オグリの娘 ~畜生ダービー~   作:ウヅキ

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 wiki風のアパオシャの総評です。競走成績、繁殖成績、血統のイラストを掲載しました。



データ集
Wikipedia風のアパオシャ


 

 

 アパオシャ(欧字名:Apaošha、2007年3月)は日本の競走馬、繁殖牝馬。名前の由来はペルシャ神話に登場する黒馬の姿をした旱魃の悪神(悪魔)アパオシャから。

 史上初のクラシック三冠牝馬である。≪魔性の牝馬≫≪神馬の再来≫≪太陽の女帝≫など数多くの異名を持ち、国内外G1通算13勝を挙げた。

 2010年、2011年、2012年JRA賞年度代表馬。3年連続の年度代表馬選出は史上初。2014年に顕彰馬に選出。

 2011年には日本調教馬として初めてKG6&QES及び凱旋門賞を勝利。同年、日本馬として初めて欧州年度代表馬を受賞した。

 母系の曽祖父≪神馬≫シンザンの「ナタの切れ味」と形容される走りになぞらえて、力強い走りは「マサカリの切れ味」と呼ばれた。

 

 

 登録日2009年5月5日――抹消日2012年12月28日

 品種  サラブレッド

 性別  牝

 毛色  青鹿毛

 父   オグリキャップ

 母   ウミノマチ

 母父  ミホシンザン

 生国  日本(北海道帯広)

 生産者 美景牧場

 馬主   南丸浩二

 調教師  中島大

 調教助手 中島遼太

 厩務員  松井秀行

 

 

  ≪競争成績≫

 

  タイトル

 

 JRA賞年度代表馬 (2010年・2011年・2012年)

 最優秀3歳牝馬   (2010年)

 最優秀4歳以上牝馬 (2011年・2012年)

 カルティエ賞欧州年度代表馬 (2011年)

 カルティエ賞欧州最優秀古馬 (2011年)

 顕彰馬(2014年選出)

 

 

  生涯成績 20戦19勝

 

 (中央競馬) 15戦14勝

 (イギリス) 3戦3勝

 (フランス) 2戦2勝

 

 

  獲得賞金 18億9380万円(日本円換算)

 

 (中央競馬) 14億1500万円

 (イギリス) 928790ポンド

 (フランス) 2457020ユーロ

 

 WBRR L131/2011年

 

 

  勝ち鞍

 

 G1  皐月賞      2010年

 G1  東京優駿     2010年

 G1  菊花賞      2010年

 G1  天皇賞・春   2011・2012年

 G1  ゴールドカップ  2011年

 G1  KG6&QES     2011年

 G1  凱旋門賞     2011年

 G1  有馬記念    2011・2012年

 G1  コロネーションC 2012年

 G1  カドラン賞    2012年

 G1  エリザベス女王杯 2012年

 G2  報知杯弥生賞   2010年

 G2  阪神大賞典    2011年

 G2  日経賞      2012年

 Jpn3  ラジオNIKKEI杯  2009年

 

 

  ≪来歴≫

 

  誕生~幼駒時代

 

 2007年3月に北海道帯広の美景牧場で、父オグリキャップのラストクロップ(最終産駒)の二頭の内の一頭として誕生。母はミホシンザン産駒、中央未勝利馬ウミノマチ。3番目の産駒だった。

 先天性無毛症を抱えて、鬣や尾毛を全く持たない特異な外見で生まれたが、生涯一度も疾病を患った事が無いと言われるほど健康体だった。

 美景牧場での幼名は「黒子」。肌が墨で塗ったように黒かったのが由来。

 当歳から知能面で突出したエピソードが多く、生まれて半年程度の頃に放牧地の扉の閂を内側から口を使って引き抜いて脱走した事がある。その時、わざわざ抜いた閂を戻して扉を閉めた行為に知能の高さが窺える。

 自立心が高く、離乳時に母馬と引き離されても声一つ上げずに平然としていた。群れるのが嫌いかと思えば、他の輓馬の幼駒とはそれなりに仲が良かったため、美景秋隆社長は首を傾げる事が多かった。

 

 順調に育った2008年の4月。オグリキャップのラストクロップの一頭が居ると聞きつけて訪れた南丸浩二氏(世界一ソフト代表取締役社長)が一目で惚れ込み、その場で購入。取引金額は400万円だった。

 

 同年の夏には馴致のために日高町の育成牧場に送られて、翌年4月まで競走馬としての訓練を受けた。育成スタッフからは大人しく頑健で手が掛からない、気弱な馬達の群れのリーダーを務めて、よく面倒を見る優しい馬と思われていた。一方で、調教時の鞍上には一定水準の技量を求める気難しい性格も持ち合わせていた評価もある。

 

 育成牧場の訓練を終えて、美浦トレーニングセンターの中島厩舎に入厩。担当は中島遼太調教助手、松井秀行厩務員。両者からはそれなりに期待されていて、調教初期から桁外れの心肺能力と高い登坂能力を発揮して周囲を驚かせた。一部からは「今からでも古馬に混じってステイヤーズステークスに勝てる」と言わしめるほどだった。

 デビュー戦の鞍上には和多流次騎手を起用。デビュー前から度々騎乗して、引退式まで長く付き合う。

 

 

