オグリの娘 ~畜生ダービー~   作:ウヅキ

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第7話 相棒

 

 

 二つ目の牧場に春が来た。雪も随分解けて、毛の無い俺のために着せてもらった服もそろそろ要らなくなる。

 そんなある日、いつも世話をしてくれる人が明日お別れだと告げた。ああ、とうとうその日が来たか。

 色々と世話になったと礼を込めて頭を下げたら、向こうは笑っていた。

 

「お前は人間みたいな馬だな。――――しっかり走って、レースに勝つんだぞ。小さなレースでも長く勝ち続ければ肉にされない」

 

 そいつは首を撫でて、他の馬の世話に移った。

 

 翌日、ここに来た時と同じトラックに乗せられて、かなり長い時間揺られ続けた。一緒に乗せられた馬達は、狭い場所に押し込められて車酔いしたり、ストレスで泣きわめいたりと酷い事になってるな。

 俺はまだ平気だけど、それでも暇過ぎてちょっとウンザリしている。仕方ないから、窓からちょっとだけ見える外の景色で気を紛らわしている。

 時折高速道路の看板の地名で、どんどん関東の方に向かっているぐらいは分かる。

 とにかく暇を持て余して、前世で楽しかった事やレースの事を思い出して時間を潰して、一日以上かかってようやくトラックが停まって、運搬員が俺達を外に出してくれた。

 他の馬はケツの肉がボロボロ取れる夢でも見たのか、大体瀕死で鳴き声一つ上げない死んだ目のまま連れて行かれた。

 

「お前はタフだな。ここでも頑張るんだぞ」

 

 道中世話をしてくれた運搬車のオッサンが一撫でして、俺は別の奴に連れて行かれた。

 途中で美浦トレーニングセンターなる看板を見て、もしかして栗東トレーニングセンターもあるのではないかと思った。

 無数の厩舎を通り、何頭もの馬とすれ違う。はー全部で何頭ぐらい居るのかな。

 

「よし、着いたぞ。テキ!新入りを連れてきました!」

 

「おう。じゃあ馬房に入れておけ。餌と水もたっぷり与えてな。明日からしごいてやるから楽しみにしていろアパオシャ」

 

 前に北海道で見た〇クザみたいなオッサンだ。本当にトレーナーもとい調教師だったのか。

 でも今は馬になった俺に人の顔なんてどうでもいいか。同じ場所で寝起きする馬に挨拶して、その日は移動疲れもあるから、筋肉をほぐすために軽くストレッチをして食って寝た。

 

 

 美浦トレセンに連れてこられた翌日からトレーニングが始まった。最初は芝のコースを先輩馬と並走したり、ダートコースも走った。

 大体俺がドベなのは、まだデビュー前だからなのかねえ。せいぜいマイルぐらいで距離が短いのもあるんだろうけど。でも、こういう状況はかつて≪フォーチュン≫に入ったばかりの時を思い出して楽しくもある。

 せっかくだから併走してくれる馬の走りを自分なりに色々取り入れてみよう。

 上に乗っている奴と外で見ている奴は、俺のフォームが段々変化しているのに怪訝な顔になっているけど、変化した分だけ走りが良くなっていくのに気付いて、何かを諦めたらしい。

 

 別の日には併走しても中々勝てそうになかったから、スタート直後にハナを取って『逃げ』で走ってギリギリ勝てた。先輩達はたぶん調整で本気じゃなかったけど、負けたのは悔しそうにしてた。練習でも勝つのは気分が良い。

 あと、俺がいる厩舎に数頭新しく馬が入って来た。ここも賑やかになるね。

 

 併走以外にも外周の坂道トレーニングもこなした。他の馬は登坂を嫌がってるみたいだけど、俺はむしろこっちの方が好きだったから、一日に何往復もしていた。

 大体七往復ぐらいしたところで、調教師のオッサンが止めに入った。もうちょっと走らせろと仕草で抗議しても受け入れてもらえなかった。ケチめ。

 でもその日から助手連中や馬が俺をバケモノみたいに扱い始めた。失礼な、これでもまだ余裕あるんだぞ。

 

