それはある日の事。
食堂で私が優雅に紅茶を嗜んでいた時でした。
マシュ
「休憩ですか、コヤンスカヤさん?」
コヤンスカヤ
「ええ。マシュさんも休憩ですの?」
マシュ
「はい」
私の言葉にどこか親しげに頷いた彼女の姿に、私は内心苦虫をかみ潰したような気持ちでした。
コヤンスカヤ
(正直、この子は苦手揃いなカルデアの中でも二番目くらいに苦手です)
異聞帯では散々やり合ったというのに、ニコニコと親しげでそれを気にした様子もない。
素直でからかい易そうなのはいいのですが、それとは別に予想が付かない突拍子もない部分もあってどうにも苦手意識は消えません。
コヤンスカヤ
(それでも善人面して腹の底では何考えているか解らないマスターに比べれば大分マシですけれど……)
アレは駄目。
もう何て言っていいのか解りませんが、駄目ですわ。
コヤンスカヤ
(いわゆる生理的嫌悪ってやつなのですかね?)
アレに比べれば大体のものは許せてしまえそうな程ですし。
マシュ
「……」
と、私がそんな事を私が考えている間もこの子は動こうとしません。
何か物言いたげな様子で私の事を見詰めているじゃあ、ありませんか。
コヤンスカヤ
「何か御用ですの?」
今の時間、食堂はがらがら。
席はいくらでも空いているのですから、わざわざ私の席が空くのを待つ必要はないでしょう。
マシュ
「いえ、その、用と言うほどのものでもないのですが……」
ならば用でもあるのかと思いきや、煮え切らない態度。
コヤンスカヤ
「さすがにそうして無言で見られていると気になって仕方ありませんわ」
コヤンスカヤ
「話があるなら聞いてあげますので、席に着いたらどうです?」
軽口を叩いてはぐらかさそうにも、そもそも話題も何もなければ話にもなりません。
あまり気は進みませんが、相席を勧めます。
マシュ
「はい、それでは失礼させていただきます」
マシュ
「……」
そうして私の誘いに応じて席にこそ着きはしたものの、結局物言いたげにこちらを見詰めるだけで何も言いません。
コヤンスカヤ
「それで何か訊きたい事でもおありなのでしょう?」
コヤンスカヤ
「答えるかどうかは別ですが、言うだけならお金も何も取りません」
コヤンスカヤ
「ですので、話してはくれませんかね?」
一刻も早く話を切り上げたく私の方から話を振ってみます。
マシュ
「その、コヤンスカヤさんは男女の事について詳しいのだと聞いています」
コヤンスカヤ
「はあ、まあそれは人並み程度には見知ってはいますが……」
ようやく話し始めたかと思えば――
遠回しにビッチですよね、と言わんばかりの質問が飛んで来た事に驚きつつ私は考えます。
コヤンスカヤ
(この子は一体何が聞きたいのでしょう?)
まさかとは思いますがマスターを誑し込む術でも教えてほしいのでしょうか?
コヤンスカヤ
(……それは面白そうですわね)
正直、適当に話を切り上げる気でしたが、こうなれば話は別。
じっくり話を聞こうじゃありませんか。
と腰を落ち着けて紅茶を含んだ瞬間の事でした。
マシュ
「私に恋愛について教えてほしいのです」
コヤンスカヤ
「オウフッ」
あまりに予想外の返答が飛んできて、むせて紅茶を吹き出しそうになりました。
コヤンスカヤ
(これだからこの子は苦手ですわ……)
どこをどうしたら私にその質問をしたくなるのか。
綺麗さっぱり解りませんもの。
自分で言うのもアレですが世間での私の評価なんて男の気持ちを利用するだけ利用した悪女でしょう?
恋だの愛だの尋ねる相手にどうしたら選ばれるというのか……。
コヤンスカヤ
「その質問は私でなければ駄目ですの?」
マシュ
「いえ、そんな事はないのですが、その……」
マシュ
「他の方にも訊いてみたのですが、私の理解力が足りないせいかよく解らなくて……」
コヤンスカヤ
「参考までに、どなたに尋ねたか教えて戴いても?」
マシュ
「はい、ええと……」
マシュ
「アルトリアさん、シグルドさん、鈴鹿御前さん、ジャンヌオルタさんです」
コヤンスカヤ
「これはひどい」
よりにもよって、という面子ばかりじゃありませんの。
というか私はそれらの次か、同等レベルだとでも?
この子、わざとやっているのでしょうか?
マシュ
「はい?」
コヤンスカヤ
「いえ、こちらの話です。お気になさらず」
そこで私何か間違えましたか?
