オグリの娘 ~畜生ダービー~   作:ウヅキ

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第58話 非情な宣告

 

 

 そろそろ冬支度が始まる11月の終盤。

 日本の競馬界もいよいよ秋の一大イベント当日とあって、どこか浮足立っている。

 今日は東京レース場で、G1ジャパンカップが開催していた。

 日本の競走馬達が世界各国から名乗りを挙げた名馬と、全身全霊を以って競い合う日本最大級の競馬の祭典である。

 日本総大将に抜擢されたのは、昨年クラシック三冠馬にして凱旋門勝利馬≪金色の暴れん坊≫オルフェーヴル。

 副将を香港G1クイーンエリザベスカップを制したルーラーシップが務める。

 関東の美浦トレーニングセンターからも、数頭の馬が出走する。

 残念ながら中島厩舎所属の馬達はジャパンカップには出走しないが、昨日今日と続けて10頭近くの馬を東京競馬場のレースに出走させている。

 そのためジャパンカップ当日は調教師の中島大をはじめ、厩舎の職員の半数が東京に同行している。よって、人手不足もあって調教は休み。馬の世話をする厩務員が最低限居るだけだった。

 

 厩舎に所属しているアパオシャも、今日は調教は休みだったが扉は施錠しておらず外出は可能だった。無論、本来は馬が勝手に馬房から抜け出すのは大問題でも、度重なる地震で怯える美浦の馬達の慰撫という、厩舎を超えた仕事をするために脱走が黙認されている。

 その特権を悪用すれば何時如何なる時だろうと、アパオシャの脱走を咎められない。

 しかし、アパオシャ自身は地震があった時以外に、勝手に馬房を抜け出す事は無い。まして自由に外に出られるからと言って、勝手にコースに出て自主トレもしない。

 やろうと思えば好き勝手出来る立場にあっても、アパオシャは仕事以外で勝手に外には出ない。

 あくまで美浦トレセンの馬を宥めて面倒を見る『利』を提示しているからこそ、見逃されている違反行為と知っているから。

 人に飼われる畜生が囲いから勝手に抜け出すのは、働く者に多大な精神的負担になるのを美景牧場で知り、余程の理由が無ければ行うのは避けるべきと考えている。

 そして利己的な理由で特権を悪用する行為を、アパオシャは好まず望まない。

 よって退屈だろうと馬房から出ず、粛々とストレッチをしたり筋トレをしている。

 筋トレと言っても馬は人間やウマ娘と違って関節の可動域が狭いので、出来る事は限られているがやれることはある。

 以前調教師の大に、馬房の中で後ろ脚で立ち上がるのは禁止されているからやらない。

 代わりに前脚だけで立ち上がったり、立つまでもなく僅かに前脚を浮かせて、後ろ脚を曲げるスクワットに近い行為をして筋肉強化は行っている。

 出来れば背筋や首筋も鍛えたいが、馬の肉体的構造上どうしても狭い馬房では無理だと諦めている。

 筋トレが終われば寝る。起きたらまた筋トレ。間に食事を挟み、寝るか筋トレ。娯楽の少ない馬房では、それぐらいしかする事が無い。

 

 時間を潰してだらけていると、レースを終えた馬達が順々にトレセンに帰って来た。

 中島厩舎の疲れた馬達と、同行した厩務員や調教師の厳しい顔を見て、アパオシャはダメだったかと察した。

 お察しの通り、妹のヴィンティンは1勝クラスを最下位、妹分のアプリコットフィズはOP戦着外に沈んだ。他の馬達も掲示板入り出来なかった。

 それでもメインレースのジャパンカップはオルフェーヴルが圧勝して、開催国の面目を保った。

 アパオシャは馬達を叱咤しない。不甲斐無いとなじる事もしない。ただ、次に励むように諭すのみ。

 

 

 翌日からは、いつも通り調教が始まった。来月には何頭かが重賞にも出走する。まして厩舎どころか日本競馬史最高の馬のアパオシャが、現役最期のG1レース≪有馬記念≫を控えている。絶対に悔いを残したくない面々の気合の入り様は、他の厩舎から『鬼がいる』とまで言われるほどだった。

 

 

 何日も何日も調教は続き、いつしか12月も半ばを過ぎていた。

 毎日汗が雫として滴り落ちるほど心身を苛め抜いても、アパオシャは気にせず調教助手の遼太に従っていた。

 芝の練習コースでの調教が終わった、冬の夕暮れ時。程良い疲れに身を委ねた遼太がアパオシャを労う。

 

「今日もお疲れさん。いよいよ次の日曜日が有馬記念だ。最後を勝利で飾ろうか」

 

【そうだな。一年の締めを勝って、来年に気持ちよく繋げたい。年末年始はまた餅とか饅頭よろしく。今年はフルーツケーキでもいいぞ】

 

「お前とも結構長い付き合いになった。――――今まで怪我もせず、勝ち続けてくれて本当にありがとう」

 

 遼太は汗で濡れるのも構わずアパオシャの首に抱き着いて、回した手を荒く擦る。

 アパオシャは不審に思った。まるでこれはお別れを告げられたようだと。

 

【もしかして転職とかするのか?それか今の厩舎から独立して、自分の厩舎を持つのかよ】

 

 それは名残惜しく残念だ。しかし一緒に苦楽を共にした仲間が別の場所で頑張るのなら、門出を祝うのも仲間の責務と納得した。

 同時に次に遼太から聞かされた言葉に、アパオシャは自分の耳を疑った。

 