 さらにトレセンは走るだけじゃない。プールもあって馬を泳がせている。人のトレーニングと同様、脚に負担を掛けないように全身の筋肉を鍛える合理的な方法だ。

 馬の中にはプールを前に死んだような目で入るのを拒否する奴もいる。そういう時は調教師が苦労しているのを尻目にお先に入った。

 水がちょっと冷たいけど泳いでいれば気にならない。ついでだから泳ぎながら心肺機能も強くしておこうと潜水もしたら、慌てて綱を引っ張られて引き上げられた。

 溺れていると間違われたのか。でも関係無いからもう二、三回続けて潜ったら、諦めて自由にさせてくれた。

 それ以降は毎回プールは潜水しながら泳いで、心肺機能も鍛え続けた。

 

 

 そんなトレーニング漬けの毎日が過ぎ、季節は暑い夏に入っていた。ここは関東らしく暑い。夏でも涼しい北海道がちょっと恋しくなってきたな。

 扇風機で風を送ってくれているけど、それでも暑いから飲み水が欠かせない。

 

 北海道と言えばメジロ家はどうなってるんだろう。あれだけ強い家なら、きっと今も馬としてレースをバンバン勝ってるはず。いずれ俺とぶつかる事になるだろう。

 オンさんやカフェさんはどうしてるか。ここでもレース中継を流して欲しいけど、無理だろうな。

 俺のデビュー戦はいつだろう。

 

「よう、どうした。元気無いが暑いのか?」

 

 話しかけてきたのは俺に乗って調教している遼太だった。若い連中からは中島と呼ばれているから、多分あの〇クザの子供か親戚だろう。

 

「お前は結構凄い奴だな。オグリやシンザンみたいな枯れ果てた血統なのに、バケモノみたいなスタミナがあってよ。でも牝だからなぁ」

 

 なんだよ、牝なら何か困るのか?同じ種族なんだから性差ぐらい何とかなるだろう。

 

「せめてお前が牡ならマンハッタンカフェみたいに菊花賞に出してやれるのに」

 

【ちょっと待て!】

 

「うわっ!どうした急に?」

 

【カフェさんがどうしたって!?ここに昔居たってのか!?あーくそっ!言葉が話せない】

 

「なんだ!?どうした?」

 

「親父、いやテキ。ちょっとアパオシャが興奮してるんだ。ああ落ち着いたか」

 

「何かしたのか遼太」

 

「ちょっとマンハッタンカフェの事を話したら、急に吼え出して」

 

「オグリじゃなくマンハッタンカフェの事でか。こいつは人の言葉が大体分かるみたいだから、何か感じ取ったのかもな。暇な時に話してやったらどうだ」

 

 良い事言うじゃないかオッサン。さあ、俺にカフェさんの事を聞かせろ。

 

「しょうがねえ、休憩中にでも話してやるよ。だから大人しくしてろ」

 

【必ずだぞ】

 

 約束通り、次の日から暇な時に、遼太にカフェさんの話をしてもらった。

 なんとこの世界の馬のカフェさんは、あの〇クザに鍛えられていたのか。しかも牡で、今は引退して種付け馬やって子沢山とか、ちょっと脳が情報処理しきれない。

 もしかして俺の知ってるウマ娘って、大抵牡になっているのか。

 色々調べたいのに言葉が話せないのがもどかしい。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 アパオシャがデビューに向けて調教を続けている中島厩舎に、一人の騎手が訪ねて来た。

 彼の名は和多流次。弱冠22歳で皐月賞を始めとしたG1を七勝した若き天才騎手である。

 

 当時の彼の騎乗馬はテイエムオペラオー。皐月賞を勝ち、翌年には春天皇賞、宝塚記念、秋天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念のG1五勝、他に重賞三勝を無敗で成し遂げた。翌年も春天皇賞を連覇してG1七冠目を飾り、ファンからは世紀末覇王の名で呼ばれていた。

 そのテイエムオペラオーが引退してからは、重賞勝利こそ数多くしていても、G1勝利からは遠ざかっていた。

 