  2歳(2009年)

 

 デビュー戦は9月27日の中山競馬場の芝1800m。人気は11頭中8番人気単勝50倍。父オグリキャップの産駒成績と未勝利馬の母とあって、評価はかなり低かった。しかし低人気などお構いなしとばかりにレース中盤の向こう正面からスパートを掛けて、残り100mで先頭に立ちそのままゴール。鞍上の和多は鞭を一度も叩かなかった。スタンドからは新馬戦とは思えない規模の歓声が上がる。

 11月7日の東京競馬場の百日草特別(500万以下)、芝1800mの2戦目が行われる。今回は初戦の勝利から牡馬6頭を押し除けて、7頭中1番人気に推された。ここでも和多は残り1000m、第3コーナー付近からロングスパートをかけて「捲る」走りで一馬身半の押し切り勝利。

 続く第3戦は年末の阪神競馬場。初の重賞Jpn3芝2000m、ラジオNIKKEI杯。ここから同世代の強豪牡馬との本格的な対決が始まる。スタートから苦しいレースが始まった。アパオシャをマークするのは猛裕騎乗のヴィクトワールピサ。徹底マークにより馬群に押し込められたが、隙を突いて外に脱出。やはり第3コーナーからスパートをかけて、最後はアタマ差で押し切って勝つ。オグリキャップにとって初の重賞産駒となった。3戦3勝無敗。最高の形で2歳を終えた。

 

 

  3歳(2010年)

 

 ラジオNIKKEI杯の後は1ヵ月の放牧を挟み、調教を再開。3歳の初戦はクラシック三冠皐月賞のトライアルレースG2報知杯弥生賞。牝馬三冠初戦の桜花賞トライアルでもない混合戦の重賞への出走には、他陣営も困惑していた。レース当日3月7日の中山競馬場は雨の降る重馬場。雨で重い芝を掻き分け、向こう正面からの力強いスパートで後方から徐々に差を詰める。最終直線で先頭に立ち、そのまま有力牡馬達を寄せ付けない半馬身差でゴール。弥生賞創設以来、第47回目で初の牝馬勝利となる。

 

 クラシック三冠への挑戦

 

 4月になり、中島調教師から衝撃的事実が知らされる。アパオシャはクラシック登録をしていた牝馬G1桜花賞、オークスには出走せず、牡牝混合の皐月賞、日本ダービー、菊花賞への出走を表明。これまでの混合重賞レースでも牡馬を寄せ付けない強さを見せつけていたものの、最初からクラシック登録していた菊花賞を除いて、挑戦には賛否両論を巻き起こした。

 中島調教師は「美浦トレセンで他の厩舎の同期牝馬と併せ馬をしたが、スピードに劣るアパオシャがマイルでアパパネに勝てる自信が無かった。皐月賞と日本ダービーへの出走は去年末から考えて、オーナーに許可を貰った。せっかくアパオシャの父のオグリキャップが残してくれた追加登録制度があるんだから、有効利用したかった」と後の回顧録で記している。

 

 皐月賞

 

 4月18日、通常の数倍の登録料を支払って追加登録をした皐月賞(芝2000m)に出走。弥生賞の勝利もあり、牝馬ながらヴィクトワールピサ、ローズキングダムに次いで3番人気に推される。

 これまでの後方待機からの押し切り戦法から、スタートから先頭を取る方針転換にスタンドからは困惑と落胆の声が上がる。しかしそのまま先頭を譲らず、逃げ切り勝ち。半馬身差をつけて、1948年のヒデヒカリから62年ぶりに牝馬が皐月賞を制した。

 地方競馬出身ゆえクラシック登録をせず、クラシック三冠レースを走れなかった父オグリキャップの代わりに、娘が三冠の一つを手に入れた。

 騎手を務めた和多は、テイエムオペラオーの2001年天皇賞・春以来の9年ぶりのG1勝利に涙を流した。

 

 東京優駿

 

 17万人の観客が集う、5月30日の東京競馬場。クラシック2戦目の日本ダービーはパドック周回からトラブルが続いた。エイシンフラッシュは興奮して発情する。ゲート前の輪乗りではローズキングダムとルーラーシップが立ち上がる。ヴィクトワールピサも興奮して他の馬に吠えかかる等、多くの馬が冷静さを欠いた。

 スタート直後にゲート内で立ち上がったハンソデバンドとトゥザグローリー、ローズキングダムとヒルノダムールは外側に斜行。

 18番の最外枠を割り当てられたアパオシャは皐月賞勝利を評価されて2番人気。序盤は後方で様子を窺い、中盤の向こう正面から徐々にペースを上げていく。第4コーナーから先頭に立ったアパオシャが後方集団と直線で競り合い、父オグリキャップに似た首を下げる低重心の走法を見せつけて勝利。クラシック二冠目を戴いた。

 騎手和多は初の東京優駿勝利でダービージョッキーとなる。中島大も調教師になって初の(騎手時代には2度勝利)東京優駿勝利に涙を流したという。クラシック追加登録制度導入後、制度を用いて東京優駿を勝利したのはアパオシャが初。

 しかしレース後、興奮した約半数の牡馬が騎手の制御を振り切って、勝利した牝馬のアパオシャに交尾を迫って暴走。競馬場は騒然となった。後日、暴走した馬は平地調教再審査の制裁を受ける前代未聞の処分になった。

