが左後ろの奴が割り込んで隙間を塞いでしまった。

 ウマ娘と違って図体がでかい分、抜け出すのに苦労する。

 あるいは俺の体格がもっと大きかったら、力ずくで抉じ開けられるんだが。残念ながら並程度の体格と重さでは難しい。

 

「焦るなよアパオシャ。まだゴールは先だ。きっと、チャンスはある」

 

 分かってるよ。焦ればそれだけ呼吸が乱れてスタミナ消費が増える。落ち着いていこう。

 偽情報は不発。あまりやりたくないが色仕掛けで包囲を乱す事も考えたが、今日のレースは半数が牝馬だから効果も半減する。

 しかも牡馬の半分は牝っぽい臭いのする牡だ。去年のゴールドカップにも似たような奴等が居た。

 あいつら多分、不妊手術された猫や、肉を柔らかくするために去勢された牛や豚の類似品だな。

 日本のレースでは見かけなかったが、タマ無しじゃ色仕掛けも無駄だろう。

 となると今の限られた状況では、正攻法で抜け出す機会を見つけるしかない。

 幸い長距離は後半になればスタミナを消費して、動きが乱れる事が多くなる。

 さらにロンシャンレース場は、第二コーナー後に直線と外側コースの合流点で走るラインが一瞬、内ラチから外れる。その後には登坂と下りのコーナーもある。

 グッドウッドほどではないが、走るラインが乱れるタイミングの多いテクニカルなコースだ。

 俺はステイヤー(耐える者)だ。チャンスが来るまでじっくり待つよ。

 

 第一コーナーが終わり、第二コーナーへと入る。現在も俺は大体7番手ぐらいで囲まれている。

 そろそろ直線コースを塞ぐ仮柵も見えてきた。あそこで一時的にコースの内側から中央に寄せて、走るラインを修正しなければならない。

 和多も仕掛けるならそこだと気付いて、握る手綱に力が入る。

 

 第二コーナーを過ぎて、短い直線に入る。

 先行している3頭は徐々に内ラチ寄りから中央に進路を寄せて、外側コースへ入っている。

 俺を囲む馬達も騎手の手綱で左に動く。加えて泥濘に脚を取られて蹄が滑った。

 よしっ!隙間が大きくなった。

 ここで脚を早めて、大きく外に出られれば――――――

 

【痛てぇっ!!】

 

「なんだと!?」

 

 鼻先に鋭い痛みが走り、脚が乱れた。お前っ!ふざけるなよ!!

 左前に居た馬の騎手がどさくさで、俺の鼻を鞭で叩きやがった。

 痛みで思考が怒りに染まりかけたが、歯を食いしばって思い留まる。ここで怒りを爆発させても、レースに勝てないどころか連中の思うツボだ。

 冷静になれ。仕掛けるチャンスが一つ潰れただけで、まだレースは終わっていない。

 ――――ふぅ、一先ず落ち着いた。同時に鼻先から滴り落ちる液体の感触と鉄臭を不快に感じる。

 

「おまえ―――どうする?」

 

 鼻の流血に気付いた和多が問いかける。リタイアしても良いってか?

 アンタだってここまでやった連中に負けを認めて、情けない終わりなんて嫌だろうが。

 なら、やる事は一つだろう?勝つんだよ。

 俺の意志を肌で感じた相棒は、ただ一言「ああ」とだけ呟いた。

 覚悟を決めた和多に気を良くして、再び脚に力が入る。

 直線から後半の登坂へと突入して、スローペースがさらに落ちる。長丁場のレースに加えて、急な登坂で他の馬達も段々と疲れが見える。

 この登坂を登り切った後はコーナーがある。先行している馬達に追いつくには、この辺りで囲いを脱しないと手遅れになる。

 ここから先は一瞬たりとも周囲から目を離せないぞ。瞬きだってご法度だ。分かっているな相棒。

 前の馬が蹴り上げる泥が鼻の傷にへばり付いて、痛みが増すが今は無視だ。

 相棒の目の動きさえ伝わるような鋭敏な感覚と共に、顔の両サイドに付いた目を見開いて、僅かな隙すら見逃すつもりは無い。

 一歩進むごとに己の心臓の鼓動が大きく聞こえる。焦るな、勝機はまだ来ない。

 まだだ、まだまだ。

 高低差10mの登坂を走り切り、他の馬達から一息吐けた安堵を感じる。馬は気を抜いたが、まだ隙間は見当たらない。

 だが目の前には第三コーナーがすぐ控えている。

 溜まった疲労とカーブ、滑る泥で恐らく僅かな隙が生まれる。

 どっちだ。右でも左でも良いから、斜行しろ。

 

「―――――!!ここだっ!!」

 

 和多の言葉に刹那の遅れも無く反応して、脚のピッチを上げて真っすぐ突っ込んだ。

 疲労と右側に沿うコーナーで、左に居た馬の進路が膨らみ、一瞬だけ出来た包囲の隙間に突っ込み、無理矢理に加速した身体を捻じ込む。

 またしても鼻先に鞭が飛んだが、和多が鞭で払い除けてくれたので二度目は食らわずに済んだ。

 そこから外に逃げるように包囲を脱して、ようやく自由の味を噛み締めた。

 しかしレースが終わったわけじゃない。ゴールはまだ1000m以上先にある。ここからが本番だぞ。

 第三コーナーを大きく膨らみつつも、決して内ラチには近づくことなくコース中央を走る。

 距離的ロスは大きいが内ラチほど芝が荒れていないのと、自分から再び包囲に入る愚を絶対に犯さない。

 他の馬達も諦めたのか無理にこちらに近づこうとはせず、時折俺達の位置を確認しながらレースを進める。

 滑りやすい下り坂のコーナーを注意して駆け降りて、二度目のフォルスストレート(偽りの直線)に突入した。

 

