三日目の朝。
「なんだ、今日は早いんだな」
朝食を作っていると、師匠が起きてきた。
「ええ、毎日師匠の手料理ってのもありがたいんですが、後が怖いので」
スクランブルエッグとトーストですが、と付け加えて、卓上に配膳していく。
「お前……」師匠が僕の顔をじっと見つめる。
「なんですか」僕はドキリとして師匠から目を逸らす。
「まぁいいか」
それきり興味をなくしたようで、ガツガツと朝食を平らげると、師匠がそのまま居間で化粧を始める。
食器を下げながら、僕は師匠の珍しい姿を盗み見する。
「今日は昼寝でもしておけ」
師匠はスーツを着込むと、そう言って出かけてしまった。
ガラガラと戸が閉められると、張り詰めていたものが一気に抜けていく。
疲労のためか、ずいぶんと体がだるい。
結局、夜中聞こえてくる物音のせいで、昨晩もほとんど眠れていない。
あんな化け物が這いずっている中で眠れる、師匠の神経の図太さがちょっぴり羨ましい。
お言葉に甘えて少し眠ろう。
「昼過ぎまで……」
そう呟いて布団に入った瞬間、意識が泥のように溶けていくのがわかった。
夢を見た。
僕は自分が眠っている姿を上から眺めている。
しばらくすると、あのブヨブヨの化け物が家屋の中に入ってきた。
僕はぐっすりと眠っていて、その存在に気付かない。
そいつは僕の枕元に来ると、僕をじっと見つめている。
一切の感情が浮かばず、僕はその光景を俯瞰的に眺める。
ぎゃお、と化け物は一鳴きすると踵を返して森に戻っていく。
僕はまだ目覚めない。
僕はまだ目覚めない。
ああ、そういえば僕はもう死んでいたんだったな。
師匠ももう……。
「おい、いつまで寝てんだ」
ゲシゲシと師匠に足蹴にされて目が覚める。ありがとうございます。
「おはようございます」
「もう夕方だぞ、バカ」
目をこすって欠伸をしていると、すでに私服に着替えた師匠と目が合う。
「顔色はよくなったみたいだな」
「おかげさまで」
言ってから、師匠からほのかにアルコールの香りが漂っているのに気づく。
「……師匠も、機嫌よさそうですね」
昼から酒を飲んできたことに対する嫌味でもあったのだが、それには気づかずに
「収穫があった」と師匠がニヤリと笑みを浮かべた。
夕飯を終えて食器を片づけていると、師匠がそこを開けてみろと、台所のガスコンロ下の収納棚を指さした。
言われた通り開けてみるが、フライパンや鍋が並んでいるだけで、これと言って特別なものはない。
「なんです?」と師匠の方を振り返るが、腕組みをしたまま微動だにしない。
仕方なしに再び棚の中を見る。調理器具以外になにかあるはずだ……。
「あ……」
棚の奥にある柱にそれは刻まれていた。
赤黒い文字で何やら意味深な漢字が羅列されている。
封印だの結解だのという文字が見られるので、この家に何かが封印されている、ということになりそうだ。
「師匠、これって……」
「これと同じものが家主の寝室と、大きい方の居間、それと玄関にある柱に刻まれていたよ」
驚いた。僕が寝ている間に、師匠はそれらすべてを見つけていたのだ。
「あの化け物が家に入って来られないのは、この家に結解が張ってあるからだ。
まぁ、これは依頼人の話からも想像できるな。
改修なんかも自由にしていいなんて言われてたことからも、この家の軸の部分にそれが刻まれているのは想像に難くない。
問題は、それが何のための結解か、ということだ」
居間に戻って、お茶を啜りながら師匠が『収穫』について語り始める。
「封印って書かれてましたけど」
「何を、どこに封印したのか。それが問題だ」
師匠が人差し指をピンと立てて、神妙な顔つきをする。
「あの化け物が欲しがるようなものを、この家に封印した……?」
チッチッチと指を左右に振る師匠。
「もう一つあるだろう。この家にまつわるやばいものが」
あっ……。
「井戸……」
人差し指がこちらに向けられる。
「正解だ」
師匠が言うには、あれらは化け物から井戸を守るための封印だと言う。
そして封印そのものを守るためにも、家そのものにも結解を張っているのだそうだ。
「そんな複雑な結解だ。何年何十年も継続して張るには動力が必要になる」
師匠が言葉を切って、僕の目をじっと見る。
僕にはなんとなく、思い当たる点があった。
「ここに住む人間の生命力だ」