 

 夏場―――父の死

 

 東京優駿以降の夏場は関東圏の牧場に放牧したが牧場への不法侵入が相次ぎ、生産牧場の美景牧場での休養に変更した。

 休養中の7月3日、事故により予後不良と判断されたオグリキャップが安楽死処置を受ける。産駒アパオシャにも父の死は伝わり、どこか元気が無かったと美景牧場の関係者は当時を語る。7月29日、新冠町のレ・コード館町民ホールでオグリキャップの「お別れ会」が執り行われた。当日にアパオシャも駆けつけ、亡き父の遺影に花を捧げる。さらに父の写真を見上げ、瞳から涙を流すアパオシャの姿は参加者を大いに驚かせた。

 

 最後の冠――菊花賞

 

 放牧を終えて9月に美浦トレセンに戻り、調整を受ける。秋はステップレースを経ずに、直接菊花賞に乗り込む。

 小雨の降る10月24日の京都競馬場。詰めかけた15万人の大観衆の目当ては無敗のままクラシック二冠を戴くアパオシャ。単勝オッズは1.3倍の圧倒的1番人気。鞍上の和多が「調整は完璧」と太鼓判を押すほどの仕上がりを見せていた。

 レースはかなりのスローペースで推移する。アパオシャは最後尾で待機。動いたのは向こう正面に入ってから。大外からスパートをかけて、淀の坂を物ともせず一気に順位を上げる。そのまま四番手の好位置を維持したままコーナーを回って、最終直線は父オグリキャップを彷彿とさせる低姿勢で再加速。追い縋る川田騎手のビッグウィークを突き放し、先行する三頭を苦も無く置き去りにして、64年ぶりの牝馬による歴史的勝利を手にした。

 日本の競馬史上7頭目のクラシック三冠馬、無敗のまま達成はシンボリルドルフ、ディープインパクトに続き三頭目。牝馬によるクラシック三冠達成は史上初。先日アパパネが牝馬三冠を達成したのと合わせて、同年に二頭の三冠馬が生まれたのも史上初。父オグリキャップ、母ウミノマチ、母父ミホシンザンは全て内国産馬。これは三冠馬の中では、牡牝合わせてアパオシャただ一頭。近代日本競馬の歴史そのものの結晶とすら言って良い、特筆すべき項目である。

 

 有馬記念

 

 三冠達成後はそのまま中島厩舎で調教を続けた。次の目標は年末の総決算、12月26日の有馬記念。ファン投票は五冠馬ブエナビスタに一歩譲り2位だったものの、馬券人気は1番単勝オッズ2.3倍だった。レース前半は後方に陣取り、第三コーナーから外に抜け出して追い上げる。直線で先団のヴィクトワールピサと並び同期の壮絶な競り合い、後方からブエナビスタが驚異的な末脚で迫り、三頭並んでのゴール。決着は写真判定に持ち越された。

 検量室前で待機する一同。判定には6分を要して、勝利はハナ差でヴィクトワールピサに齎された。アパオシャは2着、ブエナビスタもハナ差3着だった。デビューから8戦、初の敗北にはアパオシャも落ち込み、和多騎手に慰められる。

 当年成績は5戦4勝2着1回。牝馬ながら無敗のクラシック三冠を達成した好成績から、JRA賞年度代表馬および最優秀3歳牝馬に選出された。なお同期で牝馬三冠を達成したアパパネはJRA賞特別賞を受賞した。

 

 

  4歳(2011年)

 

 3月20日、明け4歳の初戦は第59回阪神大賞典を選択。牝馬ながら56kgと牡馬並みの斤量だったが1番人気単勝2.3倍に推される。前半は後方待機、動いたのは残り1300mの向こう正面。一気に加速して順位を上げた後、最終直線で先頭を奪取。そのままジリジリと差を広げて、二着のナムラクレセントに一馬身半差のゴール。最後はかなり余裕を残しての勝利だった。牝馬の阪神大賞典勝利は創設以来初。

 阪神大賞典勝利の数日後、陣営から海外遠征プランが発表された。遠征第1戦は6月16日、イギリスロイヤルアスコット3日目のG1ゴールドカップ(芝約4000m)。2戦目は同国アスコット競馬場7月23日開催のKG6&QES。さらにフランスに渡り、10月の凱旋門賞挑戦という長期遠征計画だった。鞍上は引き続き和多流次騎手が務める。

 5月1日の天皇賞・春は外枠15番での発走。1番人気単勝オッズは2.2倍だった。スタート直後から先頭に立ちレースを牽引する。途中、何度か先頭を奪われるもペース自体は落ちずに常にハイペースなままレースは続く。最終コーナー手前、残り600mで再度アパオシャが先頭を奪い返して、そのまま逃げ切った。1953年のレダ以来、58年ぶりに牝馬が天皇賞・春を勝利。和多は3度目の優勝を飾った。

 

 海外遠征――英国

 

 5月25日、アパオシャはロイヤルアスコット・セントジェームズパレスSに出走する3歳牡のグランプリボスと共に成田国際空港から出発。英国ロンドン・ヒースロー空港に到着して、現地の厩舎に入厩した。空輸による不調は無く、調教も順調に進み、陣営は確かな感触を得られた。

