オグリの娘 ~畜生ダービー~   作:ウヅキ

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 多くの感想を送っていただき、ありがとうございます。数が多いのでこの場でお礼を申し上げます。
 感想内で反響の多かった産駒はかなり盛った成績にしたのでリアリティが無いと思いつつ、創作だから良いやと思って開き直りました。
 それとディープインパクトと交配していないのは、出来るだけサンデーサイレンスの血統を避けて非主流血統の種牡馬が一頭でも増える事を種付けアドバイザーの社大グループが望んだからです。同期連中やマンハッタンカフェと種付けしていないのはそれが理由です。エイシンフラッシュだけは非SS血統ですが単純に巡り合わせが悪かった。
 それでも初年度からフランケル産駒の大型種牡馬が誕生したのは予想外の成果でしょうが。日本競馬界はお祭り騒ぎだったと思います。



人物録

 

 

 【人間編】 「」内はアパオシャへの一言

 

 

 美景秋隆

 北海道帯広にある小さな牛牧場を営む老人。本来の生業は乳牛から乳を搾って業者に卸す酪農家。馬産業は第二次競馬ブーム前後から、儲かると知って地元ばんえい競馬場に使う輓馬を生産した程度の副業だった。2004年に知り合いの牧場で脚を骨折して肉になる寸前の繁殖牝馬ウミノマチを捨て値で買い取って、治療を施して自分の牧場で繋養した。2006年にウミノマチの3番目の仔(美景牧場にとっては2頭目)に、今年で種牡馬を引退するオグリキャップの種を付けた。選んだ理由は単に最終年で種付け料が10万円と、ほぼ捨て値に近かったから。値段で選んだだけで血統自体はどうでも良かったらしい。そんな適当に産ませたウミノマチ07が、あれよあれよという間に世界最強馬になった事で寿命が10年縮まったと亡くなる数ヵ月前に語った。なお享年は90歳である。

 アパオシャが4歳の時に海外遠征の話が持ち上がり、それを機に長男の春彦に社長業を譲って後は野菜作りと家畜の世話に専念する。孫娘のナツが婿を貰った年になっても馬とひ孫の世話だけはマメにしている元気な老人として老後を楽しんだ。

 儲かるから馬産に手を出したというが金にがめつい面は皆無。隣家の的場家が銀行に融資を頼んだ時は保証人になったり、的場家が倒産の危機に陥った時はアパオシャがレースで稼いだ金と第4仔アウトシルバーを売った金で借金を立て替えた。その後もウミノマチの仔が高値で売れても無理な投資はせず、全て経営を譲った息子に判断を委ねた。

 

「お前のことは福の神だと思ってるべ。しかし感謝はしとるが馬の癖に舌が肥えすぎとりゃせんか?」

 

 

 美景春彦

 美景秋隆の長男で、のちの美景牧場の社長。いかつい見た目で多少ぶっきらぼうなところもあるが、根は素朴で善良な酪農家。父親から社長業を継いだ後は、金回りが良くなっても新事業開拓や無理な投資はせずに、これまで通り自ら牛馬の世話をしつつ、徐々に規模を大きくする程度に留まっている。

 アパオシャが世界を股にかけて活躍し続けているおかげ(せい)で何かと苦労をする羽目になった人。生産牧場代表として日本各地の競馬場どころかイギリス、フランス、果てはアパオシャの産駒があちこちに遠征するから、日常会話程度でも話せるように英語を再勉強する羽目になったが、本場イギリスやアメリカの牧場を見学させてもらえて色々と楽しいと感じている。

 それでも北海道によくいる零細牛農家が英国王室と接点があり、毎度世界中から来る客の相手をしていたら愚痴の一つも言いたくなる。それを助けているのが一人娘の婿に来た義理の息子なのがイマイチ面白くない。

 

「孝行娘に振り回された人生だったがそれなりに楽しかった」

 

 

 美景ナツ

 美景牧場の跡取り娘。勉強より家畜の世話が好き。もっと言うと家業の牛より馬の方が好き。アパオシャのことは生まれた時から変な馬だと思っていたが相応に可愛がっていた。元々馬に魅せられた少女だったが自分の家から出た馬が中央競馬のG1レースを勝った瞬間を見て、生涯馬から離れられないと完全に脳を焼き尽くされた。本来は厩務員のような厩舎の職員になりたかったが跡取りが自分しかいないから無理だと思いつつ経営が上向く実家を見て、自分の代になったら馬産を拡大出来ると気付いて前向きに考えられるようになった。高校は馬術部に所属してそれなりの成績を残した。高校卒業後は地元農業大学に進学して家畜研究を専攻した。