なんて本気で思ってそうな顔をされては、いくら私でも何か言う気にもなりません。
というより何か言うのも面倒臭いです。
マシュ
「アルトリアさん達は結婚を経験なされていますし、きっと参考になる話を聞けると思いましたし」
マシュ
「鈴鹿御前さんは恋愛の事ならこのJKにお任せと自信満々でした」
マシュ
「ジャンヌオルタさんも何でも聞きなさい、と仰ってくれたのですが――」
マシュ
「どうも、皆さんの言葉は私には難し過ぎて……」
コヤンスカヤ
「でしょうね」
そもそもどんな理由があるにせよ。
その面子に質問する時点で恋愛に対しての理解に根本的な欠陥があるようにしか思えませんわ。
コヤンスカヤ
(せめて夫の方じゃなく、妻の方に訊けばまだ参考になる話の一つや二つしてくれたでしょうに)
何故あえてそっちを選んだのか、理解に苦しみます。
アレに愛について尋ねたところで、延々と妻への惚気を垂れ流すだけでしょうに。
コヤンスカヤ
「はあ、それで一体恋愛の何について聞きたいのです?」
コヤンスカヤ
「漠然と恋愛についてと言われても答えようがありませんが……」
もう正直、面倒臭くて帰りたいというのが本音でしたが――
コヤンスカヤ
(一応訊くだけなら無料と言ってしまいましたしねえ)
失言だったとはいえ言った事は守らなければなりません。
私は好き放題に嘘を吐いて知らぬ顔出来るような恥知らずな人間達とは違うのですから。
マシュ
「ああ、そうですよね。では――」
とりあえず恋愛なんていうのは性欲を誤魔化す為の建前。
肉欲をいかに正当化したり美化する為に生み出された誤魔化しの言葉とでも語っておけばいいでしょう。
実際、その通りだと思いますし。
けれど――
マシュ
「好きな男性のタイプとかどうでしょうか?」
そんな私の思惑を打ち砕くようにこの子は予想外の質問を飛ばしてきやがりました。
コヤンスカヤ
「どうしてそうなりますの……」
この流れから、その質問は出ないでしょうに。
本当に予想の難しい子だこと……。
マシュ
「その、コイバナの基本だと鈴鹿御前さんが……」
コヤンスカヤ
「ああ、あの方なら言いそうですわね……」
コヤンスカヤ
(ですが、何が悲しくてそんな脳内お花畑の話をしなければなりませんの……)
本当に頭が痛くなってきました。
それにどうにも振り回されているようで癪です。
いっその事――
コヤンスカヤ
(マスターみたいな方というか、マスターがもろタイプのど真ん中ですわね)
とでも言ってみたら面白いでしょうか。
コヤンスカヤ
(……それは違いますわね)
それはもう、からかうという域を超え騙す為の嘘になってしまいます。
別に頭の悪い人間達を騙すのは構いませんわ。
むしろ騙される方も騙される方だと思いますし。
コヤンスカヤ
(けれど美学というものがありますの)
真実しか語らなくても人を騙す方法なんていくらでもあります。
肝心な事だけ伝えない、曖昧な返答で誤魔化す。
要はこちらが嘘なんて吐かなくても、受け取る側が勝手に都合よく解釈するようにすればいいだけの事。
マシュ
「……その、何かマズい事を聞いてしまいましたか?」
コヤンスカヤ
「いえいえ、ちょっと考えていまして」
例えば今の言葉もそう。
質問とは全然関係ない事を考えていましたが、考えている事には変わりありませんものね。
コヤンスカヤ
「ふむ、それにしても好きな男性のタイプですか……」
人間の男なんてどれもこれも一緒でしょうに。
という言葉が一瞬、頭に浮かんだものの――
コヤンスカヤ
(おや?)
よく考えてみれば、私、マスターの事は超が付くほど苦手でしたわ。
意外にも私にも男性のタイプというものがあったようです。
コヤンスカヤ
(これは存外、面白い話題なのかもしれませんわね)
しかし意識していなかっただけに、どういうのがタイプなのか?