 ここからさらに脚のピッチ回転を上げて加速して、七馬身ほど先を行く先団を追う。残りはあと800m程度。

 先団はペースが早いから末脚を利かせるスタミナに乏しい。こちらは今の今までセーブしていた。焦らず100mで一馬身を縮めるペースで走れば勝てる。

 焦らすように前の馬達との差を縮めて、前を走る騎手達の焦燥を誘発させる。

 後ろも徐々に加速を始めているが、この不良場では鋭い末脚は発揮出来まい。つまり仕掛けが遅いぞ。

 ジリジリ差を詰め、残りは最終直線500mだけ。

 観客の声援が上がるスタンド前を走りつつ、前後の馬の相対距離を把握する。

 おそらくこれなら低重心のスパートは必要無いだろうが、いつでも使えるように備えだけはしておく。

 残り400、300mとゴール板が近づくにつれて、前との差は縮まる。そして予想より早く、残り150m地点で先頭を奪った。

 あとは後ろからの差し脚を警戒しつつ、脚を緩めず、ただ真っすぐゴール板を駆け抜けた。

 

 勝ったと自覚して気が抜けたのか、途端に鼻の裂傷の痛みが強く襲って来た。

 

「ふう、今日は酷い泥のレースだったな。でも、よくやった」

 

【やっぱりアンタが乗ってくれて良かった】

 

 首筋を何度も叩く。いつもと違って全身が泥塗れだから、ベチャベチャする音が不快だな。

 こんな時は熱い風呂に入って、汚れを落として疲れを癒したいね。

 あと、ご褒美にまた肉抜きの青椒肉絲か回鍋肉を作ってもらいたいよ。

 

「あとで獣医に鼻の傷を診てもらうように言っておくよ。ついでに運営にも抗議してやる」

 

 おう、泣き寝入りなんて御免だから、そうしてくれ。

 まったく。包囲だけなら策の一つとして納得するが、わざわざ怪我まで負わせやがって。そのくせ負けているんだから、恥の上塗りだ。みっともない野郎め。

 それでも勝ったからフェブの奴に負けたのを煽られずに済む。気持ちよく日本に帰れるわけだ。

 次はどのレースかな。ジャパンカップか、有馬記念かなぁ。ステイヤーズステークスも走りたいけど、G1レースを11勝した後で、今更G2を走らせては貰えないか。

 それでも次のレースは楽しみだよ。

 

 

 

 

 

 

 ≪カドラン賞(G1)≫ ロンシャン競馬場  右回り・4000m  天候:晴  芝:不良  斤量58kg(牝56.5kg)

 

 

  2012年10月7日 第9競走  発走時間18:25

 

 

 

 着順          馬番   馬齢   着差

 

 

 1着 アパオシャ     2   牝5

 2着 モリーマーロン   9   牝4    1

 3着 ハイジンクス    7   牡4    2

 4着 カラーヴィジョン  6   騸4    1/2

 5着 サドラーズロック  4   牡4  1.1/2

 

 

 勝ちタイム   4分42秒70

 

 

 

 

 

 

  ≪太陽の女帝≫アパオシャが泥のG1カドラン賞を征する!

 

 

 

 10月7日の凱旋門賞ウィーク二日目第9レース、カドラン賞をG1十冠のアパオシャが勝利して、日本馬の最多G1勝利数を11に更新。

 始まりからアパオシャは苦境に立たされていた。スタート直後から多数の馬に包囲を受けた女帝は、不良馬場もあって思うように走れず苦戦を強いられる。

 なんとか囲いを脱しようとチャンスを窺うものの、女帝を警戒するヨーロッパの騎手達は決して隙を見せない。

 おまけにレース中盤には、別の騎手の鞭がアパオシャの鼻を打ち、出血を伴う裂傷を負ってしまう。

 それでも和多と女帝は決して焦らず、包囲を脱出するチャンスを待ち、第三コーナーで一瞬の隙を突いて外へと逃れた。

 あとは自慢の無尽蔵のスタミナを用いて、ペースを上げて外からジリジリと先団との差を縮めるだけで事足りた。

 最終直線で先頭に立ち、そのまま追い縋るモリーマーロン(牝4)を押し切る形で、ファンの声援の中、最初にゴール板を通過した。

 今年の英国ゴールドカップ優勝馬のカラーヴィジョンは四着、昨年春天皇賞にも出走した長距離G1二冠のジェントゥーは最下位に沈んだ。

 

 勝ち時計は4分42秒70。不良馬場のため、昨年より12秒遅いタイムだった。

 

 和多流次騎手はインタビューで「いつも以上に苦しいレースだった。包囲を受けたのは厳しいと感じつつ、気にしていない。しかし馬の鼻を鞭で叩くような行為は、騎手として恥以外の何物でもない」と怒りを露にする。

 調教師代理の中島遼太氏も「正式に主催者に抗議して、騎手に処分を下してもらいます。レース中の包囲も組織的な行動を疑っているので、そちらも調査してもらいます。そして苦しい中で勝ってくれたアパオシャを最大限褒めてやりたいです」

 

 怪我をしたアパオシャは治療を受けて安静にしている。幸い軽傷で、全治一週間との事。日本の関係者は胸を撫で下ろした。

 

 同競馬場の第6レース、G1凱旋門賞を征覇したオルフェーヴルと共に、日本馬が堂々と二つ目の勝利を飾り、最高の形で2012年の凱旋門賞ウィークエンドに幕を引いた。

 

 

 

 ≪競馬フリークWEB≫

 

 

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