 大学卒業後は高校時代の同級生で恋人だった青年と結婚して、共に家で仕事を学びつつ日々忙しく働いている。

 

「大好きだけど、家族から私より頭が良いと言われるのだけは腹が立ったっしょ」

 

 

 南丸浩二

 20代のころにオグリキャップが走る姿を見て奮起した、当時よく居た男性。その後、テレビゲーム開発会社≪世界一ソフト≫を設立して、無我夢中で働き続けて会社を大きくした。経営に余裕が出来た頃、取引先の重役から馬主コミュニティは便利と勧められて馬主資格を取り、オグリキャップのラストクロップ、ウミノマチ07を即決で購入した。一番最初に買った馬が世界最強になり本業のゲームソフトも売れに売れて、世間からは一目置かれる人物と見なされている。しかし馬を見る目は無いと自認している。のちにアパオシャをモデルにしたゲームキャラの『オシャちゃん』が会社の2代目マスコットキャラに正式決定した。

 アパオシャの仔が活躍して、その孫達の数が増えて管理し切れなくなった頃から、競走馬の管理会社を設立した。地元岐阜県の笠松競馬場で、毎月幾つか協賛競走(命名権を購入したレース)も開催している。

 基本的にアパオシャの産駒は自ら所有して、牝馬なら引退後も全て所有し続ける。種牡馬の需要が無い成績不振の産駒にも再就職先は用意していた。

 英国王室や中東王族からアパオシャの産駒の購買を打診されたが決して売らず、現役引退後に牡馬は全て種牡馬として放出する、さらに機会があればイギリスとドバイ遠征を行う事を確約して、産駒を手元で走らせた。

 

「言うべき言葉は無限にある。しかしただ一言だけ言わせてほしい。ありがとう」

 

 

 中島大

 美浦トレーニングセンター所属、中島厩舎を経営する調教師。元騎手であり現役時は『サクラ』冠の一流馬に乗り、日本ダービーをはじめとした数多くのG1レースを勝ち抜いた一流騎手である。調教師としてもマンハッタンカフェ等G1馬を育てた仕事人。かつては最強の馬は主戦を務めたサクラロータリーと公言していたが、凱旋門賞勝利後は中堅程度だった厩舎を世界一に押し上げたアパオシャを最高の馬と言って憚らない。

 息子たちが厩舎で働いているが、自分が定年になったら厩舎を畳まないといけない事を危惧して、調教助手の次男遼太に無理にでも調教師免許を取らせて厩舎を引き継がせた。自分を信じて最高の馬達を預けてくれた南丸達馬主への誠意だった

 

「自分の乗った馬ではない、強敵オグリキャップの娘でも断言しよう。お前が最強だ」

 

 

 中島遼太

 美浦トレーニングセンター所属、中島厩舎の調教助手。アパオシャの調教を担当していた。当初からアパオシャの突出した資質には気づいていたが、近年のスピード偏重の日本競馬に対応出来るか不安視していた。いざデビューしてみれば、そんな小さな不安を吹き飛ばす担当馬の強さに驚きしかなかった。

 馬が大好きで経営者の調教師になるつもりはなかったが上司兼父親の大に頭を下げられて、已む無く調教師免許を取得して2018年に厩舎経営を引き継いだ。調教師になってからは現場を懐かしみながら、毎年入厩するアパオシャの産駒を管理して、押しも押されぬ美浦トレセン一の厩舎経営に毎日頭を悩ませている。

 

「引退間際にお前が怒った気持ちがよく分かる。誰だってずっと好きな事をしていたいよ」

 

 

 松井秀行

 美浦トレーニングセンター、中島厩舎所属の若手厩務員。アパオシャの日々の世話を担当していた。明らかに普通の馬と違うアパオシャをどう扱うか悩んだものの、むしろ手間がかからないのにレースに勝ちまくってボーナスでウハウハだった。しかしアパオシャ用の料理を定期的に作るために料理の腕を上げなければならなくなって、プロの料理人に教えを乞うなど、時々自分の仕事は本当に厩務員なのか自問自答する日々も多かった。

 アパオシャが引退後も毎年産駒が入厩するので、毎日楽しく世話をしつつお手製料理を食べさせている。のちに馬用の料理本を出版する謎行動に出たが、アパオシャのネームバリューでそこそこ売れた。

 

「お前の子供達にお前の若い頃の話をしたり、料理を食べさせてるよ。今も元気にしているみたいで良かった」

 

 