と言われるとパッとは浮かびませんねえ。
コヤンスカヤ
(でしたら具体的な人物から考えてみましょう)
直近で一番面白かった人物と言えば――
コヤンスカヤ
「ゴルドルフ所長なんか結構タイプのど真ん中ですわね」
マシュ
「しょ、所長ですか!」
コヤンスカヤ
「ええ」
気持ちは解らないでもないですが、その反応は失礼もいいとこでしょうに。
ここに所長が居ないのが残念ですわ。
コヤンスカヤ
(きっと愉快な反応をしてくれたのでしょうねえ)
割と本気でアレのリアクションは一々大袈裟で結構好きでしたわ。
マシュ
「その、具体的にはどういった部分がタイプなのか。訊いてもよろしいでしょうか?」
コヤンスカヤ
「そうですわねえ。下心を隠し切れない素直なところでしょうか?」
マシュ
「し、下心ですか……」
コヤンスカヤ
「ええ。表面上は紳士的に振る舞おうとしつつも、野心を隠し切れず、隙あらば自分の地位や権力を高めようとする」
コヤンスカヤ
「そういう向上心に溢れた男性は魅力的に見えますわね」
マシュ
「ああ、そういう意味ですか。私はてっきり……」
コヤンスカヤ
「勿論、性的な意味も含めてですわ」
マシュ
「そ、そうなのですか……」
コヤンスカヤ
「ええ。だってそれだけ私の事を魅力的に思ってくれているという事でしょう?」
コヤンスカヤ
「それはそれは嬉しい事ではありませんか」
マシュ
「そ、そういうものですか……」
初心そうに顔を赤くしつつ、チラチラと自分と私の身体を見比べています。
コヤンスカヤ
(ああ、その反応いいですわね……)
いかにも外見より中身が大事です、なんて言いそうな顔をしていても。
結局は外面、身体が大事なんて事を本能的に理解しているようで愉快ですわ。
コヤンスカヤ
「ええ、バレてないと思って恰好付けながら私の身体を嘗め回すように見ている男の滑稽さ」
コヤンスカヤ
「そうして私の言葉に一喜一憂し、私を求めて右往左往している姿ときたら」
コヤンスカヤ
「もう、愛らしくて愛らしくて堪りませんわ」
マシュ
「な、なるほど?」
その返事は納得しているのか、していないのか、どっちですの?
まあ、どちらでもいいのですが。
マシュ
「では、コヤンスカヤさんは所長とお付き合いなさりたいのですか?」
コヤンスカヤ
「はあ? 何を仰っていますの?」
本当、この子は何を言い出すのでしょうか。
多分私、今相当に間抜けな顔してしまいましたよ。
コヤンスカヤ
「そうして手に入りもしない私を求めて、無駄に足掻く姿が愛らしいんじゃないですの」
無駄な努力の果てに空回りして自滅姿はあまりに惨めで矮小で愛らしいです。
ですが、それは見ていて楽しいというだけの話。
コヤンスカヤ
「私自身が誰かのものになる気も、私自身が誰かが欲しいという事でもありません」
何が悲しくて、そんな哀れな存在と隣に居たいというものですか。
コヤンスカヤ
「私はですね、マシュさん」
コヤンスカヤ
「私の為に無駄な努力をしている人を見るのが一番好きですのよ」
他には私の言葉で醜く争い合う人間達とか見るのも楽しいものですが、それは聞かれてないのでおいておきましょう。
コヤンスカヤ
「そういう意味では所長は近年稀に見るほどに最高でしたわよ」
コヤンスカヤ
「おだてればおだてる程、身の程を弁えず増長し」
コヤンスカヤ
「何もかも失う直前まで踊り狂ってくれました」
コヤンスカヤ
「そこまでされたにも関わらず、私との思い出を後生大事に抱えていた姿ときたら」
コヤンスカヤ
「もうどうしたらそこまで愚かになれるのですの、と仰ってあげたいくらいに――」
コヤンスカヤ
「惨めで矮小で、とても愛らしかったですわ」
マシュ
「それは、その、何か違うのではないでしょうか……」
コヤンスカヤ
「あら、どこが違いますかね?」
マシュ
「もっとこう、お互いを想い合うだとか、傍に居て落ち着くとか」
マシュ
「そういうものだと思っていたのですが」
コヤンスカヤ
「はあ、いいですか。マシュさん」
コヤンスカヤ
「例えば自分に優しくしてくれる相手を愛おしく思う方が居るでしょう」
コヤンスカヤ
「そして優しくされなくなった途端、冷めてしまう方も当然居るでしょうね」
コヤンスカヤ
「その方からすれば、自分にどれだけ優しくしてくれたかだけが愛されていると言えますわね」
コヤンスカヤ
「他に美しい姿形に惹かれ他人を愛し、次々と他の美しい相手へ移り行く方も居るでしょう」
コヤンスカヤ
「その方は相手が変わっていくだけで、相手が変わる度に相手へ新しく愛情を抱いている筈ですわよね?」
マシュ
「確かに、そうなりますが……」
コヤンスカヤ
「要するに愛なんてのは、その本人にとってどれだけの価値を相手が与えてくれるかでしかないのですわ」
愛なんて言葉は性欲を誤魔化すだけの建前と割と真面目に思っていましたが、よく考えたらそれだけではありませんものね。
自分は格好良い夫を持っている、あるいは美人な妻を持っている。
相手がこれだけ貢いでくれるのだから、これだけ愛されている。
コヤンスカヤ
(他者へのマウント、欲望の捌け口、執着心に独占欲、自己肯定……)
愛という言葉に色々な意味や形があるというのを、私は嫌と言うほどに見てきましたわ。
マシュ
「その人にとっての価値、ですか」
コヤンスカヤ
「ええ。たとえ相手が相手なりに優しくしたのだとしても、本人に届かなければ何の意味もないでしょう?」
マシュ
「確かにそうです」
コヤンスカヤ
「そして私にとっての愛しいと思える価値が、『それ』だったというだけですの」
この子をからかう為に言葉を並べこそしましたが――
私の言葉で踊り狂い自滅していく人間が堪らない程に愛らしい。
実際、それこそが嘘偽りのない私の本音なので仕方ありません。
コヤンスカヤ
(お互いを想い合う? 傍に居て落ち着く?)
