※今更ですが……物語の時間軸は、1990年代前半です。
師匠が言うには、普通に生活していれば害のない程度だと師匠は言う。
「そうは言っても気持ちのいいものじゃないですね」
僕は連日のことを考えて、辟易した気分になってしまった。
そんな僕を見て師匠が鼻で笑う。
「お前のように気の小さいやつには、ここに住むのは無理だろうな」
「じゃあ、家の持ち主が元気なのは……」
若干不貞腐れながら、師匠に聞いてみると
「前の持ち主は色々と知っていたんだろうが、今の持ち主は……ただ鈍いだけだろうな」
呆れてるんだか感心しているんだかわからないような答えが返ってきた。
その後、夕食のときに師匠が昼間出かけていた時の話をしてくれた。
近隣の家に聞き込みをするとは聞いていたけど、想定以上の収穫があったようだ。
「家主の結婚前の身辺調査だって言って名刺を出したら、色々と教えてくれたよ」
それに酒も渡したしな、と師匠がニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
どんなやり取りがあったかは想像に難くない。さぞ楽しい飲み会だったんだろう。
「ここは近隣でも有名な、呪われた家らしい」
そりゃそうでしょうよ、と相槌を入れたら、話の腰を折るなと師匠が睨んでくる。
僕はお茶を啜って話の先を促した。
「依頼人が家を譲り受けるまで、老婆と初老の男が住んでいたみたいでな」
ここからは師匠が話を聞いたという、何件か先に住んでいる――と言っても、数百メートルは離れているみたいだけど――戦前生まれの爺さんの話だ。
元の家主は何某というこの辺りでは名の知れた家で、昭和初期ごろまでは手広く商売をしていたらしい。
だが戦争の影響もあり、家業が傾き始めてしまう。
そこで旦那さんは奥さんと彼の両親を残して、出稼ぎにどこぞの地方へと出かけて行ったのだという。
二人の間に子供はいなかった。
奥さんは甲斐甲斐しく両親の世話を焼き、送られてくる少ない仕送りでなんとか生活を切り盛りしていた。
景気が落ち着いたころに、旦那さんは戻ってきたが、なんと女連れであった。
彼女の腹は、すでに旦那さんの子を身ごもっているという。
これも時代なのだろう。愛人はこの家に受け入れられ、無事に男児を出産する。
旦那さんとその両親は大層喜んだが、正妻の心中は穏やかではなかった。
それから間もなくして、戦争が激しさを増していった。
ついには旦那さんも兵隊として大陸へ渡ることになってしまう。
けれど、その頃には彼の正妻のお腹の中にも子が宿っていた。
そこまで語ると、師匠は言葉を切った。
ガサリ、ガサリと何者かが家の周りを這う音が聞こえる。
師匠は目線をそちらへ向けたかと思うと、目を閉じて深く息を吐く。
化け物が這いずり回る音、扇風機が首を振る音、居間に飾られた時計の秒針が動くたびに鳴るカチリカチリという音。師匠の息遣い。
まだ夢でも見ているのだろうか。
それら全てがどこか非現実的なものに思えて、世界がどこか遠くへ行ってしまうような錯覚に陥った。
「あれは、まだ赤ん坊のころに殺された、妾の子だ」
そこにどんな感情が込められていたのだろう。今となっては知る由もないが、師匠が低い声でつぶやいた。