 和多流次

 元石本厩舎所属の栗東トレセンの騎手。かつて20数歳で≪覇王≫テイエムオペラオーの背に乗り7つの冠を戴き、栄光と歓喜、挫折と苦悩を味わった騎手。ある種の運命的な出会いでアパオシャのデビュー戦を任されて、引退するまで彼女の背を任された。日本競馬史の中でも最高クラスのテイエムオペラオーを若輩で任された嫉妬や、後のG1レースを勝てない日々から能力を疑問視されていたが、幾つか重賞を勝ち続けているので決して能力に劣るわけではない。中小馬主の弱小馬でも選り好みせずに依頼を受けて乗る姿勢と、そんな馬でも度々掲示板に入着させる手腕の評価は高い。

 自ら考えてレースプランニングをするアパオシャをどう扱うか迷った末に、一切邪魔をせず好きに走らせる事を選んだ。そうなると全く鞭を使わないため、観客からは乗ってるだけのリュックサックと揶揄されて良い評価はされなかったが、決して邪魔をしない騎乗姿勢に徹した。ただ、いつでも不測の事態に備えて気を配る事を忘れず、おかげでアパオシャは勝ちを拾うレースが幾つかあった。さしずめハンドルを握らずペダルも踏まない、しかしドライバーが困った時には助手席から指示を出すナビゲーターだろう。

 最強の女帝と共に走り続けた後、彼女の引退後は成績不振を危惧されたものの、かつての相棒2頭の妹ヴィンティンの主戦騎手を務め、見事G1を2勝して杞憂とした。その後もアパオシャの産駒の数頭を任されて重賞を勝ち、トップではないが一流騎手の評価を確かなものにした。

 海外のG1を勝利した折、鞭を用いない特異な操縦術を見た現地騎手やメディアから『マジシャン』と畏怖された。

 50歳手前に騎手を引退して、以降は競馬に関する記事を書くライターの仕事をしている。騎手時代を綴った『王達の見る景色』は競馬書籍としては異例のベストセラーになった。

 騎手以外の仕事で引退馬達に会いに行くことがあり、かつてオペラオーのライバルと言われたメイショウドトウから凄く嫌われて苦笑いする。

 

「お前の背の上に乗って一緒に戦ったことは生涯の誇りだ。また会いに行くよ」

 

 

 騎手の方々の評価

 

猛裕「あの馬に乗っていたら、もう少し早くスランプから脱出できたかもしれない。和多君がうらやましい」

 

福水「うちの親父みたいな馬だった。それにセオリーを無視しているように見えて、彼女自身にはちゃんとしたルールがあったんじゃないかな」

 

富士田、蝦那「良い馬なのは保証するが、予測不能な動きが怖すぎて乗りたくない。こちらが命じれば従ってくれても、いずれ喧嘩になっただろう。お互い関わらない方が良い」

 

柴畑「他の馬に比べて遥かに頑丈。だから乗り続けたら基準がおかしくなって、他の馬に乗ったら無理をさせすぎて故障させてしまうのが怖い。あれは和多君専用だよ」

 

デニーロ「アパオシャって面白い馬だね。当時、僕が日本の騎手免許持ってたら和多君に代わってたくさんレースに出たかった」

 

池園「オルフェを御せる唯一の馬。彼らの子供に乗って世界のレースを走った僕は日本一幸せな騎手です」

 

その他レースで走った騎手達「憧れはある。だがそれ以上に強すぎてどう走っても勝てなかったから、正直当時は憎かった」

 

皇帝の元騎手「認めたくはないが精神の成熟性と長距離ならルドルフに勝る馬だよ。オグリキャップは最後の最後に良い後継者を授かった」

 

 

 JRA関係者

 アパオシャを起爆剤に、各馬達のエピソードや血統を背景にした物語を発信していくことで、競馬をよりドラマ性のあるスポーツに据えて第三次競馬ブームを定着させた。

 ブーム発端の国際競馬に通用する実力を見せつけた個性溢れる2007年産世代、歴代最強でありながら稀代の癖馬オルフェーヴルとスプリンター王ロードカナロアを擁する2008年産世代、2007年生まれに匹敵する実力とタレント性を備えた歴代最強クラスの2009年産世代と、立て続けにブームを維持し続けられた幸運に支えられた。

 いつか競馬が野球に並ぶ、日本のトップスポーツになる日も近いかもしれない。

 

「神様、仏様、アパオシャ様、そろそろ第四次ブームをお願いします」

 

 

 馬産関係者

 なぜこの血統でこれほど強いのか誰も分からずノイローゼになる者が続出した。同時に今となっては極めて希少な非サンデーサイレンス、非ノーザンダンサー血統の内国産馬が何故牡馬として生まれてこなかったのか競馬の神を呪った。お願いだから産駒からいい感じの牡馬が出てこないか祈っていた所で、初仔から日英米ドバイを股にかける7冠牡馬を輩出した事で狂喜乱舞した。

