「どうしても、御出でになるのですか」
「くどい」
「タリス王が討たれれば終わりなのですよ」
「くどいぞ」
家臣の言葉を一蹴し、その男は一歩前に出る。
「サジ、マジ、バーツ
貴様たちは城を守れ
オグマ、貴様は儂と同道せよ」
「ですが、王……」
「止めるというのか、儂を」
伸びた眉毛、落ち窪んだ奥の瞳が光るように見つめる。
オグマは意を決したようにして
「承知しました、お供させていただきます」
「……うむ」
タリス王モスティン。
その太い足で主城の外へと踏み出した。
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時間は大いに逆巻く。
シーダがレウスによって奪われたタリス。
オグマたちがシーダの一言もあり、島へと戻った頃。
タリスは常と変わらない、とは言えないものの過日の海賊騒ぎからは立ち直っていた。
「オグマだ、王にお目通りを願いたい」
「おお、オグマ殿
……王は、その」
「やはり臥せっておられるか」
モスティンのシーダに対する愛情の深さを知っている。
まさしく王の全てを捧げて、タリスを彼女が安息して住むことができる楽園にするために並々ならぬ努力をしていたことを知っている。
タリスに騎士団や戦士団を極力置きたがらなかったのも戦いの匂いを遠ざけたかったのだ。
モスティンの判断は王としては暗愚ではあったが、娘を思う父としては正しいだろう。
(あんな男に奪われたのだ……その苦痛、察するに余りある)
オグマは自らを恥じる。
あの場でレウスを斬るべきとまでは言わずとも、強引にでも付いていくべきだった、と。
「王への謝罪をしたいのだ、私室の扉外からでも構わない
頼めないか」
「……わかりました、どうぞこちらへ」
オグマの哀愁と苦悩が湛えられた瞳に負けたように使用人が案内を始める。
「こちらは私室ではないはずだが」
進む道はどう考えても中庭の方である。
声が聞こえてきた。
「モスティン様、もうお止めください!」
「これ以上はどうか!」
メイドたちの悲痛な声。
(王、よもや悲嘆のあまり──)
オグマが使用人を追い抜いて、走り中庭へと向かった。
「七百、五十……三」
「王よ、どうか!どうか!」
「七百、五十……四」
「御慈悲を、御身にどうか御慈悲を!」
メイドたちが声を上げているその先には上裸になったモスティンがいる。
だが、それはオグマが考えていた乱心の姿とは違った。
木剣を手に持ち、それを振るう度に数えている王、モスティンの姿であった。
その体は枯れ木のように細く、その肌も血色の悪さからか灰色めいている。
「……七百、五十……」
そうしてついに老骨に耐えかねたように木剣が落ち、モスティンも気絶する。
地面に倒れる前に走り込んだオグマがそれを見事受け止めた。
「……医務室へ運ぼう」
オグマの声に、追いついた使用人とその場にいたメイドも頷いた。
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王が急変したのはごく最近であるという。
シーダ王女が城を去った後、呆けたようになっていたとき、彼が何を見たのかはわからない。
だが、突然に木剣を持ち出し、それを振り始めた。
起きて、食事を取り、木剣を振るう。
一日の殆どを木剣を振るうことに費やしていた。
しかし、使用人曰くに変化がないわけではなかった。
医務室に運び、数時間の眠りについていた王はくわ、と目を開く。
側についていたオグマはその様子に声をかけようとするも、
以前……シーダが城に居た頃よりの彼よりも
「いつも通り、作るのだ」
歩きながら使用人へと命じる。
モスティンが到着したのは食堂。
普段であれば王族のために作られた部屋で行う食事を、使用人たちが使う食堂で行おうとしている。
オグマは困惑したが、すぐに理由がわかった。
運ばれて来たのは大量の野菜と肉。特に肉料理の多さは尋常ではなかった。
何人分の食事であろうか。
自分の部下もよく食べるほうではあるが、その食事よりも遥かに多い。
家族団らんをする程度の机の大きさでは足りないのだ。
モスティンはそれらにかぶりつく。
咀嚼し、飲み下し、果実を絞りいれた飲料水を口へ注ぐ。
ひたすらにそれを繰り返す。
それは止まらず、オグマが呆気に取られていると、やがて食事が終わった。
(あ、あの量をお一人で……?)
オグマはそこで異変に気がつく。
(室温が上がっている……いや、王から熱が発せられている……!)
モスティンはオグマの横を通り抜けるように部屋を後にする。
向かう先は当然、中庭であった。
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あれから数日が経つ。
モスティンの姿は変わりつつあった。
枯れ木のような腕はオグマほどではないにしろ膨らみ、
その肌の色はむしろオグマよりも瑞々しい。
「……二千、四百、六十、七」
更に代わったことはただ振るうだけでなく、全身運動を加えた素振りになったこと。
尋常ではない体力を消費しながら、それを続けている。
そして、倒れ、眠り、喰らい、再び振るった。
オグマは言葉こそかけられなかったが、モスティンの側で彼を支え続けた。
それから更に時間は流れ、常とは異なる行動を王が取る。
玉座へと進む。
今やオグマだけでなく、彼の配下であった力自慢の戦士たちよりも太くなった腕が玉座を掴むと軽々と転がした。
玉座の下には空間があり、そこに手を入れ、引き抜く。
モスティンはそれを掲げるようにして構えた。
タリスがまだ国ではなかった頃の話だ。
モスティンは独力でタリスを纏め、国とした。
かつての彼は蛮勇で知られた男であり、多くの戦いに挑み、しかして負けを知らぬものだった。
彼がめっきりと老いたのは国を作り、政務に明け暮れ、外交を続け、その多忙の中で妻を看取れなかったことに起因する。
こんなことならば静かな生活を選ぶべきだった……、国の発展など望むべきではなかった……、と。
シーダが慈しみを持って育てられた経緯こそも、そうであった。
彼が掲げる剣は『勇者の剣』。
モスティンが
「オグマよ」
オグマが島に戻ってきて、はじめて彼は名を呼ばれた。
「よく尽くしてくれた、礼を言う」
その声は、全盛期よりも深く、重く、よく通る声であった。
モスティンのもとにサムスーフのベントから脅迫が届くのはこのすぐ後のことである。