オグリの娘 ~畜生ダービー~   作:ウヅキ

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第59話 すべての始まりにして終わりの地

 

 

 有馬記念とは、日本中央競馬の一年を締めくくる大レースである。

 昨年の新旧クラシック三冠馬対決にも見劣りしない期待感から、今年も各地の競馬場のターフビジョンでのリアルタイム放映や、混雑を予想して入場は前売り券のみ、当日入場券中止の処置が取られている。

 有馬記念を一年の最終目標にする馬の陣営も多く、スターホースが有馬記念を区切りとして、競走馬生活にピリオドを打つ引退レースに選ぶ事も珍しくない。

 これまでもたくさんの名馬が有馬記念で、数々のドラマを描いてきた。

 有名な馬ではトウカイテイオーだろう。皇帝シンボリルドルフの子として皐月賞、日本ダービーを鮮やかに勝ち、父シンボリルドルフにつづく無敗の三冠制覇は確実と思われたが、骨折のため長期休養を余儀なくされる。

 その後もG1ジャパンカップを勝つなど活躍を見せていたが、二度の骨折で引退まで囁かれるようになった。

 それでもトウカイテイオーはレースに出て、前回の有馬記念から実に一年ぶりに、翌年の有馬記念に出走した。

 1年ぶりの実戦でダービー馬ウイニングチケット、菊花賞馬ビワハヤヒデ、ジャパンカップを勝ったレガシーワールドといった強豪相手では、如何にG1三冠の名馬といえど苦しいと見られた。

 しかしその予想を覆し、トウカイテイオーは有馬記念に勝利した。二十年近く経った、今でも語り継がれる名レースである。

 

 こうしたドラマが生まれる有馬記念をラストランに定めて、有終の美を飾ろうとした馬は数多い。

 近年では≪スターホース≫オグリキャップ、≪漆黒の帝王≫シンボリクリスエス、≪日本最強≫ディープインパクトなどの名馬が偉業を成している。

 

 とはいえ実際は敗北して引退するケースの方が圧倒的に多かった。昨年のブエナビスタやヴィクトワールピサがそうした名馬の例だろう。

 過去には≪世紀末覇王≫とまで呼ばれた、G1七冠のテイエムオペラオーも5歳の有馬記念を最後のレースに定めていた。

 テイエムオペラオーもまた、3歳の新鋭マンハッタンカフェに敗れて、失意のまま引退した。

 中には有馬記念勝利以降も現役続行する予定でも、故障を理由に結果的に引退レースとなったダイワスカーレットは稀な例である。

 そうした名馬達が数々のドラマを作り夢を終わらせた、印象的かつ競馬史において特別な意味を持つ大レースを引退レースに定めた馬が今年も数多く出走する。

 菊花賞馬オウケンブルースリ、宝塚記念馬アーネストリー、香港クイーンエリザベスカップ馬ルーラーシップ。

 そしてクラシック三冠、フランス凱旋門賞等、数多くのG1レースを勝利したアパオシャも陣営が引退を表明した。

 ファン投票二年連続1位に選ばれた≪女帝≫は、父オグリキャップに倣い有終の美を求める。

 なお今年の凱旋門賞馬オルフェーヴルは僅差で投票2位になったものの、ジャパンカップを優先して有馬記念を回避した。

 1位と2位は共に20万票を超えて、3位ルーラーシップ以下を大きく引き離している。

 

 引退を表明した古馬達が最後の栄誉を得ようとする一方で、台頭する新鋭もまた虎視眈々と勝利を狙っていた。

 今回ただ一頭の3歳世代、クラシック二冠馬ゴールドシップ陣営も古馬を相手に三冠目を目論む。

 

 

 

 

 2012年12月23日  有馬記念(G1)  中山競馬場 右回り・芝2500m 

 

 

 

 馬番  馬名       性齢 主な勝ち鞍と戦績  ()内は年度

 

 