 

「どちらかと言えば悪夢よりだったが夢のような凄い馬だった」

 

 

 英国女王

 おそらく作中で最もイイ空気を吸った世界有数の偉人。お気に入りのアパオシャをイギリスに招待したり、交配相手を南丸に勧めたり割と趣味の方は好き勝手やってる。持ち馬ではなかったが自分のお気に入りの馬の初仔(種牡馬は勧めた)フォアランナが英国ダービーを勝利した時は、興奮しすぎて旦那や一族から相当白い目で見られていた。その後も英国に種を貰いに来たアパオシャとこっそり会ったり、忙しい公務の中でも友と呼んだ馬への親愛の情は絶対に忘れなかった。

 

「天国でまた私を乗せてくれるかしら?」

 

 

 英国女王の孫

 祖母である女王の名代として日本に何度か来ているイギリス王族の女性。爵位は持っていないので王女とは呼ばれない。卓越した馬術の持ち主で、2012年ロンドンオリンピックの馬術競技銀メダリスト。おそらく一族の中で女王の次に馬ガチ勢。頭がよく感情豊かなアパオシャのことはかなり気に入っている。将来はカラバの産駒に乗って馬術競技をするのを楽しみにしている。

 

「貴女がイギリスに生まれなかったのは私達にとっての不運です」

 

 

 長尾謙一郎

 アパオシャの母方の曾祖父シンザンの厩務員を務めていた老人。調教師でもありG1馬を育てて、競馬界では一目置かれている。

 アパオシャのことは2歳頃から見ている。その後もたびたび競馬場まで足を運んでレースを観戦していた。近年の競馬ブームで関心の無かった孫達が馬に興味を示してくれるのが嬉しい。休日はよく孫達と競馬場に行く満ち足りた老後を過ごしている。

 

「あの世でシンザンに良い報告が出来る。君は本当に素晴らしい馬だった」

 

 

 御栗幸一

 第二次競馬ブームの中核を成したオグリキャップの初代馬主。後輩馬主の南丸に誘われて、時々関係者としてウイナーズサークルにも顔を出していた。アパオシャのおかげで日本の人々がオグリキャップを思い出してくれたのが何よりも嬉しかった。

 アパオシャが引退して子供を何頭か産んだのを見届けるように逝去した。

 

「素晴らしい夢のつづきを見せてくれてありがとう」

 

 

 的場一郎

 美景牧場の隣の牧場の長男でナツの同級生。野球部のエースで高校も野球部に所属している。中学生の時に父親を心筋梗塞で亡くしており、父の代わりに家の借金を返すつもりで中学を出たら働くつもりだった。しかし保証人になっていた美景一家が借金を全て立て替えたおかげで猶予が出来たため、無事に高校進学した。

 憂いが無くなり高校でもメキメキ投手として実力を付けて、2年生の夏と3年の春に念願の甲子園出場を果たし、勝利投手にもなったことでプロへの道が開けた。卒業後はドラフト下位に指名した虎縞球団に入団。それなりに2軍生活も経験した後は晴れて1軍に上がり、主力投手の一人として日本で長く活躍した。美景家への借金を契約金と年俸数年分で返済し切った後は、とある元メジャー投手の勧めで馬主資格を取得。長年の願いだった恩のあるアウトシルバーの産駒を購入した。その後も毎年一頭はアウトシルバー産駒を買い続けたが、アパオシャの産駒は馬主南丸浩二が絶対に手放さなかった。それでも頼み込んで一頭だけ譲ってもらった。

 プロ引退後は実家の牧場を継いで、経営者として毎日頑張っている。

 

「お前とお前の弟は家の救い主だ。本当にありがとう」

 

 

 八剣優人

 美景ナツと的場一郎の高校の同級生。色々あってそれまで無縁だった農業高校に進学して、学校生活で家畜の面白さを知る。ナツと同じ馬術部に所属して馬に触れた事とG1レースの熱狂に当てられて馬好きになった。

 高校卒業後はナツと同じ農業大学に進学して経営学を学んだ。大学卒業後は恋人のナツと結婚して美景家の婿養子になり、さっそく経理を任される。色々あって共同所有になったアパオシャの産駒の血統を広める事に成功。美景牧場拡大の一助を担う功労者になった。

 一見して少女と見紛う外見を持っているが男である。成長期には体格も立派になり、間違われる事も無くなった。

 

「馬ってすげえ(戦慄)」

 

 

 





 次話は馬の紹介です。同期の馬やアパオシャの血族も掲載します
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