ジエンプレス(アパオシャ17牝)
アパオシャの第4仔で初の牝馬。父は≪金色の暴れ馬≫9冠馬オルフェーヴル。偉大な母のようになってほしいと願いを込めて、ジエンプレス(The Empress)の名を贈られた。
父親に似たのか幼少期から落ち着かない様子で、母アパオシャも育児には手を焼いていた。気性難から馴致も遅れ気味で、育成牧場のゲート試験も合格するのにかなり梃子摺っていた。それでもどうにか競走馬としてデビュー出来る目途が立ち、2019年に母や兄達と同様、美浦トレセンの中島厩舎に入厩。職員からは大きな期待を寄せられていた。
当初から気性難はトレセン内でも有名だった。気が向かないと調教に行かずに馬房から出ない。調教をしていても、ちょっと助手が叱ると上から振り落としてその場で寝転がる。鞭を入れた瞬間に走るのを止める。そのくせ負けん気だけは強くて併せ馬は絶対に途中で止めない。扱いづらい馬でも血統は素晴らしく兄フォアランナの事もあり、ともかく調教は続けられた。こうした気性難を考慮して、父オルフェーヴルに最後まで付き合った池園賢一騎手が鞍上を務めることになった。音に敏感なため白いメンコを被せられて引退までのトレードマークになった。
馬体の充実を待って、デビューは3歳になった2020年1月中山競馬場の新馬戦、芝1600m。同時代の最強馬の娘として1番人気に推されたものの、スタート直後に池園騎手を放り投げて放馬。初陣は競走中止と散々な結果に終わる。続く2戦目の未勝利戦は東京競馬場の牝馬限定芝1800m。こちらは何事もなくレースが進み、父親譲りの末脚の鋭さをもって2着に1馬身差をつけて無事に勝利した。と思えば、ゴール後に池園騎手を振り落として、ファンからは「間違いなくオルフェーヴルの仔」と最初のファン獲得のきっかけになった。
とりあえず未勝利馬を脱したが、どうにか牝馬三冠に間に合わせたかった陣営は中二週で1勝戦に挑む。中山の牝馬限定芝1800mは4着。道中騎手と折り合いが付けられなかった。これでは桜花賞には間に合わないと判断。南丸オーナーはじっくり腰を据えて、5月のオークスに間に合わせるようにスケジュールを修正した。
予定を変更したはいいが気性難のせいで調教は一向に進まない。レースに出れば掲示板入りはしても勝ちには届かない。そうして3歳は2勝しただけで、華やかなG1とは無縁なまま燻ぶり続けた。
それでもオーナーや陣営は辛抱強く待ち続けた。血統もあるが名馬の片鱗は見せている。長男は早くに頭角を現していても、アパオシャの産駒は総じて晩成型と予想していた。いずれ馬体が完成すれば勝てると信じていた。それに2020年の終盤には徐々に気性難も収まりつつあり、どうにか騎手との折り合いも付けられつつあった。
明けて2021年(4歳)は思い切ってダートを走らせてみようと、初戦は1月中旬の中京競馬場のダート1800mを選ぶ。調教で芝とダートのタイムはさして変わらなかったが、何となく父親の戦績からダートも実際に走らせてみた。OP戦すら走れないんだから、当時は殆どヤケクソに近い感覚だった。
すると今までの苦労は何だったのか、あっさりと勝ってしまった。これはいけると思った中島調教師は同月の東京でも条件戦のダート1400mを走らせたら、やはり難なく勝って一気にOPクラスまで昇格してしまった。どうやら今まで勝てなかったのは気性難+晩成型+適性がダートだったと、陣営は真相にたどり着いた。
それからはリステッド戦、OPと立て続けに勝利。年始から4月まで4連勝を挙げて、次はいよいよ重賞に挑む。挑戦するのは6月の浦和競馬場G2さきたま杯。地方とはいえ一つレベルが違うレース。ジエンプレスは果敢に走り、初重賞を優勝。確かな手応えを感じた。
ようやく道が開けたと確信した陣営が選んだ次のレースは8月の札幌で行われるG3エルムS。じっくりと調整した甲斐あって快勝。4歳でようやく中央初重賞を飾った。
勢い付いたジエンプレスはJpn1マイルCシップ南部杯、JBCレディースクラシック共に2着。負けはしたが一流ダート馬として世間から評価されつつあった。
