こちらは作中に出ていた馬とアパオシャの血族の一部です。
アパオシャの産駒の一部は次回掲載する予定です。
アパオシャ
ご存じ本編主人公。90歳頃にベッドで過ごしていたら、いつの間にか畜生道に堕ちていた。不幸中の幸いというべきか、最期まで肉にされる事なく天寿を全うした悪運の強い女。幼名黒子。400万円で南丸に買われる。
美浦トレセン中島厩舎に所属して、2009年に競走馬としてデビュー。その後もトップスピード以外は全て揃っていたと言われる身体能力を用いて数々のレースを勝ち抜いて、日本だけでなく世界に名を轟かせた。2012年、全盛期の中で競走馬生活に終止符を打った。
繁殖牝馬になってからは、毎年死んだような目で牡馬と交配して仔を産む。それでも産んだ仔はしっかり育てて競走馬として活躍させる強い義務感があった。四度目の交配時、かつて面倒を見ていたオルフェーヴルだけは、交配してもそれほど嫌そうな目はしていなかった。
2024年(17歳)を最後に繁殖牝馬を引退。以降は功労馬として生まれた美景牧場で過ごす。暇だったから同牧場の幼駒(主に孫)のリードホース(育成役)を8年間務めて、競走馬の何たるかを叩き込んだおかげで勝ち上がる馬が多かった。2037年に老衰のため30歳で死亡。亡骸は牧場外の一画に埋葬された。花を愛でるのが好きだった墓所の主のために、沢山の花の種をまいて毎年彩り豊かな地にした。死後もかつてのレースを懐かしんで弔問客がたびたび訪れる観光スポット化した。
死後、迎えに来た今世の己によく似た前世の同居者が「面白い見世物だった」と漏らした一言で全てを悟って、顔面に蹴りを叩き込んだ。
最強馬論争に大抵出てくる馬だが、日本の中距離G1をあまり走っていないため、スピードが求められる日本の中距離はそこまで強くない印象を持たれている。その分、長距離は歴代最強でほぼ満場一致している。稀にメジロマックイーンかディープインパクトなら勝てるという意見もあるが、最強格を対抗馬にしないといけないぐらいには傑出していた。
2014年に顕彰馬に選出。
アプリコットフィズ(トフィ)
アパオシャの隣の馬房にいた中島厩舎所属の2007年産牝馬。同期だったアパオシャを実の姉のように慕っていた。マンハッタンカフェの全妹の仔で姪にあたる。競走馬としての実力はかなり上層。G1レースこそ掲示板入りが限界だったものの、G3クラスを4度(2010年クイーンC、クイーンS。2011年京成杯、富士S)勝利している。アパオシャに続くように、2013年3月に競走馬を引退して繁殖牝馬になる。アパオシャもトフィの愛称で呼ぶぐらい可愛がっていた。
アロマカフェ
アパオシャと同じ中島厩舎所属の2007年産牡馬。アパオシャにとっては弟分になる。重賞勝利馬で2010年菊花賞にも出走している。年下馬の面倒をよく見る馬だったのと、中島厩舎で古参だったから、アパオシャから後任リーダーに選ばれた。かなり長く競走馬生活を過ごして2016年末に引退。その後は種牡馬となり2019年に死亡した。重賞勝利はG3ラジオNIKKEI賞一つだがOP戦は4度ほど勝っていた良馬だったため、早すぎる死に周囲は嘆いた。
アパパネ
アパオシャと同期の阪神JF、3歳牝馬三冠、ヴィクトリアⅯの牝馬五冠。調教より昼寝の方が好きなポヤっとした子。同じ美浦トレセン所属だったのでアパオシャ他同期牝馬とはよく併せ馬で走っていた。公式には同期三冠牝馬が一度も対戦経験が無いのをファン達はとても惜しんだ。2012年途中で屈腱炎を発症して引退。以後は繁殖牝馬として繋養する。多くの交配相手は七冠ディープインパクト。初仔が12冠ベビーと話題になったが、同年一ヵ月後に生まれたアパオシャのフランケル産駒が23冠ベビーだったので、一気に消し飛んだ。歴史的名牝馬なのに同期の神馬の陰に隠れてしまった不憫枠として、現在でもコアな人気がある。
ヴィクトワールピサ