 6月16日は生憎の雨。芝は稍重の発表。アパオシャは海外初挑戦の牝馬とあって14頭立ての9番人気。日本の最長平地レース3600mよりもさらに長い、約4000mのレースはゆったりとしたスタートで始まり、アパオシャの鞍上の和多氏は最後尾から展開を窺う。和多騎手が仕掛けたのは第二コーナーを過ぎて後半に入ってから。登坂でグングン加速して最終コーナーまでに先頭を奪取。そのまま最終直線を先頭で走り続けて、後続に二馬身差をつけて最初にゴール板を駆けた。第201回目ゴールドカップを日本馬が初勝利。牝馬の勝利は、1991年のインディアンクイーンから20年ぶり。英国G1レース制覇は2000年のジュライカップを制したアグネスワールド以来、十一年空いて二頭目となる。

 7月23日は前日の雨でアスコット競馬場の芝は稍重。KG6&QESは6頭立ての少数レースだったが3歳牡のナサニエルを除いて、5頭がG1勝利馬とハイレベルなレースが予想された。1番人気には昨年の英国ダービーと凱旋門賞を勝利したワークフォースが推される。アパオシャは前走の評価から2番人気だった。スタートからアパオシャが先頭に立ってレースを引っ張る。荒れた内側を避けてやや外側を走り、稍重の洋芝とは思えないほどハイペースで進んでいく。途中、デビュッシーが不調で脚が止まり、最終直線でリワイルディングは転倒するアクシデントはあったもののアパオシャが逃げ切り、二つ目のイギリスG1勝利を飾った。

 7月末日。入厩していた厩舎に当代英国女王が訪れて、アパオシャに面会している。その折、自ら女王に背に乗るように催促して、女王はつかの間の乗馬を楽しんだ。

 

 フランス――凱旋門賞

 

 KG6&QES勝利後も1ヵ月イギリスに留まり、9月になってからフランスに移動。同様に凱旋門賞に出走する日本馬と合流する。

 10月02日、ロンシャン競馬場は連日晴天に恵まれて稀に見る良馬場。17頭立ての中には日本のナカヤマフェスタ、ヒルノダムール。ほぼ全頭がG1勝利馬の、例年でも特にレベルの高い年となった。横一線のスタートからアパオシャが一気に加速して先頭に立てば、後続を置き去りにする大幅なリードを作る。テストステロン、シルヴァーポンド、トレジャービーチが後を追う。レースは中盤になっても全体のペースは衰えない。超高速展開のままアパオシャは先頭争いを続けて、フォルスストレートに入った時には他3頭はスタミナが枯渇して脱落していた。そのまま独走状態は続き、デインドリームを二馬身引き離したまま優勝。前年までのレコードを0.5秒近く更新した2分24秒05を記録。日本競馬界の悲願を達成した。本レースのレーティングは131ポンド。今年度の世界第3位である。

 日本馬4頭は三日後に成田国際空港に着き、帰国した。

 アパオシャは家畜の検疫規定により、3ヵ月間の着地検査が義務付けられたため、秋のG1レースへの参加は制限があったものの、帰国後に直接中山競馬場の厩舎に入厩して着地検査を受ける事で有馬記念への出走は可能になった。

 隔離期間中に欧州G13勝が評価されて、当年カルティエ賞欧州年度代表馬、最優秀古馬を受賞した。日本馬が同賞を受賞するのは史上初めてである。

 

 二度目の有馬記念

 

 12月25日、6年ぶりのクリスマス・グランプリとなった有馬記念に8個目の冠を求めて出走した。海外G1レース3連勝の快挙からファン投票は2位以下を大きく引き離した30万票超を獲得。1989年に約197000票を集めたオグリキャップの、昨年までの歴代最高投票数を大幅に更新した。それでも1番人気単勝2.5倍だったのは、今年度クラシック三冠馬のオルフェーヴルの存在が大きい。それに加えて同期のライバル、ドバイワールドカップ王者のヴィクトワールピサの参戦、六冠牝馬ブエナビスタ等、G1馬総数8頭の本レースはどの馬が勝ってもおかしくはなかった。場内の混乱が予想されたため、JRAは当日入場券の購入を休止して前売り券15万人分のみを販売する入場規制を設けた。当日規制を知らずに来た入場者にも配慮して、場外に特設ビジョンを複数用意する対策も取られた。

 レースはスローペースで始まった。アパオシャとオルフェーヴルが後方に居るため騎手は意識して馬をゆっくり走らせた。スタンド正面から和多の操るアパオシャが一気に仕掛けて展開が動き、最後尾のオルフェーヴルが掛かってアパオシャと先頭争いを始めた。向こう正面で先頭に立ったオルフェーヴルが勝ったと勘違いして競馬を止めようとして、外ラチギリギリの所まで逸走し始める。離脱するオルフェーヴルを余所に、先頭に立ったアパオシャが残り800メートル第3コーナー前からロングスパートをかけていく。そのまま最終コーナーを回り、ヴィクトワールピサ、エイシンフラッシュら強豪牡馬を従えてスタンド正面、二度目の登坂を疾走する。もはや勝ちは揺るがないと思った瞬間、レースを見る全ての者が唖然とした。終わったと思われたオルフェーヴルがいつの間にか大外から猛追。アタマ差まで追い詰めたがアパオシャがギリギリで押し切り、年末最後の大接戦は幕を閉じた。

