パチリと小さな静電気が生身の腕を伝う。
久しぶりの電流に、一瞬体が小さく跳ねた。
そんな私の反応に焦った様子のピカチュウが体を引こうとする。
「ううん、大丈夫だよ。久しぶりだから、ちょっと驚いちゃっただけ」
ゆっくりと彼の頭を撫で、先ほど体に流れた静電気に思いを馳せる。
この子と初めて会ったのは、ついさっき二人がバトルを繰り広げた研究棟だった。
彼らはカントー御三家と呼ばれる三匹の中から相棒を選んだが、私の時は博士が保護してきたというこの子だった。
何故か分からないが、本来の生息地とは離れた一番道路の草むらに傷だらけで倒れていたところを連れ帰ってきたらしい。
受け取ったボールから彼を出し、よろしくねと差し伸べた手に唐突に流された、意識を失う程の強力な電撃の感覚は、今でも鮮明に覚えている。
それは、それまで野生だった彼が人間を信用しきれてない証だった。
他の子なら違うポケモンにして欲しいと頼むかもしれないが、私は怒りに任せた勢いそのままに「絶対にお前を相棒にしてやる!!」と宣戦布告のようなものを怒鳴った。
それからというもの、旅の端々で死なない程度の電撃をくらい続け、それでも私は諦めなかった。
一度決めたことを曲げるのは大嫌いだったから。
ジムバッジを6つ集め、手持ちのポケモンも5匹と、それなりの実力のトレーナーになったと自負し始めた頃のことだ。
野生のゴースとの戦闘になった。
幾多の戦闘経験を経て成長したピカチュウはそれを難なく打倒したが、誤って地面に横たわるゴースの纏っているガスを吸引してしまったのだ。
そのガスは大型のポケモンでも瞬時に昏倒する程に有害な物で、例に漏れずピカチュウも意識を失ってしまった。
彼が眠るボールを両手で持ちながら、私はポケモンセンターまで全速力で走った。
途中、野生のポケモン達の攻撃により怪我や火傷を負ったりしたが、それでも構わず走り続けた。
センターに行けば無償でポケモンの医療処置をしてもらえる。手持ちのポケモン達も毎日のようにお世話になっていた。
転がるように駆け込んだ受付でジョーイさんに事情をまくし立て、説明も半ばにピカチュウは集中治療室に運ばれていった。
ゴースのガスを吸うということがどれほど危険なことなのか、私は初めて理解する。
『正直に言わせてもらうと、今回は助かるか厳しいです。一命を取り留めても、後遺症が残る可能性もあります。覚悟はしておいてください』
治療室の扉が閉まる際、ジョーイさんにそう宣告された私は、人目も憚らずその場に泣き崩れた。
お世辞にも仲の良い関係とは言えなかった。
だけど、ピカチュウは自分にとって一番最初のポケモンで、一番最初の勝利をくれた。
日々電撃を浴びせてくる彼のことは気に入らなかったが、バトルに対して真摯な性格は多大な信用に価するものだった。
彼は、貪欲に勝利を求める私の進む道を精一杯着いてきてくれた。
当時は面と向かって言えなかったけど、彼は私の一番の相棒なのだ。
治療室の前で、どれくらいの時間待ったのかは覚えていない。
私には信じる神は居なかったが、生まれて初めて必死の祈りを捧げていたから。
赤いランプが緑色に変わると同時、ジョーイさんが2匹のラッキーと共に部屋から出てきた。
私が縋りつくように駆け寄ると、彼女はニコリと笑って。
『一命は取り留めました。貴方が何かに気を取れて、彼を連れてくるのがもう少し遅れていたら、危うかったかもしれません』
安堵の気持ちが抑えられずに、また大声で泣いた。
まだピカチュウに後遺症が残る可能性もあったけど、それより、何より、その命が無事であったことが純粋に嬉しかった。
わんわんと泣く私の肩を、ジョーイさんは優しく抱いて。
『実を言うと私、今まで貴方の事をポケモンに厳しい訓練をさせた上に乱暴に扱う、とても冷徹なトレーナーだと認識していました。バトルで負けたというピカチュウを励ましもせず叱咤する姿は、見ていてとても危うい物を感じさせましたから』
ジョーイさんの言葉に、言葉が詰まった。
それが全て事実だったからだ。