「次のレースでお前は引退だ。絶対に勝って有終の美を飾ってくれよ」

 

【おい、ちょっと待て!?何で俺が引退なんだっ!!】

 

「うわっ!?ちょっと、落ち着けアパオシャ!」

 

【煩いっ!!これが落ち着いていられるか!!俺はまだまだ走れるんだよ!】

 

 遼太は暴れるアパオシャから、力づくで引き剥がされてターフを転がった。

 仰向けになった遼太をアパオシャは怒りのまま見据える。彼女にとって寝耳の水の引退宣言は、それほど怒りを買っていた。

 アパオシャ自身は己の全盛期は今だと確信している。これからももっとレースを走り、あと一年は楽しんで勝つ事を望んでいた。

 これが衰えが見えて、負け続けての引退なら納得しよう。そういうウマ娘を前世で山のように見てきたし、最後は自分も衰えを感じて引退を決意した。

 だが、全盛期に引退しろなどと到底受け入れられるはずもない。

 

「いつつ……お前の引退はオーナーの決定だ。本当はもっと前に引退する話もあったんだが、もう少しお前の走る姿を見たいから、一年だけ期限を延ばしたんだ。だからもうこれ以上の延長は無理だ」

 

【うわああああああああっ!!!!】

 

 無慈悲な言葉にアパオシャは天に向かって絶叫した。近くに居た馬や調教師達はアパオシャの慟哭と激情に驚き、呆気に取られた。

 憤怒を抑えきれないアパオシャは反転してターフを駆ける。まるで自分はまだまだ走れる、引退などまっぴらだと言わんばかりに。

 

 異変を感じて駆け付けた他の厩舎の連中も、アパオシャを止めようとしたがスルスルとすり抜けて捕まらない。

 十人が壁を作れば内ラチを飛び越えて追っ手を躱し、馬に乗った助手達が挟み込んで止めようとすれば、一瞬減速して横にすり抜ける。

 時に反転して逆方向に逃げ、逃げられないと思えば職員達の頭上を容易く飛び越える。まるで馬術の専門馬のような動きに手が付けられなかった。

 結局その後も三時間近く走り続けて、夜中になってようやく疲れからアパオシャは止まり、練習コースに寝転がって不貞寝を決め込んだ。

 

 外に脱走こそしなかったが散々に騒がせたため、中島厩舎はトレセンから厳重注意を受けて、後日始末書を提出する羽目になった。

 これだけ騒ぎを起こしてその程度で済んだのは、コース内で収まったのと人や馬に負傷者が出なかったためだろう。

 

 翌日もアパオシャの機嫌は底辺を彷徨っていたものの、暴走行為はせず凄まじく不機嫌なまま調教を続けた。

 いつも構ってもらいたいヤンチャな妹のヴィンティンすら、この時ばかりは大人しかった。

 連絡を受けて、わざわざ美浦トレセンまで足を運んだオーナーの南丸も、自らアパオシャに頭を下げて何時間もかけて滾々と説き続けた。

 その甲斐あったのか、僅かに態度が軟化した。

 それでもアパオシャの機嫌がある程度元に戻ったのは有馬記念の二日前だった。

 その間、中島厩舎内は常にピリピリしていて、美浦トレセンの馬達も群れのリーダーに近づけず、遠巻きに見るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ≪永遠の女帝 ~アパオシャの足跡~ ≫

 

 

 

 

「アパオシャは誰よりも走るのが好きな馬でした。なのにいきなりレースを取り上げられたと知ったら、怒るのは仕方が無いと思いました。でもずっと現役ではいられません。誰かがいつかは告げなければならなかった」

 

「こういう時に人間並みに頭が良いのが仇になりました。普通の馬なら我々の言う事をそこまで理解出来ません」

 

「その後は大暴走です。あの時は止めるのに、それこそ数人重傷者を出す事を覚悟しましたね。それでも終わってみれば誰も怪我をしていない」

 

「十中八九アパオシャが怪我をさせたくなかったから暴力に訴えなかったんですよ。トレセンどころか練習用のコースからも出ていないのは、怒りはあってもちゃんと冷静さを失っていないから」

 

「激情を絶対に人や馬にぶつけない。人間だって難しいのに、あいつは常に荒ぶる感情を制御し続けた。まったく、本当に馬の神様ですよ」

 

「知性と闘争心は凄まじい。でも、あいつの本質は優しさなんだって思います。ずっと乗り続けた和多も、おかげでフランスで凍死せずに済んだのがその証拠です(笑声)」

 

「あいつのおかげでうちの厩舎は世界一になれたんですから、始末書の一回ぐらいは気にしませんよ。後日、手伝ってもらった他の厩舎の連中に詫びと酒を奢った方が懐には痛かったですが」

 

「その後は御存じの通り、何事も無く有馬記念に出走しました。年が明けて、引退式も済ませて、正式に繁殖に入って穏やかに過ごしていますね」

 

「当時ですか?―――――あの頃を思い返せば、まるで夢みたいな時間でした。あんな馬、二度と会えませんよ。中島厩舎は全員一生分の運を使い果たしたと思います」

 

「いや一生分の運でアパオシャの世話をしたのなら本望か。地獄でも自慢していい幸運です。ははは」

 

 

 

 

 

 調教師・中島遼太氏のインタビューから抜粋

 

 

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