 国際G1競走8勝目となり、中でも芝G1競走8勝はこれまでの最多記録7勝のシンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクト、ウオッカを上回り、日本競馬史上最多勝利記録を更新した。

 当年成績6戦6勝(G1は5勝)。年間G15勝はテイエムオペラオーの年間最多記録に並ぶ。海外G13戦は全て日本馬初勝利かつ、凱旋門賞初優勝の高評価から満票での最優秀4歳以上牝馬と二年連続JRA年度代表馬に選出された。年度代表馬の満票選出はテンポイント(1977年)、シンボリルドルフ(1985年)、テイエムオペラオー(2000年)に続く、史上4頭目の事例。牝馬の二年連続年度代表馬選出はウオッカに続いて2頭目。牡馬を含めても史上7頭目である。

 

 

  5歳(2012年)

 

 明けて1月の初旬。中山競馬場での着地検査期間を終えて、昨年5月から約7ヵ月ぶりに美浦トレーニングセンターに帰厩した。

 5歳初戦は3月24日のG2日経賞(芝2500m)。同期のオークス馬サンテミリオンも出走する重馬場の15頭立て。レースの序盤は9番ネコパンチが大逃げを敢行。アパオシャは安易には動かず、前半は後方10番手で様子を窺う。後半に入ってから動き出し、温存した脚を使った超ロングスパートで着実に順位を上げていく。最後は大きく先行していたネコパンチを捉えて重馬場の中山を制した。1番人気単勝1.0倍での重賞勝利は2005年菊花賞のディープインパクト以来。

 次のレースは天皇賞・春。迎えた4月29日、1番人気単勝3.1倍に推されたアパオシャと、阪神大賞典を勝利して2番人気単勝3.8倍のオルフェーヴルのマッチレースが予想された。レースはゴールデンハインドとビートブラックが後続を大きく引き離してハイペースを作る。アパオシャは後方から始める。一度目の第4コーナーでウインバリアシオンとポジション争いに負けて最後尾まで追いやられるが慌てず立て直して、向こう正面からの超ロングスパートで着実に先頭との差を縮める。最終直線に入る頃には4番手まで順位を上げ、オルフェーヴルを抜き去って先頭のビートブラックも豪脚で差し切り、昨年同様に最初にゴール板を駆けた。2006年にディープインパクトが記録したレコードを更新。牝馬による天皇賞の連覇は史上初。

 

 二度目の海外遠征

 

 天皇賞連覇から約10日後の5月10日。アパオシャは二度目のイギリス遠征のために成田国際空港に出発。無事にロンドンヒースロー空港に到着して、その日のうちに現地の厩舎に入厩した。同月15日にはG1コロネーションカップに向けて調教を開始した。

 6月2日、アパオシャが日本調教馬として初めて競馬の聖地エプソムダウンズ競馬場を走る。全10頭の内、半数の5頭がG1馬の厳しいレースとなると思われたが、スタート直後に大幅リードを取って先頭を走るアパオシャには関係無かった。スタート直後から1200m続く高低差40m近い坂を登り続けるため、最初はどの馬もゆっくり走るのがエプソム競馬場の定石。それを無視した無謀な展開に他の馬はペースを乱される。数頭がアパオシャに追従して、中間点の頂上付近では先頭集団と後方集団の差は10馬身を超えていた。先頭のアパオシャは下り坂の最終コーナー、通称『タッテナムコーナー』に突入。前半登坂はペースを押さえていた後続集団が一気に加速して距離を詰めて来る。逃げるアパオシャは残り300mで再加速して、最後の100mからの登坂で追い縋る後続を僅かに引き離してゴール。昨年王者セントニコラスアビーを半馬身差で下してG1は10勝。日本馬のG1連勝記録を7勝に更新した。

 コロネーションカップを終えて一度帰国をしたアパオシャは、夏を調整に専念して秋のフランス遠征に備える。

 8月初旬にはJRAの要請で、福島競馬場で開催した『復興応援フェスタ』に現役競走馬ながら参加。ふれあいホースの一頭としてイベントを盛り上げた。

 8月25日、凱旋門賞に挑戦するオルフェーヴル、アヴェンティーノと共に日本を出発。現地の厩舎で調整に入る。10月7日、いよいよ二度目のフランスG1カドラン賞(4000m10頭立て)を走る。昨日の雨は上がったものの、二日間のレースで馬場はかなり荒れて不良馬場判定を受けていた。スタート直後からアパオシャは周りの馬に前後左右を囲まれて動きを封じられた。さらにレース中盤の向こう正面、他の騎手の鞭がアパオシャの鼻を直撃して出血した。和多はこの時点でレース中止を考えたがアパオシャ自身が闘志を失っていないと判断、レースを続行した。ともかく包囲から抜け出す事を第一に考えて一瞬の隙を探り始める。第3コーナーで一瞬膨らんだ囲いの隙間に身体を捻じ込んで外側に脱出。後はペースを上げて着実に前へ行き、残り150mから先頭に立ってゴールを駆け抜けた。和多はインタビューで「苦しい戦いだった。包囲は気にしていないが鞭で馬の鼻を叩くのは恥」と怒りを露にする。陣営は抗議して、怪我を負わせた騎手は2週間の騎乗停止処分を受けた。アパオシャの鼻は全治1週間の軽傷だった。