私は勝利に貪欲になるあまり、手持ちのポケモン達……とりわけ自分を電撃の的にしてくるピカチュウには厳しい態度で接してきた。
暴力こそ振るわなかったが、怒りはすれど褒めはしない私の姿は、彼らの目にどう映っていたのだろう。
自らの行いを省みて呆然とする私に、ジョーイさんは優しく言葉を紡いだ。
『だけど、それは勘違いでしたね。自分がこんなにボロボロになってまで彼を救おうとした貴方の心は、トレーナーとしての本質を何も見失っていなかった。本当の貴方は心の優しい、立派なポケモントレーナーなんですね』
違う、私は最低のトレーナーだ。
トレーナーと呼ぶのも烏滸がましい存在なんだ。
独りよがりの旅に着いてきてくれたポケモン達の優しさに、こんなことが起きてから初めて気が付くような大馬鹿者なのだ。
涙を流しながら首を横に振る私に、ジョーイさんは困ったように微笑み、貴方も治療を受けなきゃ駄目だと最寄りの病院を紹介してくれた。
だけど、ピカチュウの事が心配でそれどころでは無かった私は、即答でそれを拒絶する。
『……あのね。貴方が倒れたら誰が貴方のポケモンの面倒を見るの? 傷まみれでボロボロのトレーナーにポケモンを返すような医者は居ないのよ。ピカチュウは私が責任を持って預かっておくから、貴方は今すぐ治療を受けるの。拒否権は無いわよ』
ジョーイさんがそう言うと、傍らにいた2匹のラッキーが「どっこいせ」と私を持ち上げた。
戸惑う私を他所に、ラッキー達はずんずんと病院に向かって歩き始める。
それから彼女たちに放り込まれるようにして病院に運び込まれた私は、数日の間病院で安静にすることになった。
2日の入院の後、もう動いて良しと医者に言われた私は、ダッシュでポケモンセンターに向かう。
受付にいたジョーイさんのもとへ駆け寄ると、彼女は良い笑顔を浮かべてピカチュウの入ったボールを手渡してくれた。
すぐさまその場でピカチュウをボールから出し、彼を思いっきり抱きしめる。
と同時に、いつものように強烈な電撃が私の体を覆った。
突然強い光に包まれたセンター内は騒然としたが、私は構わずピカチュウを抱きしめ続けた。
『──良かった。無事で良かったぁ……!!』
幸いなことに、後遺症は一切見受けられないと診断されたピカチュウ。
彼は泣いて喜ぶ私を見て、困惑した様子だった。
それもそうだろう。
彼からすれば、私は怒ってばかりの嫌なトレーナーだった筈なのだから。
それでも、ずっと泣いてばかりの私に毒気が抜かれたのか、やがて彼は「やれやれ」といった様子で、宥めるように、私の体を小さく叩いた。
あの日から、私は手持ちのポケモンへの接し方を変えた。
カッとなっても必死で感情を抑え、深呼吸をして心を落ち着かせることから始め。
過度なトレーニングは止め、センターで傷を癒すだけだった所を、休息を充分に取らせるように。
戦闘に勝っても負けても労いの言葉を伝え、とにかく彼らの良い所を見つけて、拙い言葉であったと思うが褒めまくった。
今まで戦いの道具として思っていた彼らを、1匹のポケモンとして改めて認識し直す。
しなければいけなかった。
トレーナーとしてやって当然の事を、考えて、考えて。
そうして8つのバッジを集め終える頃。
ようやく私は、トレーナーとして最低限の心得を持つことが出来るようになっていた。
遅過ぎた。
だけど、彼らは私を見捨てないでいてくれた。
私は彼らに対して、沢山の恩があるのだと、やっと気が付けた。
ピカチュウが私に電撃を流さないようになって、他の手持ちたちも笑顔を見せるようになって。
ポケモンリーグに挑戦する権利を得てようやく、私は本当のポケモントレーナーになれたのだ。
ごめんねと、ありがとうを沢山伝えるうちに、溢れ出した涙。
それが渇き切る頃、私はいつの間にかピカチュウの体を抱きしめていて、彼は昔そうしてくれたように、私の体を小さく叩いてくれていた。
「……また、一緒に冒険してくれる?」
一抹の不安を感じながら、胸にかき抱いたピカチュウに問いかけると、彼は「仕方ないなぁ」といった様子で、短く鳴いた。