2007年産牡馬筆頭のドバイ王者。アパオシャのせいで半数の勝ち鞍を奪われた不憫枠だが、現役生活は割とイイ空気を吸ってた(アパオシャの臭いとか)。2012年(5歳)から種牡馬入りした勝ち組だったものの、いつまで経ってもスケベな尻の初恋相手と交尾出来ずに絶望した。
エイシンフラッシュ
2007年産の天皇賞牡馬。本来日本ダービーを勝つはずだったのにド畜生の策略で勝利を逃して、以後はアパオシャと会うたびに馬っ気を出しつつ健闘するから、善戦馬として意外と人気者になった。パドック周回は大体テレビに出してもらえない。こいつもヴィクトワールピサ同様にアパオシャとの交配を期待していたが、種牡馬になっても全く音沙汰が無い事に気付いて一時期荒れた。
ヒルノダムール
2007年産の被害者馬。実はヴィクトワールピサ以上にアパオシャに惚れ込んで、一時期舎弟みたいな位置にいた。おまけに2011年にフランスで共に過ごしたため、実力以上の力を発揮してG2フォア賞を勝ち、本番凱旋門賞も4着に入る大健闘。
種牡馬になった後はいつか憧れの相手と交配するのを夢見ている。
ローズキングダム
2007年産の牡馬。アパオシャとそれなりの頻度で同じレースを走るがそこまで惚れてはいない。しかし臭いは嗅ぐ。
ルーラーシップ
2007年産の笑わせ担当牡馬。日本ダービーでアパオシャの臭いに興奮してゲート前で立ち上がったり、以降も出遅れまくるネタをファンに提供する。それでも海外遠征組の一頭として優れた結果を残した名馬である。
ドリームジャーニー
2004年産、ステイゴールドのやばい息子。人を食い殺しかねない気性難で有名だったのに加えて、2010年有馬記念でアパオシャの気合を入れなおす咆哮が気に障り、襲おうとしたのを性的に襲おうとしたと勘違いされた。おまけに出遅れて惨敗した不遇枠。
グランプリボス(ランプ)
2008年産のサクラバクシンオー産駒。アパオシャと2011年のロイヤルアスコットに出走するため、共にイギリスに渡った。行きの飛行機の中と現地で結構面倒を見てもらい、洋芝の走り方を教わってセントジェームズパレスSを5着で健闘。アパオシャのことは姉貴分と慕う。
リワイルディング
中東王族が馬主のイギリス馬。アパオシャとはKG6&QESで最初で最後の対戦をした。レース終盤で窪みに脚を取られて転倒。脚を骨折して予後不良と診断されて安楽死処分を受けた。最期をアパオシャに看取られて、僅かな安堵の中で短い生涯を終えた。
来世では日本が好きで顔を知らない文通相手もいる。黒髪のウマ娘を目で追いがちなウマ娘としてヨーロッパのレースで活躍する。
オルフェーヴル(フェブ)
日本競馬史に最強の二文字を刻んだ2008年産クラシック三冠牡馬。最終的に9冠を戴く。かなり性格に難のある馬だが世界最高レベルのポテンシャルを持つ名馬中の名馬。アパオシャとは生涯2度対戦経験があるが、どちらも負けている。さらに2012年のフランス遠征で色々と口煩いところがあるからアパオシャに苦手意識がある。でも嫌いになれない。
フランス遠征後はジャパンカップを勝ち、名実ともに日本代表馬となり、現役最後の年となる2013年に何故かダートに転向して、アメリカダート最高レースBCクラシックを日本馬で初めて優勝した。帰国後は有馬記念をラストランに据えて、これも難なく優勝。昨年のアパオシャ同様、最強のままターフを去った。
クラシック三冠、宝塚記念、凱旋門賞、ジャパンカップ、フェブラリーS、BCクラシック、有馬記念の9冠。
引退後は種牡馬となり、毎年忙しい種付けライフを送っている。2016年には苦手だった年上馬のアパオシャと交配する羽目になって、双方気まずい中で種付けした。産駒は世界の競馬史に名を遺す名牝馬となる。
2015年、JRA顕彰馬に選出。
ゴールドシップ
2009年産の芦毛馬。3歳頃まではなりを潜めていたが、2012年の有馬記念でアパオシャに完膚なきまでに叩きのめされたのを境に気性難が本格化する。リベンジを果たす機会すら貰えず、レースを走る強い牝馬が大嫌いになった。