 1番 ローズキングダム  牡5 G1朝日杯F(09) G1ジャパンカップ(10) 

 

 2番 エイシンフラッシュ 牡5 G1天皇賞・秋(12)

 

 3番 アパオシャ     牝5 G1十二冠

 

 4番 アーネストリー   牡7 G1宝塚記念(11)

 

 5番 ネヴァブション   牡9 G2日経賞(07)、アメリカンJC(09、10)

 

 6番 オーシャンブルー  牡4 G2金鯱賞(12)

 

 7番 ダイワファルコン  牡5 G3福島記念(12)

 

 8番 トレイルブレイザー 牡5 G2アルゼンチン共和国杯(11)、京都記念(12)

 

 9番 ルーラーシップ   牡5 G1クイーンエリザベスC(12)

 

 10番 ダークシャドウ   牡5 G3エプソムC(11) G2毎日王冠(11)

 

 11番 トゥザグローリー  牡5 G2京都記念、日経賞(11)、日経新春杯(12)

 

 12番 オウケンブルースリ 牡7 G1菊花賞(08)

 

 13番 ゴールドシップ   牡3 G1皐月賞、菊花賞(12)

 

 14番 ビートブラック   牡5 OP大阪ーハンブルクC(11)

 

 15番 ナカヤマナイト   牡4 G3共同通信杯(11) G2オールカマー(12)

 

 16番 ルルーシュ     牡4 G2アルゼンチン共和国杯(12)

 

 

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 当日券は無くとも15万人分の前売りの入場券が売れているため、中山競馬場は朝から大混雑している。

 往年の競馬ファンは贔屓の馬や騎手の名の書かれた横断幕や幟を手に。

 競馬に興味を持って日の浅い子連れの家族も笑顔で。

 大地震により親しい人々を失い、今もなお辛い日々を送る人達もいる。

 競馬場に集まった人の来歴はそれぞれ違う。しかし誰もが馬が命を賭けて全力で走るのを見たい、それがこの場に集った全員の共通の想いだった。

 

 昼過ぎともなると飲食店は行列ばかりで、店員は戦争もかくやとばかりの対応に追われている。

 意外かもしれないが競馬場というのは飲食が充実している。それこそ下手なショッピングモールよりも美味しい料理を提供してくれる店もある。

 チェーン店のラーメンから本格的なイタリアンや寿司が食べられる店舗、串焼きやドーナツをテイクアウトする軽食屋も充実している。

 酒類も置いてあるため、大人から子供まで幅広い要望に応えられる。

 競馬場内でグルメグランプリを開催するほど力を入れているため、中には馬を見に来るのではなく、料理を食べに全国各地の競馬場を訪れるB級グルメファンも居るほどだ。

 

 そうした一般入場者を相手にする戦争状態の飲食店とは別に、馬主席専用のレストランは―――中山競馬場で最も忙しい日ではあるが―――比較的平穏なまま業務を続けている。

 レストランの一つのテーブルで、三人の男達が食後のコーヒーを楽しむ。

 二人は既に80歳前後の老人、もう一人は彼等より若く50歳を過ぎた中年。

 若い男はアパオシャの馬主の南丸浩二、老人の一人はかつて≪神馬≫シンザンの厩務員を務めた長尾謙一郎。さらにもう一人は―――

 

「あと数時間ですか。こうしていると1990年のこの日を思い出します」

 

「かつて貴方が所有していた、オグリキャップ号の引退レースだった日ですね御栗さん」

 

 長尾の言葉に、御栗と呼ばれた老人が頷いた。

 老人の名は御栗幸一。かつて日本一有名な≪スターホース≫オグリキャップを所有していた男である。

 今日は南丸が二人を関係者として同行を求めた。

 

「私もあの時のレースは覚えています。そしてアパオシャもこれが最後のレースと思うと悲しくなります」

 

