「ああ、つい長くなってしまったな。執務室にメンバーが出勤して来る頃だ。ご苦労様、今日の仕事に戻ってくれ、シルフィスに宜しくな」
そう言って、ノスリは背を向けて、剣の手入れに戻ろうとした。
しかし、去りかけた少年は、山茶花林の入り口で立ち止まってノスリを振り返る。
「どうした」
「そういう話をしてくれるって事は、僕、そろそろ名前を貰えるんでしょうか」
「そう急くな、早ければ良いって物ではないぞ」
また同じ言葉かと、少年は諦めかけたが、前長様の一拍置いた独り言を聞き逃さなかった。
「名前の事はなぁ…… 最近『名付けの反落』なんて妙な噂も流れているから……」
ハンラク? なにそれ?
でもここで「反落って?」と聞くと、また答えを貰えない気がする。
「ああ、反落ね。ぶっちゃけ僕はどっちになると思います? 悪い方かな、良い方かな? ね、ノスリ様」
嘘は言っていない、よしオッケ。
「いやいや、ただの噂だしな。けど、『名前を貰うと術力の伸びが止まっちまう』なんて事態が本当に起こったら、嫌だろう?」
ノスリのさらりとした言葉は、少年には初耳で、衝撃だった。
驚きを表に出さないよう、唇の震えを抑えて、軽い感じの声を出す。
「僕は、良い方の噂、だったら、いいのにって、思います。ほら、あっちの……」
「ああ、あっちは稀だ。『拝名した途端ヒトが変わったように術力が発現するパターン』な。そんな特殊な奴は俺が知っている限りでは片手に収まる。
どっちにしたって、拝名が切っ掛けかどうかなんて証明出来る物は無い。たまたまかもしれんし、ほとんどの者は、拝名の前後の術力なんて変わらない。女性に術力の高い者が少ないから、そんな説を誰かが唱え出して尾ひれが付いちまっただけだ。眉唾だと俺は思うぞ。
しかしホルズの耳に入っちまってな。一生に一度の機会だし、やり直しは利かない。ただの噂だと分かっていても、奴が慎重になっちまうのは仕方がないんだ、理解してやってくれ」
少年は眉を寄せて聞いていたが、ノスリが話し終わってから、一拍置いて口を開いた。
「あの、これ聞いたら戻りますんで、もう一個だけ」
「うん?」
「僕の拝名をピシリと止めたのはリリさんです。それ、……喜んでいいですか?」
前長は、大きな肩をヒクと震わせたが、すぐに穏やかな表情を作り直した。
「ははは、あいつがか。うん、そうだな、喜んでいいぞ。むしろそれ以外の何だというのだ。うん、そうか、うん」
――勘の鋭いリリさんが止めたという事は、多分『まったくの眉唾』でも無いのだろう。そして、ホルズさんともども、『彼』の顔を思い浮かべている。里一の剣士でありながら、何故かまったく術力の伴わない、ユゥジーンさん……
「じゃ、行きます、色々ありがとうございました」
「あ、あのな」
「はい?」
「剣を、習う気は、あるか?」
「……」
「無ければいいが」
「こんな小さな身体で、剣を習う価値なんかあるんですか?」
「ある。習っておけば、この先どちらへ転んでも、選べる道が増える」