 

 牝馬の三冠対決とラストラン

 

 帰国後は着地検査期間を経て、G1エリザベス女王杯への出走を表明。この競走には当年に牝馬三冠を達成したジェンティルドンナも出走を表明しており、史上初の牝馬の三冠馬対決が実現した。

 副題に『エリザベス女王即位60年記念』を冠した、16頭の麗しい牝馬達の祭典、エリザベス女王杯。アパオシャにとっては初の牝馬限定レース、そして少々短い2200m。しかし当日は朝から雨の重馬場。ヨーロッパの不良馬場すら苦にしない、牡馬顔負けのパワーを誇るアパオシャなら不利は無いと見て1番人気単勝1.3倍に推されてた。

 11月11日、レースは序盤、互いにけん制し合うライバル達に関わらず最後尾に陣取った。中盤、向こう正面に入ってからアパオシャはペースを上げて、他の馬がゆっくり坂を登るのを気にせず外から抜いていく。残り800mでエリンコートが先頭に立つ勢いを見せて、アパオシャは2番手で最終直線に入った。先に力尽きたエリンコートに代わりアパオシャが先頭を走る。後ろからはジェンティルドンナ、ヴィルシーナ、レインボーダリア、ピクシープリンセスが追い上げる。徐々に差を縮められても先頭を譲らず、三冠の牝馬対決はアタマ差でアパオシャに軍配が上がる。今回の勝利でG1勝利数は12となる。

 次の有馬記念をラストランに定めたアパオシャ陣営。ファン投票で1位に選出され出走、鞍上はデビューからずっと乗り続けた和多が最後まで務める。今回の有馬記念はG1馬が7頭と、三冠馬対決のあった去年に比べて少々見劣りすると言われているが、クイーンエリザベスC優勝馬のルーラーシップ、今年度クラシック二冠馬のゴールドシップが出走しているため、入場者の減少は無かった。昨年に引き続き、異例の入場者制限と各競馬場でのターフビジョンによる同レースの中継が行われた。

 12月23日天皇誕生日。レースはルーラーシップが大きく出遅れて、ゴールドシップも後方スタート。ルルーシュ、アーネストリー、ビートブラックの3頭が引っ張る。アパオシャは11番手の後方から様子を見る。1000メートル通過地点でのタイムはほぼ60秒、第2コーナーを回って、残り1300メートル付近で中団のアパオシャが動く。第三コーナーに入った頃には2番手まで順位を上げるハイペース。残り200m、エイシンフラッシュ、オーシャンブルー、ゴールドシップが末脚を響かせるが既にアパオシャは遥か前を行き、誰も追いつく事が出来ずに孤高のままラストランを終えた。2着ゴールドシップとは8馬身差の圧勝。これ以上無い有終の美を飾っての引退レースだった。二年間無敗、国際G113勝。

 

 当年成績6戦6勝(G1は5勝)、海外G12戦ともに日本馬初優勝、年間無敗で、二年連続最優秀4歳牝馬、史上初の三年連続JRA年度代表馬を受賞したが去年と異なり満票での選出ではなかった。宝塚記念、凱旋門賞、ジャパンカップを制したオルフェーヴル。三冠牝馬のジェンティルドンナに票が流れたためである。

 

 2012年12月28日、アパオシャのJRA競走馬登録を抹消。2013年の1月26日(土)、最終競走終了後の東京競馬場に10万人が集まる中で引退式が執り行われた。2011年英国ゴールドカップの馬着を着用して、誘導馬2頭にはそれぞれ2011年凱旋門賞、2012年天皇賞の馬着を着せた。関係者一同はアパオシャと共に涙を流した。

 前年選出されたエルコンドルパサーに続き、2014年に顕彰馬に選出された。

 

 通算成績20戦19勝2着1回。デビューから連対(2着以内)し続ける『生涯連対』を達成。母系の曾祖父シンザンの19戦15勝2着4回を更新する新記録を達成。シンザン引退後の競馬界のスローガン『シンザンを超えろ』を曾孫が達成した。

 連勝記録は12連勝(海外含む重賞)。これはクリフジ他の持つ11連勝、タイキシャトルとテイエムオペラオーの持つ重賞8連勝の記録を更新した。

 最多重賞は父オグリキャップ他の12勝を大きく更新して17勝。最多連対重賞はスピードシンボリの17勝を更新して18勝。最多G1競走13勝は日本史上最多記録。

 通算成績の20戦19勝2着1回G113勝はアメリカ合衆国競走馬ゼニヤッタと全く同じ成績。引退後はアメリカのホースマンから『日本のゼニヤッタ』『芝のゼニヤッタ』とも言われるようになった。

 生涯総獲得賞金は日本円で18億9380万円。(中央競馬)14億1500万円、(イギリス)928790ポンド、(フランス)2457020ユーロ。

 

 

  ≪競走成績≫

 

 

 

 

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  繁殖牝馬時代

 