気性難ではあったがレースに牝馬が出走したら凄まじい闘争心を出して走る。もっとも有名なのが2014年凱旋門賞。名牝馬トレヴと叩き合いの末に優勝を果たして、日本馬で三頭目の凱旋門賞勝利馬に輝いた。さらに宝塚記念を史上初の三連覇して、日本競走馬の中で唯一、同一芝G1三連覇の記録を持っている。
同期のジェンティルドンナとは犬猿の仲。
種牡馬入りする時は牝馬嫌いを危ぶまれたが、レースに関わらない牝馬は大好きなので、喜んで種付けするため周囲は胸を撫で下ろした。
【ここからアパオシャの縁者】
ウミノマチ
1997年産の繁殖牝馬。G1馬ミホシンザン産駒の元中央競走馬だったが未勝利のまま繁殖牝馬入り。一頭目を産んでからしばらくして転倒して足を骨折。大して強くない馬だったので胎の中の第2仔ごと肉にされる所を、牧場主の知り合いだった美景秋隆が格安で所有権を買い取って、完治後に自分の牧場に連れてきた。
2005年から美景牧場で産駒を産み、第2仔は地方でそこそこ勝てたので、美景家から悪くない馬だと思われていた。
事態が一変したのが第3仔アパオシャから。娘が中央レースを連戦連勝して一気に繁殖牝馬としての価値が上がり、以降の仔も全頭が重賞を勝つ素晴らしい産駒成績を残した。2013年(16歳)の7頭目の仔を最後に、娘のアパオシャと入れ替わるように繁殖牝馬を引退。そのまま美景牧場で静かな余生を送った。享年28歳。
血統上のモデルにしたのはミホシンザン産駒未勝利馬オセアニアシチー。オセアニア→海(ウミ)+シチー→町(マチ)=ウミノマチ
ウミノマチ04牝
初仔。穏やか過ぎる気性面から競走馬登録せず生まれた牧場で繁殖牝馬入り。2011年ごろからアパオシャの姉という事で、世界中のホースマンから産駒に熱い視線を向けられる。
ウミノマチ05牡
地方競馬で勝ち上がって、そこそこの成績を残す。引退後は去勢されて学校の馬術部の馬になる。
アウトシルバー(ウミノマチ09)
アメリカの名ダート馬シルバーチャーム産駒で種付け料は70万円だった。1歳の夏に競りに出されて4000万円で売れた。その後は栗東トレセンの厩舎に入厩して、ダート馬として調教を受ける。2歳末の3戦目で勝利して、3歳期は1勝を挙げる。その後も真面目に走り、勝てなくてもマメに馬券に絡んだり掲示板に入ってコツコツ賞金を稼ぐ馬主孝行の馬になった。5歳頃には馬体も整い、OP戦に勝って重賞にも出走するようになる。そして6歳でとうとう2015年の根岸Sを勝ち、重賞馬になった。以降は度々G1にも出走したが一度も掲示板入りする事はなかった。芦毛の馬体と粘り強く走る姿から≪いぶし銀≫の愛称でファンから愛された。
2017年、大きな故障も経験せず8歳で現役を引退。晴れて種牡馬入りを果たし、頑強性と希少な非ノーザンダンサー、非サンデーサイレンスの血統を求められて毎年一定数の種付けを行った。姉のアパオシャとは二度と会うことはなかった。
ヴィンティン(ウミノマチ10)
オペラハウス産駒、種付け料100万円。幼名詩子。7冠馬テイエムオペラオーとアパオシャの妹にあたる。庭先取引で南丸に7000万円で売却される。姉と同様に美浦トレセンの中島厩舎に入厩して、幼少期に会った姉と再会。非常に懐く。姉からはティンと呼ばれる。名前の由来は七福神の弁天。
スタミナに優れたサドラーズウェルズ系とシンザンの血が色濃く出たが、堪え性の無い性格のせいで姉のように長距離は走れない。主に短距離~マイルで運用された。主戦騎手は和多流次が務めた。
そして毎回『大逃げ』ばかりして、殆どのレースで勝つかボロ負けの二択だったので、見た目の派手さから非常に人気があった。上位人気にいればボロカス負け、低人気なら勝つ不安定さに加えて、出走するレースを毎回引っ掻き回して1番人気を勝たせない事から、付いたあだ名が≪馬券飛ばしの鬼女≫≪妖怪紙吹雪≫。馬券購買層からは蛇蝎のごとく嫌われた。
