「それじゃあアレは……」
ここに来た初日に見たものを思い出す。
這いずり回る、ぶよぶよとした塊は……。
「赤ん坊の成れの果てだ」
師匠が目を細めて、何かを睨みつける。
「無事に後継ぎが産まれると、妾もその子も邪魔になったのだろう。
旦那も戦争へ行ってしまい、彼ら親子を守る人はこの家にはもういない。
食うのも大変だった時代だ。それが妬みから来るものか、飢餓から来るものかは知らない。
けれど、それは明確な殺意へと変わってしまった」
まず赤子がこの家の裏にある山に捨てられた。
母親は正気を失い、泣き狂い赤子を求めた。
「それから井戸に落とされて死んだ」
彼女はその絶望と未練のためか、夜な夜な赤子を呼ぶ幽霊となった。
周囲には愛人とその子が事故で亡くなったと知らされたらしい。
けれど、村に住む誰もがそれを信じなかった。
その後どこぞから霊媒師を呼んで、何か家の周りを清めている姿も、バッチリと目撃されていたらしい。
もっとも、その念の強さから祓うことが出来ずに封印という形を取ったみたいだけど。
「色々と伝聞と推測が入り乱れてはいるが……」
さすがに未だ赤子の霊が出現していることは、周辺の人々も知らないらしい。
「赤子の捨てられたあの山な、間の悪いことに――いや、これは当然の帰結なのかもしれないが、昔から弱者を間引くための山だったんだ」
飢餓が訪れれば老人子供から犠牲になる。
憤怒と怨嗟に包まれた、古来から有象無象の霊が眠る場所。
もともと妾は霊力の強い家系だったのだろう。
赤子も当然のようにそれを引き継いでしまっていて、周囲に漂う怨念を食らいつくしてしまった。
それで……
「母親を求めるものの、決して母親に会うことのできない赤子の悪霊のできあがり、ってわけさ」
なんとも後味の悪い話だ。
口を閉ざした師匠に、聞いてみる。
「それじゃあ、この家の封印を解けば、母子が再会できるんじゃないですか?」
そうすることで、ふたりともが成仏できるんじゃないか、そんな淡い期待を抱いて。
「そういうわけにもいかないんだよ」
師匠が気だるげに頭を掻く。
「あの赤子はもう手遅れなほどに変容してしまっている。
よしんば母親に会えて成仏したところで、残った残骸が村に繰り出して被害を出すかもしれない」
ここに留めておくのが良作だ、と顔をしかめた師匠が言葉を吐き出す。
「そんな……」
「あれは霊というよりも妖怪とか神様に近い。
とにもかくにも、捨てられた場所と素質がまずかった」
師匠が言うには、この結解を維持しつつ、あの化け物が自然消滅するのを待つしかないのだという。
「何百年かかるか知らんけど」
ジジジ……と、まるで寝言のように一瞬だけ蝉が鳴いた。