 引退式を終えた2013年に故郷の美景牧場に戻り、繁殖牝馬として過ごす。所有権はオーナーの南丸氏と美景牧場の共同所有と言われている。種付けの権利を南丸氏が保有している以外の詳細は非公開。初年度の交配相手はイギリスG110勝を挙げたフランケルだった。イギリスに渡り、受胎した後、日本に戻って翌年2014年3月に初仔の牡馬を出産。父母合わせて23冠産駒は世界的に有名になった。それ以降も毎年交配相手の仔を産み、繁殖牝馬を引退した2024年まで11頭を出産。産駒はキタサンブラックの22年産駒を除いて、競りには出さずに全て馬主の南丸氏が所有した。22年産駒はプロ野球選手の的場一郎選手の強い願いから譲渡されたとある。

 全頭中央で勝ち上がり、中央重賞馬は7頭(うち4頭がG1勝利馬)。全て中島大調教師と、定年後に厩舎を引き継いた息子の遼太調教師が管理を任された。

 産駒の傾向は長距離に秀でて頑強、穏やかな気性と良好な操作性を持つ産駒が多い。14年、16年、20年、22年、23年産駒が種牡馬入りして、各種牡馬繋養牧場に売却された。牝馬は全て美景牧場に繁殖牝馬入りを果たしている。

 2024年4月、ストラディバリウスとの産駒を最後に繁殖牝馬を引退。以降も生まれた美景牧場で功労馬生活を送る。同牧場内でリードホース(幼駒の保育士役)を8年間務めて、晩年は穏やかな日々の中で過ごした。2037年、老衰により30歳で死亡。

 

 

  ≪繁殖成績≫

 

 

 

 

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  ≪特徴≫

 

 身体面

 

 先天性無毛症を抱えて産毛程度しか生えていなかったが極めて健康的で、生涯怪我や病気にかかったことが無いと言われるほど頑強な肉体を持っていた。疲労回復能力も非常に高く、全身を酷使するG1レースに出走しても早ければ三日、遅くても一週間で疲労が抜けて調教が出来たと言われる。競走馬の登録を抹消して繁殖に備えて精密検査をしても、どこにも異常が見つからなかったと美浦トレーニングセンターの獣医師の記録が残っている。

 現役時の出走体重は455~465kg。平均的な牝馬の体格だったが骨格と筋肉がガッシリしていた。脚も並のサラブレッドより太く登坂能力に優れていた反面、脚が短かったため大きなストライドが取れずトップスピードに劣る面があった。それを補うようにピッチ回転の早い走法で加速性に優れていた。加えて短い脚を逆手にとった小刻みのステップでコーナーを無駄なく走る『コーナー巧者』でもある。主戦騎手を務めた和多騎手が初めて騎乗した時に「普通のサラブレッドが速さ重視のレーシングカーなら、アパオシャはオフロード用のラリー車のような力強さがあった」と後に述べている。力強い走法は他の馬が苦戦するような道悪状態でも大きな悪影響を受けず、より荒れた馬場の方が相対的に強さが目立った。軽芝に慣れた日本馬に比べて重いヨーロッパの芝に適応しやすい性質が海外G15勝を上げる要因だったと思われる。

 もう一つ大きな身体的特徴に心肺機能の桁外れの高さがある。中島厩舎(美浦)に入厩して間もない頃から片道1200mの坂路調教を繰り返していた。通常の馬なら3回往復すれば疲れてしまうが、アパオシャは7往復しても余裕を見せていた。4歳時には毎日最大20往復した後でプール調教も行う、非常識なスタミナの持ち主だった。

 これらのスタミナと登坂能力のおかげで起伏の激しいヨーロッパのG1レースを勝ち抜けたと、中島遼太調教師は自著の中で記した。

 

 精神面

 

「まるで人間のように考えて振る舞う馬だった。それだけでなく、他の馬の長所を見極めて自分に取り込む上手さがあった」と中島大調教師は語る。松井厩務員も「人間の言葉を理解して従い、行動を逐一観察しつつ、模範する知性と器用さがあった」と周囲に頻繁に語っていた。馬房の扉の鍵を内側から自力で開けるほど、器用で賢かったとも言われている。

 新馬戦から引退まで鞍上を務めた和多騎手も、レースの距離さえ教えれば騎手が何もしなくても自分でレースをプランニングして勝つ知性、仕掛け時を間違えないスタミナの管理能力が傑出していたと分析する。事実、和多騎手がアパオシャに対して鞭を使ったのは20戦中、たったの2度である。(注)そのうちNIKKEI杯はマークしていた他の騎手へのブラフに用いただけ。

 さらに極めて強い闘争心も有しており、周囲から勝つことを求められていたのを理解して、自身もレースに勝つことへの喜びを持っていたと言われている。唯一負けた2010年の有馬記念では、自らのミスで負けた(レース中盤まで集中出来ずにいた)事には周囲に申し訳なさそうな態度だったと、松井厩務員が後年に語った。主戦の和多騎手も「勝つ事が義務と捉えるほどプロフェッショナル精神が高い。変幻自在の脚質も気分ではなく、その場で最適解のレース展開をアパオシャ自身が選んでいるだけです」と度々言及している。

 この闘争心と勝利への渇望を上手くコントロールしつつ、最終的な勝利まで冷静に走り続ける知性と精神性こそが世界最強馬の強さの源泉なのだろう。

 