 勝っても負けても今日のレースがアパオシャにとってラストラン。

 生まれて初めて買った馬が走り勝つ姿を、もう二度と見られないと思うと夜も眠れないほどに辛い。

 たとえ自らが決断した事でも、心の底ではまだまだ見続けていたかった心残りがある。

 

「馬主はみな同じ思いをします。いえ、馬主だけではない。調教師や厩務員、ファンもみな同じです。沢山の馬に関わる者がそれぞれ引退を惜しみ悲しむ。私もシンザンが引退した時は寂しかった」

 

 厩務員、調教師、馬主と、役割を替え続けても生涯馬に関わり続ける老人の言葉を、南丸は重く受け止める。

 

「これでオグリキャップの産駒は全て現役を引退。南丸さんにはこの数年、良い夢を見せていただきました。最後の最後でキャップの子供の素晴らしい姿を見られて本当に良かった」

 

「何を仰います、それは私の言葉ですよ御栗さん。オグリキャップが―――いえシンザンもですが、二頭が居なければアパオシャも存在していないんです」

 

「キャップを狭い笠松に留め置くつもりだった、あの頃の私自身を今でも恥じていますよ」

 

 御栗は自嘲気味に、コーヒーで満たされたカップを見つめる。

 アパオシャの父オグリキャップは、最初は地方の笠松競馬場の馬だった。そこで連戦連勝を挙げ、中央競馬への進出を周りから勧められた。

 しかし御栗の意向はあくまでも笠松競馬での活躍であり、当初は中央競馬に進出する事も頑なに断っていた。

 それでもある馬主から『このまま笠松のオグリキャップで終わらせていいのか』『馬のためを思うなら中央競馬へ入れて走らせるべき』という言葉に最後は折れて、中央競馬の馬主資格を持つ知り合いにオグリキャップを譲った。

 それから先は秋の天皇賞でタマモクロスに負けるまで、中央の名馬を圧倒して連戦連勝の快進撃。決して井の中の蛙ではない『本物の怪物』という評価を得た。

 あの時、意固地になって周りの意見に耳を貸さず、最後まで一地方競馬場に留まっていたら、オグリキャップは日本の人々の記憶に残り続ける『夢』には絶対になれなかった。

 まして、二十数年前の有馬記念を走る事も無く、とうに血と名は忘れられていた。

 

 当然娘のアパオシャだって存在すらしていない。南丸もオグリキャップに魅せられずに競馬に興味を示さず、三人がテーブルを囲む事も無かった。

 騎手や馬主の中には、オグリキャップの走る姿を見て、馬に関わる人生を歩んだと公言している者も多い。

 全てとは言わないが、今の日本競馬の数割はオグリキャップが形作ったと言って良かった。

 だからこそ南丸は日本ダービーの時から、時々御栗を自分の関係者としてレースに招き、栄光を共に見続けた。その中には凱旋門賞もあった。

 そして母系の祖のシンザンの関係者だった長尾とも縁が出来て、今日こうして『夢の終着点』を一緒に見届けてもらうように頼んだ。

 無論、長尾達だけでなく、母父ミホシンザンの関係者、アパオシャの生まれ故郷の美景牧場の家族ほぼ全員も、関係者として見届けるために来ている。

 

 一頭の馬が現役を引退する。ただその瞬間を見るためだけに、何十人の関係者と、その何百倍ものファンが集まった。

 全て、オグリキャップやシンザンのような過去の馬達が居なければ今この瞬間は無かった。

 南丸は御栗にそう諭して、決して己を卑下しないで欲しいと頼む。

 

「そう言っていただけると救われます。冥土の土産が増えました」

 

 冗談めかして言うが、御年80歳を超えた老人が言うと洒落では済まない。南丸は返答に困った。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 吾輩は競走馬である。―――――――――ただ、レースを走る一個の生命である。

 速さを競い、強さを証明する。ただ、そのために人に飼われて生かされている。

 背に人を乗せて、最初にゴール板を駆け抜ければ拍手喝采。時には騎手と共に名前のコールも起きる。

 その後は大抵果物や美味しい料理が振舞われるから、それなりに頑張ろうとやる気が湧く。

 改めて思えば自由意思の無い、反吐が出るような境遇だよ。

 

