山をいくつも越えてたどり着いたその村は閑散としていて、そこかしこに田んぼが見られる。
いかにも山間の田舎、という感じだ。
「お、あれだ」
手持ちのメモと風景を何度も見比べてから、師匠が言った。
その目線を辿ると、道路から少し登ったところに木造の家屋がぽつんと佇んでいた。
「なんというか、貫禄がありますね」
それに付近に他に家は見られない。
これじゃ万が一何かがあっても、誰にも気づかれないんじゃないだろうか。
僕は少し怖気づく。
「田舎ならそんなもんだろ」
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、師匠が興味なさげにつぶやいた。
家屋の傍に車を停めると、師匠が玄関前でごそごそと何かを探っている。
「お、あったあった」
花壇に隠されていた鍵を取り出すと、その鍵で引き戸を開錠した。
「あれ、家主の方は……」
師匠の背中越しに呼びかけると、「もう出かけてるってさ」と言って師匠がガラガラと音を立てて戸を開けた。
ちらりと中を覗き見ると、特段おかしな感じはしない。普通の田舎の家って感じだ。
「とりあえず荷物入れちまおう」
「はい」
車の荷台から自分の荷物を取ったところで、未だ玄関前にいる師匠と目が合う。
「か弱い女の子に、重い荷物を持たせる気?」
しなしなと身をくねらせている。なんだよ、かわいいじゃねーか。
仕方なしに師匠の荷物も一緒に肩にかけた。
「お邪魔しまーす」
誰にともなく言うと、僕はこれから一週間師匠と住むことになる家に上がる。
上がって正面にある居間に荷物を置くと、僕たちはまず家の中を探索する。
今いる居間は修学旅行生でも使えそうなくらいの広さで、そこから廊下を挟んでもう一つ小さめの居間がある。
こちらには大きな座卓やテレビ一式が置かれていて、どうやらこちらがメインで使われているようだ。
その居間を囲むように左手から台所、客間、寝室、風呂場、トイレというよう順で配置されている。
家の物は勝手に使っていいとのことだったので、お茶を淹れてしばしくつろぐ。
冷蔵庫は調味料やドレッシング以外は入ってなかったので、僕たちは日が落ちる前に近くにスーパーに買いものに行くことにした。
ああだこうだと言い合いながら買いものをする様子は、同棲したてのカップルみたいでちょっと楽しかった。
気持ち多めに酒を買って帰宅すると、師匠が夕飯を作ってくれる。
普段の質素な料理(素麺やムニエル)とは違って、サラダや炒め物が食卓に並べられるところを見るに、
どうも今回は前金としてそこそこ貰っているらしい。
上機嫌な師匠と缶ビールで乾杯して、僕は温かい料理を頬張った。
しばらくはテレビに茶々を入れたり、田舎にまつわる怪談なんかをお互い喋りながら時間を潰す。
「先にシャワーもらうぞ」
師匠がそう言うものだから、思わず「どうぞ」と上ずった声での返答になってしまう。
師匠が客間に着替えを取りに行く。
寝室はさすがに依頼主の私物が多いということで、師匠が客間、僕が広い方の居間で寝泊まりすることにしたのだった。
そわそわと落ち着かない気持ちでテレビを眺める。
シャワーのサーッという音が聞こえてくると、どうしても変な想像をしてしまいそうになる。
頭を振って、僕は冷静に今後のことを考えようと思考を巡らせることにした。
未だ何も気配を感じないけど、この家に起こる現象とはどんなものなのだろうか。
このまま一週間過ごすだけなら楽勝じゃないか。
師匠に告白するなら早い方がいいだろうか。
断られると一週間地獄を見る羽目になるのだから、やっぱり最終日にしようか。
いや、決して臆病になってるわけじゃなくてさ。
ああ、でももし上手くことが運んだら……。
結婚はいつ頃にしようか。やっぱり働いてから数年はお金を貯めた方がいいんだろうなぁ。
師匠は貯蓄するタイプじゃないし、僕がちゃんと稼がないとなぁ。
子供を……師匠は欲しがるだろうか。どうせ結婚するのなら、僕は欲しいなぁ。
どうせなら賑やかな方がいい。大家族を目指して、たくさん作りたいなぁ。
息子とキャッチボール? いいね。
でもどうせなら、9人で……。
「おーい、聞いてるのか?」
「はいっ!! 野球がしたいです!!」
露骨に「何言ってるんだ?」という顔をする師匠。
「お前も早いとこシャワー浴びてこい」
バスタオルで髪を拭く師匠を横目に、僕は着替えを取ってから風呂場へと向かった。
古い家の風呂場ということで、どんなものかと少し緊張していたのだけど、リフォーム済のようで小綺麗な浴室だった。
そういえばトイレも時代を感じさせないものだったから、家主は綺麗好きなのかもしれない。
慣れない最新の給湯器を操作してシャワーを浴びながら、僕は明日は浴槽を掃除してお湯を張ってもいいな、なんて考える。
そうだ。ここで出来る男っぷりを発揮して師匠の気を引くのもいい。
それに、だ。僕は拳をぐっと握る。
邪悪な笑みが浮かび上がるのが自分でもわかる。
加奈子さんの入浴シーンを覗く輩が出てきても困る。今後の参考にと、換気用の窓から死角を探して外を眺める。
あくまでも、覗き防止対策だ。もしかしたら窓を閉め忘れちゃうかもしれないけど、不可抗力というやつだ。
窓からは家の裏側にある荒れた庭と、その向こうには山が見える。
そして……何もない庭の中央にぽつんと井戸が存在していた。
ぞわり、と全身が総毛だつ。
この家に来てから初めての感覚だ。あれはまともな井戸ではないと本能が告げてくる。
そういえば来る途中、師匠が井戸のことを話していた。なんだったか。
とにかく「ヤバい」という感情が強くなってしまって、まともな思考ができなくなっている。
だというのに、目線は井戸から外れてくれない。
動物は本能的に危機を感じた時に、その対象から目を外そうとしないのだという。
……外せば襲われるから。
体が硬直してしまい、逃げるに逃げられない状況の中、
シャーと出しっぱなしにしていたシャワーの音に混じって、何かが聞こえる。
がさり、がさり。
何者かが家の周辺を歩いている。
がさり、がさり。
徐々に近づいてくる物音。
動かない井戸よりも、動く何者の方が恐怖が強かったのだろう。
僕の目線がその音のする方向へと動く。
がさり、がさり。
風呂場の明かりが、その姿を照らし出す。