 一方で性格は極めて温厚で、優しく面倒見のいい性格をしている。多少不機嫌な時もあるが人間や馬に当たり散らす事は一度もなかった。馬にもよく頼られて、厩舎の馬のリーダーを務めていた。4歳の3月に東日本大震災が起きて、その後も余震がたびたび起きた時は厩舎の垣根を越えて昼夜を問わず、怯える馬達を宥めて励ます姿が美浦トレセンでの日常風景になっていた。そうした献身的な行動から馬からの絶大な信頼を勝ち取り、中島厩舎だけでなく美浦トレセン全体のボスに押し上げられた。

 暴力や威圧ではなく、慈愛と献身によって2千頭の美浦トレセンの馬を束ねる過去に例の無いボスであるが、時に従わない若馬には走力を見せる事で相手の性根をへし折るような厳格さも持ち合わせていた。硬軟合わせたクレバーさも、この馬の魅力なのだろう。

 

 人気

 

 夏冬のグランプリ競走のファン投票では、対象になった3歳の夏冬は4歳のブエナビスタに次ぐ得票数2位だった。4歳夏から引退する5歳冬までは常にファン得票数1位を保持し続けた。また凱旋門賞を勝利した4歳の有馬記念の投票は、1990年に父オグリキャップが集めた約19万7700票を大きく上回る30万票超の新記録。未だこの得票数の記録は更新されていない。

【スターホース】オグリキャップのラストクロップ(最終年産駒)ということもあり初期は往年の競馬ファンから人気を得ていたが、牝馬ながらクラシック三冠に参戦した時期から急激に女性人気が高まったと、当時の競馬場を取材した記者は語る。上世代の7冠牝馬ウオッカや6冠牝馬ブエナビスタの人気も後押ししていたのではないかと分析する批評家もいる。遠征地のイギリスでも、多くの牡馬を相手に超長距離のG1ゴールドカップを勝利するパワフルな走りから、女性からの人気が高い。競馬好きで有名な当時の英国女王もアパオシャに大きな関心を寄せており、わざわざプライベートの時間を作って会いに行くほどお気に入りだった。

 東日本大震災被災地の東北地方には、アパオシャを模した馬の像を祀る神社が幾つかある。これは馬主の南丸氏が4歳時のレース獲得賞金のうち、経費と所得税を除いた馬主の取り分を全て被災地に寄付する旨を公表したためである。加えてイギリス女王とイギリス国民からも復興義援金として約60億円が被災地に送られている。この義援金もアパオシャの活躍に心を動かされた人々からの慈善行為と、イギリス政府が公的に発言している。後の日英外交に少なくない影響を与えたと言われ、父オグリキャップが日本経済に影響を与えた馬なら、アパオシャはヨーロッパとの外交に影響を及ぼした馬と言われている。

 2016年の家畜伝染病予防法の改正は、2011年の海外遠征後の輸入検疫と着地検査の隔離期間の長さが一つの契機と言われている。2011年以前にも日本から海外遠征した競走馬への、帰国後の着地検査期間が現在の国際基準よりも長い事が問題視されていた。アパオシャが長期の海外遠征から帰国して、三ヶ月間の隔離生活でレース出走に制限があった事で関係各所から意見書が提出され、本格的に法改正に向けての議論が進んだ。5年後の2016年に『国際交流競走出走馬の家畜衛生条件』所謂『60日ルール』が緩和延長されて、日本馬の海外遠征が活発化した。

 アパオシャの人気と活躍から二体の銅像が日本の競馬場に設置されている。1体目は父オグリキャップがデビューした岐阜県笠松競馬場に、同馬の銅像が父と隣り合う形で競馬場の入り口に設置されている。もう1体は引退後に、デビューと引退レースの場となった中山競馬場のパドックと正門の間、名馬ハイセイコー像の近くに設置された。

 

 

 血統

 

 

 

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 血統的背景

 

 父オグリキャップから続く、現在では希少になったネイティヴダンサーの直系血統。中央未勝利馬の母ウミノマチはスタミナに秀でたボワルセル系。どちらも現在の主流血統から外れた枯れた血統と見做されている。ゆえに血統研究者の多くはアパオシャが何故これほど強いのか答えが出せない。一部の研究者にはネイティヴダンサー系の種牡馬は「一発当たる」系譜であり「オグリキャップという金鉱脈を掘り当てたダンシングキャップ」と同様に、オグリキャップもまた最後の最後で「アパオシャという最大のダイヤモンド鉱脈を掘り当てた馬」と見る者もいる。

 むしろ母ウミノマチこそ「ダイヤモンド鉱脈」だったと考える研究者もいる。ウミノマチの産駒は全部で7頭。うち、競走馬登録をしていない初仔のウミノマチ04を除いて、6頭が勝ち上がっている。しかもアパオシャ以外に2010年産ヴィンティンもG1勝利馬、他3頭も重賞勝利馬の優れた繁殖牝馬の評価に値する。

 母系の父を辿れば昭和の名馬シンザン、母系の母にはフランスの名牝ダリアが見つかる。

 

 

 





 ここまでは比較的真面目なまとめです。あとは人物紹介と馬紹介の後にネタにまみれた解説話でも作ろうかと思います。
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