2021年も終わりに近づき、残るダート重賞も少なくなった。ここで中島調教師と南丸は勝負に出た。12月に開催される二つのダートG1、チャンピオンズカップおよび東京大賞典両方に出走。どちらも勝つつもりだった。
まずチャンピオンズカップは最後尾からスタートを切り、中盤まで抑え気味に走る。後半に入ってから徐々にペースを上げて、最終コーナー付近から一気にスパートをかけて後方集団をごぼう抜き。直線で先行していたインティ、アナザートゥルースを抜き去り、最後はテーオーケインズと叩き合いの末にクビ差で勝った。長く苦しい日々の末、4歳末にして晴れてG1ホースを名乗った。
そのままの勢いで年末の大井競馬場に乗り込み、オメガパフュームのG1東京大賞典四連覇を阻止してジエンプレスが勝利。一気にG12勝を挙げて年間8勝。2021年のJRA最優秀ダートホースを受賞した。
一つの山場を越えたと感じた陣営は次は世界に目を向ける。目指すはダートの頂、アメリカBCクラシックとドバイワールドカップ。既にチャンピオンズカップ優勝の折、ドバイから招待を受けている。あとはドバイ前の前哨戦とBCへの挑戦権をかけて2022年2月のG1フェブラリーS勝利を目標にした。
強豪揃いのレースも5歳になって脂の乗った新たな女帝には敵わず、かつて負けた相手へのリベンジも果たしてフェブラリーSを制した。そしてジエンプレス陣営は兄フォアランナ以来のドバイに飛んだ。輸送でやや調子を崩したのを危ぶまれたが本番までにどうにか仕上げて、挑んだ世界最高峰ドバイワールドカップ。ここでも尽きない負けん気を遺憾無く発揮した砂の女帝は、4馬身差の圧倒的勝利で世界の喝采を浴びた。
4月、帰国後は静養のため放牧された。オーナー南丸はジエンプレスを今年限りで引退させて繁殖牝馬入りを発表。結果にかかわらずBCクラシックを引退レースに選ぶ。そのために万全を期して、一足早く7月からアメリカ入りして現地のレースで経験を積ませた。3度の重賞レースを走り、負けもあったが概ね満足出来る結果で本番11月を迎える。
ダート本場アメリカでも女帝は人気があった。欧米馬以外で唯一のBCクラシック優勝馬オルフェーヴルと、ネイティヴダンサー直系仔で≪日本のゼニヤッタ≫と呼ばれるアパオシャとの娘。ゼニヤッタ以来の牝馬優勝および初の父娘連覇がなるか、現地の人々も大きな関心を寄せていた。それにこの年のアメリカには≪セクレタリアトの再来≫とまで呼ばれた怪物馬フライトラインがダートの頂点を狙って、BCクラシックに出走を決めている。最強の牡牝が真の最強を決めるレースとあって、ブリーダーズカップは過去最高の盛り上がりを見せた。スタートから1番人気のG13勝馬フライトラインをぴったりマーク。他の馬があまりの速さに全く追いつけない中、2頭は最終直線で激しく競り合った末にフライトラインが4cm差勝利。歴史的名勝負は幕を閉じた。最後のレースは負けたとはいえ、アメリカ史上五指に入る当代最強馬と唯一互角に渡り合った牝馬に、アメリカの競馬ファンは掛け値無しの称賛の拍手を送った。決して順調とは言えない競走馬生活も、最後は華々しく迎えられた。
2022年のエクリプス賞、最優秀古牝馬部門受賞。ワールド・ベスト・レースホース・ランキング2位。レーティングは136ポンド。
2022年JRA賞年度代表馬受賞、最優秀ダートホースは2年連続受賞。日本に戻り、繁殖牝馬として生まれた美景牧場に迎えられた。
気性の悪さと晩成型故の馬体の未完成から、現役時の前半は両親の偉大さと相まった低評価と負け続きの生活に苦しめられたが、大器晩成という評価がよく似合う馬であった。引退後は同牧場に居た母、祖母とは最初は衝突したものの、初仔を出産後は程よい関係に落ち着いた。ファンからは≪太陽の女帝≫の母に倣い、炎のような気性と合わせて≪炎砂の女帝≫と親しまれた。
主な勝ち鞍(G1):チャンピオンズC、東京大賞典、フェブラリーS、ドバイWC、
通算成績:26戦13勝2着4回
受賞:JRA賞年度代表馬、最優秀ダートホース2回、エクリプス賞最優秀古牝馬部門
ヒーロー列伝のキャッチコピーは≪熱砂の月下美人≫