そんなよくある綺麗事にしか聞こえない言葉なんて、ちゃんちゃら実感なさ過ぎて。
笑いすら通り越して、吐き気すらします。
コノスカヤ
(もしそれを認めないと言い張るのならば――)
それはそれは愉快な事ではありませんか。
自分の理解出来ない思考は、たとえそこに確かに在っても存在すら認めないと排他する。
コヤンスカヤ
(実に独善的で人間らしくて良い姿ですわ)
どんな押し付けをしてくれるのか見物というものです。
恋とはこういうものだ?
それは愛とは違う?
コヤンスカヤ
(その良い子ちゃん面は、どのように歪んでくれますかね?)
その姿を見れるのなら、こうして茶番に付き合った甲斐があったというもの。
想像するだけで涎が出てしまいそうじゃあ、ありませんか。
コヤンスカヤ
(さあ、あなたはどんな姿を見せてくれますの?)
そうして私が内心、期待に目を輝かせていると――
マシュ
「なるほど。目から鱗です!」
マシュ
「そういう愛情の形もあるのですね。勉強になりました」
その期待を木端微塵に打ち壊すように。
納得したと言わんばかりの顔で、この子は予想を裏切る事を言い出すのです。
コヤンスカヤ
「……意外ですわね」
コヤンスカヤ
「アナタはこう、お互い優しくし合える関係だとか、相手の事を気遣えるとか、一緒に居て楽しいだとか、そういう事を言うのかと思っていたのですが……」
マシュ
「はい。私は朧気に恋愛とはそういうものだと思っていましたし、憧れもあります」
マシュ
「ですが、私がそういう恋愛の形に憧れているからといってコヤンスカヤさんの想いの形を否定するのは違うと思うんです」
コヤンスカヤ
(よくもまあ、そう真顔で綺麗事を並べ立てられるものですわね)
正直、呆れて物も言えません。
その面の皮の厚さはどうやって作られたのでしょうかね。
――まあ、知りたくもありませんが。
マシュ
「愛には色々な形がある。そういう言葉は何度も耳にしましたし、私もその通りなのだろうなあと思っていました」
呆れている私に気付きもせず、止まる事無くご高説が垂れ流されていきます。
マシュ
「ですが、その言葉の意味を正しく認識出来ていなかった、と。コヤンスカヤさんの言葉で始めて実感出来ました」
マシュ
「思えば黒髭さん、ナポレオンさん、ファントムさん、色んな方が居て皆さん、それぞれ自分なりの価値観を持っていました」
考え深げに話す姿に、ようやく私は自分の失策に気付きました。
コヤンスカヤ
(よく考えたらこの子、そこ等の人間よりよっぽど奇人変人に囲まれて過ごしてきていますのね……)
英雄なんて皆、一般人の枠をはみ出した超人であるのと同様に一般人からズレきった変態奇人じゃないですの。
そんな変態集団に囲まれて旅をしてきているこの子を、普通の子と考えて会話しようとしたのがそもそものミスでしたわ。
マシュ
「ありがとうございます。大変参考になりました」
そんな私の気持ちにこれーぽっちも気付かず、晴れやかな顔でお礼なんて言ってくるから堪りません。
コヤンスカヤ
「……自分は何も知らない無垢な少女ですみたいな顔して、とんだ悪女ですわ」
マシュ
「はい? 何か仰りましたか?」
コヤンスカヤ
「いえいえ。お役に立てたなら良かったですわ」
マシュ
「はい、本当にありがとうございました」
それでは失礼しますね、なんて一礼して去っていく背中に私は何とも言えない気持ちにさせられるのでした。