 パドックから地下通路を通ってダートコースに出れば、ざっと十万は超える観客から声援が贈られた。

 

「―――いよいよだな。思えばお前と最初にレースを走ったのも中山競馬場だった。あれから、もう3年も経ったのか」

 

【昔話をすると老けるぞ和多。今はレースにだけ集中しろ】

 

 抗議を込めた軽い嘶きで和多は「すまん」と短く謝る。

 ………ここまでずっとアンタと一緒に走れて楽しかった。

 忌々しい身の上でも、レースの時だけは俺は何物にも縛られずに自由でいられた。それもアンタが俺を自由に走らせてくれたおかげだ。

 ありがとう相棒。アンタ以上に良い騎手を俺は知らない。

 

 ダートを横切って芝のコースに出る。今日はそこから走らず、ゆっくり一歩一歩、乾いたターフを踏みしめながら歩く。

 いつもは牡馬達が俺を気にして走る事が多いが、今日だけはどの馬もまともに近づく事すらせず、そそくさとゲートに向かう。畜生だけに言葉でなく肌で『気』を感じ取っているんだろう。

 ―――前言撤回。一頭だけ空気を読まずに傍に来る大柄の馬が居た。ゼッケンにはゴールドシップと記されている。

 

【ようよう、きれいなねーちゃん!きょうはオレとたのしいことしようぜ!】

 

【…………】

 

【おいおい、だんまりとはひどいぜ!あっ、オレのかっこよさにほれたな?】

 

 そうか、ここでの貴女はそういう性格かゴールドシップ。

 年上だった人が年下になっているのは妙な気分だ。

 

【――――お前は強いのか?】

 

【へへっ、きになる~?オレはいちばんつよいぜ!】

 

【ほう、面白い事を言う。なら、今日のレースはお前が一番目立つわけだ】

 

【あったりめぇよ!ここにいるやつらなんてあいてにならねえって】

 

【それは俺も含めてか?】

 

【まーね】

 

 自信満々に放言する。今年一番の馬を決める有馬記念に出るからには、大口を叩くだけの資格はあるだろう。けどなあ、寝言をほざくにはまだ早いぞクソガキ。

 

【ならば魅せろ新鋭――――主役を気取りたいのなら、俺に勝ってみせろ】

 

【――――へぇ】

 

 一瞬で俺から感じ取ったモノで、おちゃらけた顔から精悍な顔つきに切り替わる。頭は口ほど緩くないらしい。

 

【最強が誰なのか、俺が教えてやるから掛かって来い】

 

【いいぜぇ!やっぱりアンタすっげーきれいだっ!オレがかったら、ぜったいにこづくりしてもらうぜ!】

 

 ヒヨッ子はスキップしながらターフを走る。―――――ちっ、これだから畜生は。

 

「嬉しそうだなアパオシャ。あのゴールドシップの事を気に入ったのか?」

 

【愚にもつかない事言うなよ。―――クソガキが負けて悔しがる顔が見たいだけだ】

 

 ――――あの≪六冠ウマ娘≫ゴールドシップと魂が同じなら、最期の相手として不足は無い。そう思っただけだよ。

 

 一番最後に外周コース向こう正面の途中に設置したゲート前に着き、他の馬達が歩いているのを遠目から見ながら佇む。

 作業員が輪の内に入れようとしても、拒否してその場でただ、時が過ぎ去るまで待ち続けた。

 ファンファーレが聞こえたのを合図に動き、ゲートに入る。

 全ての人間、馬達よ。今日この日を決して忘れるな。俺という馬が居た事を記憶し続けろ。

 我が名はアパオシャ。オグリキャップの子にして、世界最強の馬なり。

 

【いざ尋常に………勝負しようかぁッ!!】

 

 

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