アパオシャの産駒紹介はここまでです
アイデアが出たら追加するかもしれません
ランディゴッド(アパオシャ22牡)
アパオシャの第9仔。父は7冠馬キタサンブラック。馬主はアパオシャ産駒の中で唯一南丸オーナーではなく、プロ野球選手の的場一郎。
引退時こそ父キタサンブラックに似た黒鹿毛の立派な馬体だが、生まれてから病気がちで一時はデビューすら危ぶまれる貧弱な体躯だった。
そこに隣の牧場に帰郷していた的場が「こいつはきっと逆境にだって負けない馬になる。1億までなら出せる。もしデビュー出来なくても、自分が死ぬまで面倒を見るから譲ってほしい」と頭を下げた。南丸は自分より仔馬を評価した青年の方がオーナーに相応しいと、アパオシャ22を快く譲渡した。金額は言葉通り1億円だった。プロ8年目、二桁勝利投手になりたての頃でも、1億円は決して安い値ではない。ましてデビューすら危ういと思われる幼駒に払うには大金だろう。それでも的場は大恩ある馬の仔を欲した。
的場にとっては美景牧場、アパオシャとアウトシルバーは自分の家の借金を立て替えてくれて、倒産の危機を救ってくれた救い主。今自分が野球を続けていられるのも全て彼らが居てこそ。その仔らを所有してレースを走らせるのが夢だった。プロに入団してそれなりに金を稼げるようになり、家の借金は全て返済した。ならば次は自分のために金を使う。手始めに馬主になり、比較的安価で手に入るアウトシルバー産駒を数頭所有しているが、アパオシャの産駒は種牡馬になった馬以外はオーナーの南丸が頑として手放さない。ほぼ唯一のチャンスとあらば、出せるだけの金を提示して頭を下げる事を躊躇わなかった。
オーナーが変わってもアパオシャ22が病気がちで矮躯なのは変わらない。それでも美景牧場の人々は出来る限りの手を尽くして成長を見守った。周囲の人々の尽力もあり、2歳を過ぎる頃にはどうにか病弱でも並程度の体格を得られた。
所属は例に漏れず美浦トレセンの中島厩舎。登録名はランディゴッド。かつて弱小プロ野球団を日本一に導いた助っ人外国人の名を的場オーナーから贈られた。
入厩してもこれまでの兄姉と違ってよく体調を崩していた。そのたびに厩務員は看病に追われたが、厩務員たちは苦にしなかった。
体調の兼ね合いで調教はゆっくり進めて、デビューは2歳の12月。東京競馬場の芝2000m。人気は6番人気と血統の割に低かった。体高の割に体重が軽く、細い馬体が嫌われたためだった。とはいえレースの出来自体は悪くなく、有力馬のいない事もあって初勝利を飾れた。これで順調に滑り出せたかと言えばそんな事も無く、レース後に発熱してしばらく休養を取らなければならなかった。療養と調整を終えた後、2戦目の条件戦は2月の中山、芝2000m。こちらも初戦と同様に先頭を取って逃げが功を奏して2勝目を挙げる。これなら皐月賞に間に合うと喜んだつかの間、今度は疝痛(腹痛)でダウン。2ヶ月間療養で初のクラシックG1の期を逃した。
ここで厩舎とオーナーの間で今後のスケジュールをどうするか話し合いが持たれて、議論の末に日本ダービーは回避。これから秋まで主に体力トレーニングを行い、馬体重の増加と病気への抵抗力を付ける生活に入ることになった。その後予定通り体重が増えて、心身健康なら改めてクラシック三冠最後の菊花賞に挑む。関係者は全力を尽くすことになった。
周囲の人々の努力の甲斐あって、体重も大幅に増えて健康を取り戻したランディゴッドは9月初週の条件戦、芝2000mに出走。圧倒的な強さで勝利した。条件は整ったと判断した陣営は菊花賞の優先出走枠を手にするため、初の重賞G2神戸新聞杯を次のレースに選ぶ。初の重賞とあって苦戦を強いられて2着で敗北したが優先枠は得られた。
迎えた本番、最後のクラシックG1菊花賞。ランディゴッドは逃げを選び、ひたすら逃げ続けて最後まで先頭を渡す事なくゴール。病気に泣かされ続け、それでも周囲の期待に応えての見事な勝利だった。菊花賞はアパオシャの産駒では初勝利。しかも父キタサンブラックも菊花賞馬。父母と子の三頭が同一G1を勝利するのは日本競馬史上初めての珍事だった。ここで運命の神はまたしても気まぐれを起こした。翌日、歩行のおかしかったランディゴッドの左前脚を検査した結果、骨折が発覚。全治3ヶ月と診断されて2026年のレースはここまでとした。
2027年2月。骨折の完治したランディゴッドは久しぶりの調教に入る。次のレースは3月の阪神大賞典。そこで様子を見て、春の天皇賞に繋げる予定だ。怪我明けの前哨戦は惜しくも3着。とりあえず結果は出せて、体調も崩さなかったので厩舎には安堵の息がもれた。それから休息を挟み、調教は順調に進んだ。と思ったらまたしても発熱してダウン。しかも発覚したのが天皇賞・春の二週間前。幸い発熱自体は三日で治まったものの調整に不安が残った。5月、初の古馬G1は10番人気。前レースの出来と馬体から調整不足が見えたため避けられた。しかしレースが始まってみれば、快調な走りで先頭をとったまま主導権を握り続けて、緩急自在のペースで他の馬の息を乱してそのまま逃げ切り勝ち。長距離の申し子として菊花賞同様に父母子の家族同一G1二冠馬となる。これはいよいよ有馬記念も勝って三つのG1を家族同一制覇とマスコミやファン達が期待したところで、またしても神は気まぐれを起こす。
今度は右脚の繋靭帯炎を発症。的場オーナーは苦渋の決断の末、ランディゴッドの現役引退を決定。完治すればまたレースを走れるという意見もあったが、以前にも骨折をして病気がちな点も考慮して、心身を酷使する競走馬生活をこれ以上させたくない。もう十分夢を見せてもらえたと涙ながらに記者会見で語った。
頑健性が特徴のアパオシャ産駒で4歳半ばの引退は早すぎると惜しまれたが、こればかりは覆せない不条理だった。
引退後、炎症が完治してから北海道日高の種牡馬組合に迎えられて、毎年それなりの数の牝馬に種付けした。種牡馬引退後はオーナーの的場一郎氏の牧場で平穏な暮らしを手に入れた。26歳の時、疝痛の悪化で安楽死処置を受け死亡。
優れた資質を両親から受け継ぎながら虚弱体質に泣かされ続け、それでもG12勝の名馬になった彼のファンは多い。特に病気で日々の生活もままならない人々の希望として、現役中は沢山のファンレターが届いた。ランディゴッドも母と同じ『人々の夢』としてレースを駆け抜けた。
主な勝ち鞍(G1):菊花賞 天皇賞・春
通算成績:7戦5勝2着1回
次のネタ集で今度こそ競走馬アパオシャの話はおしまいです
その後は再ウマ娘化したアパオシャの話になりますが、まだ数話しか書き上がっていないので掲載には間が空くと思われます