 悪意のある者は、強い馬のおかげで勝てた運の良い男。落ち目の天才。オペラオーのお気に入りのリュックサック。などと彼を中傷する。

 金のかかった勝負で結果が出なければ罵声はつきものだ。さりとて馬を悪くは言えない。だから負けた怒りは騎手に向きやすい。

 しかもそれが若く成功した者なら、妬みなどもあって余計に強くなる。

 そうした悪意の中でも、明るくひたむきに馬に乗り続ける彼のファンは多い。

 

 和多が厩舎に入ると、中の掃除をしていた調教師の中島が気付いて、しかしそのまま掃除をしていた。

 

「お久しぶりです中島先生。手伝いますか」

 

「頼めるか、和多。相変わらずG1じゃ負けが込んでるな」

 

 せっかく手伝いを申し出たのに随分な言い様でも、言われた当人は気にせず箒を手に掃き掃除をする。

 手早く綺麗にしてから、大は事務所で客に冷えた茶を出す。外では蝉がしきりに鳴き続けている。

 

「で、今日はどうした?」

 

「実は来年に、石本先生の厩舎から出てフリーになろうと思って、空いた時間を使って挨拶回りをしてます」

 

「お前も三十超えてるし、独り立ちする年か。で、良い馬が居ないかわざわざ美浦まで来たのか。栗東でも十分じゃないのか」

 

「そんな事無いですって。美浦にも強い馬はいます」

 

 和多の言葉が半分世辞だと大は知っている。

 理由は単純。関西の栗東トレセンの方がここより設備が良い。だから栗東所属の馬の方が強くなる。

 他にも理由はあるがわざわざ恥部を話すものじゃない。

 

「で、うちにも強い馬がいたら乗せろ、か。生憎うちはここ数年重賞にすら引っかからないんだぜ」

 

「でも今年も何頭か良い馬が入ったんじゃないですか?」

 

「さてな。――――良い馬かは知らんが、一頭面白い奴はいるぞ」

 

 どんな馬か尋ねても、大はついて来いとだけ言って事務所から出た。

 大が和多を連れて来たのは練習コースだった。午前中でも夏の日差しは強く、人も馬も汗だくで調教をしている。

 

「芝の一番後ろを走っている、黒い牝だ」

 

 和多は指を差した黒い馬を細部まで観察する。

 まだ馬体が若いから2歳の牝なのは分かる。やや小柄ながら、よく鍛えられていて長距離向けに見える。

 黒い馬は一緒に走っている五頭の後ろに付き、左右に動きながら内ラチ横に隙間を見つけて、スッと入って先頭を取る。

 

「騎手の言う事をよく聞く、素直な馬ですね。加速も良い」

 

「遼太は何も指示してないぞ。名前はアパオシャというが、距離を教えれば自分でペースを作り、位置取りを決めて走るんだよ」

 

「いやそんなまさか」

 

 馬が自らペースを決めて、ラインを選んで勝ちにいく。まるでかつての無二の相棒のようじゃないか。己の心臓がドクンと強く脈打つのを和多は感じた。

 

「とにかく頭が良い馬でな、人間の言葉も分かってるみたいだ。多少脚が遅いのが玉に瑕だが、余程下手な騎手以外は大体言う事聞いてくれるから手がかからん」

 

「脚が遅かったら良い馬とは言えないじゃないですか」

 

「その分、スタミナは太鼓判を押す。最近は毎日坂路トレーニングを十往復した後に、プールトレーニングも倍はするバケモノだぞ」

 

 和多は顔が引き攣った。美浦トレセンの坂路は栗東より緩いとはいえ、一日十往復は異常だ。牝の2歳なのに下手な牡古馬よりスタミナがある。

 

「ちょっと興味が出たみたいだな。おーい、遼太。ちょっとアパオシャを連れて来い」

 

 併せ馬の終わった機を見て、遼太は言われた通り父であり上司の下に馬を連れて来た。

 

「よう和多。美浦で見るのは珍しいな」

 

「フリーになる挨拶回りですよ。それで、この子がアパオシャ……」

 