それでも2013年ローズSは、1番人気のデニムアンドルビーを15番人気から下して重賞初勝利を果たす。なお次レースの秋華賞はドベ2だった。翌14年には不良馬場のG1高松宮記念を最低に近い人気から勝ち、スタンドからは悲喜の混じった声と共に馬券が宙を舞った。なんともドラマチックで評価に困るG1馬の誕生である。いくつかのボロ負けを経て挑んだG1ヴィクトリアマイルは、2012年エリザベス女王杯に姉と対戦した多くの牝馬と対戦。こちらも前レースは逆噴射で沈んだ影響で二桁人気でも、強豪を押しのけてG1二冠馬に輝いた。引退を控えた2015年は10月のG2府中牝馬ステークスを勝利した以外、全て最下位付近のボロ負けで引退した。
とにかく人の思い通りにならない成績は、騎手時代の中島大の「3着取るぐらいなら1着を取りに行って派手に負ける」を体現した馬と言われて、調教師の中島自身は勝っても負けても苦笑するしかなかった。
しかし騎手の和多にとってはG1を二度も勝たせてくれた、手はかかるが可愛い馬と思われている。2015年現役引退後は、生まれた美景牧場で繁殖牝馬入りする。
カラバ(ウミノマチ11)
マヤノトップガン産駒、種付け料150万円。幼名はネコ太郎。非常に人懐っこい性格。日欧を荒らしまわっていたアパオシャの弟として、英国女王に目を付けられていた。買い手がまだ居なかったため、英国王室が必ず競りで落とすと買い取り内定を守り、4億円の超高額値で競り落とした。血統の割にここまで高価になったのは、とある中東王族が運営する競走馬管理団体と散々に競り合った結果だった。
無事に英国王室に渡ったネコ太郎は、カラバの名を与えられてヨーロッパで走ることになる。晩成型の馬だったので4歳まではあまり勝てず、女王陛下の無駄な買い物と叩かれたが5歳から成熟した強さを得て、以降はヨーロッパ各地の重賞レースで勝利して、女王の得意げな顔が新聞を飾った。
長く走り続けたがG1レースは思うように勝てず、結局現役最後までG1馬にはなれなかった。大体オーダーオブセントジョージとストラディバリウスが強いから。
2020年まで走り続けた後は種牡馬として大切にされた。産駒の多くは障害競走や馬術用の馬に用いられて、それなりの成績を収めた。馬主一家の馬術用馬にもカラバ産駒がいる。
時々イギリスまで交配に来る姉と会っている。
シーレグルス(ウミノマチ13)
キングヘイロー産駒でウミノマチの最後の仔。種付け料150万円。幼名はオージ。上の兄姉達に負けず劣らず癖の強い馬だった。
1歳夏に競りに出されて、1億5000万円で落札された。馬主は2年前に英国王室とカラバを競り合った某中東王族の競走馬管理会社。
デビューは日本の中央。2歳からOP戦を勝つなど姉のように将来を期待されていたが、3歳は1つ重賞を勝ったがクラシックG1は惜敗が続いた。管理していた栗東の調教師も実力があるのは認めつつ、イマイチ馬の適正距離や脚質を把握出来なかった。4歳になってから、調教師は思い切って短距離から長距離まで総当たりで走らせる暴挙に出た。結果分かった事は適正距離1000~3000m、芝ダート両用可能なとんでもない汎用性の高い馬だった。ならばいっそG1に絞って走らせるより、手あたり次第走らせて勝つ運用法に切り換えて、5~6歳は中央だろうが地方だろうがドサ周りで荒らし続けた。そうして2年で中央、交流重賞7勝とOPクラス5勝という割とシャレにならない数の勝利を積み上げた。競走馬引退までに稼いだ総獲得賞金は5億円を超えて、G1未勝利馬では破格の稼ぎ。ウミノマチ産駒の中では姉アパオシャに次ぐ稼ぎ頭だった。
反面、他の馬主からは「G1に行け」と滅茶苦茶邪険にされていたが、馬主は世界的金持ちの王族だったので何も言えなかった。
引退後は適性の不明さと現役時代の評判の悪さから、日本では種付け依頼が無いと思われて、毎年海外を渡り歩く種牡馬生活を送った。産駒はどこの国でも重賞を勝つ祖父から続く汎用性を見せる。