起き上がろうとしたときにがくんと体勢を崩す。
腕に力が入らない。
この場所は……。
ああ、思い出してきた。
昨日のあれこれの事を。
……そのあれこれに関しては、命の危機だったんだ。お互いに触れることもあるまい。
「無理に起きるなよ」
聖王が私の側に来て、腕の傷を見る。
「風穴空けられた事を酷くないと考えるなら、それよりは悪化はしてないな」
つまり膿んで腐り始めているということはない……ということだろう。
「きずぐすりをもう一度使おう、その後に包帯を替える」
「……手数をかける」
「いいさ」
治療行為を行う彼を見やる。
小器用だ。
「手慣れているな」
「あー、今使ってる奴が便利なだけだ
オレの所の開発者は優秀でね、オレが必要だって頼ったものはすぐに試作品を作ってくれる」
「今使っているのもか」
「ああ、医療杖は誰しも使えるわけじゃないからな、
きずぐすりと違って即効性はないが、怪我の治り自体はかなり早くなる
それにかなり安価に量産できる予定だ」
きつく縛りすぎていたら言ってくれ、いやちょうどいい、なんて会話をしたあとに。
「一国の、それも敵国の王に看病をされる王女とは、笑い話にもならんな」
「そう言うなよ、抱えて落下した勇気に免じて一旦立場は忘れてくれ、お互いにな」
「努力はする……だが、質問はある」
「答えれる範囲なら答えるよ、暇だしな」
「なぜ、私を助けた?
……貴方は粗暴で我欲に忠実な人間だと聞いているが、戦略上で失敗をしているという話を聞いたことはない
その眼力があるのならば私の価値は定め終わっているはずだ」
「マケドニアの王女だが、政治的立場は無く、後ろ盾になる貴族もいない
むしろ国全体がミシェイルを推している今、目立たれては困るからこそ最前線に送られた
白騎士もいないということは半ば死ねと命じられているようなもの」
「そこまでわかっているのに何故、助けた?」
やはりそこらの賊が運に任せて王になれたわけではない、それに加えて私には妹のマリアをマケドニア軍部とアカネイア貴族に人質に取られているという背景もあるが、知らずとも当然のことだ。
聖王は小さく、苦笑めいた表情を浮かべた。
「戦場で斧を構えた孤影のお前が美しかったから、
そんなお前が落ちるときに何もかも手放したような顔をしたから
……まあ、オレはお前が思っているほど全てを見通しているわけじゃないんだ
自分に対する風聞なんて知ろうともしてなかったしな
理屈で動いちゃいないんだよ、ただ、お前が言う所の我欲ってやつに従って生きているお陰で一貫するっていう合理性を持っているだけだ、そいつが上手く人も国も回してくれるようになっている」
理解できない。
「理解できない」
思ったことを口にしてしまった。
そうしてしまった以上は続けねばならない。
「聖王レウスはアカネイア大陸の生ける伝説だ、それを私の姿が気に入ったから、気に入った姿に陰りがあったから助けた、そう言っているのか?
……正気なのか、貴方は」
「度々言われるけどな、正気だからって狂ったことがないって話にはならんのよ
生卵を茹でるのと同じでな、一回狂っちまった奴は正気に戻ったからって元々の形には戻れないのさ」
「ええい、
「レウスでいい、立場を持って喋った所でここに臣民がいるわけでもなし」
「それは……わかった……レウス
よく聞いて欲しい」
「ああ、なんだ」
「貴方はどうして『そんな』なのだ?」
「『そんな』って、なんだよ」
「流石に近しくもない人間にこれ以上の直言はできん」
「それを言った時点でしてるのよ、ミネルバさん」
思わず溜息も漏れ出るというもの。
「……貴方を普段止めるものはいないのか、苦言を呈したりするものは」
「いなくはないが、最終的にはみんなオレを甘やかしてくれるからな」
私は頭を抱えた。
正直な話、アカネイアを荒らし回るアンリを騙るかのような蛮人レウスの話は良くも悪くも吟遊詩人たちの格好のネタだ。
どこまでが真実かは定かじゃあない。
海賊に支配されたタリスとガルダを武器一つで救い出した伝説の始まり、
歴史上最悪の山賊サムシアンと恐るべき剣士を一人で退けた大乱闘、
アリティアの后リーザを襲う魔竜との決闘、
グルニアの猛将ホルスタットとの一騎打ちと猛将がまことの主を見つけるまでの一章、
若き王女シーマをディール侯爵の手から取り返し、一騎打ちでの決着、
タリスの老王が覚醒し、全盛期の姿に若返っての拳と拳のぶつかり合い、
カダインの魔道王ガーネフとの魔法合戦。
どれもいかにも『嘘』だ。
けれど、彼はその全てを辿り、自らの下につけている。
それがでたらめな嘘を物語にするまでの補強をしている。
私は吟遊詩人の唄を聞く度に少女に戻った頃のようにわくわくしていた。
この閉塞したアカネイアの地に英雄が来たのだと。
いかにもな嘘、いかにもな伝説。
下支えする聖王レウスという男の破天荒で向こう見ずな性格。
都合のいい男がいるものか。
それがあってしまった、その破天荒で向こう見ずで、正気とは思えない行動を見せつけられた。
「御身はこの閉塞したアカネイア大陸を変えうるものなのだ、それを自覚されるべきだ」
「それでお前を見殺しにしろって?」
「……それは、……ああ、そうだ
私なぞ見殺しにするべきだったのだ」
「そんなことしたらリーザに叱られて、シーダには心を心配されちまうからなあ」
「細君がお二人いらしたというのは吟遊詩人の創作ではなかったのだな」
叱られる、のは見殺しにするのはアリティア聖王国の主としての振る舞いではないからだろう。
心配される、のは予想もできないが。
「リーザだったら、『好みに合う娘だったんでしょ?その上で見殺しにするなんて信じられない』ってな」
「女王殿下はその……特殊な趣味をお持ちなのか?」
「嫁さん増えても自分を愛する心が誰かと同じ種類にならない限りは怒らないだけだろう」
「空のように心の広い方だな……」
「それにどうあってもオレが離れられないって自信があるんだよ、リーザには」
「事実そうなのか?」
「事実そうだな」
予想もつかない。
私であれば夫がそんな事になるとしたなら……いや、考えたこともない。
一般論ならば予想も付けられるが、レウスの細君二人は凡人でもないのだから。
……私はそうなったらどう思うのだろうか。
「シーダも似たようなものだろうな、『心を動かされたのに手を伸ばさなかったのですか……?』って言ってくるだろうよ、その後に部下に言って数日休ませろとか、ガーネフに薬を処方してもらうだのと騒ぎそうだ」
「それもまた愛……なのだろうか」
私の両親は、いや、多くの王家とはそれほど近い関係性にならないものだ。
夫婦とはあくまで王族や貴族としての仕事。
その関係性は羨ましくも思う。
そうした家庭で幼少期を過ごせていたらきっと楽しい日々だったのだろう。
「とにかく、オレはお前が放っておけなかった
お前の外見が好みだったから、それで納得できるならそういう事にしておけよ
少なくとも一国の王が命をかけるくらい好みの外見をしていたことは自慢になるんじゃないか」
「……今は、それで納得しておこう」
どこからか取り出した食品を渡され、寝ているように言われる。
彼はどうやら焚き木に使えそうなものを探しに行くらしい。
手伝いたいが、この体でできることなどない。
食事と火の暖かさで私は再び意識を眠りへと落としていった。