 和多はアパオシャの毛の無い黒光りする異様な風体に最初は戸惑う。しかし毛が無いからこそ筋肉がモロに見えて、なかなか良い馬だと思った。

 

「どうだ、軽く乗ってみるか?」

 

「分かりました。乗ります」

 

 挨拶回りをすればこういう話もあると思って、ラフな格好にしたのは正解だった。メットは遼太に借りて、アパオシャに乗った。

 最初に跨って伝わってくる感触は力強さだった。まだ幼さの残る2歳ながら筋肉質で、オフロード仕様のラリー車に乗ったらこんな感じなのかと思った。

 ターフに入り、調教助手達に距離を確認する。一周のマイルに設定した併せに、六頭が横並びでスタートの合図を待った。

 

 スタートはまずまず。とりたてて見るものは無い。走り始めて外側三番手をキープしたまま最初のコーナーに入る。

 コーナリングは外側に膨らまないように綺麗に回る。丁寧な走りはよく調教された証拠だろう。

 和多は走っている最中に気付いたが、跨っている馬の息が殆ど乱れていない。まるでマラソン選手のように一定のタイミングで呼吸を繰り返している。

 第二コーナーを回って、向こう正面のストレートに入ってもペースは一定を維持していた。

 

(差しか、追い込み馬なのか)

 

 和多自身は師匠の教えもあって、どちらかと言えば馬を先行させるレースを心掛けている。

 今回はとりあえず跨っているだけだから、手綱で何も操っていない。全部アパオシャの好きにさせていた。

 変化はちょうどコースの真ん中を通過した時だった。鞭を入れずともアパオシャが加速を始めた。

 一気に前の二頭を抜き、トップスピードのまま第三コーナーに入った。

 

(この距離からスパートだって?スタミナが持つのか)

 

 向こう正面からの700mロングスパート、最終直線からスパートをかける日本競馬ではめったに無い。

 後続の3歳、4歳馬を置き去りにして、無人の荒野を行く様に心が震える。

 そのまま、ただ一頭で最終コーナーを走り切り、最後の直線に入った。

 速度は落ちるどころか、まだ加速している。いける、公式レースではないが2歳馬が年上馬に勝つ。

 

 しかし驚きも長くは続かなかった。後ろから五頭が末脚を利かせてグングン差を縮めている。

 そしてゴール手前で抜かれてしまい、アパオシャは三着で終わった。

 

 半ば呆然としたままの和多に、大や遼太が苦笑する。

 

「言ったろ。こいつはバケモノみたいなスタミナと、かなりのパワーがあって加速が良くても最高速度は遅い。それに今回は距離が短すぎた」

 

「ステイヤーズステークス級の超長距離レースなら、有り余るスタミナで今からでも勝てるんだけど、そんな新馬戦は無いからな」

 

「親父に似ているようで似ていない」

 

 何とも評価に困る馬だ。中島厩舎の面々と和多の評価は一致した。

 ただ、和多はこの妙な馬の行く末を見届けたい。ともに走り続けたい欲が生まれた。

 

「また俺が乗って良いか」

 

 下にいるアパオシャは了承したのか頷いた。

 

「叩き落とされないから、お前を鞍上に認めたって事だ。俺の方から石本には連絡しておく」

 

「よろしくお願いします。一緒に頑張ろうアパオシャ」

 

 灼熱のターフでまた一つ新しいコンビが生まれた。

 おまけで中島はここで、和多の心を焼くガソリンを投下した。

 

「言い忘れてたが、こいつはオグリキャップの最後の娘だぞ」

 

 和多はその場で固まった。それもそのはず、彼は幼少期にオグリキャップの活躍をテレビで見てファンになって、数年後に騎手を志した。

 その娘と共に走れる喜びを、今はうまく言葉に表せなかった。

 

 

 

 数年後、酒の席で和多がなぜアパオシャに乗せたのか大に尋ねた。

 

「枯れ果てた血統の末娘と、落ち目の天才をくっつけたら面白そうだと思っただけだ」

 

 結果的に見識が正しかったのは、アパオシャの活躍を見れば一目瞭然だから文句は言えなかった。

 

 

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