◆
ピカチュウを抱いて立ち上がったショウビが、儂の方へ振り返る。
涙の跡がくっきりと残ったその顔に苦笑しながら、儂は過去に彼女に言った言葉を、改めて伝えた。
「おかえりショウビ。ポケットモンスターの世界へ、ようこそ」
「……ただいま、帰りました」
一度チャンピオンの座を降りた彼女が、再び同じ場所に帰ることは、恐らく難しいだろう。
未だ空席であるチャンピオンは、彼女ではない誰かが着くことになる。
だけど、そんなことは関係ないのだ。
その右腕と共に、人生に意味を見いだせなくなった少女が、再び光を取り戻すことが出来たのだから。
彼女がこれからどんな道を歩んでいくのか。
それが彼女にとって良いものになるという保証は何処にも無い。
だけど、彼女の傍にはポケモン達が居る。家族や友達、かつての旅で出会った沢山の仲間たちが居る。
彼らが彼女を支えてくれる限り、彼女が再び歩み始める人生という道は、どこまでも彩やかに伸びていく筈だ。
願わくば、彼女の新たな旅立ちに大きな幸のあらんことを。
精一杯頑張りなさい。
ポケモントレーナー・ショウビ。
◆
研究所の仕事を終えて、家に帰る。
既に帰宅し、料理をしていた母親に「ただいま」と声をかけた。
「おかえり。今日は遅かったわね」
「うん、今日はちょっと、色々あったんだ」
ニコリと微笑んだ母親。
手元を見ると、鍋の中に入ったカレーをお玉で混ぜているようだった。
とても美味しそう。
グゥと鳴ったお腹を抑えながら、食器棚からカレー用の皿を2枚出して、炊飯器で抱き上げられていたご飯をよそう。
皿を母に渡すと、彼女がそれにカレーを入れた。
いつも通りの、2人の食卓。
だけど、私の心の内は真逆だった。
食事を終え、シンクの前で親子並んで食器を洗っている最中、私はゆっくりと切り出した。
「──あのさ、お母さん。私、ポケモンに触れるようになったんだ」
「そう、それは良かった……わ、ね?」
言葉を途切らせながら、母が私の方を向いた。
その顔は予想通り驚きに満ちたもの。
当然だ。あの日以来、私はポケモンという存在を極力避けて生活していた。
研究所では事務仕事を主にしていたので、直接ポケモン達と触れ合うことは無かった。
今日の朝フシギダネとヒトカゲを目の前にした時も、本当は背筋が凍るほどの恐怖感を感じていたのだ。
それでもレッド君とグリーンの元先輩トレーナーであった手前、なんとか我慢することができた。偉かったぞ、私。
瞬きを忘れて私のことを呆然と眺めていた母の瞼が、パチパチと思い出したように瞬きを繰り返す。
洗いかけの皿をゆっくりとシンクの中に置いて、エプロンで濡れた手を拭い、それから私の顔をジッと見つめ、ようやく次の言葉を紡いだ。
「本当、なの?」
「うん。皆も、連れて帰ってきたよ」
ポケットに入れていた6つのボールを両手に持ち、それを母に見せた。
赤く透けたボール上部からは、一様に良い笑顔を浮かべたポケモン達の姿が見える。
それを確認した母は、再び呆然をした顔でボールを眺めてから、ぶわっと涙を流し始めた。
「え、お、お母さん!?」
突然泣き出した母に驚いて、慌ててその肩を抱く。
目の前で母親に泣かれたのなんて、チャンピオンになった時以来だ。
……ああ、いや、そういえば一年前に入院した時も泣いてたんだっけ。よく覚えていないけど。
「────……った」
「え?」
カの泣くような声は一度では聞き取れなくて、思わず聞き返す。
すると、母はボロボロと流れる涙を拭うこともせず、ただ満面の笑みを浮かべて、言葉を繰り返した。
「良かったねぇ……!!」
その顔は涙と、一年前から少しだけ増えた小皺でクシャクシャだったけれど。
「本当に、本当に良かったねぇ……毎日、毎日頑張ってたもんね……!」
「うん。……こっちこそ、ずっと見守っててくれて、ありがとうね。お母さん」
やっぱりそんなことは関係ないほどに、美しかった。
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